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タグ: キリスト教

一神教と難民

一神教でもイスラム教の話です かなり前のこと熊本地震の時 すぐに自衛隊が出動して炊き出しを行いました 被災地の人におにぎりと豚汁を振る舞ったのです
被災者の中にイスラム教徒の人たちがいました その人たちが豚汁に対して文句を付けたそうです ただしTV報道を見ただけなので 事態の正確な推移は分かりません

誰でも好き嫌いはありますし 医者から禁じられている食べ物もあります 食べられないのなら「せっかくですが 宗教上の理由でこれは食べられません 代わりに水をいただけますか」と言えばいいことです 「それならお茶を差し上げましょうか」ということになるでしょう(イスラムはコーヒーか おにぎりとは合わないだろう)

なにも無理強いした訳じゃない 文句を付けるのは間違っている というのは日本人の感覚です 一神教はそうではありません
一神教は不便なもので 善か悪か正か邪かの2者択一だけです 何方ともいえないとか中庸の徳はない 唯一絶対神の教義に沿わないものはすべて悪です 難民であるとか相手の都合など関係ありません

給食にハラールを出せといっている者たちがいて それに同調する日本人もいるようです(アレルギー食とかと同じ感覚なんでしょう) 別に豚肉を強制的に食べさせようとしてはいない(残さずに食べましょうとかいうから強制かもしれないが) 親が弁当を作るのは面倒だから特別扱いしろという理屈です これを身勝手といってはいけない

一神教の教義に融和とか共存は(同じ釜の飯も?)ないから 仕方のないことです 融通を利かせる(その場しのぎ)という考えは持たないので 受け入れる以上は彼らの教義をすべて容認し それに従わねばなりません
イスラム難民を受け入れながら教義に背けば 数々の問題が生じてきます 一神教に信教の自由はありません 異教徒の地に行っても 戒律に背くことはできないのです 郷に入っても異郷(異教)には従えない

一神教の人々

一神教はユダヤ教・キリスト教・イスラム教(・共産主義)と分派してきました コーランによると 最初神がノアに神託を下し 次にモーゼに十戒を与えました その次がキリストです
しかし愚かな人類は神のいうことを聞かず そのたびごとに裏切ってきたのです そこで業を煮やした神が 最後に予言者として使わしたのがマホメットです

元が同一なのはコーランでも認めています ただ予言者の解釈や行動が神の意に添っているか どうかを問題視しているだけです
争いがあったとしても 同じ神を信仰している者同士ですから 内輪もめみたいなものです キリスト教は親戚だと明記されています

異教徒とくに多神教に対してはそうはいきません 真っ向から対立することになります 神は我が姿に似せて人間を作りました ですから根底に選民意識があります 赦すのは信者だけです 異教徒に容赦はしない
その神を信じない者は自らの出自を否定するわけですから もはや人間とはいえないのです 少なくとも文明人ではありません
ヒューマニズムとは 神の御元に人間(信者)は平等であるということです 生まれながらに平等ではない(生まれて直ぐ洗礼を受けますけど)

ヨーロッパやアメリカなら 同じ一神教が基盤ですから イスラム難民を受け入れる余地はあろうかと思います それに歴史上の経緯もあり むげに断るわけにはいかない
しかし八百万の神の日本では 神が多すぎてとうてい相容れないでしょう 日本の神々は鷹揚で寛容ですが 唯一絶対神は妥協を許しません 唯一の真理・正義ですから 共存共栄はありえないのです
相手の立場を尊重したり歩み寄ることもない はなはだ厄介な存在なのです 受け入れるなら居住区域を厳密に定めて 日本人と隔離しなければなりません ヨーロッパでも居住地域は定めていますが 隔離しているわけではなく 様々な軋轢が生じています

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士農工商と武士道

士と農の関係

士農工商を江戸時代の身分制度と唱える者がいます 士農工商は朱子学にみられる言葉で 中国の価値観で仕事の貴賤を表します 職業に貴賤があるのです おそらく薩長明治政府が徳川の施政を否定するため 四民平等のスローガンに合わせる形で持ち出したことです 江戸時代に士農工商という言葉は使われたが 様々な生業という意味です
江戸時代に限らず 日本に身分制度・階級制度はなくむろん農奴もいません 官位はありましたが文字通り役人の地位に対する区分けで身分制ではない また明治維新後の華族・士族・平民とか爵位も ヨーロッパに合わせたに過ぎない

朱熹のいう士は 武士のことではなく士大夫です 士大夫とは科挙で合格した官人をいいます[01] … Continue reading 日本は科挙制を取り入れていませんから 士大夫も存在しません 武士は身分・階級ではないので 御家人株の売り買い(公式には認められていない)もありました
支配階級である武士が 農民から搾取していたなど 全くのこじつけなのです[02] … Continue reading そもそも侍って武装した農民ですから 戦国時代は要するに田圃の取り合いでした 武士の俸給が米であったのは このことを物語っています
 
豊臣秀吉が天下を統一し 敵対した側から武器と土地を取り上げました 太閤検地と刀狩りです その結果 帰農し農業専従になった者と もっぱら軍務に就く者が分かれました
しかしそれは階級とか身分ではないので 本百姓は苗字帯刀など相応の処遇を受けています 守護代が守護を凌駕する下克上は荘園の自立でした 中国・ロシアのような農奴制(支配・被支配の関係)ではなかった

班田収授法の頃より 米生産の担い手は小作農中心でありました 米が産業の基盤だったり俸給代わりに使われた理由は保存性にあります 戦国・江戸時代以前の租税には種々ありましたが 主なものは保存と流通が可能な産品でした 中で主要なのは繊維製品です軽くて単価が高い 米以外の食料品では塩蔵や乾物などですね[03]日本全体の経済流通の基盤としては すでに天武天皇の時代に富本銭が鋳造されています 米は糧食の基幹でしたが租税の中心ではありません

近世の経済というか物価の基準として 米を取り上げるのは適切でないでしょう 武士の俸給が米であっただけで 行政の予算に相当するが経済の中心とはいえない[04] … Continue reading
米は豊作・凶作で価格が変動しますし 米相場を操作することも行われました(大阪堂島と江戸札差の間の米価は手形決済でした 情報が価値を生む経済です) かなり投機的な商品だったと思います それが旗本・御家人の困窮にもつながりました
貨幣の代わりに米が流通したわけでなく米切手で換金します[05] … Continue reading あくまでも人件費を中心とした行政予算が米だったのです(現在でも行政予算の大半は人件費です)

士道に背くまじき事(新選組局中法度)

徳川の世になっても 多摩や武州の土豪(百姓)は武芸に励んでいました(坂口安吾の「馬庭念流のこと」が面白い 青空文庫に収載されています) 新選組の近藤勇は天然理心流[06] … Continue readingですね 彼らは武蔵七党などといって 徳川が江戸に移ったときから配下となっています
中で西党は西国からの軍勢を撃退する いわば国境警備隊の役割を担っていました 新選組解散後に甲陽鎮撫隊を編成したのも 伝えられていた家康の遺訓に沿ったことでしょう

徳川時代に鎖国をしていたといっても 主に植民地化の先兵であるキリシタンバテレン対策ですから 文物の交流はなかなか盛んでした 窓口となっていたのが長崎出島です その影響もあって西国大名は 早くから商業を振興し米中心から脱却していました
この先駆けは何といっても織田信長です 重商主義を取り入れ海外にも目を向けていました 米作中心の武装農民である他の戦国大名と違います[07] … Continue reading

明治維新で徳川から政権が移ったのは 最後まで旧態依然の制度を墨守していたからです 御家人に勝海舟など優れた人物はいましたが 老中は兵糧米の心配をしたり 新選組・彰義隊は 火縄銃や白刃で薩長に立ち向かうという具合です 旗本でない新選組の拠り所は士道でありました[08] … Continue reading

江戸時代は 朱子学に基づいた「忠義」が武士の心得とされていました 士大夫が武士にすり替わり 武士道ということが言われたのかもしれません もっとも実際に官僚化していましたから 士大夫=武士といっても差し支えなかった

士道・武士道

武士の中にも郷士や下士 また旗本・御家人などの違いがありました(この違いは最初からの家臣と 戦に負けて帰服した者の区分けです) これを階級と言えなくもないのですが 御家人や郷士の方が収入が多く裕福だった例はいくらでもあります[09] … Continue reading

なお武士道という言葉は キリスト教徒であった新渡戸稲造がアメリカで書いた「BUSHIDO The Soul of Japan」が逆輸入されたものです 西洋のキリスト教に基づく道徳教育に相当するものとして 「武士道」が日本の徳育に取り入れられていると主張する いわば文明開化の産物です[10] … Continue reading
この本は新選組・彰義隊・白虎隊が殉じた士道と大きく異なります 西洋列強に伍する文明があるといって いちいち西洋の事例になぞらえて言い訳している(フリードリヒ2世と上杉鷹山を並び称したり) 日本の伝統とはかけ離れた内容です

明治維新後も日本が植民地にならなかったのに 士道の精神が大きかったのは事実だと思います 士道はキリスト教とは違う価値観と高潔・高邁を表す言葉といっていいでしょう 武家が無くなった今でも日本には 名をこそ惜しけれ士道が生きています

註釈

註釈
01 中国においても他国と同様 農・工・商は必要に応じて自然と生まれた職業です しかし士大夫は官僚制度が生み出した人工のものです もともと必要とされたものじゃない 官僚が現れて職業に貴賎があるとされたのです 順番としては上から 卿・大夫・士となります
02 明治になって確かに武士はいなくなりましたが 維新の元勲と称する者たちが権益を独占し 官僚が優先される役人天国となりました 自らが支配階級になるのでなく 主権を天皇陛下に預けてしまいましたから 臣下である自分たちは責任を取る必要がありません この構図は今に引き継がれています
03 日本全体の経済流通の基盤としては すでに天武天皇の時代に富本銭が鋳造されています 米は糧食の基幹でしたが租税の中心ではありません
04 江戸時代はすでに貨幣経済だったのに 米を年貢として行政の予算としたため 不作の年は予算不足になるだけでなく 餓死者が出るほどの飢饉になりました 大変不安定な経済基盤であったのです 武士(土豪)は荘園の独立が起源で 後の時代も各藩は米を中心とした自立経済圏です
05 各藩の行政予算も米中心でした 年貢として納められた米は兵糧米として備蓄する分を除いて換金します 換金するには大阪や江戸へ運ばなくてはなりません その回送費用も莫大なものになります 藩の財政基盤を強化するためには米だけに頼らず 藩内の産業を育成し自立経済を目指す必要がありました
06 天然理心流は全くの実戦剣法で ポンポン撃ち合って勝ったことにする負けたことにするという 江戸時代後期に流行った北辰一刀流とは別物です 北辰一刀流免許の坂本龍馬が6連発を持っていたのは 小器用な道場剣法は実戦の役に立たなかったからです
現在の剣道は全くのスポーツで士道の精神とは関係ありません 北辰一刀流が元になっています 江戸時代にすでに形式化していましたから ちょうどよかったのですね
07 上杉謙信公が関東に出陣するのは 常に冬の始まり農閑期です 関東を平定し春前には越後に戻ります 一種の出稼ぎといっていい(もっとも当時は米作が中心ではなく 主に麻の織物が産品でした 小千谷縮が女手で作られ 冬に糸を績み雪に晒すのはその名残です)
織田信長の軍勢は野伏や他国からの帰服者で編成された 鉄砲が主装備の足軽中心の常備軍です 報酬は扶持米ではなく金銭です その原資は堺などから得る課徴金でした
08 新選組はもともと仕官していない集団です 主君のためにでなく会津公の命で戦いました 会津公は孝明天皇の要請により京都守護職を承っていましたから 孝明天皇の意のもと刀を抜いたのです これこそが士道であります
09 「武士は食わねど高楊枝」の出典はわかりませんが 決まり事にしばられ体裁を整えなければならない 貧乏旗本の悲哀を表しているように思えます
時代劇や落語で 腰のものを金に替えてしまい竹光を帯びて 上司に挨拶に赴くなんて場面があります 御目見以上の上級旗本はそんなことないでしょうが
士農工商が身分制度であったら 食うに食えない武士など存在しませんから やせ我慢も見栄を張ることもありません
10 新渡戸稲造自身がキリスト教徒ですから 仏教や神道といった邪宗を持ち出すわけにいきません そこで思いついたのが武士道です(中世ヨーロッパの騎士道に倣ったのでしょう) これなら宗教と関係のない道徳規範です
いってみれば武士道なんて架空のもの 当たり障りがなく好都合な言い訳です 実際の道徳規範は武家が儒教であり 庶民は道祖神と習合した地蔵信仰でしょうか 仏教も儒教も宗教でなく学問として取り入れられ 後に道徳となりました
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眠りについて、心と身体

夢は心(脳)の寝返り

眠りの生理は身心を休めるためというより 主に身体と脳の調整作用です
眠りにはレム睡眠とノンレム睡眠があり交互に現れます ノンレム睡眠の時は さかんに寝返りを打ち身体を動かします レム睡眠時は 身体が弛緩してほとんど動きません そのかわり眼球が細かく動きます 脳が活発に働き夢を見ているのです

人間に限らず動物は起きている間活動します しかし身体を平均して使うわけではありません 生きるための活動ですから 偏った動きや無理な姿勢をとることが多いのです
動物に睡眠が必要なのは 寝ている間に 使いすぎた部分を休め あまり使わないところを動かして調整するためです つまり身心のストレス(偏り)を緩和し バランスをとるのが睡眠のメカニズムです

ノンレム睡眠時に身体を動かし筋肉や関節の偏りを調整し レム睡眠時は夢という形で脳の記憶(精神活動)を整理します 人間以外の動物はレム睡眠とノンレム睡眠の差が少なく 中にはほとんどノンレム睡眠だけの種もあるようです
他の動物に比べ 人は2足歩行という きわめて不自然でアンバランスな状態で活動します また大脳が発達した結果 よけいな感情や過剰な思い過ごしにとらわれることにもなります

人間が他の動物より睡眠時間が長く 眠りの深さも必要で夢をよく見るのは このような理由があります 無駄な動きが多く感情に支配されているともいえます。
眠りが浅いと疲れがとれず 身心のストレスは深まります 眠りは休息でないため寝溜めはできず 規則的な睡眠が重要になります
睡眠障害が起きやすく ストレスが溜まり自律神経失調症になるのは 人間の宿命なのでしょうか

夢は記憶の断片化整理なので 意味を見いだす必要はありません ザッピングしているだけで 別に深層心理を表すわけじゃない ただ 病気になる前に同じ夢を見たりと 身体の状態に左右されます 記憶を整理できず そのまま溜め込むサヴァン症候群[01] … Continue readingもあります
また寝相もそのときの身体の状態を表し 特定の病気の際は同一の寝相になることがあります よく見る夢があるように 朝起きたときの寝相も人によりほぼ一定です

心身、身心

以上は野口晴哉の教えを 私なりに解釈したものです 医学的見地からも そう的外れではないと思います

あと寝汗というものがあります これはよく誤解されますが 寝ている間にぐっしょりと汗をかくことではありません
汗はかいても玉の汗ではなく すべて蒸発します そして布団の外側が結露したように濡れるのです 病人が寝ていたあとの畳に黴が生えるほどです

人間は他の動物に比べ 睡眠時に体温の調整がうまくできません 羽毛に覆われていないからです 夜具が必要だったり寝冷えをするのはそのためです 
夜風は身体に毒だと 昔よりいい慣わされています 夏でも同じことで 睡眠時に身体に風を当ててはいけません
そのため 枕屏風というものが使われていました[02] … Continue reading 実際に扇風機をかけたまま寝ていて 急激な体温低下で死亡した例があります

心と身体の関係について 面白い言葉があります 野口晴哉は「身心」と書きます 普通は「心身」です
野口晴哉の教えでは 心(脳の活動)があって身体がそれに従うのでなく 身体の動きが心の働きを左右すると考えます つまり心因性の病気などないというのです

たとえば胃潰瘍の原因がストレスだといっても 気の持ちようでどうともなるというものではありません ままならない状況があって思うように事が運ばない 結果平穏でいられない 食も進まない消化機能も衰える 状況によって身体の動きが変わるから病気を引き起こすのです

専門家でないので理解が及ばないのかもしれませんが フロイトに始まる西洋の夢の解釈は精神を身体と切り離しているように思えます おそらくキリスト教の肉体と魂を別に見る教義に影響されているのでしょう 人間の精神活動をことさら神秘的で高尚なものと考えているのです
心は身体から独立なんてしていません 精神活動も身体の機能の一部にすぎないのです 理性も感情も身体の状態に左右されています 初期キリスト教(旧約聖書・創世記)でも 禁断の樹の実を食べたため 人間は余計な知恵がついてしまったと教えています

註釈

註釈
01 山下清画伯はおそらく 見た記憶を整理できない体質の方だったのではないかと想像します あの緻密な描写はすべて記憶に基づくといいます スケッチなどしません それなのに現地の写真と照らし合わせると寸分違わないのです
記憶のすべてを絵のために使った人です その結果社会生活や日常の様々なことに割り当てるメモリー領域が不足した ゴッホのような破滅型の人間と違い 邪気を持たず陽気に明るく生きた天才です 社会に適合しないのではなく別の価値観に生きました
02 考証がきちんとした時代劇映画なら 病人の床には必ず枕屏風が使われているはずです 昔の家は隙間風だらけですから 常に風が通り抜けます これが病人によくないのです
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