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カテゴリー: ブランド・ブランディング

マーケティングのP(4p)

マーケティングの4pというものがあります プロダクト・プライス・プレイス・プロモーションです
それぞれのpを脈絡なく勝手にやっていては マーケティングが成り立ちません 製品作りと価格設定 売り方と方向性が一致して 初めて製品・サービスは市場に受け入れられます

つまり四つのpをパッケージングするのです P(4p)という感じです 社内すべての部門でコンセプトに一本筋が通っていなければならない(四つ葉のクローバーでいえば茎に当たる) これはそのままブランディングにも通ずる施策といえます

物を作るということ それを売るということ 志と理念が伴わなければ お客様の情緒にまで届かないのです 客は理性で物を買うのではない 感情の動きに左右されています 機能性・品質で製品を選んでいるように見えても 最終的に決定するのは好感度や信頼感です

多くの企業では とくに意識せず四つのpを行っています 意識してパッケージングすることが ブランディングの第一歩かもしれない
根幹にあるのは企業理念なのですが 社是・社訓ではだめ もっと感覚的なものです 企業風土・文化といった方がいい

客のブランドに対する感情は曖昧で 確たる意志で決定するものではありません 嫌いな理由は比較的はっきりしているが 好きなのはなぜか自分でも うまく説明できない
価値観といっていいかもしれない 企業と客が価値観を共有して そこにブランディングが成り立つのではないだろうか そこで最も重要になるのがコミュニケーションです

お客様のところに届けるのは 製品・サービスであると同時に満足感であり 信頼感また達成感でもあります(分かりにくい言い方ですが その商品を買った自分の判断の正しさを確認すること)
企業側から見れば 自らの製品作りの信念・思いを認めてもらうことといえます お客様の志向や希望にそのまま合わせるのとは違います 商品・サービスを通じて価値観のやり取りをする

客は自分が何を求めているか 実はよく分かっていない 客は問題提起するが その答えを出せるのは企業です 売ると買うとはコミュニケーションそのものだと思います 商品・サービスを知らせる・知る→購買する→満足する→好感・信頼感を抱く この循環に意思の疎通がなければならないのです
客の問題意識は様々ですし 対する答えも一様ではない マーケティングの問答に唯一の正解はありません 企業それぞれの立ち位置を明確に示すことが マーケティングであり ブランディングといえるのではないですか

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ブランディングの観点・方法

ブランドは 一言でいえば信頼感です 信用力とはちょっと違う
信用力というと 会社の規模や売上高 財務内容・資産などが基準になります 数字に表せる指標なので分かりやすい
信頼感を築くには どうするべきでしょう 思い浮かぶのが「のれん」ですね 歴史と伝統が「のれん」を作ります でものれんや老舗はブランドとは少し違う気がします

三陽商会と木村屋總本店

コートの老舗三陽商会が 売上の低迷を挽回するということで 新しいコートを作ったそうです その名は「百年コート」です ブランディングの観点から見たら そうとう見当外れなネーミングです
山陽商会の売上が落ちたのは バーバリーとのライセンス契約が切れたためです バーバリーのブランドで売れていたということに気付いてないのでしょうか
たしかに山陽商会が作るコートの素材・縫製品質は素晴らしいものでしょう でも品質だけで売れていたわけじゃない 百年持つ品質がそのままブランディングにはならないのです

木村屋總本店がスーパー向けに新しいパンを作りました 「ブリオッシュ風クリームパン」です 特徴はバターをふんだんに使った生地 卵とミルクの風味豊かなクリームにあります パッケージにはイーストフード・乳化剤・マーガリン・ショートニング不使用と書いています ネーミングもなってませんし パッケージもだめです これでは特徴が何も伝わってこない
副社長が言うには 木村屋總本店は“あんぱん”のイメージが強すぎるのが邪魔しているから 斬新な新商品を作ったとのこと その割にはスーパーの売り場にデカデカと木村屋總本店のロゴが書いてありました 何を考えているのだろう それなら新しい商品ラインで売るべきじゃないですか[01] … Continue reading

共にその業界では老舗中の老舗です 信用力も充分ある しかし両社ともブランドの重要性を全くわかっていない
企業の歴史・伝統は物語にほかなりません ただの年月・沿革ではない むろん商品にも物語が必要です ストーリーテリングが すなわちブランディングなのです 品質が良いだけでブランドは作れません

ブランディングのあり方

企業のストーリーとは創業者の信念であり もの作りあるいは販売そしてサービスの 理念・あり方への思いです そして経営者のみならず社員全員が 会社のあり方仕事の進め方を自覚し体現することが ブランディングに重要です
すなわちブランディングとは 自らを省みることです 他との競争や差別化ではない 競合他社を意識している限りブランディングは成り立ちません

社内文化においては のれんに寄りかかっているとか 老舗の伝統に胡座をかいているという意識は持っていないはずです でも自らを省みる意識が欠けているかもしれません 社員が意識しないで外部に伝わるわけがない
ブランディングは内部施策であるともいえます 時代に応じた新商品といえど伝統に根ざしたものでなくてはならない 作られるストーリーを お客様も共有・共感することで信頼感に通じ ブランドが形成されるのです

せっかくの歴史・伝統(のれん)をブランディング(マーケティング)に活かすことができていない とくに社内コミュニケーション 客への情報発信をおろそかにしていると見ます
マーケティングの4Pは不変の原理・原則です すべての施策に整合性がなければならない そしてブランディングとは脚下照顧なのです これを理解できない限り 両社に未来はありません[02] … Continue reading

註釈

註釈
01 2018年9月27日追記 銀座木村屋は子会社であるものの 木村屋総本店とは別会社として運営していたのですね お家騒動があって創業家長男(木村周一郎氏)は銀座木村屋7代目を継がず メゾン・カイザーというフランスパン専門店を始めました 木村屋は継いでないが日本のパン屋宗家の木村は継承しているという言葉に自負を感じます
02 大塚家具の一連の騒動も 創業者の信念をおろそかにし 中途半端なマーケティング理論(怪しげなコンサルタントに吹き込まれた)に執着したためです 私の過去のクライアントにも 同じような経緯で倒産した事例がありました
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セルフ・ブランディング

個人の場合

蛭子能収さんはギャグ漫画を描く人でしょうか むしろ人柄自体がギャグのように見えます(失礼) 漫画を描くより自ら体現していると言った方がいい
実際蛭子さんの描くキャラは 蛭子さんそのものですし 客観的に他のキャラを描くことはできないんじゃないかと思います いわば私小説的ギャグ漫画のようなものです
他人を描くことはできないから 他人を揶揄することもない また自分を戯画化しているのでもない おそらく敵はいないでしょう
ライフワークは路線バスの旅のようです あるがままに生きているのだろうが それにしてもキャラが立ち過ぎてます

存在そのものがブランドの人は マツコデラックスさんでしょうか この方のキャラも際だっていますが ビジュアルが9割方を占めていそうです
見た目のインパクトに比べ 内実はあんがい常識的と思われます 毒舌を吐くようでいて計算した発言ですし
特異な性癖を持って生まれたことで苦労されたのでしょう なにを持ってノーマルというか 基準なんてありませんから 誰しも自分のポジションを作っていかなければならない

セルフ・プロデュースとか言いますが セルフ・ブランディングの方がふさわしい気がします レッテルや肩書きではもちろんありません その際ビジュアルは非常に重要な要素です だからキャラ造りともいえます まぁ蛭子さんは意識して作ってはいないでしょうが
人格がある場合キャラ造りはけっこうやりやすい 企業等の団体なんかは顔づくりが難しい 簡単なのは創業者のキャラをそのまま投影することです 法人とは法律上の人格 この人格に自然人をシンクロさせる 1対1対応ですね[01] … Continue reading

企業・団体の場合

企業のイメージづくり すなわちブランディングもキャラ造りに他なりません(ゆるキャラではありません念のため) ブランディングはビジュアルが大切です 代表的なのがロゴ・マーク それをデザイン(設計)というなら確かにそうですね
さらに顕著なのはパッケージデザインでしょうか プロダクトデザインもそうなのですが パッケージは商品のキャラ造りそのものです とくに不定形の商品ではパッケージが顔づくりになります

パッケージだけ孤立していてはマーケティングにならない パッケージは商品の特質のみならず背景・ストーリーまで語る必要があります
企業のブランディングも同じことで 会社イメージのパッケージ化ともいえます なにしろ商品以上に形が定まらないのが企業イメージです
ロゴ・マークは形作り(ビジュアル・デザイン)の第一歩なのですから まず自らを見つめ直すことから始めます コンペで募集するなんて人任せがいかに愚劣なことか

ミツカンのマークはとてもユニークで秀逸です 創業家の家紋「丸に算木」を商標登録しようとしたところ すでに登録されていたので丸と三の大きさ位置を変えて作りました 家紋によく使う「丸」を易学で使う筮筒(筮竹を入れる筒)に見立てたそうです
要素の大きさ・色・比率・配置を変えることが すなわちデザイン(設計)の作業であって これも優れたデザインです
三と環のマークつまりミツカンはブランドネームとなり ついには社名にまでなりました ビジュアルを核にしたブランディングですね 素晴らしい

オリンピックの場合

コンペ関連でいいますと 東京オリンピックのエンブレムにケチがついたのは オリンピック開催の必然性がないためだと考えます 東京オリンピック亀倉雄策さんのポスターが優れていたのは 敗戦からようやく立ち直り経済復興を目指そうという 国民全体の共感を得られる時代背景あってのことです だから日の丸だったのです 日の丸の復活という側面があったかもしれない[02] … Continue reading
5月3日追記=朝日新聞がこのポスターのことを 赤い円形に金色の五輪と書いていました 日の丸は使っていけない言葉? 書き換えの内規があるのでしょうか 編集ソフトで「ひのまる」と入力すれば 独自の幼児用語辞典が「赤い円形」へ変換するのかも)

石原慎太郎が盛んにオリンピックと騒いでいた時は それでもまだ金のかからない五輪を提唱していました
このたびは 森喜朗を頂点として利権と金儲けの思惑だけでやろうとしている いまだ被災地の方が仮設住宅に住んでいるのに オリンピックで浮かれてる場合じゃないだろう 経済波及効果とかいうんなら 福島で開催してみたらどうか
森喜朗の外見は確かにゆるキャラに近いかも知れないが性根が腐っています 精神がないから形に表れないのです
5月11日追記=此奴等の正体がバレました オリンピック招致に2億円ぐらい賄賂を使っても 懐にはその何十倍もの儲けが入ります これが日本の「お・も・て・な・し」の心でした)
10月20日追記=なんか妙な雲行きになってきました まさかの福島開催・仮設住宅を選手村に! 奇手奇策に出てきたが森の腹芸か 一種のブラフなんだろうな IOCとは利権で一致する 経済波及効果なんてありませんからね 長野オリンピック後の惨状を見れば明白です)
10月22日追記=唐突にIOC会長を連れてきたと思ったら 名誉博士号の授与だという この辺までは茶番で済ませていいが 天皇陛下・皇后陛下に拝謁とはいくら何でもやり過ぎじゃないか 先に高齢なので公務は控えたいと仰せになられた陛下を こんなゴタゴタに引っ張りだすのは不敬の極みである)

2022年9月3日追記=ようやく東京地検特捜部が動き始めました 森喜朗の息の根を止めることができるか 注目したいと思います 国賊共を蔓延らせてはいけません)

エンブレムのこと

ロゴやエンブレム等のデザインに著作権はありません アートではないのだから とくに重要なのは一般性です 誰が見ても分かる丸・三角・四角で単純化します 商業美術は個人の才能や技術で生まれるものじゃない
意匠登録されたものとかぶってはいけませんが オリジナリティとか創造性なんかいらない 佐野研二郎氏を非難するのは見当違いだと思いますが

エンブレムはもともと盾に描いた紋章のことで 旗印・袖印・兜の前立に近いものです 近代の国民軍による戦争は制服を着ていますが ヨーロッパ中世や日本の戦国時代は思い思いのフルアーマーで身を鎧います 敵味方の区別がつきにくいため目立つ印(徽章)をつけたのです

また恩賞・報労が目的で戦いますから 誰が手柄を立てたか敵の誰の首を取ったかの目印にもなるわけです オリンピックにそのようなものを持ち込む理由がよくわからない
以前には五輪エンブレムとかキャラクターなんてなかったですね 使用料を取るのが目的でしょう 全く金儲けの道具です

註釈

註釈
01 地形とマップの関係に似ています 現実そのものを認識することはできません 地図と見比べて理解するのです 物語を現実と同期させる これがイメージ戦略の基本といえます
02 日の丸復活といっても 1964年オリンピックのポスターはおそらく幟旗をイメージしているでしょう 日章旗じゃありません 日の丸の幟旗は朝廷から下賜されるものです
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