コンテンツへスキップ →

タグ: キャッチフレーズ

コピーとイラスト

図案屋さんと言われていた職業が グラフィックデザイナーに名が変わり 遅れてコピーライターが世に認められるようになったころ 印刷・広告の業界用語で コピーとイラストが使われていたようです
業界用語ですから厳密な定義はありません 簡単にいえば印刷物において コピーは活字で組まれたテキストの部分 イラストは凸版で作られたオブジェクトのことです

やがてコピー・イラストは印刷業界から離れ もっぱら広告業界の用語になっていきます イラストは写真を含む図像から 広告用の絵を言うようになり イラストレーターという職業が現れました 山口はるみさんが代表的でしょうか[01] … Continue reading イラストレーターの仕事はかなり広範囲で カットを描くのもポスターを描くのもレンダリングもカンプライターもパースライターも含まれます[02] … Continue reading
コピーは広告の文章を指していました 文章主体の広告はヘッドライン・リード・ボディコピーで成り立ちます そのほかにキャッチフレーズやクリンチャー クレジット キャプション といった用語もありました お名前は忘れましたが 手紙文のコピーでじつに上手い方がいらっしゃいました 女性のコピーライターなのですが 背景のストーリーが想像できるのです たしか銀行の広告でした[03] … Continue reading

キャッチフレーズはかなり曖昧な領域で ヘッドラインのことであったりコンセプトワードと重なったりします ときにはテキストでないキャッチもあります イラストがキャッチがわりになるときは アイキャッチャーですね テキスト(フォント)をイラストのように扱うこともあります[04] … Continue reading
そんな事情から本来キャッチフレーズが正確なのですが 通常はただキャッチとだけいってました 文案であって文章ではないのでフレーズです 広告は論文なんかのように書き方が決まっているわけじゃないし レイアウトの原理原則なんてありません[05] … Continue reading ボディコピーがキャッチの場合もありえます 似たものとしてコーポレートスローガンがあります これはキャッチとは領域が違います[06] … Continue reading

ひと頃もてはやされたイラストレーターは もはや職業として成り立たず コピーライターという職業は最初からなかったように思います 私感に過ぎませんが 久保宣はまだあるし イラストレーターを目指す人もいらっしゃるでしょうから
画家は挿絵を描いてもイラストはなかなか描けません 小説家や随筆家が広告コピーを書くこともできません イラストレーターは画家というより絵師です 自分の描きたいように描くのではなく 注文に応じて作画します[07] … Continue reading コピーライターに近い職業は思い当たりませんが 作詞家が似ているかもしれません コピーは依頼されて書くもので自分の書きたいことを書くわけじゃない 根本的にマーケティングを理解してないと書けません[08] … Continue reading

註釈

註釈
01 イラストレーターと言われたのは 黒田征太郎さんや横尾忠則さんからでしょうか 横尾さん自身はイラストレーターという意識は持ってなかったようです
Adobeイラストレーターは 本来の意味である図形描画ソフトであって お絵かきソフトではありません
02 カンプ(コンプリフェンシヴ)を描いたのは特に写真主体の場合 実際に撮影するわけに行かなかったことが大きな要因です サムネールから始まって カンプを提出するのは最終稿のようなものですから それを下地に撮影することもあります 有りネガをメインに使うのは無理ですね
03 もとサンアドにいた開高健とかが サントリーの広告に手紙文みたいなのを書いてましたが 下手ですね全然よくなかった TVCMの南アルプス天然水はバックストーリーがあって面白かったですけれど
04 山口はるみさんのエアブラシを使った女性像は 渋谷パルコの文字通り顔となり 独自のカルチャーを象徴していました アイキャッチを超えて渋谷の原風景とまでなったのです
西武池袋セゾングループは 糸井重里さんのコピーとくにキャッチフレーズが秀逸で シンボルとして機能していました 無印良品のロゴはゴシック体の活字風のテキストそのものです アイキャッチャーでありコンセプトワードでした 田中一光さんの作ですね
05 良寛様の書の優れたところは 布局にあります たとえば「天上大風」を見ると 文字が中央でなく極端に左下端に寄っています 署名は本文に重なりそうで窮屈 書としての様式からすればデタラメですね だが実に収まりがいいのです 署名は全体のバランスの上で要石となっています たまたまそうなってしまったということはない 明らかにレイアウトを意識しているのです しかも文字の運筆にいささかの澱みもない 良寛様は古今の書を勉強しています その成果に天性の感覚が備わったのでしょう
06 スローガンは団体の理念・目的を表す標語です 江戸は酒の大消費地で伏見の諸白が下り酒の代表でした ここに後発として参入した灘五郷が使ったスローガンが「灘の生一本」でした
07 江戸時代の錦絵(浮世絵)は版元がプロデュースし 絵師・彫師・摺師のコラボレーションで作られました 絵師は下絵担当です なので原画は残らない 横尾忠則さんの画集には 初期のポスター作品も収載されています 原画として残っているのは版下に色指定したものです
08 ジャンルは違いますが 声優という職業も昔はなく ほとんどの方が兼業でした 青二プロができた後に 世間から認められたのではないでしょうか いまや声優は確固たる地位ができ 様々なキャラの声を使い分ける 専門の技術も確立されているようです
コメントは受け付けていません

描写と説明、イメージ喚起

イメージ喚起と描写

○「そっとなめたら特濃でした」
✕「ミルクと苺の絶妙ブレンド」
いちごミルク飴のコピー2例 一つは情感・官能に訴えている 正解のマル もう一つは説明だが何も伝わらない バツであろう
△「甘くて小っちゃくて三角だ」
これは何といっていいか 形状そのままだ POPやパッケージと連動して初めて機能する 三角くらいか

「アイダホのポテトが東鳩のポテコになった」
五七調で軽快 広大なジャガイモ畑を想起できる 語呂合わせで原料を述べているだけ しかしイメージは結びつく

描写と説明の違いは何か 受け取る側が情景や行動をイメージできるのが描写ではないか いくら細かく説明しても 映像が思い浮かぶものではない 自らの記憶と経験からイメージが喚起される[01] … Continue reading
それを導くのが描写 受け手が参加して成立するのが描写 説明してはいけないのだ 参加させるのはとても大事なプロセス 参加する時点で承諾しているから その後の行動に結びつきやすい

とくに広告コピーは行動を促すのが目的 人は感情で動く理屈ではない いちごミルク味おいしそう と思ってもらえなければ売れないのだ
アイダホと投げかけられたとき(ポテコは投輪形であった) 人は当然のごとくポテトをイメージする アメリカでもポテトといえばアイダホ フライドポテト・ポテトチップスに使われる
ポテコはアイダホ産のポテトを使っていたから このコピーができた 北海道産だったらジャガイモになって 語呂が悪いし映像が浮かびにくい(北海道にカウボーイは似合わない[02] … Continue reading 商品の形状までリンクさせているのだ)

無意識のイメージ刷り込み

「ハウスバーモントカレー」も成功例か リンゴと蜂蜜を使った子供向け甘口のカレールー 当時流行ったというリンゴ酢に蜂蜜を加えた バーモント健康法とかバーモントドリンクにひっかけたネーミングだ
バーモント州の民間療法だったというが どうだろう 農業生産としてはリンゴとメープルシロップが多いようだ しかしそんなことはどうでもいいのだ いまやバーモント健康法はすっかり廃れ バーモントといえばカレーである[03] … Continue reading

イメージを想起させるようなTVCMではなかった リンゴに蜂蜜を垂らすといったストレートな映像表現 「リンゴとハチミツ ハウスバーモントカレーだよ」
バーモントといわれたって何も思い浮かばない 使っているリンゴの産地ではなく 単なる記号にしかすぎない 物量に物をいわせイメージを刷り込ませた時代だった

子供向けといえど買うのは親である バーモント健康法なのだから 子供の健康にいいかもしれないという 無批判な漠然とした思い込みを狙った面があるだろう
いまでも無添加・天然なら体に優しいなんて信仰がある 乳幼児に蜂蜜を与えたり ミルクをミネラルウォーターで溶く母親がいるのだ

註釈

註釈
01 コピーの要諦はさりげなく決めつけること 「角ハイボールがお好きでしょ」(サントリー)・・・ ウィスキーは不味いが あいかわらずコピーは上手い
02 花畑牧場の田中義剛が テンガロンハットみたいなのを被ってますが 全然似合ってない もっともニュージーランドがモデルと言ってますけど どちらにしろ北海道のイメージじゃない
じゃがりこのキャッチフレーズは「食べだしたらキリンがない」だそうで イメージキャラクターもキリンです 徹底してダジャレですね
03 私にとってカレールーは オリエンタル・マースカレーと マスコットフーズのカレーペーストですね オリエンタルの方は豚コマで作ります マスコットフーズはちょっといい牛肉を使います
コメントは受け付けていません

酒に酔う酒に迷う

内田百閒翁 事あるごとに随筆で「お酒は好きだが酔うのは嫌いだ」と書いておられます たしかに家での晩酌はそうかもしれません しかし教え子たちに招かれた席では しばしば羽目を外して 時には足がもつれ転び 血だらけで家に帰ったりしています
言ってる事とやってる事が違うみたいですが 他からの招待の席でそんな飲み方はしない 教え子たちの気持ちを酌んでのことだと思います 酒好きの先生を喜ばせようと招待してくれる だから正体なく潰れるまで飲んで見せなければ礼儀に反する[01] … Continue reading
私は一介の素浪人ですから そのような酒席に縁がありません もっぱら家で独りの晩酌のみ 取り寄せる酒は料理を楽しむための酒です 本来の日本料理は控えめで自己主張するものではない 素材の確かさとその良さを引き出す技を さりげなく見せるだけです この酒も料理の引き立て役として淡麗辛口 吟醸香を抑えた姿で静かに料理と寄り添います

互いの個性がぶつかり合う ワインのマリアージュとは考え方が根本的に違う 和の心といったらよいか 止揚ではなく調和を求めます 1+1は2になりますが 1✕1はどこまで行っても1のままです[02] … Continue reading
近ごろフランスで認められたとか ヨーロッパのアワードで部門賞を取った とかの日本酒が喧伝されています 共通するのが「純米吟醸」と称する酒です これらは正確には吟醸酒と呼ぶべきでありません フランスのワインと違って厳密に規定されていないため 曖昧な表記が使われるのです(国税庁の「特定名称の清酒の表示」では実質的に精米歩合だけの規定です)
吟醸づくりは各工程でいくつものチェックポイントがあり 吟味して醸すゆえ吟醸といいます また低温長期発酵と原料アルコールで吟醸香が生まれます[03] … Continue reading
これらの手間を省いて 誰が造っても吟醸香を作り出せる1601酵母や1801酵母ができました 原料アルコールなしで吟醸香が出るため 純米吟醸・大吟醸なる酒が生まれたのです 最近のことです つまり吟醸香がする純米酒というものであって 吟醸造りではありません

吟醸づくりでないから 洗練された雑味のない酒とはなりません よく言えば香りと個性の強い酒 甘い酸っぱいと自己主張のある酒です これがワインに馴れた料理人に受け容れられたのでしょう ワインは野性味のある複雑な味を評価しますから 客受けして使いやすいのかもしれない[04] … Continue reading
原料アルコール(醸造用アルコール)添加は酒精強化ワインにも使われる技術です もともとは腐造防止と貯蔵のためでした 副産物として香気の高い酒が生まれたのです
ドサージュやシャプタリザシオンは 醸造用糖類の添加を意味します また日本酒では添加されることのない酸化防止材が ワインには必ずといってよいほど入っています
純米酒はあっても純ブドウ酒は存在しないのです(添加物を極力使わないとするのがビオワイン?) いずれにしても長期保存や広域流通のための技術ですから 一概にいけない事ともいえません 百閒翁が愛飲していたのは瓶詰めの灘の酒でした 蔵元で玉割りするので品質が安定していてよいという理由です[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 小津監督の「秋刀魚の味」に 今は地位・声望もあり一廉の人物となった教え子たちが 恩師をもてなすシーンがありました 東野英治郎の酔っ払う演技が実に至芸でした 東京物語でもだらしなく酔う姿を演じています あの方は実生活でも酒を飲むのでしょうか あそこまで精妙に酔っ払いの姿を捉えるのは 下戸のような気がします
02 色盲と同じように味盲かあり 西洋人の30%日本人は10%ほどが 一定の味覚を感じ難いそうです ワインに慣れたヨーロッパの人たちが 精妙な日本酒の味を理解できないのも無理ありません
03 吟醸酒は本来鑑評会に出品する酒でした 市販が目的でなく手間をかけた特殊な作り方をします 吟醸香だけではないのです 鑑評会にもトレンドはあり 吟醸香のため山田錦と協会9号が必須とされた時期もありました 米と水と麹のみの昔ながらの造りで吟醸香はできません
04 ○祭・十四◇・△雪といった酒は外国人受けする日本風というのでしょうか アメリカ等のフランス料理レストランで供されています アメリカ人やフランス人に繊細な日本酒の味はわからんでしょう まったく関係ないのですが 近ごろ同じように外国人に人気の居合抜きがあります 天心流兵法といいます
道場主だか師範だかが演武している動画がありました 見ると身体の軸がブレているのです アレ?と思って公式ホームページを確認したら もともと香具師の大道芸(ガマの膏売り)だったのですね ただただ刀を早く抜くだけの見世物です 派手で分かりやすい侍パフォーマンスですから 外国人受けするのでしょう
05 ガラスの一升瓶を初めて使ったのは灘の酒蔵です 江戸時代の下り酒は伏見が主でした 江戸の酒問屋のなかには 玉割りするとき地酒をブレンドして 自店銘柄で売るところもあったようです そこで後発の灘は「灘の生一本」のキャッチフレーズで売り込みました 問屋や小売店が玉割りするのは昭和初期まで続いていました 一升瓶入りの酒は割り水に仕込み水を使いますから品質管理に責任が持てる そんな事情から一升瓶は酒造メーカー所有です なので昔は瓶を回収していました
生一本といっても もろみ桶でそれぞれ発酵具合が違いますから 搾った酒を囲い桶で貯蔵するときにブレンドします ワインの場合ほとんど自然任せで 桶ごとの違いは日本酒よりさらに大きくなります 貯蔵の際はいろいろな産地や醸造年度のものをブレンドするので 買い酒(桶買い)が当たり前です 生一本なんて言葉はありません 気候に恵まれた単年度産のワインをビンテージといって特別扱いすることはあります ブルゴーニュ・ワインなどは醸造より ブレンドで銘柄を作ると言ってよいでしょう
コメントは受け付けていません