コンテンツへスキップ →

日本の伝統・本流

日本の伝統

春日大社の式年造替が行われました このとき奉納されていた太刀が新たに打ち直されました 刀鍛冶は月山流当主です 月山流は大神神社座する桜井市に工房を構える 鎌倉以来の伝統ある流派です

古いものをむやみに尊ぶのではない 千年も前に作られたと同じ刀剣をいま再現できること これこそが連綿と続く日本の伝統の姿あり方です

三種の神器は壇ノ浦に沈みました いま宮中にある神器はその後に作られたものでしょう 伊勢神宮にも八咫鏡が納められています 熱田神宮には天叢雲劔が祀られており 弥栄瓊勾玉は宮中のみです

いずれが実物であるとか 形代であるとかの議論は無意味です 式年遷宮と同じことで 形あるものを祭るのではない 継承することが貴いのです
形あるものはいつか必ず滅びます いつまでも新たに甦ることが永久にあるということです

日の本は日出処の国です 常に生まれ変わり常に若々しく 清新なる国柄を表しています
日本の歴史伝統は常に新しく 久しく引き継がれます それが式年遷宮や式年造替 また御柱祭の意義なのです

天叢雲劔が表す勇武 八咫鏡が表す正明 弥栄瓊勾玉が表す親和 日本の伝統は清き明き直ぐなる心を伝えることに他なりません

昭和24年も伊勢神宮式年遷宮に当たる年でしたが 占領下のため国費が出せず断念せざるを得ませんでした
このことが知られると 横山大観・川合玉堂などが展覧会を開いて寄付を募る活動が始まり 4年遅れの28年に見事遷宮が執り行われました 麗しき日本の伝統が発揮されたのです

日本の本流

安土桃山時代とはいえ 桃山時代はすなわち豊臣秀吉その人です 個人と時代が等寸で重なる希有な時代といえます 豊臣秀吉は庶民の出であるといい 当人もそれを否定していません すなわち下克上です

下克上は大陸の覇道と同じではない 日本の底流に いつの時代でも流れている 民族の心の奔流が迸ったものです 世直しといっていいのかもしれない

徳川時代の一揆もそうです 明治維新もそうであるし 自由民権運動も まさしく世直しです そして今 インターネットの世界にも世直しの声が吹き荒れています

安土桃山時代といいます 信長は己の権勢を示すため安土城こそ作ったものの ついに文明を作ることはなく せいぜいが南蛮趣味くらいでした
太閤秀吉が切支丹伴天連を廃したから 桃山時代は明るく華やかで絢爛な 国振りの時代でありました

日本の建築様式は 高床式に始まり 寝殿作りとなり 書院作りに至り 数寄屋作りで完成しました その後に日本建築の進展はありません
この数寄屋作りは桃山時代・利休の手になるものです 大殿と呼ばれる各宗派の大本山建築もこの時代に創始されたといいます
桃山時代の建築を見ると 太閤秀吉の無邪気なおおどかさに比べ 利休はいかにも小賢しい

侘び茶といいながら懐石料理は 大貿易港の堺に唐・天竺・南蛮より渡来した 珍味佳肴の贅沢な食膳でした 田舎者の信長・秀吉を驚かすのはわけなかったことでしょう
信長はたやすく南蛮かぶれになりましたが 秀吉は利休の底の浅さが 国風に害をなすと見抜いていました

侘び・寂び・禅・武士道が日本の文化だなぞ言い始めたのは たかだか明治以降にすぎません 武士道は新渡戸稲造が英語で書いたガイドブック 禅も鈴木大拙の英語の紹介本に由来します
茶道と華道が女子の嗜みとされ いわゆる花嫁修業がいわれたのは昭和大戦敗戦後です 西洋のマナースクールを真似て 裏千家と池坊の当主夫人が提携して広めました[01] … Continue reading

これらもたしかに日本文化の一面ではあるが 本流とはいえないものです 元禄文化・桃山文化・王朝文化 さらに東北のねぷたを初めとした 各地に伝わる縄文文化を顧みないのは 片手落ちというより日本文化の本流に目を瞑ることになります

註釈

註釈
01 明治時代まで婦女子の嗜みとされていたのは 花・書・歌に加え茶がありました この茶は煎茶道のことでした いわゆる茶の湯は武家の嗜みであり 女子のものではなかったのです

カテゴリー: 日本の伝統・本流