コンテンツへスキップ →

タグ: 宣教師

鉄砲の戦国から江戸時代

根来衆はもと僧兵だったといいます 得意とする鉄砲は切支丹から供給されたと思われます 僧兵が切支丹伴天連と関わりあるはずないと考えがちですが 僧兵は武装した僧ではなく 僧形の兵(野臥せり)です ヨーロッパの騎士団[01] … Continue readingと比べれば とくに信仰心が篤かったわけではないでしょう

戦国時代で鉄砲と結びつくのは何といっても織田信長です 信長といえば切支丹との関係が強いイメージがあります 戦術面でも根来衆との協力関係は考えられます
とくに一向一揆対策のため切支丹と結びつきました 高野山の僧兵は僧形をしていただけですが 一向一揆は信仰心からの団結ですから手こずりました 雑賀衆と一向一揆に直接の関係はないと思います

織田信長の配下は連合軍です 野伏[02] … Continue readingなどの混成部隊で弓矢と槍の連携に難があったかもしれません 鉄砲は弓矢に比べて習熟が容易だったのかどうか分かりません
鉄砲は重いし反動があり 何より連射ができないので 野戦では使いにくいと思います 長篠(設楽原)の戦いでも馬防柵の内側で待ち伏せする運用です

上杉謙信に切支丹との接点は見当たりません あれほどの合戦上手なのに鉄砲はほとんど使わなかったようです 戦国時代の合戦は 弓矢で制圧射撃した後 槍で突き崩して勝敗が決します
上杉謙信の軍勢は本を正せば新田越後守の精兵ですから 弓槍の術に長けていました とくに謙信の戦い方は戦場機動を重視します あえて鉄砲を使う利点はなかったのではないか 鉄砲は防御に向いた兵器です

信長の軍勢(柴田勝家)が上杉軍と戦ったことが一度だけあります 手取川の合戦です 会戦ではなく遭遇戦だったのですが まるで相手にならなかったようです
信長公記にこの大敗は記されていません 負け戦は書きたくないでしょうね どういうわけか この時羽柴秀吉は途中で引き返し参戦していません 猪武者の柴田勝家と違って勝ち目のない戦を避けたのかも

謙信軍の春日槍は3間の長さでした 槍は長いほうが有利です しかし今度は取り回しが難しくなります 織田軍(柴田兵)の足軽は鉄砲を装備していたかもしれない そうすると弓矢ではなく槍の代わりということになります 火縄銃の射程距離は槍の十倍はありますが 遭遇戦や白兵戦では役に立ちそうもないですね

豊臣秀吉は軍勢の練度ではなく物量で圧倒する戦い方です これも信長に倣った戦略でしょう 出自が弓矢の家ではありませんから遮二無二突き進むことはなく 彼我の戦力を冷静に判断したものと思われます 強襲はどちらも被害が大きいですから[03] … Continue reading

長篠の戦いのあと戦術が変わったなんて事実はありません 戦いの様相が変わるのは25年後の関ヶ原の戦い以降ではないでしょうか
太閤検地・刀狩りによって武士と農民が区分けされたため 戦国以来の弓矢の家は凋落し 軍の編成が変わりました もはや弓矢と槍は主力兵器ではなくなったのです

大坂冬の陣では5000の真田軍が数万の徳川方を撃退したと伝わります 攻守3倍といいますから奇跡的というほどではありません 長篠城の攻防もそんなものでした 真田丸には狭間筒という銃が装備されていました 長銃身で有効射程が飛躍的に長く 防御側に有利です 後の時代の重機関銃に相当するものでしょう

冬の陣の和睦で大坂城の外堀が埋め立てられました 本丸が大筒の射程距離内になり直撃できる状態でした 夏の陣は徳川方の騙し討みたいなものです
この攻城戦で初めて大筒が使われたと言ってよいかと思います 城そのものを破壊する攻撃です 大坂城が緊要地形に建てられた城塞でなく 居住用であり権威の象徴であったための戦術でしょう

徳川の世になってからの大きな戦いである島原の乱の時は 追放された宣教師が九州に残置した切支丹信徒に鉄砲を渡して蜂起させました やはり原城に篭っての籠城戦です
なお 入り鉄砲に出女が言われ始めたのは 大坂の役および参覲交代の制が直接のきっかけであろうと推測します

註釈

註釈
01 騎士団は十字軍のとき出来ました 別にナイトの軍団ではなく 自らを騎士になぞらえた民衆を ローマ教皇が公認したものです 貴族制のことはよく分からないのですが ナイトは爵位のうちに入らず 勲功のあった者が叙任され一代限りだったと思います 遍歴の騎士は物語の中だけです
02 野武士・野伏は戦国時代 特定の勢力に与せず領地を失った小集団の豪族です(蜂須賀小六など) 足軽として傭兵になったり 請負でゲリラ的な活動をしていました 山伏や乱波・素破も同様の存在です 戦国時代のあとは山賊・盗賊の類となった者達も多いでしょう(石川五右衛門など)
03 よく言われる車懸りとか鶴翼の陣とかは 中国人が例によって無理やり体系化したものです 全員騎乗して平原ならできなくもないが 地形を無視した布陣はありえない 無駄な機動はしません 戦場の心得の第一はできるだけ体力を温存することです 妻女山を夜迂回したり鞭声粛粛〜♪夜川を渡る おそらく各個撃破や分進合撃のことを言ってるんじゃないですか
コメントは受け付けていません

デマゴギー、アジテーション、プロパガンダ

ブッシュ大統領が言ってましたスローガン「悪の枢軸国」 私たち日本人にはかなり違和感がある言葉です でもアメリカ人には受けた
「連合(Alliance)」と「枢軸(Axis)」は軍事同盟の様相を示す言葉で 悪とか善とかに関係ないのですが これを結びつけるレトリックは煽動の典型です
アジテーションにおいて選択肢があってはいけません 極端に単純化した感情的な善悪二元論を何度も反復し それを受け入れるか拒否するかを迫るのです 内容が事実であるかどうかは その際まったく問題にされません[01]保守反動とか進歩的文化人 右翼だの左翼だのセンターだのとレッテルを貼るのも 物事を単純化して思考停止するプロパガンダの一つです
一般のアメリカ人にとっては インディアンを討伐する騎兵隊や メキシコ人を掃討するテキサスレンジャーと同じ感覚のヒーロー像でしょう

2016年大統領選挙の予備選で ドナルド・トランプが一定の支持を得ているのも同じ理由です 差別的発言を繰り返していますが 分かりやすい敵を作り出すためです)

連合国対枢軸国 軍国主義対平和主義 有色人種対白色人種 先進国対未開発国 文明人対野蛮人 東洋対西洋 南半球対北半球 共産主義対資本主義 労働者対資本家 おおざっぱに言ってしまえば 二元対立論ってキリスト教的なんじゃないかなと思います
アメリカ映画を見ると 地方都市は人種・宗教・出身国ごとのコミュニティで形成され それぞれにボスがいます 一番強い結びつきは宗教でしょう もちろん映画のことですから誇張はされていると思いますが かなり実態を表しているのではないでしょうか

日本人にとってなじみ深いのは 三大◯◯ これは三角関係でも三すくみでもなく 三者が並立しています とくに優劣をつけない 争いがあっても「三方一両損」なんかで体良くまとめようとする
日本が宣伝戦に弱いのはこの中庸の感覚かもしれません アジテーションは善悪2者択一で「どちらとも言えない」という第3の選択肢はないのです 善でないものは必ず悪であって 両者痛み分けもということもない
政治でいえば中道の第3極がキャスティングボードを握るなんていうのも世迷い事です どっちつかず右顧左眄に過ぎない 国連ももちろん中立な立場ではありません(それにしては国旗に三色旗が多いですね)

シーシェパードはオーストラリアだから白豪主義が支えているのでしょ 根本のところではキリスト教に由来する考え方 つまり人間は他の動物と違い 神に選ばれた特別な優れた存在 だから他の動物を慈しまねばならない でもこれが白人優位に結びつくのはどこから 十字軍あたりなんでしょうか
異教徒は人間に似ているが動物並みの野蛮な存在 だからクジラを食べる日本人は共食いである といった理屈ですね カンガルーはノアが救わなかったのに勝手に生きて繁殖していたから 食うのはお咎めなしなんだろうか[02] … Continue reading じつに粗雑・浅薄な思考です キリスト教徒に日本文化論を持ち出しても無駄です

植民地支配とキリスト教

まぁ要するに昔のイエズス会みたいなものです 神の教えに背くものは本当の人間といえません イエズス会といえば 植民地化の先兵として 果敢な布教活動をしていた歴史があります 宣教師の宣は宣伝・宣撫(プロパガンダ)です 神学は植民地支配に都合のよい理屈として使われた面があります
日本で成功しなかったのは 信長に取り入ったからでしょう 情勢を見誤ったのかもしれない カソリックの情報網は世界的なもの(今でもバチカンの情報組織はモサドに次ぐ実力といわれます)でしたが さすがに極東の島国までは網羅できなかった

キリスト教徒の多くは文盲でしたから 神父が持つラテン語の聖書はたいそう神秘的で信仰の対象でもありました 皆が聖書を読むようになったのは宗教改革の後です これには印刷技術の発展が大きく寄与しました
仏教でも経文に重きを置く法相宗などありますが 経巻自体を崇めることはしません 大事なのはそこに書いてある内容すなわち「識」です また日蓮宗では経文の文字がすべて仏と見なされます これは日本人の識字率が高かったためでしょうか イエズス会にとって日本は布教しにくい国であったと思われます

植民地支配の常道はその国の貴族階級に特権を与えて 二重支配というか間接支配することです イエズス会もやはり戦国大名を布教の対象としていました でも日本には明確な身分制・階級制度がなかったので うまくいかなかった 下克上の時代は庶民の時代であったことを見抜けませんでした 太閤秀吉の存在を軽く見ていた節があります
庶民は異国渡来の案山子の神様として あらたかな豊作の呪力を期待し クルスを拝んだという話もあります してみると隠れキリシタンがマリア観音を拝んでいたというのも 観音像に仮託してのマリア信仰ではなく 単純に観音経の本尊と見ていたとも考えられます[03] … Continue reading

中国が行っていた冊封体制も同様なものです 朝鮮半島支配は両班を特権階級に仕立てました 中国人はキリスト教ではなく拝金教なので 支配の理屈は現世利益の朱子学です 神学によく似た正邪二元論ですね
韓国もキリスト教徒です キリスト教は軍隊組織で 秩序を最重視する儒教と折り合いがいいのかも 国旗の中央に描いている太極も陰陽で永遠に続く二元対立を表しています(一見すると二つ巴に似ていますが 全く別のものです)
古来より今に至るまで部族間の争いを繰り返している朝鮮半島の歴史そのものです 敵がなければ自分たちのアイデンティティを保てない 常に敵を求めます 韓国の大統領選は両班同士の抗争です 武闘でないのはいかにも科挙の国らしい

新教徒たちの新天地がアメリカです どこでデマゴギーのキャンペーンを展開すればいいか心得ています キリスト教系カルト集団が多いアメリカの地方で共感を得やすいでしょう 悪意に満ちたデマゴギーでもキリスト教徒の言い分の方に同意します
日韓の領土問題その他についても キリスト教関連団体を通じて盛んに揺さぶりをかけています ローマ法王まで担ぎだしましたね 現法王のフランシスコ1世はイエズス会出身です(ニューズウィーク日本語版) イエズス会は使命感に富み純粋です
中国におもねるのは 両班として宗主国に忠実な姿を見せるためでしょうか 詳しくは知りませんが 韓国のキリスト教は朱子学の影響を受けてか 現世利益を強調すると聞きます やはりやっていることは金目当てです

キリスト教の葬式に出たことがあります 説教(?)を初めて聞きました 本当に戦闘的な宗教なのですね(宗派によって違いはあると思いますが) 死後は神のもとに戦士として招集されるのだそうです なるほど天国に《召される》と言いますね[04] … Continue reading
現世での精勤度により階級が定まるのだとかいってました でも天国の正規軍は天使軍団ですから人間はたぶん民兵ですか 今もあるかもしれませんが 歳末に救世軍の人たちが社会鍋というのをやっていました
全員軍服の理由が分からなかったけれど 教義に忠実ならば別に不思議な姿ではないわけです でも世界一軍服が似合わない軍隊かもしれない
キリスト教は戦う宗教ですから 正義のため徴兵に応ずるという土台は築かれています

註釈

註釈
01 保守反動とか進歩的文化人 右翼だの左翼だのセンターだのとレッテルを貼るのも 物事を単純化して思考停止するプロパガンダの一つです
02 他の動植物は神が芽生えよとか言って 勝手に生まれ勝手に生きています 人間だけは神が作りました 魂は神の息吹ですが 食べないと肉体を維持できません そこで神は人間の食べ物を定めました 砂漠に鯨・イルカは泳いでなかったので 含まれません
03 ヨーロッパ各地にもマリア信仰があります 詳しくは知らないのですが おそらく土着神との習合ではないかと見ます クリスマスに始まる現在の風習にも相通じるものがあるでしょう クリスマス・ハロウィンなどは もともと行われていた農事祭をキリスト教の教義に結びつけたものです 旧来の信仰にキリスト教との整合性を与える 巧みな教化・宣撫策でした
04 天国に行くのは兵営に入舎するようなものです 天国よいとこ一度はおいで なんて言ってられない ブートキャンプが待っています さらにその先はハルマゲドンです
裸の子供が弓矢をつがえているのは キューピッドです 背中に羽が生えているのでエンジェルと混同されていますが まったく別物です 天使は神の使いで兵士です
コメントは受け付けていません

所ジョージのマーケティング(ブランディング)

所ジョージという人は 北大路魯山人[01] … Continue reading 柳宗悦といった面々の 戯画だと思います(所さんに対して失礼な言い方ですが)
趣味と仕事の区別が判然とせず 生き方そのものがブランド化されているという感じ 所ジョージは芸名ではなくブランドネームなのではないか

彼らとの違いは権威主義でないこと 所さんは自分を権威づけたりせず自由気ままです しかもきちんと生産性がある 工芸品の価値を正しく見ています
鼻持ちならぬ俗物ではないし かといって趣味に生きるだけの世捨て人とも違う 肩肘張らぬアイデンティティーを確立しています

ブランディングとはストーリー・キャラクターづくりの作業です 商品や会社だけでなく個人の場合はなおさらのこと
ブランドはある意味 伝説を作ることですから 事実を歪曲まではいかなくても 美化することはあります ワイアット・アープの伝記なんて有名ですね[02] … Continue reading

自身をブランド化した先駆は千利休でしょうか 珠光に始まり紹鷗が名付けた侘び茶の精神を 目に見える道具立てで完成しました 理念や本義など具体性を欠くものでブランド化は難しいのです 商品にしろ個人にしろキャラ立ちが必要です

その雑器に付加価値をつけるというやり方を学んだのが柳宗悦です 民藝運動は好きになれません[03] … Continue reading 宣教師が未開人に限りない優しさを見せるような 思い上がった選民意識が透けて見える気がするのです

北大路魯山人はセルフプロデュースとでもいったらいいのか 自らを権威づける ふてぶてしさが際立ちます 自主独立の心がけは悪いことではないし 既成権威に楯突く気概は好もしいものです[04] … Continue reading

これらのブランディングと違い 所さんは後ろ盾もパトロンもいないし(たぶん) 権威を後ろ盾に専横を極めることもない[05] … Continue reading 権威とは無縁のブランディングとして参考にしたいものです

註釈

註釈
01 北大路魯山人がトっール・ダルジャンへ薄口醤油と粉ワサビを持ち込んだ話は有名です なぜそんなことをしたのか「洋食雑感」に経緯が書いてあります トっール・ダルジャンで鴨料理と称しているのは実は家鴨料理です 自店で広大な養鶩場を持っていて 独自に掛け合わせた家鴨を平飼いしています おそらく北大路魯山人はそのことを知っていて 家鴨のうまい食べ方を示して見せたのです 洋食雑感の末尾に家鴨としては相当に美味かったと書いています トっール・ダルジャンの料理を貶してはいない
02 OKコラールは牧場ではなく囲い(牧柵)のことです 牛の取引仲介のための牧舎で町中にありました クラントン一家は伯楽とかカウボーイの頭領であったのでしょうか 幡随院長兵衛と水野十郎左衛門の喧嘩みたいなものといえます
03 柳をはじめ民芸運動に関わった人たちは 下戸が多かったそうで そういえば彼らの作ったものに酒器は見当たりません だから好きになれないのか 趣味嗜好の問題なんですね よく知らないのですが 陶芸などで作家を名乗るのは民芸運動からなのでしょうか
04 魯山人は優れたプロデューサーであったようです 本人は作陶も料理もほとんどしていません しかし魯山人が去ったあとの星ヶ岡茶寮は 同じ料理人が作っても元の味を再現できず 星ヶ岡窯も残った陶工たちが作る焼物は 似ても似つかぬものだったと言います 同じものを作ってもブランドネームを失えば評価も失われます ブランディングとはストーリー作りなのです
05 趣味人を気取ったスノッブが白洲次郎です イギリスで吉田茂の知遇を得たのがきっかけで 東北電力の会長となりました 東京電力の原子力発電所がなぜ東北電力管内の福島と新潟にあるのでしょう 奥只見発電所をめぐっても怪しい動きをしていたようです
コメントは受け付けていません