コンテンツへスキップ →

タグ: 教化

新選組

明治維新で薩摩・長州が政権を握りました その際の大政奉還に伴い 征夷大将軍が空位となり 日本に元首が不在という事態を招きました このままでは外国との交渉もできません
そこで薩長明治政府は 王政復古・天皇親政を唱えて 天皇陛下を元首としました 明治の元勲が補弼するなんていってますが 要は責任逃れです[01] … Continue reading

鳥羽伏見の戦いで 錦の御旗なるものを捏ち上げたように 長州は天皇陛下を政治利用することしか考えていません なにしろ御所に火を放ち 京の町を焼き尽くすテロル攻撃を企んでいたのですから 朝敵そのものです[02] … Continue reading
計画を察知した新選組の働きで 暴挙は未然にくい止めることができました 世にいう池田屋事件です なにが勤皇の志士ですか 火付盗賊に等しい不逞の輩です これを未然に防いだ新選組は 会津公のお抱えであり 松平容保は孝明天皇の信任厚い京都守護職でした まさに尊皇に生きた烈士です[03]尊皇攘夷だの佐幕開国って誰が言い出したのでしょう 尊皇攘夷は中華思想から来ています 漢意であって大和心ではありません ♪ … Continue reading

この手柄により 新選組の主立った隊士は 旗本に取り立てられました 京の安寧秩序を守る責務を全うしたのです[04] … Continue reading
テロル攻撃に対しては 予防拘束が認められなくてはいけません 事が起きてからでは手遅れなのです そのために重要なのが 不穏な組織の情報収集・内偵です

新選組の特徴として 探索方の重視があげられます 諸士調役の活動内容は秘匿されていましたから 定かではありませんが[05] … Continue reading
長州も新選組に間諜を送り込んでいました 新選組の内規・局中法度が厳しい内容なのは カウンター・エスピオナージの側面もありました 隊士は一般募集なので間者を防ぐことが難しかったのです

新選組のころ日本は政権争いで 内紛状態にすぎません 幸いにヨーロッパでは ロシアがクリミア戦争でオスマン・トルコに敗退 ナポレオン三世が普仏戦争に敗れ アメリカは南北戦争と それぞれ自国のことに追われていました おかげで混乱していたにも関わらず 欧米列強の植民地になることから免れました
最も大きな要因は戦国時代末から江戸時代 豊臣秀吉・徳川家康がキリシタンバテレンの活動を禁止したのが奏功したのです 宣教師は植民地支配の先遣隊であり教化・宣撫を担っていました 明治維新は大化の改新ほどの変革ではありません 成功したのは徳川の施政のおかげと言ってもいいんじゃないか

今の日本はどうでしょう 外国勢力とその手先が跋扈しているように見えます にも拘わらず 治安維持のための法が整備されず 当局は内偵・監視することしかできません 日本に敵対する組織・勢力であっても 事を起こさない限り手出しできないのです
ロシア・中国・朝鮮の謀略活動は盛んに行われています 第5列による後方撹乱に加え経済侵略は著しいものがあります さらに中国軍のハラスメント攻撃が頻発しています 韓国資本による金融への進出は野放しです いずれ日本経済は牛耳られることでしょう

註釈

註釈
01 天皇陛下は元首であっても決定権を持ちません 江戸時代の殿様のように「良きに計らえ」です 臣下は自分に都合の好きよう計らいます しかし天皇陛下の同意を得られたことなので 自らが責任をとる必要がないのです
この無責任体制は昭和まで続き 未曾有の大敗を喫した昭和大戦の責任を 政治家・役人・軍人はとっていません 昭和天皇がお一人で後始末したようなものです 当事者が誰も責任をとらないため 御自らマッカーサーを訪ねるしかなかった
マッカーサーはこのことを評価し 天皇制の存続を許可しました これも見方を変えれば天皇陛下を占領政策に利用したとも言えます 明治政府により歪められた天皇制の矛盾は今も続いていますね 天皇陛下が退位できないとか女性天皇を認めないとかです
02 明治維新後 薩長明治政府はこの池田屋事件を 新撰組による濡れ衣といって歴史を抹消しようとしました 似たような例として 手取川で織田信長軍が上杉謙信軍に大敗した史実があります 信長公記にはこのことが全く触れられていないのです
これを持って手取川の戦いはなかったという戯け者がいます 文献を盲目的に信奉することがいかに危ういかわかります むしろ世評に真実が隠されていることが多い
03 尊皇攘夷だの佐幕開国って誰が言い出したのでしょう 尊皇攘夷は中華思想から来ています 漢意であって大和心ではありません ♪ 昨日勤王 明日は佐幕 その日その日の出来心(侍ニッポン)
YouTubeを見ていて なるほどと思ったのが 新選組の強さの理由です 新選組は浪士組です 腕自慢を公募して採用していました 様々な流派を学んだ人たちが集まります 隊では寝込みを襲ったり刃引きの刀を使った稽古をします
毎日が他流試合みたいなもんです これは実戦に強くなります 場数を踏んだ者が強い ポンポンと竹刀を打ち合う稽古で目録を取ったり 本身を振り回しても巻藁を斬るだけじゃ役に立ちません
04 当時の日本の元首は征夷大将軍です 江戸表というように政治の中心は江戸にあり 外交も御公儀の徳川が担当します(対外的な正式名称は将軍でなく大君です) ペリーが正規の政府である江戸徳川政権を交渉の相手としたのは当然のことです
徳川に対立する薩長は雄藩に過ぎません そこで朝廷を後ろ盾にする政治工作を始めました 天皇陛下の政治利用です 島津久光は自分が次期征夷大将軍になると思い込んでいました 明治政府は最高の栄誉で厚遇しましたが 最後まで不満を持っていたそうです
05 京都市中見廻り壬生浪士組は 水戸藩脱藩者の芹沢鴨を誅伐してから(会津藩の指示?)新選組の名を賜わり 京都守護職松平容保公麾下の直属特殊部隊また諜報機関として活動するようになります 山崎丞や会津小鉄などが知られます 近藤勇は定期的に京大阪の薩長の動向を容保公に報告しています
コメントは受け付けていません

鎖国中立

スイスの国是である永世中立は 他国の干渉を排除するという点で 鎖国といえなくもない 中立国とは他国と軍事同盟を結ばないという意味です つまり自主防衛ですね
スイスは国民皆兵ですし 戦争に備えて食糧を備蓄し 核シェルターまで備えています 中立を守るため兵力を持つことが義務なのです どの国も助けてくれませんから
スウェーデンもまた武装中立の立場をとっています カール大帝の伝統を引く軍事大国であり 兵器は自国で開発しています 軍事的中立のためには 他国から兵器を購入できないからです

ここまでやらなければ国の主権(独立)を保つ 自主防衛・中立政策は維持できないのです スイスの国是はヴィルヘルム・テル以来の 自主独立の精神からきている伝統です
これといった産業のない小さな山国であるスイスが 独立を保つには傭兵として出稼ぎするのが 手っとり早い方法でした[01] … Continue reading

日本も一時鎖国していました これは西洋列強による侵略を防ぐためでした すなわち鎖国攘夷です 日本は四方を海に囲まれていて 侵略しにくい地形です そのため国防軍を常設する必要性を感じなかったようです 間接侵略であるキリシタンバテレンの布教を禁止するだけでよかったのです 鎖国といえど貿易は禁止していません[02] … Continue reading
江戸時代末には ロシアによる侵略が目立つようになりますが 徳川はこれといった対策を講じていません(ロシアに籠絡された松前藩をお取り潰しにし 代官を派遣するくらいです) さすがに明治政府は国境警備隊の屯田兵を配置します しかし装備も貧弱 ほとんど機能しない組織でした 北海道ですらこの状況です 千島と樺太をとられても仕方ないかもしれない

キリシタン禁教を まるで宗教弾圧のようにいうのは キリスト教国の視点です 彼らにとって布教は正義を広める聖なる行為です 実態が侵略であっても正しい行動なのです
布教は立場を変えれば植民地侵略の宣撫・教化です 戦闘を伴う伴わないに拘わらず 戦争は正義と正義の争いです 両方とも大義があるから戦争はなくならないのです

日本を取り巻く情況からいっても 中立・自主防衛は不可能でしょうね といって今さら鎖国もできないし アメリカと軍事同盟を結ぶ以外に独立を保つのは難しい
アメリカと対等の軍事同盟を結ぶには 自衛隊を正規の国防軍にすることが必須です 平和憲法とやらは只の護符です いくら呪文を唱えても神風は吹きません 戦力と交戦権を放棄した国が武装組織を持っている 国際的に説明できない異様な姿です

日米安保条約は世界の情勢が変わっても 姑息な弥縫策でごまかしてきました その結果が今日のいびつな姿を招いたのです トランプ大統領の発言は正論です 日本に対する攻撃をアメリカが防衛する義務はありません
ソ連による北方領土侵略 韓国による竹島占領 そして中国は尖閣諸島の領有を企図しています 日本の主権が脅かされている現実を正視するのが外交の基本です 目を背けてはいけない[03] … Continue reading

それにしても韓国からの攻撃に対して輸出規制なんて しかも報復ではないなどと言い訳している 最悪の選択です 外交も国と国の戦い大義は必要です[04] … Continue reading
相手の不当に対する経済制裁なら認められます 正々堂々と対処しない姿勢に 国際社会は意趣返しとしか見ません 決定的に韓国に有利になりました

もとはといえば すべて韓国の一方的な言いがかりに端を発しています しかも金目当ての強請り・集りです その不当を糾弾し国際社会にアピールしなかったから こういう結果となりました[05] … Continue reading
外交で最も重要なのは毅然とした態度を示すことです 国の象徴たる天皇陛下を愚弄されて沈黙している そんな国に国際社会は一顧だにしないでしょう 外交は正か邪このままでは日本に正義はないことになる 心理戦・情報戦で完敗です

註釈

註釈
01 アルプスの少女ハイジの登場人物 アルムのオンジは元傭兵という設定です さすが名作は考証がしっかりしています
ヴィルヘルム・テルが息子の頭の上の林檎を射たのは クロスボウとされています その時2本目の矢を隠し持っていたのを咎められます 弓と違い弩は矢を番えるのに時間がかかります 失敗したら乙矢で悪代官を射殺すというのは無理がある
またクロスボウは対人兵器です 通常狩猟には使いません(射程が短い 連射がきかない 構造が複雑で 重く故障が多い) テルもまた傭兵だったのではないでしょうか 今もスイスの各家庭には小銃が備えられています
02 鎖国のきっかけは島原の乱です 豊臣秀吉の宣教師追放後に残置した九州のキリシタンに ポルトガルが武器を供与し内乱を扇動しました これを鎮圧したのちポルトガルと国交を断絶したのが鎖国です 鎖国の間にもスペインを通じてヨーロッパ諸国と文化の交流はありましたし 朝鮮・中国との交易は行なっていました 半島と大陸は当時キリスト教国ではなかったからです
03 喫緊の問題は尖閣諸島です 持久戦において日本は相当疲弊してきました 中国が領海侵犯を繰り返すのは海警と称する沿岸警備隊です 対する日本は海上保安庁ですが艦船の数量装備とも雲泥の差があります もし海上自衛隊が前面に出たら 中国は偽装漁船を出して民間人を攻撃したと国際社会にアピールします
尖閣諸島に中国軍が上陸する日は近くなりましたね 偽装漁船を使ってこれを警護するという形でしょうか 李承晩ライン・竹島の時と似た情況です アメリカ軍がどう動くかは微妙なところです 一義的には日本の問題ですし 中国もアメリカも直接対決するわけにはいきません どちらにしても国際戦略から動くことになります
04 朝日新聞と韓国が協力した 慰安婦なる捏造事件で言いがかりをつけられた際 相手のいうままに謝罪した時点で すでに勝負はついていたのです その勢いで韓国は嵩にかかって 外交攻勢とハラスメント(擾乱)攻撃を仕掛けてきました
李承晩ラインを撤回しても竹島は手放さなかった そんな状態で日韓基本条約を結んでいるのです 日本の外交の無策を見抜いた上でやっています 外交も戦争も正義は常に我にあります 正義は勝つ妥協・譲歩は負け 勝った方が正義です
05 捏造が明らかな慰安婦問題を事実かどうかなど 相手のペースで論議している間に 日本のイメージ低下プロパガンダ作戦(ハラスメント攻撃)が展開されました 慰安婦と称する少女の人形です 韓国と海外に設置していたと思ったら なんと日本国内では芸術作品に昇格していました 悪辣な政治宣伝物を表現の自由に問題をすり替えた アジテーションの手法です
「表現の不自由展・その後」は中止となりました 中止の理由が脅迫だなんていってますが嘘です 抗議のほとんどは常識的な内容です 美術家の方々からも とても芸術とはいえない展示であるという意見が寄せられています 騒ぎを起こし日本は表現の自由がない検閲国家というフェイクニュースを世界に流す この微妙な時期を狙ったのは自作自演かも知れません (以前にも韓国籍の女流作家が脅迫されているといって サイン会を中止した狂言事件がありました)
このような悪質な企みを放置していたら 日本国内にも慰安婦像なる宣伝物が設置されそうです アート作品?の展示を批判しようものなら ヘイトスピーチとして弾圧されます 初期の対応を誤ったため 取り返しのつかないところまで追い詰められました 今さら言っても詮無いことですが
コメントは受け付けていません

立憲君主国、天皇制と王制の違い

この度の天皇陛下御退位に関する捫着は 薩長明治政府と国連軍占領憲法で いびつな形になった天皇制の矛盾が露呈した感があります
明治以降の天皇制は ヨーロッパの王制に準拠したもので 日本の伝統・本流とかけ離れた形かと思います 日本国憲法に至っては 占領下に連合国側の論理・都合で作られました
古来からの伝統である天皇制を 法律によって規定しようとするから 無理が生ずるのではないでしょうか

キリスト教国において神は絶対の権威で 人間の作った法律なんか超越した存在です 宣誓するのは神に対して 良心とは信仰のことです イスラム教国も同様です
キリスト教以前 ヨーロッパの王はシャーマン的な存在で 占いが外れると廃される(殺される)こともありました キリスト教下になって王は祭祀から離れ 世俗の権力者となりました
権威と権力の並立といったらよいのか 旧来の慣習を取り込む キリスト教の教化・懐柔策の一つです 後の時代では 王権神授説など教皇と権力争いがあったり 宗教革命も起きました こうした混乱を収めるため さまざまな契約や取り決め法律が定められ 王制・立憲君主国の形態ができたのです[01] … Continue reading

日本の天皇は宗教的象徴といえ 絶対的な権威ではない 皇嗣継承の争いは何度もあったし 上皇を名乗る者も現れ 南北朝の対立もありました 一神教と多紳教の違いでしょうか[02] … Continue reading
天皇が天皇である由来は 天照大御神以来の万世一系の皇統のみです[03] … Continue reading 神話的な存在で世俗の権力を持たないから続いたのです ヨーロッパの王権とはまったく違う

古来の天皇は 祭祀を司る宗教的求心力としての存在でした 大和朝廷になって中国の皇帝に倣い 政治を司る側面を持つようになりました 日御子(ひみこ)の存在が文書に残らないのは 中国の王制とそぐわなったからでしょう
してみると 時の政治権力との関わり合いで翻弄されるのは 明治や昭和に始まったことでないわけです

立憲君主制とは 憲法に基づいて王を元首とした国体です 元首の権力は法によって規定されます 王の権威は法律で定めるものではありません
日本の伝統では 天皇から任命された征夷大将軍や関白太政大臣が元首となります 天皇は権威であって権力を持たないのです
王政復古を称した帝国憲法も これを改訂したと称する現行憲法も 他国に倣っています 天皇を元首とするのは日本の伝統と合い入れません とくに現行日本国憲法は元首を明記していないのに 日本は立憲君主国とされています

元首のもっとも重要な責務は 国の主権と独立を守ることです[04] … Continue reading そのため国軍の統帥権をはじめとした 絶大な権限が与えられます
明治以前の日本も同様で 徳川征夷大将軍は最高権力者でした ただ鎖国をしていたこともあり 国軍はなかったので 統帥するのは直参旗本以下と親藩だけです

鳥羽伏見の戦いで薩長連合軍に敗れると 徳川方は征夷大将軍を返上(大政奉還)します このため日本には元首が不在となります
本来ならば島津斉彬あたりを将軍にすべきですが 下士が中心の明治政府はこれを良しとせず 王政復古・天皇親政を唱えて天皇陛下を元首としました
とはいえ幼かった明治天皇に実権はなく 明治の元勲と称する者たちが権勢を振るうことになりました 藤原政権みたいなものですか

現行日本国憲法は連合国(国連軍)が作りました 日本の伝統・歴史など完全に無視しています 天皇陛下に権威を認めず 国事行為など義務のみ定めているのです[05] … Continue reading
連合国はキリスト教国ですから 神以外の権威を認める発想はありません 憲法を翻訳する日本側の役人たちも 明治以降の天皇制しか念頭にないから 今のような形に収めたのでしょう

王たる権威は神に依拠し 元首たる権力は憲法の定めによるのが立憲君主国です しかし日本では憲法が最高の権威となってしまいました そのため天皇陛下が曖昧な立場に置かれることとなったのです
交戦権を放棄した日本国憲法は 朝鮮戦争により非現実的なものとなりました それだけでなく日本国憲法のもと 世界最古の伝統を持つ天皇制も危うくなっているのです

註釈

註釈
01 キリスト教国では 教会からの戴冠式で王権が授与されます 立憲君主国であるブータンは仏教国です 詳しくは知らないのですが 宗教の権威である座主と世俗の国王が共にあったようです 現在の国王も仏教徒でありましょう
02 絶対君主制などは一神教の教理を世俗になぞらえたものです 今でも中近東の国(イスラム教)の政治形態にあります それに比べて多神教は民主主義であるとも言えます
03 万世一系とはいえ直系だの男系である必要はありません 象徴としての皇統なのです 例えばキリスト教で神は実在するかと尋ねるのは無意味です 神は存在ではありません 人が理解することすらできないのです 気づけない蒙昧な人を導くのが宣教師
天皇陛下も現身は永遠ではありません 代が変わっても様式を守り続けることが皇統です 皇統の象徴である三種の神器は壇ノ浦に沈みました 大したことではありません 形あるものいつかは滅びます 同じものを作り直せばいい これが伝統の本質です
04 日本国憲法には 国名や元首が明記されないどころか 言及すらされていません 占領時の一時的な憲法だから必要ないと考えたのか もともと独立国と見なしていなかったのか ただ単にいい加減に作ったからなのか
にわか仕立てであったのは事実ですね 国民投票を経て成立した憲法ではありません
05 民主党政権時代 小沢一郎が当時元首でもない習近平を天皇陛下に拝謁させました しかも陛下は体調が優れず公務をお休みされていた時でした これは国事行為であると憲法を盾にとっての 不遜極まりない横紙破りです 他国が天皇陛下を政治利用する それに加担する不届き者がいる こんなことが重なって陛下にご無理を強いたのです
コメントは受け付けていません