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投稿者: 一醉

脅威への対応

直接侵略に対応

ロシアがウクライナに侵攻し 連動して日本周辺でも中国とロシアが共同して 空・海から威力偵察あるいは武力示威を行っています これらは軍事行為ではなく 国の政策であり政治・外交に関わる事案です 政府・外務省が明確に抗議すべきです
自民党あたりから日本の核武装だとか 世迷い言をいう輩がいます 日本が核兵器を開発・管理・運用なんてできません だいたい核抑止力やら核の傘なんて半世紀前の発想です 平和憲法が日本を守ってくれると同じレベルの妄言にすぎない

折しも自衛隊で 資格がないのにカレーを食べたとかご飯とパン両方を取って 停職処分を受けたという報道がありました これを卑近な些事で済ましてはいけない 忠誠心・士気といった無形戦闘力に係ることです 「腹が減っては戦はできぬ」と言います 軍にとって糧食を含む補給は最も大切です ウクライナでの小麦を巡る外交戦でわかるように 戦略物資でもあるのです
糧食だけの問題ではない 国の主権を放棄した現行憲法の条項により 自衛隊法は訳のわからん規定でガンジガラメ とても戦える状態ではない 交戦権もないのに最新の兵器を持っても役に立ちません 海上警備行動や防衛出動は自衛権の範囲だそうです 僚艦や友軍が攻撃を受けても 掩護・支援することはできません[01] … Continue reading

自衛隊の士気は旺盛 練度も高い 世界有数の資質を持つ軍だと思います 外敵から家族を守るため 郷土を守るため 吾が邦の文化・文明・伝統 民族の尊厳を守るため 自らの命を投げ出す覚悟もあります
しかし無形戦闘力の根幹は大義です 戦場で理屈を言ってる暇はない それぞれの価値観も少しずつ違います 分かりやすい包括的なスローガンが大義です
大義は国によって異なります アメリカなら星条旗の元にでしょうし さらにその先には聖書の教えがあります[02] … Continue reading
何のために戦うのかが示されない 国軍でもない 戦うための法整備もなされず 正当防衛と緊急避難以外に武器を使うなでは 自衛隊は戦いようがありません[03] … Continue reading

間接侵略に対応

中国資本が日本に進出して久しく 日本は何の手立ても打てないまま すでに経済戦で負けています 尖閣諸島はもはや中国が実効支配しています 海洋調査船まで運行し始めました 中国の領海であることを国際的にアピールする宣伝戦(輿論戦)であり 海底油田の調査という実質的な目的もあります
南シナ海の軍事施設で中国はいつでも日本を兵糧攻めにできます 戦う前に侵略されているのです 通信・交通・電気等の経済インフラをサイバー攻撃する準備もできているでしょう[04] … Continue reading なにも目新しい戦争ではありません 戦国時代でも経済封鎖や 乱破・素破による後方撹乱・情報戦は当たり前のことでした

北方領土・竹島・尖閣諸島が侵略されたため 日本は海洋国家でありながら海産物のほとんどを他国の許可を得て操業 また買い取り・輸入する状態に追い込まれています
このことは漁業のみならず海洋権益・海底資源を奪われ 領土・領海・制空権・制海権を失ったことを意味します 塩留めにとどまらず外堀を埋められてしまったのです
6月26日放映のNHKスペシャルのごとく 中国は日本近海で活発に海底資源の調査を行っています 日本はただ手をこまねいているだけ すべては外交戦の敗退です 軍備や戦力の問題ではない

7月3日追記=一方ロシアも日露漁業協定の破棄 サハリン2からの閉め出しと次々に手を打ってきました これが外交戦です 魚や天然ガスは外務省の管轄外なので関係ないのかな?
昭和大戦開始時にロシアと相互不可侵条約を交わしたと同じ轍を踏んでいます 世界に日本政府の間抜けさを露呈しているのです KDDIの通信障害がサイバー攻撃によるものでないことを祈るばかりです)
7月5日追記=中立国であったスウェーデンと隣国フィンランドがNATOに加盟しました パワーバランスの区分けが変化しそうです 東西冷戦のような単純化した分かりやすい構図では理解できません
反対していたトルコが賛成に回ったのです そこには取引がありました クルド人勢力に対してスウェーデンが支援しない約束を取り付けました 火事場泥棒的なやり方ですが実に見事な外交戦略です
おそらくウクライナから運んだであろう ロシアの穀物輸送船をトルコが拿捕しました 外交の駆け引きでNATOに協力する姿勢を見せたのでしょう 中国が日本のタンカーを拿捕することも現実になりそうです)
7月8日追記=日本は危機的状況を迎えました まさに内憂外患です 田村装備開発様のご意見 しかし最悪のタイミングです 自民党に同情票が集まり 9条自民党草案が通ってしまうかも知れません 事件の後の民主主義への挑戦といった ステロタイプの報道が気味悪い 戦時中の報道自主規制を思い出します)
7月11日追記=事件の火元は統一教会でしたか 安倍さんはとんだトバッチリだったわけです 本人が最初から言ってたように個人的な恨みであって 政治や思想とは関係ない 国会議員にはいろいろと怪しい団体が近づいてきます 宗教団体や中国のスパイに限らず 田村装備開発様が指摘するように 外国の企業に取り込まれ国に仇なす者がいます 現状ではこれを取り締まることができないのです
統一教会は宗教を騙る犯罪集団です 金が目当てのところは いわゆる慰安婦や徴用工問題といった 強請り・集りと同類です 傘下の政治団体勝共連合は 時の韓国政府の支援を受けていました 国家的な謀略であり日本は中枢まで蝕まれていますから もはや手遅れというのが現実ですね)
7月14日追記=要人の警備を批判する報道が目立ちます あの形状を銃器と判断するのは難しいでしょう 銃声を聞いて2発目を撃つ前に制圧するのも まず無理かと思います 犯人は手製銃を腰だめで撃ってるし 他の人に当たらなかったことも含め 偶然が重なったと言えるんじゃないでしょうか 警護の良否じゃない もし2発目を撃つ前に犯人を射殺していたら 過剰警備だとか言ってまた文句をつけるのでしょうね)

註釈

註釈
01 日本と他国の軍人は死生感が違います 日本は大義のため命を捧げます 士道と言ってもいい 他国とくにキリスト教国にとっては 敵を殺すための軍であって 自分が死ぬことは前提になっていません
戦争なので戦死はあるわけですが もともと一神教は戦う宗教です 現世での戦功により天国での地位が上がります 生命は神の息吹ですから 戦死は永遠の命の勲章といえるのです
死を恐れないという点で似通って見えるものの 根本義が違います この辺が端的に現れたのが十字軍でしょうか イスラム教徒の戦いも同一です 選民意識はナチスドイツの親衛隊にも伺えます
日本は調和と平和 和を最も尊びます 八紘為宇の精神で 和を乱す者共を排撃するのが軍です 国民の生命・財産を守るためじゃない それだけでは用心棒に過ぎず 栄誉ある軍隊とは言えません
日本が世界に勝るなどいう必要もない 各国にはそれぞれの価値観があります 吾が国の伝統に根ざした 尊厳と誇りを守るといえば足りるのです
ロシア・中国・朝鮮が日本を敵視し 外交と経済で執拗に攻撃を繰り返しています 朝鮮戦争から始まったことではない 何百年も前からです ロシアはキリスト教 中国の選民意識と覇権主義もキリスト教と類似しています 朝鮮はキリスト教と儒教のごちゃまぜです
一神教の価値観が人類普遍の真理ではないし むろん日本がそれに従う必要もない 未だ連合国側が特権を持つ国連が世界の正義ではありません 我が国に仇なす者共を征伐するのは 日本の正義です
02 アメリカの軍人に国のために命をかけるという発想はありません 当然ですアメリカは州が集まった連邦国です 連邦政府のために戦うわけじゃない 根本は自らが属するコミュニティです コミュニティが集まって州がある そして連邦軍に属したらそのチームのために戦います これはスポーツでも同じことです
03 独立国家としてもっとも重要な主権行為である国防を他国の意思に委ねる現行憲法
(平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。)(国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。国の交戦権は、これを認めない。)
国内法規ですから日本を敵視する他国にとっては関係ないこと 日本が勝手に一方的に戦争(防衛)を放棄しているだけです 現行憲法は破棄しなければなりません 9条に追記したら交戦権を持たないままですから自衛隊は犬死です 国防軍に名を変えても自衛権で戦えというのです
04 ロシアがウクライナの首都キエフ攻撃を企図した際 ベラルーシ(白ロシア)の鉄道を使って物資を補給しようとしました これに対して反ロシア勢力が 鉄道運行のシステムにサイバー攻撃したという話があります キエフ攻撃が失敗したのは補給線の途絶ですから ありうることです
ウクライナは精強なコサック兵の伝統を持ちます ソビエト連邦に併合された後も抵抗・独立運動をしていました それに対してКГБ直属の空軍が 民間人を爆撃で殺戮していました 60年代から70年代の鉄のカーテンの向こうの出来事です 当時の日本はソ連のプロパガンダが優勢で この事実が報道されることはなかった
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旅行

伊勢講・富士講などはパッケージツアーで 旅行代理店の積立のような組織立ったものでした 宿泊施設も決まっていて 団体用の料理や土産なども用意されます
伊勢の片焼きと言われる 煮た切身魚の片面を熱したコテで焼いた料理 汁気のない伊勢うどん そして赤福などですか いずれも簡易なものです お伊勢さんにあやかり名物として売り出しました[01] … Continue reading

東海道中膝栗毛の上巻はお伊勢参りですが これは弥次さんが旅行費用を工面しています 講ではありません 自分で算段できなければ 私的な頼母子講もありました 皆でお金を持ち寄り籤引きで当たった人から順に旅行へ行きます
旅行費用には宿泊代・飲食代から土産 帰国してからの慰労会の経費まで含まれます 慰労会は賑やかな宴席で旅の報告会(土産話)です ハッパキ(脛巾)脱ぎとか砂ッ払いと称します 皆で出し合ったお金なので 講仲間への旅の土産と報告は必須です

江戸時代に至れば街道が整備され旅行も盛んでした その昔の遊行僧や武者修業のように 行き倒れ覚悟の命懸け旅じゃありません お蔭参り(抜け参り)のような無銭旅行まであったほどです といっても護摩の灰や枕探しはいたし 基本徒歩ですから楽なものではなかったでしょう
弥次喜多で駕篭から振り落とされるシーンがあったように思います 道中駕篭に座席らしいものはなく揺れるため 吊り革のような紐に掴まって乗ります それほど快適ではない 酒手を弾まないと余計揺らしたりしたかもしれない[02]駕篭や後代の人力車には乗り方があり 慣れた乗り手だと駕篭かきや人力車夫は楽だったようです 時代劇に出る早駕篭に乗る使者は 道中ずっと中腰なので 着いた時にはそれこそ息も絶えだえになります

馬も乗用に使われていました 乗馬術とまでいかなくても やはり乗り方はあり 武家は大刀を逆(刃を下向き)にしたといいます 鐺が馬の尻に当たらぬようにです 乗馬はあっても日本には乗用の馬車がありません 山勝ちで河川の多い地形から坂道になり 道路事情がよくなかったのが理由ですね 箱根八里は馬で越せますが 馬車では無理です[03] … Continue reading
その代わり水運が発達しました いちばん早くて快適 「喰いねぇ 喰いねぇ 寿司を喰いねぇ」森の石松は大阪八軒家浜で寿司を買って 三十石船に乗り込んでいます 押し寿司ですね 当時のことですから 日持ちがするよう酢と塩を効かせたものでしょう 「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」神田とくれば笹巻けぬきすしが この頃の味に近いかと思います 石松は遠州の生まれなので江戸の寿司は知らなかったか[04] … Continue reading

註釈

註釈
01 大福は中に餡を入れた餅です(江戸時代は甘くない餡の塩大福) 餅の上に餡を擦りつけ指痕が残る即席のあんころ餅を 赤福と名付けたのはネーミングの妙です
02 駕篭や後代の人力車には乗り方があり 慣れた乗り手だと駕篭かきや人力車夫は楽だったようです
03 大陸のヨーロッパではローマ時代から馬車が使われ 道路も整備されていました 多くの馬車が通ることで石畳の道には轍ができます 自然に車軸の幅も統一されるようになり 後世の鉄道馬車へと結びついたのではないでしょうか
04 清水次郎長は東海一の大親分です 若いころ賭場に出入りしたものの博徒ではありません 清水港の港湾荷役を取り仕切っていました 火野葦平作「花と龍」の玉井金五郎も 九州若松港の沖仲仕を束ねた人です ヤクザ者じゃありません
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神も仏も

神社は拝殿でした 神を遥拝する場所(神籬)だったのです いつの間にか神が降り立つ場所となり 御神体や依代を祀るようになります 古墳時代から飛鳥時代あたりでしょうか 社殿が作られるのは 自然神から人格神に変わった頃かもしれません[01] … Continue reading
天照大神を天の岩戸から迎える場所に 逆木を立てたと言いますから これが神籬のはじめと思われます やがて神籬に建物ができ本殿とされるようになりました 賢木(榊)は神木に変わり本殿内には心御柱があります 神の数詞が柱となるのはこの後でしょう

仏壇も同じことです 在家で仏を拝むための場所です 仏閣は神社と違い本来は僧が修行するための道場 生活の場でもあります 伽藍構造では講堂・庫裏・食堂などが重要な施設です 信徒が参拝するのは仏像のある金堂です
仏間は金堂を模したものです 金堂に設けてある須弥壇のミニチュアが 仏間に造作される仏壇です 古くからの家では床の間のように造り付けています 江戸時代の後期あたりから 家具のように置かれる形 大型の厨子になったと思われます

伊勢に天照大神を祀ったのは大和王朝の時代とされます それまでは五十鈴川(⇒猿田彦)が御神体でした[02]サルタヒコは道案内の神とされますから 道祖神(⇒塞の神)と同一でしょう 神宮はもともと心御柱を覆う屋根でした 式年遷宮[03] … Continue readingのための隣地に小さな社(屋代=屋根を架ける場)が建っていますが ここも心御柱が中にあります 心御柱が依代であり八咫鏡が形代でしょうか よく分からん
五重塔にも芯御柱があります これは神社と違い構造材です(最初は基壇に仏舎利を納めたらしい) 棟持柱の代わりに一本の柱で塔を支えています[04] … Continue reading 諏訪大社の御柱祭 伝えられる出雲大社の姿 復元された三内丸山の巨木建造物を考え合わせると 日本人の信仰が見えてくる気がします

神は神社にいません 仏も仏壇にはいない あるのは依代や仏像だけです 仏教に詳しくなくよく分からないのですが 西方浄土はどこから来た信仰なのでしょうか 阿弥陀三尊の御来迎は山を越えてです 私には夕焼け小焼けからと思えるのです
太陽が没する前に空が茜色に焼けます 茜は西の字が含まれます夕焼けの色です 日が沈むと空の色は濃い紫となりますが 一瞬の後ふたたび山の端が茜に輝くときがあります 小焼けですね 阿弥陀如来の慈悲の光が射すのです[05] … Continue reading
当家は浄土宗なので大日如来となると全く分からない 太陽そのものや日の出を象徴したのではないらしく 強い光で遍く地上を照らす存在と言います 聖霊なる神と似ている面がある 密教の成立は6世紀とされますので 西洋宗教の影響を受けた可能性はあります

註釈

註釈
01 キリストを神格化するカトリック教会の権威が確立されたのも7〜8世紀ですから 人格神への移行は世界的な潮流であったかもしれません むろん回教徒のいう偶像崇拝とは全く異なる信仰の姿です
02 サルタヒコは道案内の神とされますから 道祖神(⇒塞の神)と同一でしょう
03 伊勢神宮の式年遷宮 春日大社の式年造替 出雲大社もかつては建て替えていたようです 何れにしても神社は仮のものだったことが分かります 諏訪大社も熊野本宮も大神神社も同じです もともと建物はなかった 大神神社は日本最古と言われ おそらく縄文時代から祀られています 三輪山が祭神であり神社は拝殿のみです 沖縄の御嶽は自然の岩組が原初の姿を留めています
04 大黒柱は棟持柱ではありません 台所にある柱で一家の主婦が司ります 大黒は食の神様で俗語で「うちの大黒」といえば 主婦を指すのはご存知の通り 家中で一番太い柱というのは風説です 屋台骨と混同したのかもしれない
棟持柱は通常2本あります 当たり前のことですね 大黒柱は1本だけです 下の方に粥を供える風習があったそうです 地域によっては梢を下にした 逆木で立てると聞いたことがあります 心御柱から来たのではないか
05 夕焼けで子供らの顔が赤く染まります 小焼けは小さな光で なかなかこちらまで届きません 海に沈む夕日も見たことがあります 荘厳で美しくはあるが御来迎とは見えない おそらく小焼けもないと思います 平安時代のご来迎図は ほとんど山越えですね 京都は盆地ですから
地球の大気を横から見ると 成層圏が青くその先は次第に紫となっていきます 大気圏は無色です 日中に天を仰げば成層圏の青が見えます 成層圏に近づくほど空の色は青紫になっていきます 反対に陽が沈むときは大気圏の層が厚いので 成層圏の青色が届かず黄から赤の色が見えるわけです
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