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例と時、文献偏重と証拠

鎌倉時代に書かれた「塵塚物語」で面白い話があります 某公卿が山名宗全に対し過去の例を引いて 当時の社会情勢につき自説を縷々と述べたという内容です
山名宗全は 過去の事例はその時代のことである 例を時といったほうがいい 過去にばかり囚われるから あなたは失敗したのではないかといいます

説話集なので 事実に即してないという向きもあります 歴史上の事実とかそういう話じゃない 時代背景も状況も違うのだから 過去の例はそのまま参考にはならないということです

前例主義のばかりでなく 第一の歴史学者にも当てはまりそうな気がします 文献なんて意識せずとも書いた者の立場で事実を解釈してます
とくに役人が作る公的な文書は 政治的な意図を持っていると見た方がいい 私的な日記や言い伝え・伝承の方が 一面的・部分的ではあるが真実に近い[01] … Continue reading

文献に書かれた過去の例を否定するつもりじゃないが 一字一句をそのまま事実とするのは違うと思います やはりある程度の想像力は必要でないですか このブログに書いていることも私の個人的な推測が多い[02] … Continue reading
最近ファクトチェックなんていってますが 証拠集めのつもりでしょうか 権威筋とされる者の見解や 一次資料・原典といったって 必ず事実に即しているとはいえない 所詮事実は書かれた時点で過去のものです

証拠を集めて自説を補強するよりも 資料を読み解くというか 因果関係からを組み立てる方が 真実に肉薄する気がします 証拠や文献にばかり頼るのは権威主義の一種かと思います[03] … Continue reading
慰安婦問題や加計学院といった でっち上げ新聞記事はというよりですから さらに悪質です インターネットの世界に溢れる いわゆるフェイクニュース(ガセネタ)から真実を読み取ることもできます
一部新聞の執拗なにも関わらず 先の衆院選で安定政権を選んだのは 国民の良識を反映しています

検事調書が最初に事件のストーリーを組み立てて 自白を当てはめていくといいます ストーリーは証拠品で事実と認定されたことに基づくのですが すでに終わった事件であり完全な真実を描くことはできません
不完全を補うため当事者・容疑者の供述が必要です しかし犯罪者は罪を繕おうと 自分に都合がいいよう真実をねじ曲げます 嘘つきは泥棒の始まりといいます 犯罪者は嘘をつくことに慣れていて巧みです
嘘つきとの攻防が取り調べなのです アメリカなどで司法取引が行われるのも 検事が事件の絵を描くのもそのためです

註釈

註釈
01 文献主義はキリスト教の考えから来ているのではないかと思いますが どうでしょう キリスト教で最も大切な価値あるものは聖書です キリストの口を借りて人類に届けられた 神の言葉を使徒が書き留めたのが聖書ですから 絶対の権威なのです 聖書に書かれたことが真実 文字に書き留められたものを絶対視し崇め奉るのが文献主義です
02 中世史研究で 絵画史料論という分野があるそうです 文献ではなく絵に描かれたものを読み解くのです たしかに具体的だし偏った思惑が入る余地が少なそうです 幸い日本には 絵図・絵巻物・襖絵などの絵画史料が豊富にあります しかも大衆を描いたものが多い などは宗教画や貴族の肖像画ですね
03 戦国時代のフロイスが書いた報告書は大変参考になります 宣教師は時の権力に取り入ります は布教だけでなく情報機関として活動していました それは布教と支配が一体だったから ですから情報ソースの確度はかなり高い
といっても所詮外国人の観察ですし 宗教の布教が目的ですから偏見に満ちています やはり参考程度に見たおいたほうがいい 文献を絶対視するのは危険です

カテゴリー: 情報戦・心理戦一般 日本の伝統・本流