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タグ: 報道

改めて夫婦別姓論が欺瞞(まやかし)であること

日本以外の国が夫婦別姓はデマゴギーです

日本以外の国は夫婦別姓というのは 捏造報道(フェイクニュース)です たしかに日本では制度上夫婦が同姓となります 一方他国では戸籍制度はなくとも 妻が通称名として夫の姓を名乗るか 双方の姓を併称します[01] … Continue reading
社会生活上で夫婦が別姓を名乗る国は 朝鮮半島と中国など一部を除きありません やはり夫婦同姓が世界の常識なのです 戸籍名か通称名かの違いだけです[02] … Continue reading

結婚で姓(戸籍名)を選ぶのは日本だけ

日本は婚姻届も出生届も戸籍に紐付けられます そして出生届は名だけです 姓はその時の戸籍名(家名)となります
婚姻届で新しい戸籍ができますが 戸籍名は家名ですから一つでなければなりません 夫婦どちらかの旧戸籍名を選びます

他国で婚姻届と出生時の姓は無関係

他国で出生届には姓・名(フルネーム)を記載します これは一生変わることがありません また戸籍制度はないので 出生届と婚姻届は別のこと所管も違います したがって結婚しても離婚しても 個人の属性である姓・名はそのままです 戸籍に紐づけられないから 婚姻外の子であっても私生児なんて概念はない

大半の国で夫婦(家族)は同姓を名乗ります

他国の家族も子のラストネームに夫方のサーネーム(家名)を付けます 日本以上に家名・家系を大事にするのです そのため社会習慣上ほとんどの国で 妻が夫のラストネームを名乗っています(大陸と半島は男尊女卑の儒教の影響でしょうか 厳格な家父長制で妻は夫の家名を名乗ることができないようです)
世界で戸籍制度があるのは おそらく日本だけです 大半の国には階級制・身分制・部族制があり 強固なコミュニティが社会を形作っています コミュニティ同士の交流はなく 他所者は入り込めないということで 戸籍(人別帳)は必要ないのです

戸籍名は個人の姓ではない

世界の制度では 婚姻届と姓は関係ないというのが正しく 夫婦が別姓とするのは悪辣なデマゴギーです 大半の国で慣習として結婚すれば妻は夫の姓を名乗っています[03] … Continue reading
戸籍制度上で結婚して姓が変わるのは 日本だけというのは事実です 大陸・半島以外の他国でも結婚すれば 家族は同姓を名乗ります 制度上か社会慣習上かの違いだけです

正確にいうと日本は戸籍名があっても 個人の姓はありません 旧姓は旧戸籍名に過ぎないのです 問題があるとすれば現戸籍名を本名などという 日本社会の権威主義です さまざまな届出に現戸籍名でなければ受け付けないとか 旧戸籍名に拘るのも家制度の亡霊に囚われているからです

夫婦が同姓を名乗るのは 日本の麗しき伝統であるだけでなく 中国・朝鮮を除く世界の常識です

註釈

註釈
01 詳しくは知らないのですが 子供のセカンドネームに妻のサーネームを付けた場合 それに合わせる形で併称するのではないでしょうか いずれにしても結婚で夫婦どちらかが改姓することはありません 通称名が社会生活で通用するのです
02 別々の家庭に育った二人が新しい家庭を築くのですから 考えが違って当たり前です いかにしてそれぞれの価値観を止揚し 時には妥協し 新たな自分たちの価値を築けるかだと思います 通称名であろうと戸籍名であろうと 夫婦同姓なのはそのためです
03 ヒラリー・クリントン アンゲラ・メルケル マーガレット・サッチャー すべて夫の姓です 結婚したら夫のラストネームを(通称名として)名乗る また他からは〇〇夫人と夫のサーネームで呼ばれるのが 大陸・半島以外の世界の常識です マリ・キュリーはキュリー夫人ですね
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公正中立・無色透明

東西冷戦のころ 中途半端な社会党あたりが どちらにも与しない 中立・中道の第三極とかいってました そういった連中は 自らをリベラリストと称していました
不偏不党とは自分の信念・意見・考えがないことです どちらでもないは第三の立場という意味じゃない 他人の言葉に左右される どっち付かずの態度に過ぎません
先入観や予断をもたず 完全に公正中立な見方ってあるのでしょうか 判断するということは 自分の価値観に適合するかどうか ではないかと思います

色眼鏡で見るは あまりいい意味で使われません しかし 自分色がなければ基準がないわけで かえって事物の姿が 霞んだり歪んでしまうのではないでしょうか
例を挙げれば 光ファイバーなど特殊なものは別として 日常目にする透明なガラスやプラスチックは わずかに色素を入れています 無色だと人間の眼には 白く曇って見えるためです
色の三原色とか虹の七色といいます でも色は人間がそのように感じているだけ 他の動物は違う色を見ています 赤外線や紫外線が見える生き物もあります[01] … Continue reading
いろんな色が混ざって 白や黒になるわけじゃありません 白や黒という色はなく 明るいか暗いか(光があるかないか)反射率の違いだけ ですから無色透明もないわけです

自分の基準がなければ 誰かの基準を持ってくることになります たとえばキリストの教えなどです ギリシャ・ローマ時代の なんに書いてあったか忘れましたが 砂漠に住み豚を食べず唯一の神を信ずる 変わった民族がいるとありました[02] … Continue reading
キリスト教が広まる以前の世界は 多神教が普通の考え方でした 日本はもともとリベラルな国です 八百万の神は まさに多様性そのものです
教会など単一の価値基準に対して 多様性を認めるのが 本来のリベラリズムです いろんな色の見方があっていいし[03]透明なガラスに入れる色素は赤や緑が多いようです プラスチックでは紫なんかもあったかもしれない 切り口の色で分かります そのほうが透明性が高いと思います

一神教のような二元対立論なら どちらでもないと逃げることもできます 多様であればあるほど 旗幟を鮮明にしなければならないのです
日本に白か黒かの単一価値観は似合いません かといってすべての真ん中・中庸 灰色が正しいなんてこともない[04] … Continue reading

註釈

註釈
01 薄暗がりでは 水色は白に見え紅色は黒に見えます 赤・青・黄の絵の具を混ぜても決して黒にはなりませんよ 実際にやってみればすぐ分かることです 教科書に書いてあることを鵜呑みにしてはいけません
同じように報道されたことだけが事実ではない 何らかの政治的意図のもと書かれない真実がたくさんあります 記事を取捨選択するデスクは 公正中立な判断に基づいているつもりですが
02 ソ連邦の崩壊により 冷戦時代の単純な二元対立論も意味をなさなくなりました いま世界はさまざまな立場・価値観が主張されています 右だ左だ真ん中だといったレッテルばりを 未だにやっているのは日本だけじゃないですか
03 透明なガラスに入れる色素は赤や緑が多いようです プラスチックでは紫なんかもあったかもしれない 切り口の色で分かります
04 モノクロ印刷と白黒印刷は異なります モノクロームは単色という意味です たとえばセピアカラーの特色インクを使ってもモノクロ印刷です 黒一色のインクで印刷すれば やはりモノクロ印刷になります しかし白黒印刷の場合は 中間のグレートーン(256階調)を再現するために 黒に加えグレーのインクを使うことがあります この場合は2色のインクなので モノクロ印刷ではありません
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リアリティ番組?

リアリティ番組とかいうのが 取り沙汰されています 私はそんなものを見たことないので なんとも言えません アメリカのあるプロレス団体の興行が そのような構成だと聞きました 対立するベビーフェイスとヒールのグループがあって テレビ中継の試合は その抗争の一部を切り取ったものだという設定です 試合の前後も抗争は延々と続くということになっています
「アポなし突撃取材」とか「初めてのお使い」とか「ぶっつけ本番の旅」とか「鶴瓶の家族に乾杯」なども 台本なしという建前です ただリアリティ云々という言い方はしていません あくまでも拵えものとして観るものです

それからドキュメンタリー番組と称するものは 事実に基づくという前提で作られています しかしシナリオのないドラマはありえないし カメラの位置や画面の切り取り方に必ず演出はあります そしてシーンの編集は演出そのものなのです 同じフィルムを使い編集で正反対のストーリーを描き出すこともできます
むしろドキュメンタリーの方が過剰な演出だったりもします それが行き過ぎるといわゆる「やらせ」となります ニュース・報道(と称する)番組で マイクを持ったリポーターがわざわざ走り出して それをカメラが追うといったくだらん演出は論外です

かの長寿番組「笑点」大喜利で誰だったかが 次のお題の答えを言ってしまったことがあります そのシーンをそのまま放映してましたが洒落た編集ですね 落語家の芸は練り込んだ作り込んだ完成した作品です ハプニングの面白さを狙ったのではない
寄席は演者と観客の間合いが大事です 歌舞伎でもチャンバラ映画でも声のかけどころを間違えたら台無しです TV番組で笑い声を挿入するのは「ザ・ルーシーショー」で初めて見ました 子供ながらわざとらしいなと思ったものです

この度の件はリアリティ番組の出演者が Twitterだったかの風評に傷ついたのが原因とされます TV以外に新聞・雑誌が誰かの発言の一部を取り上げて 曲解した見出しで煽り立てるのも日常です 毎日新聞や東京新聞に多いでしょうか まるでイエロージャーナリズムですが 当人はクオリティペーパーのつもりでいるのでしょう
自分たちの政治的立場(カメラ位置)に都合のよい事実だけを取り上げ報道する 都合の悪いところは無視する(カメラアングル) 報道しない部分はなかったことになります 生憎と都合の悪い事実だけだったら 言い換え・脚色した見出しとリードをでっち上げます
でっち上げ(捏造=英語では trump up と言うらしいですね)とは捏ね上げる意味ですから[01] … Continue reading フェイク・虚報ではありません 事実に基づいた演出なのです(だからもっともらしい) デスクや整理部はドキュメンタリー番組の編集室に相当するのでしょうか

註釈

註釈
01 捏造(でつぞう)を(ねつぞう)と言うようになったのはいつからでしょう 粘土を捏ね上げてまるで本物そっくりに作るから捏ち上げなのですが 粘土の(ねん)から来たのかネチネチと作るから? それにしても自動車のクレイモデルは本当に実車そっくりです でも決して走ることはない
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