コンテンツへスキップ →

情報心理戦とマーケティングの戦理・戦略・戦術・戦技 投稿

出版は死んだ

明治時代の出版は免許制でした 官許のある出版社のみが版権(複製権)を持っていて 著作権保護という観念はなかった 著作者が印税を得るのは個別に出版社との交渉・契約にかかります
著作権法になっても相変わらず 日本出版界独特のものとして残っています 要するに著作者の囲い込み ないし著書の出版権を独占するということです

岩波茂雄が夏目漱石に取り入って「こころ」を出版(なんと制作費・印刷代は漱石が負担)したあと 漱石著作の版権を手に入れ全集を出したのは典型的かと思います
漱石の頃は著名作家といっても筆一本で立つには不安がありました そこで朝日新聞の社員という形で給料をもらっていたのです 朝日との契約が終了し 再び経済的な不安にかられた漱石は この岩波の申し出を受けました
以来3年縛りといった囲い込み商法は 日本出版界の悪しき商習慣として根付いたわけです

知人がある出版社に本の企画を出しました すると制作費・編集費を出してくれるなら出版してもいい ただし初刷1500部のうち500部を買い取ってくれ という条件を示してきました
それってほぼ自費出版でしょう それなら出版社はいらない まったくリスクを取らないなら存在意義がない だったらアマゾンで出した方が よほどいい事になります

この本の場合は図版がメインなので キンドルで読むわけにはいかない 日本でも「Kindle ダイレクト・パブリッシング」により 電子出版は個人でも可能になりましたが 物理的な書籍をオンデマンドで出版するのは難しい
売れそうな本なら版権で囲い込む あまり売れそうもないのはリスクをとろうとしない 再販制や巨大取次が流通を支配する それが日本の出版界です

アマゾンのおかげで ようやくこのいびつな出版流通が改められようとしています 電子出版に関しては講談社とかがイチャモン付けてますが
アメリカみたいに出版社と著作者の間にエージェントが入ったり 著作者本人が版権管理会社を作るようにならないとだめですね 著作者による自費出版はアマゾン草創期から盛んだったようです
印税も昔は印紙に判子押したから明快だったけど いまは印刷部数じゃなくて実売部数だったり 初刷だけだとか聞きます

役人が噛んで始めた出版デジタル機構をメディアドゥが買収するそうです アマゾンだけでなくさまざまな電子書籍取次会社が林立してきました
市場が広がるにつれ コミックの世界では作者自身がメディア会社(エージェンシー)を立ち上げるようになりました 講談社と袂を分かった漫画家・佐藤秀峰氏の取り組みを応援したいですね
ベストセラーだとかなんとか騒いでいるのは いまだに20世紀の大量生産・大量販売の妄想に取り憑かれているのです

コメントは受け付けていません

DMとスパム、電話・訪問セールス

DM屋に任せきりのダイレクトメールは スパムメール扱いされるだけです
たとえばフィッシングメールは 機械的にアドレスを生成して送り付けるものです 費用はさほどかかりませんから 引っかかる者が限りなくゼロに近くても採算がとれます

でもフィジカルな方のDMには 印刷代から郵送費などの諸経費がかかります もちろん きちんと自社の顧客管理をしていて 固定客とコンタクトをとるオウンドメディアなら有効な方法です
しかし名簿を買ったりアンケートなどで 個人情報を収集して勝手に送り付けるのは けっこうな経費を使って悪印象を作り出しているだけです

最近は個人情報云々ということで こういったリストが手に入りにくくなりました そこで主流になるのはワン切りで電話番号を収集して 手当たり次第に電話セールスする方法です ワン切り電話があると 数日後にセールス電話がかかってきます

こういった電話セールスは フィッシング詐欺とおっつかっつで すべてが詐欺まがい商法といって間違いないものです
スパムメールと同じで電話番号の収集には ほとんど経費がかかりません しかし後で電話をかけるときは人件費がかかります
いわゆる掛け子と同じで歩合制でしょうから DMより遙かに低廉ではありますが

人件費を節約するため 一時は合成音声を使った電話セールスもありました 一見手間が省けて良さそうですが さすがに反応が悪すぎたか廃れました あとリクルートなんかが スパムFAXを盛んに送ってたこともあります 電話料金かかるが用紙代は相手持ちですからね

戸別訪問のセールスといえば 学研のおばちゃんか保険のおばちゃんでした
近頃あまり保険のおばちゃんの姿を見かけないと思ったら 保険の確認とか嘘をいって自社リストに無闇矢鱈と電話したり 銀行の窓口を借りて売っているようです 銀行口座とかクレジットカードなら 契約させてしまえば自動引き落としだから有利です

保険の勧誘は縁故を頼る商法でした ですから外資系生保が盛んにTVCMを流した頃は 保険の勧誘そのものより生保レディ(?)のリクルートに血道を上げていました
誰でも5人や6人の縁故はありますから ネズミ講みたいなものですか 募集の経費かからないし

昔葬儀屋さんに聞いたところ こういう仕事はプッシュセールスをすることはない 待ちの商売なのだと言ってました
しかし今 電話セールスと戸別訪問で一番多いのが 墓石屋と葬儀屋です まぁ考えてみれば生保も葬儀も人の不幸につけ込んだ あざとい商売ではあります

保険は本来相互扶助ですから 最終的にマイナスになるものです それを日本の生命保険は利殖のように装おって勧誘していました それだけならまだしも不払いが当たり前の状態でした まさしく詐欺商法です
葬儀屋は互助会の形態を取っているので 多店舗展開するときも会員に営業させているようです よく分からないのですがフルコミッション制なんじゃないかな 地縁・血縁を使う保険屋と同じ商法ですね

コメントは受け付けていません

日本の伝統・本流

日本の伝統

春日大社の式年造替が行われました このとき奉納されていた太刀が新たに打ち直されました 刀鍛冶は月山流当主です 月山流は大神神社座する桜井市に工房を構える 鎌倉以来の伝統ある流派です

古いものをむやみに尊ぶのではない 千年も前に作られたと同じ刀剣をいま再現できること これこそが連綿と続く日本の伝統の姿あり方です

三種の神器は壇ノ浦に沈みました いま宮中にある神器はその後に作られたものでしょう 伊勢神宮にも八咫鏡が納められています 熱田神宮には天叢雲劔が祀られており 弥栄瓊勾玉は宮中のみです

いずれが実物であるとか 形代であるとかの議論は無意味です 式年遷宮と同じことで 形あるものを祭るのではない 継承することが貴いのです
形あるものはいつか必ず滅びます いつまでも新たに甦ることが永久にあるということです

日の本は日出処の国です 常に生まれ変わり常に若々しく 清新なる国柄を表しています
日本の歴史伝統は常に新しく 久しく引き継がれます それが式年遷宮や式年造替 また御柱祭の意義なのです

天叢雲劔が表す勇武 八咫鏡が表す正明 弥栄瓊勾玉が表す親和 日本の伝統は清き明き直ぐなる心を伝えることに他なりません

昭和24年も伊勢神宮式年遷宮に当たる年でしたが 占領下のため国費が出せず断念せざるを得ませんでした
このことが知られると 横山大観・川合玉堂などが展覧会を開いて寄付を募る活動が始まり 4年遅れの28年に見事遷宮が執り行われました 麗しき日本の伝統が発揮されたのです

日本の本流

安土桃山時代とはいえ 桃山時代はすなわち豊臣秀吉その人です 個人と時代が等寸で重なる希有な時代といえます 豊臣秀吉は庶民の出であるといい 当人もそれを否定していません すなわち下克上です

下克上は大陸の覇道と同じではない 日本の底流に いつの時代でも流れている 民族の心の奔流が迸ったものです 世直しといっていいのかもしれない

徳川時代の一揆もそうです 明治維新もそうであるし 自由民権運動も まさしく世直しです そして今 インターネットの世界にも世直しの声が吹き荒れています

安土桃山時代といいます 信長は己の権勢を示すため安土城こそ作ったものの ついに文明を作ることはなく せいぜいが南蛮趣味くらいでした
太閤秀吉が切支丹伴天連を廃したから 桃山時代は明るく華やかで絢爛な 国振りの時代でありました

日本の建築様式は 高床式に始まり 寝殿作りとなり 書院作りに至り 数寄屋作りで完成しました その後に日本建築の進展はありません
この数寄屋作りは桃山時代・利休の手になるものです 大殿と呼ばれる各宗派の大本山建築もこの時代に創始されたといいます
桃山時代の建築を見ると 太閤秀吉の無邪気なおおどかさに比べ 利休はいかにも小賢しい

侘び茶といいながら懐石料理は 大貿易港の堺に唐・天竺・南蛮より渡来した 珍味佳肴の贅沢な食膳でした 田舎者の信長・秀吉を驚かすのはわけなかったことでしょう
信長はたやすく南蛮かぶれになりましたが 秀吉は利休の底の浅さが 国風に害をなすと見抜いていました

侘び・寂び・禅・武士道が日本の文化だなぞ言い始めたのは たかだか明治以降にすぎません 武士道は新渡戸稲造が英語で書いたガイドブック 禅も鈴木大拙の英語の紹介本に由来します
茶道と華道が女子の嗜みとされ いわゆる花嫁修業がいわれたのは昭和大戦敗戦後です 西洋のマナースクールを真似て 裏千家と池坊の当主夫人が提携して広めました[01] … Continue reading

これらもたしかに日本文化の一面ではあるが 本流とはいえないものです 元禄文化・桃山文化・王朝文化 さらに東北のねぷたを初めとした 各地に伝わる縄文文化を顧みないのは 片手落ちというより日本文化の本流に目を瞑ることになります

註釈

註釈
01 明治時代まで婦女子の嗜みとされていたのは 花・書・歌に加え茶がありました この茶は煎茶道のことでした いわゆる茶の湯は武家の嗜みであり 女子のものではなかったのです
コメントは受け付けていません