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タグ: デザイン

ななつ星のデザイン

先に九州地域経済圏のことを書きました そこで「ななつ星」に期待していると言ったのですが……
でき上がった車両デザインには 本当がっかりしてしまいました 実物を見ていないので軽卒なことはいえません 目の当たりにしたら また印象は変わると思いますけれど

デザインの意図が伝わってきません デザインってコンセプトの表現でしょう 装飾じゃないはずです(もしかしたら 金に飽かせた贅沢三昧がコンセプトなのかも)
あるいは 外国からやってくる観光客を意識しているのでしょうか 外国人がイメージする日本的なものをテンコ盛りにしてみた? 有田焼に組子に格天井おまけに寿司職人まで! 狭い空間にとっ散らかった豪華な意匠を詰め込んでしまいました

最後尾展望車の取って付けたような はめ殺しの窓はでかすぎるし(窓枠の意味を分かってないみたいです) 日本の美意識から遠くかけ離れた あの統一感のなさは何なんですか とても居心地悪そうです
とくに先頭車両の ラジエータグリルみたいな金メッキの飾りは わけが分かりません もっと洗練されたものを期待していたのに 見事に裏切られました

ラジエータグリルのデザインといえば ロールスロイスはパルテノン神殿 アルファロメオは盾をモチーフとしているそうです 皆それぞれ物語を秘めています コンセプトの表現なのです

どうやら社長が細かいことにまで口出ししていたようです スティーブ・ジョブズも工作機械(初期の頃は自社生産)の色に妙にこだわったりしたそうですが それとは違う気がします
この社長の頭の中にある豪華さがこういうものなんでしょう 人間国宝とかノーベル賞とかワインアワードとか権威主義なのかな

昔観光地にあった秘宝館 今もあちこちにある カットアウトのイラスト顔部分が切り抜いてある記念撮影用ボード(名称あるのですか?) あるいはゆるキャラなんかと同じ土台の貧困な発想ですね
予約がいっぱいなのだから 経営的にはとりあえず成功といってよいのでしょう 案外したたかな計算でやっていることかもしれません

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デザインで売れるか_Aplleの成功

デザインにもいろいろあります 製品デザイン(これは工業デザインです) パッケージデザイン(こちらはグラフィックデザイン) 他にも広告デザインやwebデザイン(これはコミュニケーションデザインとでもいいましょうか)
ビジネスデザインやマーケティングデザインもありかもしれません デザインとは企画・設計という意味ですから

「会社経営・製品の設計・広告とすべてをシンプルに とてもシンプルに」スティーブ・ジョブズの言葉です
Macintosh発売のプロモーションは印象的でした 今でもアップルのデザインはシンプルすぎるほどシンプルです

iPad miniのパッケージデザインを見てください とてもシンプルながらすべてを語っています 同じく広告も素っ気ないほどシンプルです
他の製品で このデザイン・ポリシーを真似ることはできます でも売れません なぜか その商品はiPad miniでもなければ Appleのものでもないからです
とくにマーケティングに関連するデザインは すべて経営理念を根底におかなければならないのです
マーケティングの4Pすべてに通底する理念がなければ 商品は売れません それはまた企業理念そのものでなければなりません

だめな〈Product〉を売ることができるか 圧倒的な販路〈Place〉で 安売り〈Price〉すれば可能 そのための〈Promotion〉はまるで催眠商法
本質を覆い隠すための 空疎できらびやかな言葉 詐欺師はいつだって饒舌です

……《1983年 若手デザイナー マヤ・リンが「平らなノートみたいなコンピュータにしたら?」とジョブズに言ったそうだ
ジョブズは「技術的に可能になったらなるべく早く実現したい」と答えた》……

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手と目で考える→ワープロ→Mac

悪筆のせいもありますが(編集の仕事でテープ起こしなどやると 書いたメモが自分でも判読できないほど) 私にとってワープロは救世主でした

書くという行為は 頭の中の思考を整理する意味もあります 手を動かすことで考えがまとまり メモを見直すことで筋道が立つのです
紙に筆記具で書くより キーボードを叩く方が手を動かすし 乱雑な手書きメモより ディスプレーで見る方が構成を把握しやすいものです とくに消しゴムで消したりすると 思考が止まってしまいます

ワープロが出回ったころ 手書きでなければ気持ちが伝わらないといった論議が盛んでした いまは全く聞かれません 清書用と考えていたのでしょうか
当時のワープロ専用機にもレイアウト機能はありました エディトリアルデザインにはまったく非力で 使い物にならなかった覚えがあります

発展形として テキストエディターを使うようになりました 取材した内容を片端からメモ書きして 後で文章にまとめるスタイルが性に合っているのです
専用機の次が MacDTP だったのはよかったですね ワードとかエクセルに触らず済みましたから その代わり請求書なんか HyperCard を使って自作する羽目に陥ってしまいました
エディターで書いて QuarkXPress でレイアウトするのに なんの違和感も感じませんでした(でも細かいところでデザインのクォリティ落ちた印象はありました)

一方 新たなアイデアが必要な広告の仕事では もっぱらKJ法を用いていました 思いつくままに書き散らしたメモ書きの組み合わせから コンセプトの姿が立ち上がる感覚がありました KJ法は問題解決の方法ではなく むしろ問題発見のためにあります

KJ法文章化の前段階である カード化とグルーピングには iroha Note が本当に役立っています
アウトライン・プロセッサーもいくつか試してみましたが 使いにくいものでした 私は論理的な思考ができません 線形のツリー形態はダメなのです
デジタルってじつは非連続です 初めも終わりもなく脈絡もない 一定の規則に従っていれば答が出るものではありません 手探り状態はもっとも手工芸に近いのかもしれない

そういえば Google検索技術の根本も 類似性の関連付けですね

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