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タグ: マスメディア

メディアの功罪

映画はエンターテインメントとして始まり現在もそうです 最初から拵え物なのです ドキュメンタリータッチは作り事であるという矛盾をはらんでいます ディズニーの「砂漠は生きている」は記録映画といえ編集の力で作られました
映画撮影のキャメラ位置アングルと画角が すでにして演出なのです 向きを変えるだけで 正反対の事象を写すことだってできます
アニメーション製作でバンクとか もう一つ名称を忘れましたが 過去の動画原紙があります 手塚治虫はTVアニメの製作スケジュールが遅れると バンク室にこもって1話でも2話でも作ってしまったそうです 原作者兼アニメーターだからできたことですが
ディズニーの編集力と同じことです ウォルト・ディズニーも同じ事をやっていたかもしれません 映画製作の最後の演出はフィルム編集です[01] … Continue reading どの駒でカットするか どの駒をカットするかで 別のストーリーにもなります

映画とは画(空間)作りです さらにそこへ動き(時間)が加わる 動きはフィックス画面に波瀾を与え安定が失われる すると物語が始まります フレームイン・アウト ズーム パンなどなど[02] … Continue reading
カット繋ぎは時間と空間を一旦断片化し 改めて組み立て直す 映画製作は現実を再編集し演出する作業なのです バンクも使いまわしというより演出です 演出があって初めて映画になる 現実を写すだけでは記録に過ぎません
西洋絵画とくに宗教画は 現実を切り取るのではなく 小宇宙を構築する作業です[03] … Continue reading 閉ざされた別世界だから 額縁が必要になる 壁画やステンドグラスは建物が額縁です 教会の中は3Dのバーチャル空間となります
西洋人が作るドキュメンタリータッチの映画は たぶん宗教画なのでしょう レンズを通した画は必ず主観が入ります 一つ一つのカットは事実であっても 組み立てるときに何らかの意図が入り込む 真実の記録映画はないのです

プロパガンダはファクトを集めてフィクションを構築すると言えるかもしれません 始まりは一神教の布教です 布教は英語でpropagationですね
布教・教化のテクニックは極めて巧緻に作られ洗練されました キリスト教・イスラム教が世界宗教になった所以です そして布教は政治と結びついていました 侵略と宣撫の道具と一体化します
それはセンセーショナルな言葉でありレトリックに満ちた文字であり 神々しいイコンであり偶像であり 結束を表すシンボルであり 感情を揺り動かす音楽であり 独特な作法であり特有な儀式であり また荘厳な建築であり美しい装飾なのです そして戦い・侵略・殺戮・殉教を正当化し美化していきます

ナチスが党大会の映画を政治宣伝に使いました シンボルマークの旗や制服と楽隊付きの行進は十字軍そのままです[04] … Continue reading 神がかり的な演説 きらびやかな制服 勇壮な音楽 整然とした行進 すべてがメディアです そして映画はどこでも何度でも再現できます
聖職者の説教で語られる神の言葉を印刷したのがマルチン・ルターです 羊皮紙にラテン語で書かれた宝典は開帳されました 印刷の発明はコミュニケーションメディアの大きな変革をもたらし やがて新聞・雑誌となっていきます 新聞の整理・編集は現実世界のニュースを取捨選択し再構成します

ナチス宣伝映画の手法は第2次大戦後 アメリカでTVCMという形で商用(マーケティング)に使われるようになります そしてTVを筆頭にしたマスメディアは 圧倒的な情報量で王者のように君臨したのです これが覆されたのが 同じ映像メディアであるインターネット とくにYouTubeの登場です
スマートフォンの普及と相まって誰もが情報発信するようになりました この映像は上手にまとめてあり手慣れた編集です でも内容は事実でしょう 新しい形のドキュメンタリーと言えるのではないか

註釈

註釈
01 映画は時系列やシナリオの順番で撮影しません 主にシチュエーションごとにまとめて撮ります フィルム編集は映画製作で必須の作業なのです 撮影とフィルム編集で欠かせないのが カット冒頭カチンコ黒板のシーンとショット番号です
02 ドキュメンタリータッチの映画でキャメラをブレさせるなんて実にあざとい演出です 最初は本当にキャメラがぶれていたのでしょう ドキュメント映像の製作に携わっている方は 撮影時の演出という意識はないみたいですね 画作りというよりは記録と捉えているようです 編集が演出と考えておられるかどうかは分かりません
03 ピカソのキュビズムも対象を分解して再構成するという手法です スーパーリアリズムは超写実主義ではなく超現実主義の意です 描くのは現実を超えた異世界です 写真を元に描きますが 写真は現実そのものではありません
04 十字軍はイスラム教徒との戦いだけでなく ユダヤ教徒を弾圧・迫害・虐殺しています イスラム教徒は正規の軍を持って迎え撃ちましたがユダヤ教徒は無力でした
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あおのり

ふりかけ「ゆかり」(登録商標)で知られる 広島の三島食品株式会社は 「青のり」も製造しています 三島食品の青のりはスジアオノリを原料にしており 香気の高い逸品です
ところが原料であるスジアオノリの収穫が激減し 商品を作れなくなったのだそうです そこで三島食品さんはかわりに ウスバアオノリとヒラアオノリを原料とした 代替品「あおのり」を製造販売することにしたのです 同時にスジアオノリの陸上養殖を始めました 養殖が軌道に乗れば元の「青のり」に戻す予定です

マーケティングの観点から感心したのが ことの経緯を旧メディアを対象としたプレスリリースなどではなく 「あおのり」の商品パッケージで説明したことです
青色が基調だったシンプルな「青のり」のパッケージから 緑色に変更した「あおのり」パッケージの表面に 「三島の青のりファンの皆様へ 詳しくは裏面をご覧ください」とあり
裏面で「三島食品が品質に自信をもってお届けしてきたすじ青のりを伝統の青いパッケージで作る事ができなくなりました。国内産地での記録的な不漁が続いた為です。陸上養殖をふくめ原料確保につとめていますがしばらく時間がかかりそうです。その間、今できる精一杯の青のりを準備しました。でも待っていてください。必ず帰ってきますから。」と書いてあります

これは素晴らしい パッケージは最大最良なメディアです しかしながら ここに着目したコミュニケーションは ほとんど行われてきませんでした
私は予てからマーケティング・ブランディングにおける 商品パッケージの重要性を提唱してきました パッケージはデザインだけでなくコミュニケーションツールとして最も重要なものです 商品そのものが媒体であり いわゆるオウンドメディアなのです
また顧客とのコミュニケーションは至誠が根幹になります 素直に訴え語りかけるのが一番です 小細工を弄したり仕掛けを作ったりしても インターネットの時代ではユーザーにすぐ見抜かれます

これほど具体的に私の考えと一致したマーケテイングの事例は初めてです 商品パッケージで説明するというのは 自社の顧客に向けてのみ語りかけることです マスメディアでPRしてブランドのイメージを高めるなどという さもしい了見ではない 
この誠意ある姿勢は必ず顧客に届きます 以前にキャンディーズが解散の意思を記者会見の発表などでなく 最初にライブでファンに表明した件を書きました 顧客第一の心がけは通ずるものがあると思います

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エージェンシー

エージェンシーと一言にいっても種々あります 代理業・ブローカーのことを指すことが多い 金融関係のブローカーには怪しいのもあります
旅行代理業は 旅館・ホテルの部屋を再販売します 部屋の稼働率を保証しますので 団体客目当ての旅館にとっては 集客のコストがかからずありがたい存在です 広告代理業は メディアの広告枠(時間やスペース)を再販売します 力のある広告代理店なら 2クールの広告枠を買い取ってしまうこともあります

日本の巨大広告代理店というと電通ですね(いまや世界一か) 寡占化が進めば広告代理店による影響力が強まります メディアに対してもクライアントに対してもです
新聞はまだ購読料がありますが TVの収入は広告料金のみです 新聞に比べれば編集の独立が確立されているとはいえません スポンサーや代理店の発言力は大きくなりがちです(かつてのサスペンスドラマでは 自動車会社がスポンサーにつくと交通事故は起こせず ハム会社ならば血を見せてはいけない などと言われたことがありました)

インターネットの時代になって情報の自由が促進されるとともに 情報発信を独占していた新聞・TVの権威が次第に失墜してきました
いままで礎を築いていたマスメディアと違い いかに電通でもGoogleやFacebookに影響力を及ぼすことはできません

旅行代理業の粗悪な格安日帰り旅行 中国資本流入などで ホテル・旅館が疲弊しています バス旅行ツアー事故などによる被害も出ています
日本のインターネット広告も 元ダイヤルQ2業者などが入り乱れ レップと称する怪しげなブローカーが跋扈し 不当な価格が横行しています

そして インターネット広告関連の仕事は 非効率で採算のとれない部門になってしまいました 自ずと過重労働を強いられたのでしょう
気の毒なことですが これは決して電通の体質ではないと思います だいたい従来スタイルの代理業が成立する土壌ではないし 無理があります

電通鬼十則

鬼十則の吉田社長は 夜どんなに遅くなっても朝6時には出社していました 他の理事(役員)もそれに倣って7時までに顔をそろえるといった具合です
出世すればするほど忙しく長時間労働だったのです 仕事は自ら作るものですから 時間管理も自分の責任 勤務時間に縛られることがない社風です
Googleの社員だって 会社に泊まり込んでいる人たくさんいるそうですから

以前の電通は東大・京大卒ばかり採用していました 別に仕事の能力を期待したわけでなく 学閥つながりが目的です 吉田秀雄自身が東大出身で 官公庁の仕事を独占しました
同じ理由で 政治家や大企業役員の子弟も 人脈目当てで縁故採用しました 人脈を利用して仕事をとる 営業の場は料亭ですね 本社を築地に置いたのも関係なくはない?
自殺した方が東大卒だったのは象徴的です 本社が汐留に移り 料亭政治・官官接待といった仕事の流れ方がなくなってきた

電通自体の変容は 連絡局が営業と改称し普通の会社になった 組織改編あたりから始まっていたかもしれない
仕事は自ら創るもの与えられるものではない もし新入社員に過重な仕事を割り振っていたのなら それは鬼十則に反します 吉田秀雄は部下を馬車馬のように働かせろなどと言ってない

そもそも電通鬼十則を素直に読めば 当たり前のことしか書いてないし 心構えを説いているだけです むろん強制力があるわけでもない
私流に解釈すれば 仕事を能動的にやれということでしょう 仕事に追い込まれるのでなく仕事を追い込めと言ってるのだと思いますが

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