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真実の花

風姿花伝に「時分の花」「当座の花」「真実の花」の三つの段階が書かれています
簡単にいってしまうと 「時分の花」は才能 「当座の花」は技術です 「真実の花」は 何といったらいいのでしょう
到達したことがないので よく分かりません とりあえず円熟としておきます

「時分の花」は 3分咲きから5分咲きの状態をいう言葉です 6才6月6日に芸(舞)を習い始め 12・3才頃になれば 一通りの所作ができるようになります
その時どうかすると 名人上手をも唸らせるほどの舞を見せることがあります しかしこれは持ち前の才が稽古によって花開いたものです

修業を重ね22・3才になれば技術も万端修め 一見して名人上手と遜色ない舞ができます 満開と見紛う7・8分咲きというところです
ただし技術の上で破綻がない そつのない舞であっても そこで慢心すると芸が小さくまとまってしまい 「当座の花」に留まります

「真実の花」はいつ咲くのでしょう 怠りなく精進を重ねた先に 新たに開くものではないでしょうか 花が満開の時とは 花弁が散り始める頃です
円熟の芸は散り際にのみあるとしたら 一生が修業という言葉に頷けます 真実の花は桜吹雪に紛れて見えないのかもしれない[01] … Continue reading

仏師が木の中におわします仏様を彫り出すだけだといい 作曲家は楽譜を見れば頭の中で音楽が鳴り響くといい グランシェフもレシピを見ると舌の上に味が湧き出すといいます

技術を極めた更に先 頂上に至ってからの景色 その境地でしか見えない世界が広がります ノウハウや裏技あるいはコツ 隠し味とか秘伝の技 企業秘密なんていうものじゃない

説明することも伝えることもできないものがある 自らの手と足で求めるしかないのです
さすれば 真実の花を咲かすのは 不断の努力でありましょうか

尾車親方が大相撲の解説で 千代の富士を評して「大きなことをやり遂げる人は小さな努力を積み重ねている」と言ってました 至言ですね

2022年3月30日追記=最近YouTubeで古武術や格闘技を見ているのですが 浅山一伝流の関先生と極真会の纐纈先生のお話しに 感銘を受けました お二人の術理の解説は実に合理的で納得できるのです 共通するのは人間の体の構造や動き また相対したときの心理に応じた理合です 浅山一伝流は戦国時代より伝わる介者剣術が元です 纐纈先生は世界大会で巨漢の外国人を相手に連続優勝されました
戦場も世界大会も長丁場 共にできるだけ体力を消耗せず 無駄のない動きと相手の攻撃をいなす技が特徴です 関先生の所作はまるで舞踊のように美しい 纐纈先生は試合中に道着が乱れない ことさらに神秘めかした秘伝とか 速さや力任せの技ではないのです 戦いの9原則・経済の原則に通ずるかも知れない そしてお二方とも研究熱心で理論派です 頭で理解できても不断の努力の積み重ねがないと到達できない境地です)

註釈

註釈
01 花は散り際が最も美しい 花筏というものがあります(季語とされますが 歳時記を見ても作例が見当たらない 不思議な言葉です) 散った花びらで水面が桜色に染まる風景です 狂おしい凶々しさを秘めた 常世でない幻想的な美しさです 梶井基次郎が書いたように 花の下には屍体が埋まっているのかもしれない

カテゴリー: 日本の伝統・本流