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タグ: 縄文

認知領域

民話・神話

お化けや幽霊 鬼に妖怪変化などを描いた絵が たくさんあります 尾形光琳の《風神雷神図屏風》は右隻左隻に風神と雷神が描かれています 構図その他を変えていますが 俵屋宗達の模写と言われます
宗達と光琳の風神・雷神の輪郭を重ねてみると 完全に一致します 光琳の絵は宗達に比べダイナミックな動き線の勢いが不足するかもしれません そうするとオリジナルを敷き写しにしたものでしょうか
現在なら 著作権云々といった騒ぎになるところです しかし これは剽窃ではなく 先人へのオマージュでもありません 架空のものを表現するためには 決まった様式があります 様式に則らなければ 見る人に納得してもらえません どこかで見たようなものでなければ安心できないのです
幽霊の絵は足がなく 手首をだらりと下げなければなりません 円山応挙が始まりとされます 宗達の鬼神図は決してオリジナルではなく これもまた過去の絵図を写したものです 始まりは誰か判然としません

江戸時代に 国民全て菩提寺の檀信徒になるよう定められました 切支丹伴天連の侵略を防ぐためです 結果として全員が仏教徒になったわけです 明治時代には国家神道なるものが唱えられました 実態は儒学が元になっていて古来からある神道の姿とは異なります 神仏分離令により 今度は廃仏毀釈が行われました ときの権力者の都合で様々な規制強制が行われます

変遷はあれど 日本人の信仰は原始神道というか 縄文から一万年以上続くアニミズムが根本にあるでしょう 物の怪・妖怪は八百万の国津神(地神)なのです そうやって見れば お化けの絵は宗教画とも言えます
まぁ神話と宗教の定義の違いはよく分かりません 土偶や子持ち勾玉の意匠は 神話・民話の動物神・植物神を具象化したものと思います 天空や風雨の自然現象は鬼神として表されるようになります
目に見える形を作ることによって共通認識を持つのも 儀式というか宗教行為(呪術)のためですね そうして日本人の深層意識に刷り込まれたのが神話であり民話です 水木しげる先生か描くように 日本のお化けが どこかユーモラスで親しみやすいのは もともと神様だったからです

ナラティブ

最近の情報心理戦で認知領域ということが言われます 中国が仕掛けている輿論戦などです[01] … Continue reading その中でナラティブという用語が使われます ナレーションやナレーターと同根の言葉です ナレーションは本を読み上げる朗読ではありません ナレーターは語り部なのです 原稿ではなく自分の意思で物語を作り語る
「講釈師見てきたような嘘を言い」怪談話なら罪はないのですが これが政治的な意図を持つと厄介です とくに教育の場では気をつけねばなりません 語るは騙るにも通じます
ナラティブは差別・優越や恐怖・嫌悪といった感情に向けて 幻想・妄想を植え付けます そして感情は倫理・正義[02]道徳は儒学に基づく観念であり 正義は一神教の倫理観と言えるかもしれません この辺が行動の違いに現れるのでしょうかなどの社会規範に容易に結び付けられます 神話から宗教への変化と言えるかもしれません

プロパガンダ・アジテーションは 我に有利なよう態度変容を促すのが目的です 詭弁ではありますが一見して論理的です それに対して 荒唐無稽でステロタイプな物語のほうが行動に結びつきます ナラティブは感情に訴えかけます 人は理屈ではなく感情で動くのです
感情に訴えるとは オーディエンスが我が身を物語になぞらえることです 最近の事例ではトランプの扇動(大統領選挙陰謀論)によるQanonの騒動でしょうか ヒトラー台頭時によく似ています ナチスの時代は映画とラジオが主でした トランプはTwitterを使っていました メディアは違えど 分かりやすい善悪二元論で 悪玉と善玉がいて 5W1Hや起承転結の物語性も重要です

孔子やアリストテレスは 理性で感情を抑制せよと教えたといいます 二人が宗教家とされない所以です しかし賢人でも哲人でもない大多数の人間は 好悪の感情に左右されてしまいます ナラティブに感化され 自らナラティブを作り出す そして周りに吹聴し始めます
個々人の感情を制御する方法はありません 自分でも制御できないのですから他人の感情はどうすることもできない 下手に説得したら返って感情を昂らせるだけです[03] … Continue reading

註釈

註釈
01 内閣府「再生可能エネルギー」の会議資料や通産省管轄の「自然エネルギー財団」で 中国系・中国資本からの資料がそのまま使われている事実があります 風力やソーラーパネル発電の利益が中国人を潤しているばかりでなく 世論誘導の認知領域戦を兼ねている可能性があります
02 道徳は儒学に基づく観念であり 正義は一神教の倫理観と言えるかもしれません この辺が行動の違いに現れるのでしょうか
03 Facebookが集めるデータは個人の感情に基づくものでした 選挙の投票は理性よりも感情です ヒトラーは選挙により合法的に独裁者となりました トランプが大統領になったのも同じ機序によります
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文献初出

さる鍼灸師の方から聞いた話 鍼灸といえばツボ(経穴)です このツボは中国から伝わりました とはいえ似たような治療は世界各地で行われていたと思われます[01] … Continue reading 中国発祥で周辺諸国がそれを真似したわけじゃない 記録されていないだけのことです
中国人は様々なことを分類整理し体系化します そして文書に記す 文字による記録は汎用性があります ツボもそうやって各地に伝播しました この場合は絵図面でしょうが
体系化はある意味科学的な思考です 科学は再現性が重要です 例外があってはならないのです 再現のため体系化のためには 文字で記録する必要があります そうやって精緻な理論が組み立てられます

臨床の立場からすると ツボだけに頼ると治療効果の現れないことがよくあります 人間一人一人の身体はすべて違うから 類型化したツボそのままでは対応できないのです この辺の見極めが技なのですが 技は文字では伝えられません
あらゆる事象は 人間の作った理論に従っているわけじゃないのです 技は理屈からではなく謙虚から生まれます[02]漢方薬も同じことで 験が有る無いとか匙加減は 徒弟制度で伝えられました
体系化すると取りこぼされることが出てきます すべてが平均値の人間なんていないからです 鍼灸でいうとツボの例外が阿是穴です 以痛為輸 あぁそこが痛いという個人の反応です[03] … Continue reading 過去の経験の蓄積からおおよその見当はつきますが 患者の様子を見ながら阿是穴を探ります

この話を聞いて鍼灸に限らない 今まで中国人の記録した文献に基づいて論じられる 日本文化論で取りこぼされたことは多いんじゃないか しかもその取りこぼされたものこそが 日本文化の本流なのではないかと思い至りました 文化は固有のもので渡来などしません
そして底流に沈んでいる日本文化の源流は 文字を持たなかった縄文文化であろうと想像するのです 言葉では伝えられないこと 文字では掬い取れないことの方が遥かに多い
文献は貴重な資料です しかし表層に顕れた事々を 文字で記録したに過ぎない 深層にある物事を読み取る推理力が大切な気がします[04]縄文文化は滅びても途絶えてもいない 祭礼・古俗・慣習・掟・物語といった様式で伝えられます これを掘り起こしたのが柳田國男先生です
文献に初出をもって 事の始まりとするなんて馬鹿げています 広く行われて初めて記録されるのです 何もなかったところに中国からもたらされ それから皆が真似するなんてことはない 文化は風土に根ざしたものです

中国の影響を無視することはできません 大半は政治システムを導入しただけです 文化の影響は受けていない 私は中国に宗教はないと思っています 儒教も道教も政治支配の規範です 支配者に都合のいい理屈です[05]儒教とくに孟子は立身出世なった官僚向け 老荘道教は出世競争に敗れた者の拠り所でしょうか
聖徳太子のころ 日本は主権と独立を守るため 国としての体制を整えました 当時の外交相手は中国でしたから それに準じました そのままではなく 日本に合わせて取捨選択また改変しています
最初は朝庭が中国の風を取り入れました 主に外交目的ですが目新しいことへの好奇心も大きかったでしょう 公地公民から守護地頭制への移行により 税制と武家の人事権が征夷大将軍のものとなりました 同時に外交も太政官を通して 実質的に幕府が担います[06]豊臣秀吉は庶民の出なので 征夷大将軍にはなれません そこで関白太政大臣として支配しました 言ってみれば王政復古かもしれません

鎌倉時代は元と南宋が外交の相手です 元は覇権主義ですから交易相手は南宋となります 日本からの輸出品は刀や木材(軍船製造用)そして硫黄(火薬製造用)などが多くを占めています つまり軍需物資・武器支援ですね 外交とは軍事なのです
後の時代に徳川が 武家の統率にはなはだ都合がよい朱子学を採用しました[07] … Continue reading といっても戦国の世に南蛮文化の影響を受けたことから 徳川の時代には中国の風は次第に廃れていきます そして鎖国により独自文化が花開きます 「論語読みの論語知らず」という言葉が象徴するように 儒者は知識を振り回す教条主義であって 決して尊敬の対象とは見られていません

註釈

註釈
01 動物は傷口を舐めて治します 痛い所に手を当てるのが人類最初の治療です 手当という言葉の始まりですね これが発達して鍼灸の治療となったのでしょう
02 漢方薬も同じことで 験が有る無いとか匙加減は 徒弟制度で伝えられました
03 ツボ(経穴)は経絡の交叉点にあり気が出入りする穴です 理論であり実体はないが 治療効果が認められています それに対して阿是穴は 解剖学的に相当する組織があるのではないかと言われます
04 縄文文化は滅びても途絶えてもいない 祭礼・古俗・慣習・掟・物語といった様式で伝えられます これを掘り起こしたのが柳田國男先生です
05 儒教とくに孟子は立身出世なった官僚向け 老荘道教は出世競争に敗れた者の拠り所でしょうか
06 豊臣秀吉は庶民の出なので 征夷大将軍にはなれません そこで関白太政大臣として支配しました 言ってみれば王政復古かもしれません
07 儒教(朱子学)の家父長制は軍事組織として武家を管理する統帥綱領 また長幼の序は官僚勤務規定となりました これは明治時代まで引き継がれます
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祭り

祭りは神に奉う・順う・服うの意でありましょう 古代の神は日本の自然・風土・四季の恵そのものです 祭りは祭礼・例祭と言いますように 様式・習わし・仕来りとして 繰り返し伝えられます あたかも自然の営みをなぞるが如くに すなわち祭りは随神の道であり 幾千年と続く民族の記憶なのです 日本の風土そこに生きる人々心の遺伝子とも言えるでしょう

自然神から人格神

縄文から弥生にかけて 日本の祭りは様変わりしたと思われます 自然神信仰から人格神を祀るようになったのです 自然と人間の橋渡し役は動物神・植物神 過渡期の形態が土偶です 無形の神の化身であったり 神の使いと考えられていました 各地に大蛇の伝説が伝わります 大蛇は時に人の姿となります 諏訪大社の祭りはかつて鹿を供えていたと言われます
神の姿が変わった大きなきっかけは 水稲米栽培の普及です それまでにも陸稲や豆・芋類などが作られていました 畑作と違い水田は大規模な造成工事が必要です ことに重要なのが水の管理です 田んぼには高低差があり 水を温めながら流れを作っています[01] … Continue reading 水稲米というのは極めて人工の穀物なのです 多くの人手が必要で 統率と秩序が求められます
自然の恵みをいただく縄文の神は自然そのものでした 自然を畏怖し自然を祀らうのが縄文の祭りです 弥生の祭りは農事祭です 自然の営み力に人手を加えることで 収穫量が飛躍的に増大します
水稲米栽培の技術が発展して 人智により安定した糧食を手に入れることが可能となりました そして神は人格を帯びてきたのです

縄文から弥生

勾玉の形は様々あります 一般的にイメージする 片方が太く反対が細く曲っているのは動物の牙でしょう 他にC形のものがあり これは鹿や猪の蹄に見えます 細長い形状もあります まるで釣針のようです
勾玉は縄文時代から作られています これらの形からすると 狩猟漁撈と関係していると見てよいんじゃないか[02] … Continue reading
八尺瓊勾玉はどんな形なのか 五百津之美須麻流之珠(管玉)と セットになっているようです 多数の管玉が水稲米を現すとすれば 縄文・弥生文化の習合とも考えられます
弥生以降の祭りで本祭は宵祭の神楽です お神輿や山車じゃありません 神社は本殿に相対するように神楽殿があります お神楽が夜に行われるのは 天岩戸隠れの象徴でしょうか それとも月読命を祀るのでしょうか
八岐大蛇退治も定番です 天候・気象は人の手の及ばないところですが 治水は可能です 人工と自然の調和が人格神なのです 異形の八百万の国津神と人格神たる天津神の融和でもあります[03]天津神と国津神の関係性は もののけ姫や千と千尋の神隠しをイメージすればよいかなと思います

註釈

註釈
01 稲は熱帯雨林(インド)地域の産ですから 日差しと水が必要です 日本列島は雨に恵まれているものの熱帯ではありません 稲を育てるためには人の手で 日差しと水の流れを作らねばならないのです こうやって熱帯ジャポニカから品種改良されたのが温帯ジャポニカ米です
7000年前無人だった朝鮮半島南部に九州から縄文の人たちが移住しました 陸稲は持っていったかもしれません 同じ稲科の高梁は乾燥と寒冷にに強く 水に恵まれない中国東北部や朝鮮半島北部で栽培されるようになりました 水稲米が日本から半島南部に伝わるのは後の時代です
02 大神神社や宗像大社の子持ち勾玉は かなり時代が下り形状も異なります 祭祀に使われたのだろうが 何を表したのかはよく分からない 動物のようではあります 土偶との関連は興味あるところです 土偶が作られなくなったのは ほぼ自然任せだった縄文の陸稲づくりから 人工の水稲米が主になったからでしょう
03 天津神と国津神の関係性は もののけ姫や千と千尋の神隠しをイメージすればよいかなと思います
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