コンテンツへスキップ →

三ツ鳥居

新潟県の魚沼神社は創建の時が不明の古社です 延喜式で越後二の宮なのに 今はすっかり寂れ果ててしまい 宮司もいません それはさておき特徴的なのは かつて鳥居が3つあったことです 一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居ではなく 3方向に鳥居が建っているのです 参道も丁字路の3本です
三ツ鳥居といえば大神神社が有名です 大小3つの鳥居を組み合わせてあって 参拝するときは8の字に潜るとか 茅の輪潜りと似ています 大宮氷川神社の参道は 一の鳥居から三の鳥居まで一直線の十八丁(2キロ)もありますが 魚沼神社の正面参道は距離がなく 丘の麓で終わっています 3方向の参道は珍しいのではないか[01]今は道路が整備され参道両側に人家が建ち並んでいます 昔は田んぼの真ん中の一本道でした 農道にしては幅が広く短すぎ不自然です

水神様を祀った神社らしく 祭礼のときは丘の頂上にあった神泉(井戸)から水を汲んで[02] … Continue reading 道なき道を麓まで降り 正面鳥居から運び入れていました この泉が元々の祭神だったのです 神の遷座ですね[03] … Continue reading
子供の頃 正面の鳥居を潜ってはいけないと言われた気もします 記憶は定かでないのですが[04] … Continue reading してみると正面の道は参道ではなく 神様専用の通り道と考えられます 他の神社でも参道中央は神様が通るから 人は端を歩くと言われますね

改めて三ツ鳥居の形を見れば 正面の大きな鳥居は神様 左右の小さな鳥居は人間と 別けているかも知れないと思えます 3方向の鳥居は古式にならったのか 単に地形の関係なのか 丘の下に降りた理由も分からない
三ツ鳥居 一の鳥居から三の鳥居 3方向に建てられた鳥居 共通点はあるようでいて なぜ三なのかは伝わっていない 偶然ということもないと思うのですが
中国の考え方は二元論ですから 偶数が吉数です 日本は三種の神器に見られるよう 奇数が吉数となります この辺に答えがありそうな気がします
ところで鳥居は冠木門と形が似ています 武家屋敷の門は通常 左右の通用口を使い 中央正門は特別の場合以外開きません
魚沼神社の祭神は水神であるとともに武神でした[05] … Continue reading 上杉謙信公が深く崇敬していたことが知られます 関東に出陣する時は必ず魚沼神社に参拝しました

註釈

註釈
01 今は道路が整備され参道両側に人家が建ち並んでいます 昔は田んぼの真ん中の一本道でした 農道にしては幅が広く短すぎ不自然です
02 やや離れたところに大池があり 農業用水につかわれていました 雨乞いに関わる白蛇伝説が伝わっています 泉そのものを水神とする原初の信仰から 人格神を祀る過程で蛇が神の使いとされます
03 麓に降りた(社を建てた)のは 自然現象の水神から 祭神を人格神に比定したときでしょう 井戸のあったところは神籬のような塀で囲われていました
04 市営の上水道が引かれた当初 この井戸を水源としました そのため神籬が取り壊され 元々の祭神が失われました 以来祭礼が行われなくなり 現在に至ったと記憶します
05 水神が武神とされたのは 中国の四象の影響でしょう 北が水で南が火と対応し それぞれ玄武 朱雀(しゅじゃく)と名付けられました この武の字からと思われます

カテゴリー: 日本の伝統・本流