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カテゴリー: 情報戦・心理戦一般

中国の酒 日本の酒

三國志魏志東夷傳に 倭人國其の人は性酒を嗜むとあるそうです 鬼道には酒が欠かせなかったことでしょう
記紀に中国から酒造法が伝わったかの如き記述がありますが 中国と日本の酒は見た目も味わいも別種です 延喜式にも大陸風の名前をつけた酒の種類が記載されます しかし原料はもちろん醸造工程を見ても 影響を受けたり参考にした形跡はありません
文書に記録するときは漢字・漢語を使いますから 中国の類似の酒の名称を借用したと思われます 民間(和語)では違う呼び名だったでしょう むろん内容も異なります
 
中国酒と日本酒はともに並行複醗酵ですが それぞれ独自に発展してきた酒です 決定的な違いは日本は粳米 中国は糯粟が原料であること 日本酒は麹にコウジカビを使うことです 中国の麹はクモノスカビです[01] … Continue reading 中国酒が日本に輸入されていた記録もない 記紀も延喜式も書いたのは酒造りの知識がない者なので 無理ないことではあります
中国酒は大陸らしく大雑把な作り方 日本酒は世界に類を見ない 繊細な技術を要する洗練された酒です 専門の技術者によって造られ[02] … Continue reading 各地の地名を冠した銘酒が流通しました 流通保存のため腐敗防止の火入れは 室町時代に確立された技術です

中国の醸造酒は精穀度が低く黄色を呈します 黄酒と言われる所以です 大甕で熟成されて褐色になり 老酒と呼ばれます 国土が広いこともあり基本的に家醸酒でした 陶淵明の詩を見ても自分で酒を醸したと書いています[03] … Continue reading 小瓶で流通するのは近年のことです 現在カラメルで色付け味付けされた老酒風は大量に流通しています 北宋時代に描かれた清明上河図には 酒楼に新酒ののぼり旗が掲げられます 中国でも老酒は特別で新酒が普通に飲まれていたのです
日本の清酒は木桶で醸造し熟成しません 伏見の諸白と言われる造りはほぼ透明です これは江戸の人口が急激に増え 三年酒など古酒の供給が間に合わず 新酒で出荷したためと考えられます 江戸時代中期には四斗樽の専用船 樽廻船で通年流通するまでになりました 海に近い灘の酒屋が始めたことです[04] … Continue reading

年貢米と同様に酒も課税されていました 日本の酒税は世界一高率です 中国では大昔に課税対象になったことはありますが すぐに廃止されました 家釀酒の伝統からか今でも自由に酒を作れるようです 未成年者の飲酒も禁止されていません 日本でドブロクが違法とされるのは 酒税法違反になるからです 要するに税金がらみです

「夫レ鹽ハ食肴ノ將 酒ハ百藥ノ長 嘉會ノ好」

古くは塩が最上の肴でした 塩といっても大陸なので岩塩です 産地によって味が変わったそうです 皇帝はまるで水晶のように透明な岩塩を嘗めていました 甘味があったといいます
日本でも冷や酒を入れた枡の角に 塩を盛って飲んだりします 日本で岩塩は取れませんから 海水を煮詰めた塩ですね たしかテキーラも似たような飲み方をします
めでたい集まりに酒は欠かせないものですが 百薬の長がよく分からない 調子(韻律)を整えるためか やはり言い訳か たぶん両方でしょう

肉は生肉で干肉は脯と言います 酒池肉林の肉は肉料理のことでしょうか 干果物も好まれていました 合わせて酒肴核です 干肉も干果物も贅沢なもので 庶民は炒豆なんかで酒を飲んだようです
我邦はスルメで酒を飲みます しかし干柿で酒を飲むことはしない 二日酔いに柿はよいといいますが 按ずるにこの違いは酒の質によるものでしょう
中国の酒は白酒と黄酒です 白酒は蒸留酒で50度ほどもあります 醸造の黄酒は古いものが老酒として喜ばれます どちらの酒も甘味はあまりなくドライです 干果物は合いそうです

日本酒は新酒が飲まれ 甘い酒が上等なものとされました 灘・伏見から江戸へ輸送する関係から 濃醇でアルコール度数が高い原酒で運びます 小売の際は玉割をするため 割水の少ない濃い酒がより上等だったのです
江戸時代には究極の甘い味醂が作られました 焼酎で割り井戸で冷やして飲みます カクテルですね[05] … Continue reading 江戸後期に味醂や砂糖が料理で使われるようになると 次第に辛口の酒が好まれるようになります
明治はじめの記録によれば アルコール度数18度前後 酸度9で+17〜18くらいの酒が市販されていました 超辛口です 大正時代になっても日本酒度+10が平均でした

中国の酒は伝統があります 白酒は日本の焼酎の倍の強い酒です ウオッカのように寒さをしのぎ 酔うための酒です 黄酒にしても陶淵明から蘇東坡に李白や杜甫の古詩を見れば 酔うことを詠い味のことはあまり言いません
日本酒は各地で次第に洗練され 明治時代に至って醸造試験場を中心とした官民の技術研鑽により 昭和50年代に大吟醸酒が醸し出され 世界至極の酒となりました

うまさけは うましともなく 飲むうちに 醉ひての後も 口のさやけき

蒸留酒の方は各地に秘めた島酒が伝わるそうです 古酒(クースー)の芳香は実に素晴らしいものです 麦焼酎は熟成すれば日本のウィスキー 黒糖焼酎は芳醇なラムとなるでしょう 清酒の古酒も再び造られるようになりました 蒸留酒の熟成を望みたいものです

(坂口謹一郎著・日本の酒を参照しました)

註釈

註釈
01 中国の麹は麦粉を練ってクモノスカビを付ける固形の餅麹 日本は蒸米にコウジカビを付ける散の米麹 米麹には黄麹と黒麹 黒麹の変異種白麹があります 黄麹は主に日本酒に使われます 黒麹は泡盛ですね 焼酎も黒麹か白麹を使用します 高粱酒などの中国蒸留酒は やはりクモノスカビの曲子ですから別物です
02 昭和初期まで受け継がれたきた酒造り唄は 酒と共に日本の文化です 他の国にこのような伝統があったかどうか分かりません 中国人の音楽感覚ではメリハリがないので 仕事歌はなかったような気がしますけれど
03 コウジカビは育てるのに技術が必要ですが クモノスカビは飯を炊いて水と共に加えるだけで 放っておけば勝手にドブロクになるそうです 醸造試験場技師の方の体験です だから中国では家醸酒なのですね
04 船で江戸まで運ぶため 腐敗防止に無臭の焼酎を使うようになったのは16世紀頃です ヨーロッパの酒精強化ワインも輸出のために考案されました こちらは18世紀です ともにアルコール添加酒ですね
05 中国の文献に密淋という言葉が見られます 製法は不明で料理に使われたという記録もありません 単に蜜のように甘い酒という意味でしょう 特定の製法の酒を言ってるわけじゃない 味醂と名付けたのは中国の文献からかも知れません 唐天竺渡りの珍奇希少な酒と呼称するためですね ヨーロッパには酒精強化ワインのマディラ酒やポルト酒があります 味醂と似た製法です やはり飲用にも料理にも使います
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流れに棹さす?

「流れに棹さす」の出典が分かりません 用例も見たことないが慣用句ということでしょうか ならば揚げ足取りは無用なのですが
小型の川船が桟橋から離れるときは 水棹を突いて動かします 瀬に至れば櫓を入れて漕ぎます 渡しなどで川を横切る場合は 川上に向かって斜めに船を進めるのが決まり 時代劇でおなじみのシーンです
石松三十石船の古い映画があります この三十石船は淀川を伏見に向けて上ります 石松と江戸っ子のやり取りの間に 水棹を押しながら舳から艫へ 船縁を歩く姿が見られます 流れを遡るときは棹で水底を突いて進むのです
下りのときは櫓を入れて流れに乗ります 浅瀬を下るときも水棹を使いますが これは岩などにぶつからないよう むしろ減速のためです
船を人力で動かす道具は ほかに櫂があります 日本の川は幅が狭く急流が多いので 軍船の安宅船以外には ほとんど使われません
櫂→櫓→水棹の順で難易度が高くなっていくそうです たしかに棹一本で船を操るのは難しいことでしょう 舵のない川船は操船のため棹を使うことはあっても 船脚を早めるため棹で水底を突くことはしません
「流れに棹」だったら棹を用いて流れに向かうと 流れを見極めて棹で操船するの ふたつの意味がありそうです なので流れに逆らうも誤用とは言い切れません
文化庁のページを見ても「流れに棹さす」の用例は見当たらないし 水を差すと間違えている人はたぶんいないと思う 時流に乗るという意味で使いたいならば 追風に帆かけてシュラシュシュシュの方がいい 石松が乗った金毘羅船は百石積の内海用なので 帆掛け船です
もしかしたら夏目漱石「草枕」の冒頭 情に棹させば流される から来ているのでしょうか これは情に流されると流れに棹を引っ掛けた言い方で 情にほだされるといった意味合いです 流されるのであって流れに乗るということではない

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メディアの功罪

映画はエンターテインメントとして始まり現在もそうです 最初から拵え物なのです ドキュメンタリータッチは作り事であるという矛盾をはらんでいます ディズニーの「砂漠は生きている」は記録映画といえ編集の力で作られました
映画撮影のキャメラ位置アングルと画角が すでにして演出なのです 向きを変えるだけで 正反対の事象を写すことだってできます
アニメーション製作でバンクとか もう一つ名称を忘れましたが 過去の動画原紙があります 手塚治虫はTVアニメの製作スケジュールが遅れると バンク室にこもって1話でも2話でも作ってしまったそうです 原作者兼アニメーターだからできたことですが
ディズニーの編集力と同じことです ウォルト・ディズニーも同じ事をやっていたかもしれません 映画製作の最後の演出はフィルム編集です[01] … Continue reading どの駒でカットするか どの駒をカットするかで 別のストーリーにもなります

映画とは画(空間)作りです さらにそこへ動き(時間)が加わる 動きはフィックス画面に波瀾を与え安定が失われる すると物語が始まります フレームイン・アウト ズーム パンなどなど[02] … Continue reading
カット繋ぎは時間と空間を一旦断片化し 改めて組み立て直す 映画製作は現実を再編集し演出する作業なのです バンクも使いまわしというより演出です 演出があって初めて映画になる 現実を写すだけでは記録に過ぎません
西洋絵画とくに宗教画は 現実を切り取るのではなく 小宇宙を構築する作業です[03] … Continue reading 閉ざされた別世界だから 額縁が必要になる 壁画やステンドグラスは建物が額縁です 教会の中は3Dのバーチャル空間となります
西洋人が作るドキュメンタリータッチの映画は たぶん宗教画なのでしょう レンズを通した画は必ず主観が入ります 一つ一つのカットは事実であっても 組み立てるときに何らかの意図が入り込む 真実の記録映画はないのです

プロパガンダはファクトを集めてフィクションを構築すると言えるかもしれません 始まりは一神教の布教です 布教は英語でpropagationですね
布教・教化のテクニックは極めて巧緻に作られ洗練されました キリスト教・イスラム教が世界宗教になった所以です そして布教は政治と結びついていました 侵略と宣撫の道具と一体化します
それはセンセーショナルな言葉でありレトリックに満ちた文字であり 神々しいイコンであり偶像であり 結束を表すシンボルであり 感情を揺り動かす音楽であり 独特な作法であり特有な儀式であり また荘厳な建築であり美しい装飾なのです そして戦い・侵略・殺戮・殉教を正当化し美化していきます

ナチスが党大会の映画を政治宣伝に使いました シンボルマークの旗や制服と楽隊付きの行進は十字軍そのままです[04] … Continue reading 神がかり的な演説 きらびやかな制服 勇壮な音楽 整然とした行進 すべてがメディアです そして映画はどこでも何度でも再現できます
聖職者の説教で語られる神の言葉を印刷したのがマルチン・ルターです 羊皮紙にラテン語で書かれた宝典は開帳されました 印刷の発明はコミュニケーションメディアの大きな変革をもたらし やがて新聞・雑誌となっていきます 新聞の整理・編集は現実世界のニュースを取捨選択し再構成します

ナチス宣伝映画の手法は第2次大戦後 アメリカでTVCMという形で商用(マーケティング)に使われるようになります そしてTVを筆頭にしたマスメディアは 圧倒的な情報量で王者のように君臨したのです これが覆されたのが 同じ映像メディアであるインターネット とくにYouTubeの登場です
スマートフォンの普及と相まって誰もが情報発信するようになりました この映像は上手にまとめてあり手慣れた編集です でも内容は事実でしょう 新しい形のドキュメンタリーと言えるのではないか

註釈

註釈
01 映画は時系列やシナリオの順番で撮影しません 主にシチュエーションごとにまとめて撮ります フィルム編集は映画製作で必須の作業なのです 撮影とフィルム編集で欠かせないのが カット冒頭カチンコ黒板のシーンとショット番号です
02 ドキュメンタリータッチの映画でキャメラをブレさせるなんて実にあざとい演出です 最初は本当にキャメラがぶれていたのでしょう ドキュメント映像の製作に携わっている方は 撮影時の演出という意識はないみたいですね 画作りというよりは記録と捉えているようです 編集が演出と考えておられるかどうかは分かりません
03 ピカソのキュビズムも対象を分解して再構成するという手法です スーパーリアリズムは超写実主義ではなく超現実主義の意です 描くのは現実を超えた異世界です 写真を元に描きますが 写真は現実そのものではありません
04 十字軍はイスラム教徒との戦いだけでなく ユダヤ教徒を弾圧・迫害・虐殺しています イスラム教徒は正規の軍を持って迎え撃ちましたがユダヤ教徒は無力でした
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