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タグ: 植民地

マイナンバーに住基ネット ただ利権のためだけに

巨大利権は住基ネットからマイナンバー制度へ

以前に騒がれた 住基ネットというのがあったことを 覚えていると思います あれができたのは住民基本台帳を電子化するためです 住基カード(ICカード)の利便性だけ取り沙汰されていましたが これは巧妙な本質の隠蔽工作です
同様なシステムのはずなのに なぜ住基ネットをそのままマイナンバーに使えないのでしょうか

住基ネット時のパソコンはHDDの容量が少なく 字種はJIS第一水準と第二水準しか搭載できませんでした とても人名・地名に使われる漢字を網羅することはできません 住民基本台帳の電子化など無理な相談です
そこへマイクロソフト法人営業が外字サーバーシステムというものを売り込みました 人名・地名に使われる文字を外字化して専用サーバーに収容するというものです これは住民基本台帳にしか使えないシステムですが 当時としては仕方ないことだったわけです

今またマイナンバーと称するものが始まったのは その後HDDの容量が飛躍的に増え ユニコードが標準になったためです もはや外字サーバーなど不要ですから 住基ネットは全く無駄な投資に終わりました しかし役人は新たな予算を獲得するために システムを作り変えましょうという話をこしらえたのです
ですから マイナンバー制度の管理は 住基ネットを運用する「財団法人地方自治情報センター」を格上げした「地方共同法人地方公共団体情報システム機構」が担うことになっています(一度つけた予算を廃止すると施策が間違っていたと認めることになります そこで使い道のなくなった住基ネットは年金通知に使うことにしました[01] … Continue reading

住基ネットは その名の通り住民基本台帳だけの専用システムでした 外字サーバーがシステムの根幹ですから汎用性がありません(その分セキュリティ面では有利です)
今度のマイナンバーは世界標準のユニコードなので さらに広範囲に使うことができます すべての行政機関でデータ共有ができることになったのです 具体的には「Unicode IVS Add-in Microsoft Office」という(ユニコードの文字から人名・地名の漢字を抜き出したもの)らしいです IPAmj明朝と一体化して運用します

システムが全く異なるから 住基ネットとマイナンバー制度には互換性がないのです データの移行とか専門的なことは分かりません 名寄せを省くため新たに番号を割り振るのだろうか? 一つのIDに統一するはずが住基コードとマイナンバーの二本立てになりました
2022年11月6日追記=住基ネットから個人情報が漏れているという報道がありました 市役所職員が特定の個人の情報を暴力団に渡していたそうです)

問題はICカードに集約することです

住基カードの前に 市民カードという磁気カードを作っていた自治体がたくさんあります 住民票や印鑑証明を自動交付機で発行するためです これが住基カードに切り替えたため無効になり そしてマイナンバーカードにより住基カードもまた無効となりました
自治体によって違いますが マイナンバーカードは自動交付機で使えなかったり 自動交付機そのものを廃止する動きがあるようです いったいどれだけ無駄な予算を使ったのでしょう 住民にとっての利便性でいえば市民カードで十分でした

マイナンバー制度も住基ネットと同じ構図で役人の利権です そもそも戸籍制度が確立されている日本で アメリカのソーシャル・セキュリティ・ナンバー(SSN=社会保障番号)のようなものは不要です
アメリカのSSNは強制ではなく任意です 身分証明書がわりに使われることもありません もちろんICカードにして運転免許証や健康保険証を兼ねたり 財布に入れて持ち歩くなど論外の話です

マイナンバーカード(ICカード)は さらに権益を広げるため

考えてみれば住基カードと一緒になっていた印鑑届けというのも 妙な制度ですね 権威主義から来ているんでしょう デジタル云々をいうなら これらを真先に廃止しなければならない 暗証番号さえ分かれば印鑑証明がとれます 印影がわかれば3Dプリンターで簡単に作れますね(だいたい実印制度とか連帯保証も可怪しい)
マイナンバーカードになれば 今度は自動交付機ではなくコンビニで発行されます 犯罪・詐欺の温床になりそうです 各種証明書等の交付の際に マイナンバーカードを行政の窓口に持って行ってもダメです コンビニでしか使えない役立たずなのです

ところで ユニコードにはJIS第三・第四水準(JIS補助漢字)だけでなく 繁体字・簡体字・ハングルも含まれます 外国人の本名も入力できるようになりました 今まで外国人名はローマ字表記とカタカナ表記でした
ただマイナンバー制度でハングルや簡体字を使用するかどうかは分かりません たぶん使わないと思います 使う必要もないですし入力をどうするかの問題もあります(中国や韓国に外注する?)

ユニコードは世界共通です しかも(Han unification)という名称が示すよう 実質的に中国の主導(ゴリ押し)で策定されたものです 先の中国による年金機構へのサイバー攻撃を考えると セキュリティ面で問題がありそうな気がします(標的型メールはごく自然な日本語です) 国内のシステムを世界標準に合わせる必要は全くないことです

今さらながら せめて官公庁のシステムはTRONにしておけば 非脆弱性を確保できたのかも 攻撃は集中 防御は分散が原則です(パスワードの使い回しはするなというでしょう) 重要な情報をすべてひとつのIDで紐付ける とくに銀行口座やクレジットカードにまで紐付けするとなると魅力的かもしれません[02] … Continue reading
紐付けどころか すべてを1枚のマイナンバーカードに集約させるつもりらしい 利権の拡大を目指しているのでしょう(セキュリティの事など全く念頭にない もっとも日本の主要な情報は中国にダダ漏れなんですから マイナンバーカードのセキュリティを心配しても手遅れですね) 全ては予算を付けること予算を使うことが目的です そしてその予算は権益として闇に消えていきます

9月18日追記=いま行われている国勢調査のインターネット回答では 人名の漢字が入力できないという声があるようです ほとんどのパソコンがユニコードに対応しているのですが 総務省のサーバーはShift-JISなのですね これでは名寄せなどできないわけです だいたい国勢調査自体が無意味な税金の無駄遣いです)

10月14日追記=さっそく出てきました利権に絡む官・業の癒着が 厚労省のシステム移行ということは年金と保健両方なんですか それって個人情報の宝庫です)

10月15日追記=住基ネット用に作成付与された11桁の番号は 住民票コードと名を変えて生きています そのため行政窓口の作業が煩雑になり 運用が始まる前から 住民票コードとマイナンバーを取り違えるという事態が発生しました 間違った番号は変更するのだそうです 統一されたシステムを使う地方自治体でスムーズに移行できていない)

10月16日追記=インターネット回答のおかげで国勢調査の集計が大幅に遅れているみたいです システムがユニコードに対応していなかったため 手書き入力とインターネットの整合性が取れないことが原因では? 同じ総務省内でこれです マイナンバーの民間企業への強制となれば大混乱に陥るのは必至ですね)

12月20日追記=夫婦別姓がどうとか 訳のわからん議論が横行しています 夫婦の姓で問題があるとすれば 硬直化した日本の戸籍制度です 日本では個人のフルネーム(姓名・本名・実名)がありません 届け出るのは名前だけ結婚・離婚・養子で籍が変われば苗字は変わる さらに名前も変更できます これを利用したのが中国人の偽装結婚です)

12月28日追記=アメリカで本名を使わなければならないのは 税金と年金とパスポートぐらいらしいですね 銀行口座・クレジットカード・運転免許証も SSNを提示する必要はありますが通称名で可能です 国民すべてに番号を振るのならば 戸籍制度と住民基本台帳を廃止すればよいのです アメリカの行政サービスは各州で行います 連邦政府が関与することはない)

2016年1月7日追記=アメリカ連邦政府はSSNのカードは安全なところに保管し 持ち歩かないようにと注意しています しかし日本政府は色んな所のポイント交換に 顔写真とマイナンバーが記載されたICカードを使え 普段持ち歩けと言い出しました Tポイントをマイナンバーポイントに交換できるとか 税金をポイントで納めるなんて制度にするのかな)

2016年1月21日追記=マイナンバー制度の元締め 地方公共団体情報システム機構〈J-LIS〉で18日~19日にシステム障害が発生しましたね 予想通りの展開です これからますます問題が顕在化してきます その時にはもう手遅れでしょう)

2016年4月28日追記=熊本地震には本当に驚きました まだまだ収束の見通しは立たず予断を許さない状況です マイナンバーを災害時対策に活用できると謳っていましたが まさかこんなに早く役に立たないことが実証されるとは思ってなかったでしょう)

2016年5月24日追記=全国1400カ所のコンビニATMで偽造クレジットカードを使い わずか2時間で18億円を引き出すという前代未聞の事件が起きました 詳細は明らかになってませんが コンビニ決済セキュリティの甘さが露呈された形です)

2016年7月5日追記=高校生のハッキングで佐賀県の教育情報システムから個人データが流出した事件があります このシステムは「SEI-Net」といいますが システム構築の中心人物が「廉宗淳(ヨム・ジョンスン)」です この者はマイナンバー制度にも深く関わっているようです 韓国の住民登録番号をそのまま持ってきたのか 内閣官房・マイナンバーのサイトにある当人が書いたファイル bangoseido/symposium/aomori/siryou7.pdf〈削除したようです 後ろめたい何かがあったのでしょう〉)

2018年3月20日追記=やはりマイナンバーの入力業務は中国にやってもらっていたのですね 池袋に本社を置くSAY企画が日本年金機構から受託した 入力作業を大連にある中国企業に丸投げし 個人情報が中国ネット上に流出しました 日本は終わりそうです すべての個人情報を中国と韓国に支配されます)

2018年10月18日追記=政府主導でキャッシュレス化を推し進めるとか 消費税の値上げに伴ってポイントを付与するとか言い始めました 冗談じゃなく本当にポイント制をマイナンバーカードに紐付けるかもしれない)

2022年10月23日追記=私も今まで知らなかったのですが 12桁のマイナンバーは個人のIDとして使われていないのだそうです 驚きました何のためのマイナンバーなのでしょう 実務上では各行政機関はその時々に紹介コードを生成しているのだとか 確定申告でマイナンバーカードを使いますが〈他に使い道はない〉 マイナンバーではなくカードの署名情報つまりICチップのシリアルナンバーで処理されるのだそうです 恒久的なナンバーなのにカードの更新が必要なのはそのためです カードを義務化しようというのはこれが理由ですね
何をデタラメやってるのか仕事を増やすだけです マイナンバーシステムとマイナンバーカードは別物です マイナンバーカード(ICカード)に集約する理由はありません マイナンバーを個人のIDにすればスムーズにいく 技術的なことはよく分からんのですが 運転免許証や健康保険証の方を磁気カードやICチップ化し マイナンバー(カードじゃなくて個人のID)に紐づければいいんじゃないですか それが本来の姿です 他国はそうやっています 問題点は個人情報の漏洩なんかじゃなかった マイナンバーに紐付けするのでなく マイナンバーカードに紐付けしているのが根本的原因です あちこちで起きているトラブルは マイナンバーと住民票コードが混在しているところにも原因がありそうです 同姓同名の別人に交付するなんてのは 申請にアナログな書面が必要だったり 入力を人手でやってたりするから ヒューマンエラーは必ず起こる 検証システムを後付けしたら 業務が更に増え混乱するんじゃないか 大規模なシステム障害も避けることはできない その時のリカバリー体制なんて当然できていないだろう 医療機関窓口の混乱は阿鼻叫喚の様相を呈するでしょう そんな事が起きなくてもカードの更新には煩雑なアナログ手続きが必要で ブランク期間が発生する可能性は大きいのです

2023年6月2日追記=マイナンバーカードと在留カードを一体化すると言い始めました 不法在留者が正当化されます これはどういうことでしょうか 日本国民と不法在留者を同等の扱いとする 利権は外国に加担する勢力が関わっていることになります たぶん簡体字やハングルでの記名ではなく 通称名や偽名の日本風の名前が使われます なりすましどころの話じゃなくなる)

6月13日追記=マイナンバーカードを銀行口座に紐づけしようとしたら 銀行の口座名義はカタカナだったので 大混乱しているという 人名地名の漢字表記が仇になりました しかし銀行口座と紐づけて何をやるつもりか 極めて怪しい動きです
アゴラ池田信夫様ご指摘の通り 根本原因は縦割り行政と政官財癒着 そして下請け孫請けへ丸投げ構造が齎したことですね グランドデザインも何もない 俄仕立ての継ぎ接ぎシステムですから いざ使おうとしたら欠陥だらけだった というお粗末な話です)

7月19日追記=ICチップ付きマイナンバーカードを巡って喧しい議論が続いています 問題の本質は利権なのですが 混乱の原因は戸籍制度でしょう 世界で戸籍制度があるのは日本だけです 他国はどういう形で国籍などを管理しているのかよく分かりません 多くの国でIDカードを発行しているようです
日本にはIDカードがなく 代わりに運転免許証・パスポート・健康保険証が身分証明証代わりに使われてきました 政府発行のマイナンバーカードをIDカードとして使うのは構わないと思います むしろそれだけに限定しなければならない だとしても顔写真が不鮮明すぎる 一枚の証明写真で顔認証は難しいだろう)

註釈

註釈
01 年金はマイナンバーではなく住基ネットを使いますので 年金手帳を紛失した場合マイナンバーでは再交付されません 再交付の申請にはマイナンバーが確認できるもの(マイナンバーカード等)と運転免許証・パスポート・健康保険証等が必要になります 運転免許証と健康保険証がマイナンバーカードに一体化されれば パスポートを持たない人は自己を証明することがでできないのです
02 素人考えではありますが トロンOSが普及しなかった理由は インターフェースを考えなかったこと アプリケーションがなかったことだと思います 役人主導のプロジェクト通例の結果です エンドユーザーやマーケティングを意識する必要はない 予算をばら撒けば仕事をしたことになり 責任は問われないのですから
マイナンバーシステムは汎用性を求める必要がないのだから セキュリティ面からも トロンで構築すればよかったんじゃないかな
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デマゴギー、アジテーション、プロパガンダ

ブッシュ大統領が言ってましたスローガン「悪の枢軸国」 私たち日本人にはかなり違和感がある言葉です でもアメリカ人には受けた
「連合(Alliance)」と「枢軸(Axis)」は軍事同盟の様相を示す言葉で 悪とか善とかに関係ないのですが これを結びつけるレトリックは煽動の典型です
アジテーションにおいて選択肢があってはいけません 極端に単純化した感情的な善悪二元論を何度も反復し それを受け入れるか拒否するかを迫るのです 内容が事実であるかどうかは その際まったく問題にされません[01]保守反動とか進歩的文化人 右翼だの左翼だのセンターだのとレッテルを貼るのも 物事を単純化して思考停止するプロパガンダの一つです
一般のアメリカ人にとっては インディアンを討伐する騎兵隊や メキシコ人を掃討するテキサスレンジャーと同じ感覚のヒーロー像でしょう

2016年大統領選挙の予備選で ドナルド・トランプが一定の支持を得ているのも同じ理由です 差別的発言を繰り返していますが 分かりやすい敵を作り出すためです)

連合国対枢軸国 軍国主義対平和主義 有色人種対白色人種 先進国対未開発国 文明人対野蛮人 東洋対西洋 南半球対北半球 共産主義対資本主義 労働者対資本家 おおざっぱに言ってしまえば 二元対立論ってキリスト教的なんじゃないかなと思います
アメリカ映画を見ると 地方都市は人種・宗教・出身国ごとのコミュニティで形成され それぞれにボスがいます 一番強い結びつきは宗教でしょう もちろん映画のことですから誇張はされていると思いますが かなり実態を表しているのではないでしょうか

日本人にとってなじみ深いのは 三大◯◯ これは三角関係でも三すくみでもなく 三者が並立しています とくに優劣をつけない 争いがあっても「三方一両損」なんかで体良くまとめようとする
日本が宣伝戦に弱いのはこの中庸の感覚かもしれません アジテーションは善悪2者択一で「どちらとも言えない」という第3の選択肢はないのです 善でないものは必ず悪であって 両者痛み分けもということもない
政治でいえば中道の第3極がキャスティングボードを握るなんていうのも世迷い事です どっちつかず右顧左眄に過ぎない 国連ももちろん中立な立場ではありません(それにしては国旗に三色旗が多いですね)

シーシェパードはオーストラリアだから白豪主義が支えているのでしょ 根本のところではキリスト教に由来する考え方 つまり人間は他の動物と違い 神に選ばれた特別な優れた存在 だから他の動物を慈しまねばならない でもこれが白人優位に結びつくのはどこから 十字軍あたりなんでしょうか
異教徒は人間に似ているが動物並みの野蛮な存在 だからクジラを食べる日本人は共食いである といった理屈ですね カンガルーはノアが救わなかったのに勝手に生きて繁殖していたから 食うのはお咎めなしなんだろうか[02] … Continue reading じつに粗雑・浅薄な思考です キリスト教徒に日本文化論を持ち出しても無駄です

植民地支配とキリスト教

まぁ要するに昔のイエズス会みたいなものです 神の教えに背くものは本当の人間といえません イエズス会といえば 植民地化の先兵として 果敢な布教活動をしていた歴史があります 宣教師の宣は宣伝・宣撫(プロパガンダ)です 神学は植民地支配に都合のよい理屈として使われた面があります
日本で成功しなかったのは 信長に取り入ったからでしょう 情勢を見誤ったのかもしれない カソリックの情報網は世界的なもの(今でもバチカンの情報組織はモサドに次ぐ実力といわれます)でしたが さすがに極東の島国までは網羅できなかった

キリスト教徒の多くは文盲でしたから 神父が持つラテン語の聖書はたいそう神秘的で信仰の対象でもありました 皆が聖書を読むようになったのは宗教改革の後です これには印刷技術の発展が大きく寄与しました
仏教でも経文に重きを置く法相宗などありますが 経巻自体を崇めることはしません 大事なのはそこに書いてある内容すなわち「識」です また日蓮宗では経文の文字がすべて仏と見なされます これは日本人の識字率が高かったためでしょうか イエズス会にとって日本は布教しにくい国であったと思われます

植民地支配の常道はその国の貴族階級に特権を与えて 二重支配というか間接支配することです イエズス会もやはり戦国大名を布教の対象としていました でも日本には明確な身分制・階級制度がなかったので うまくいかなかった 下克上の時代は庶民の時代であったことを見抜けませんでした 太閤秀吉の存在を軽く見ていた節があります
庶民は異国渡来の案山子の神様として あらたかな豊作の呪力を期待し クルスを拝んだという話もあります してみると隠れキリシタンがマリア観音を拝んでいたというのも 観音像に仮託してのマリア信仰ではなく 単純に観音経の本尊と見ていたとも考えられます[03] … Continue reading

中国が行っていた冊封体制も同様なものです 朝鮮半島支配は両班を特権階級に仕立てました 中国人はキリスト教ではなく拝金教なので 支配の理屈は現世利益の朱子学です 神学によく似た正邪二元論ですね
韓国もキリスト教徒です キリスト教は軍隊組織で 秩序を最重視する儒教と折り合いがいいのかも 国旗の中央に描いている太極も陰陽で永遠に続く二元対立を表しています(一見すると二つ巴に似ていますが 全く別のものです)
古来より今に至るまで部族間の争いを繰り返している朝鮮半島の歴史そのものです 敵がなければ自分たちのアイデンティティを保てない 常に敵を求めます 韓国の大統領選は両班同士の抗争です 武闘でないのはいかにも科挙の国らしい

新教徒たちの新天地がアメリカです どこでデマゴギーのキャンペーンを展開すればいいか心得ています キリスト教系カルト集団が多いアメリカの地方で共感を得やすいでしょう 悪意に満ちたデマゴギーでもキリスト教徒の言い分の方に同意します
日韓の領土問題その他についても キリスト教関連団体を通じて盛んに揺さぶりをかけています ローマ法王まで担ぎだしましたね 現法王のフランシスコ1世はイエズス会出身です(ニューズウィーク日本語版) イエズス会は使命感に富み純粋です
中国におもねるのは 両班として宗主国に忠実な姿を見せるためでしょうか 詳しくは知りませんが 韓国のキリスト教は朱子学の影響を受けてか 現世利益を強調すると聞きます やはりやっていることは金目当てです

キリスト教の葬式に出たことがあります 説教(?)を初めて聞きました 本当に戦闘的な宗教なのですね(宗派によって違いはあると思いますが) 死後は神のもとに戦士として招集されるのだそうです なるほど天国に《召される》と言いますね[04] … Continue reading
現世での精勤度により階級が定まるのだとかいってました でも天国の正規軍は天使軍団ですから人間はたぶん民兵ですか 今もあるかもしれませんが 歳末に救世軍の人たちが社会鍋というのをやっていました
全員軍服の理由が分からなかったけれど 教義に忠実ならば別に不思議な姿ではないわけです でも世界一軍服が似合わない軍隊かもしれない
キリスト教は戦う宗教ですから 正義のため徴兵に応ずるという土台は築かれています

註釈

註釈
01 保守反動とか進歩的文化人 右翼だの左翼だのセンターだのとレッテルを貼るのも 物事を単純化して思考停止するプロパガンダの一つです
02 他の動植物は神が芽生えよとか言って 勝手に生まれ勝手に生きています 人間だけは神が作りました 魂は神の息吹ですが 食べないと肉体を維持できません そこで神は人間の食べ物を定めました 砂漠に鯨・イルカは泳いでなかったので 含まれません
03 ヨーロッパ各地にもマリア信仰があります 詳しくは知らないのですが おそらく土着神との習合ではないかと見ます クリスマスに始まる現在の風習にも相通じるものがあるでしょう クリスマス・ハロウィンなどは もともと行われていた農事祭をキリスト教の教義に結びつけたものです 旧来の信仰にキリスト教との整合性を与える 巧みな教化・宣撫策でした
04 天国に行くのは兵営に入舎するようなものです 天国よいとこ一度はおいで なんて言ってられない ブートキャンプが待っています さらにその先はハルマゲドンです
裸の子供が弓矢をつがえているのは キューピッドです 背中に羽が生えているのでエンジェルと混同されていますが まったく別物です 天使は神の使いで兵士です
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お盆・彼岸の墓参り 葬儀の本義

墓参りより菩提寺を大事に

【要約】

  1. 大切なのは菩提寺であって 墓ではない
  2. お盆・彼岸の墓参りは近年の習慣
  3. 家族墓(○○家代々)はさらに新しい
  4. 檀家制(相互扶助)を維持できなくなったのは 神仏分離令・廃仏毀釈による
  5. そのため菩提寺がないがしろにされ 葬祭業者が幅を利かせ葬儀・法要が形骸化した
  6. 日露戦争による戦死者の墓の高さ・立派さを競う風潮があった 昭和大戦後に遺骨収集団が官民挙げて組織され進められた
  7. 上記が遠因で先祖の菩提を弔う追善回向を疎かにし 埋葬と墓石・骨壺を拝むことを供養とする今日の風が広まる

どなたかの随筆に このごろ関東(東京)でお盆に墓参りに行く風があると聞く 自分の住む関西(京都)でそのようなことはしないし 生まれ育ったころの記憶にもないとありました うろ覚えで著作者のお名前は分かりません たぶん昭和初期に書かれたものでしょう
お盆に精霊棚を作ったり(施餓鬼棚ともいい戸外に向けて飾るものでした)灯籠流し等の行事は昔からありましたが 墓参りはきわめて最近の習慣ということになります[01] … Continue reading

何々家の墓とか先祖代々の墓とかが建てられるようになったのも近年のことです そうすると いわゆる墓守だとか長男でなければ墓に入れないなんて言い出したのは さほど古いことではなさそうです
仏門に入ることを出家といいます 家を出るから仏弟子となったご先祖に家名はないのです[02]明恵上人の板書「南無母御前母御前」が表すように 葬儀・法要は子が亡き親に向けて行うものだと 私は思います 〇〇家としてではありません 入るのは仏門であって墓ではありません 昔は一般に それほど墓に拘泥わることはなかったのです では先祖供養を大事にしなかったかといえば そんなことはありません

拝むのはご本尊

菩提寺[03] … Continue readingの住職によれば 先祖供養とは年回忌をきちんと行うことだそうです 年回忌は冠婚葬祭の祭にあたります 祭は祭祀のことで仏教なら回忌供養になります 葬式を上げるだけでは供養にならないのです[04] … Continue reading  年忌法要のあと墓に卒塔婆を立てますが 墓参りを欠かさないようにとは言われませんでした 墓参りをするなとも言われませんが
付け加えますと 追善供養(年回忌)は文字通り1年単位で月日は関係ありません 巷間いわれる祥月命日の前だとか後だとかはまったくの俗言です 日にちが重要なのは七七日(四十九日)だけです 七日ごとにお経を上げ七回目の四十九日に法要を行います[05] … Continue reading 1月1日に亡くなった方の法要を前年にやっては年忌供養になりません 昔の数え年と同じで日付より年数のほうが重要なことですから[06] … Continue reading

父の葬儀のとき葬儀会社の方に 葬儀は菩提寺の住職が執り行うもので 我々はそのお手伝いをするに過ぎない すべて住職の言われるままにしてくださいと諭されました それまで私も葬式は葬儀屋さんがやるものと 漠然と思い込んでいたのです
菩提寺の住職にいろいろと細かく教えていただきました その他 仏壇の上鴨居のところに遺影写真を掲げてはいけないとも言われました 仏壇にはご本尊を奉安してあるのだから ご本尊より上方にそのようなものを置くべきではないとのことです

内田百閒翁によると昭和のはじめころ 遺影写真を位牌に焼き付けるのが流行ったそうです さすがにそのようなことは廃れました また自分の葬儀の時に遺影写真を掲げるのはやめてくれとも書いていました 昭和に入った頃には すでに葬儀屋が仕切るようになっていたようですね[07] … Continue reading 私も別に信心深いわけでなく 先祖代々付き合いのある菩提寺を大切に 檀信徒としての勤めをきちんと果たしたいだけです

当家は400年以上前より浄土宗で 浄土宗は絶対他力ゆえの教えかもしれません 他宗でどうかは知りませんが 菩提寺の指示に従うこと 葬儀より前に枕経を上げてもらうことが大事なのは 共通しているのではないでしょうか 今昔物語集の仏教説話を見ると 枕経は本来臨終の時に上げ 阿弥陀三尊のご来迎を願うものでした
ですから 自宅で葬儀を行うときも葬祭会館で行うときでも ご本尊に出張っていただきます そしてお経を上げるのも 焼香するのも 手を合わせるのも すべてご本尊に向かってすることです なにとぞ成仏させてくださいと ご本尊に願うのが葬儀の本義です

丁寧なつもりで焼香と合掌の後先に ご本尊に尻を向け列席者喪主に頭を下げるなど あってはならぬことなのです これは葬儀社の方に言われました 元は仕出し料理屋さんであった 江戸時代より続く老舗です
仏教に限りません キリスト教の葬儀も遺影や遺体に祈りを捧げるわけではなく あくまでも神に帰依する(天国に召される)ことの再確認です

2019年9月12日追記=佳子内親王が 東京都慰霊堂で行われた法要に参列された際 手袋のまま焼香されるのを非難するコメントが見られるそうです
皇族の方々は世界の王族と同様のマナーをを守っておられます 公式の場で女性皇族が 室内でも帽子と手袋を召しているのは 正統な儀礼に叶ったことです 手袋を外すのは食事の時だけ 仏事であっても 焼香の際に手袋を外すなんて作法はありません)

追善供養は墓参りでない

お盆(盂蘭盆会)の大切な行事は施餓鬼です 寺によって多少日にちは異なりますが だいたい八朔に壇信徒が寺に参り 寺方は精進料理を振るまいます 当地ではこのことを盆内といいます その他にも盆礼・盆供・盆持・盆参など様々な呼称があります
もともと八朔の行事は収穫祭の予祝でありましたから 施餓鬼と結びついたのでしょう 本来は作物を寺に喜捨(御布施)したものです 寺領がある場合は初穂を供えたのかもしれません

また墓参りで食物を供えるのも この施餓鬼をまねた風習です[08] … Continue reading 住職はあえて墓に食物を供えることを止めませんでしたが 供えた後は持ち帰るか その場で食べなければいけないと教えていただきました 抛って置くなど食べ物を粗末にしては本末転倒ですからね
花を供えるのも一緒です 供えて手を合わせたら 花を引き上げるのが常識です 腐れた花を放置するなど言語道断 罰当たりです

寺に参るのも仏壇に参るのも 全てご本尊に参るのが根本義です 故人やご先祖へではありません[09] … Continue reading そうしてみれば ご本尊の御座さない墓へ参ることはなかった というのが頷けます 禅宗の場合ご本尊はなく 釈迦牟尼世尊と菩提寺の僧が檀信徒の代わりに修行するという形です また拝むのは名号であったり曼荼羅であったりと 各宗派でいろいろな教えがあります

ご先祖・故人がどこへ行くのかといえば ご本尊が阿弥陀如来なら西方浄土です 薬師如来がご本尊なら東方浄瑠璃世界 キリスト教徒はハルマゲドンに備えた神の兵士として天国へ招集されます いずれにしても墓の下にはいません[10] … Continue reading
古代神道は教義がないので何ともいえませんが 祖先神・産土の神として その土地に一体化するのではないでしょうか 古来より古墳を祭祀の対象とする考えはありませんでしたから[11] … Continue reading

葬儀や回忌法要 お盆・彼岸といった年中行事で迷ったら 菩提寺の住職に聞くのが一番です また本山のホームページで確認するのもよいでしょう 葬儀屋のフェイク情報や出どころの怪しい風説に惑わされてはいけません
キリスト教徒なら牧師や神父の説教に従い 仏教徒なら菩提寺の住職の教えに従うのが 基本であり最も大切なことです 宗派により寺により住職により教えは様々です 当家菩提寺でも当代住職と先代住職とは言われることが違います

供養塔、納骨堂

昔は個人墓でしたから墓標が次々と増えます その時どうしたかといえば 古い墓から仕舞って供養塔(供養墓・拝み墓)に収めます 墓仕舞いは三三回忌が目安なので 墓を建て守るのは子供一代限りということです(三三回忌を弔い上げと称するのは この墓仕舞いが変形したものです) 土質や湿度で多少の違いはあるものの その頃は遺骨は土に還っていて墓標を始末するだけです
昔の墓はささやかで小さなものでした 墓標というとおり本来は埋葬の目印です 僧籍にあった者など特別な場合を除いて 墓石を建てること自体少なかったと想像します 無闇と立派な墓は 日露戦争戦死者の軍人墓を建てたとき 高さ大きさを競ったのが始まりと聞きます[12] … Continue reading

寺でも供養塔を建てて合葬することがあります この場合の建立費用は永代供養料を当てます 永代供養は三三回忌が終わった後や回向する子孫がいない無縁仏の供養です
寺の本来は檀信徒がお布施で維持するものです 永代供養も皆が支え合い寺の住職がお勤めすることを意味します[13] … Continue reading 供養塔は墓仕舞いした檀家のためであって 個人墓・家族墓に代わる合同墓というわけじゃない
何々家の墓と銘したものが建てられるようになったのは 供養塔の変形かと思います 埋葬する際に遺骨を骨壷に納めるのはいつごろ始まったかわかりません

遺骨と骨壷

戦前の弔いと埋葬はどんなか知らないし 聞いたこともないのですが とくに戦死者の多かった昭和大戦末期 南方から白木の箱に入った遺骨が届きそれを埋葬しました 中は戦死公報しかなかったり 遺骨が入っていても誰のものか判然としなかったりです
あるいはこの辺から遺骨に拘るようになったのかもしれません ずいぶん長い間続いた遺骨収集団もそうです[14] … Continue reading

近年都会地で目立つようになった納骨堂とやらは 骨壷ロッカーであり供養塔とは異なる宗教ビジネスに過ぎないと見ます 何しろカードをかざすと骨壷がリフトで運ばれてくるという 意味不明のシステムです
墓石を終の住処などと馬鹿げたことを言い出したと思っていたら ついにここまで来てしまいました このような商売が成り立つのは 遺骨を拝むことが供養という風潮があるからです[15] … Continue reading

墓参りが一般的になり骨壷が一般的になって 先祖供養が遺骨に手を合わ墓に食べ物を供えることとなりました 宗旨・宗派を問わない納骨堂が繁盛したり(〇〇宗△△寺を名乗りながら宗旨宗派を問わないとする納骨堂は 業者が宗教法人〈貧乏寺〉を買い取って経営するのが多いようです) 派遣坊主を葬祭業者が手配するのも自然な流れでありましょう もはや菩提寺に参ることご本尊を拝することは忘れ去られたのです[16] … Continue reading

このごろ多い〇〇典礼などというチェーン店の葬式では 通夜と告別式(菩提寺の住職がいないので葬儀とはいえず 告別式なる言い方を始めたのでしょう)[17] … Continue readingと初七日・四十九日はもとより 一周忌までついでにやるのだそうです
そして仏壇屋と墓石屋・霊園と結託し すべてセット販売しています 葬儀屋が手配した派遣坊主が形だけお経を唱えてそれで終わり 菩提寺がどこかもわからぬまま三回忌以降の年忌法要もしない 仏壇を新調してもお盆に棚経はあげず 霊園の墓石に団子でも供えるだけです

追記 

註釈

註釈
01 伊藤左千夫の「野菊の墓」は明治39年の作品です 他家へ嫁いで産後の肥立ちが悪く亡くなった民の墓の周りに 政夫が野菊をたくさん植えるという結末です 嫁ぎ先へ弔問に行くわけにいかないので その代わり墓参りをしたのではないでしょうか しかも手向ける香華は野菊です 墓に参るというのは一般的なことではないから 小説になったのではないか
02 明恵上人の板書「南無母御前母御前」が表すように 葬儀・法要は子が亡き親に向けて行うものだと 私は思います 〇〇家としてではありません
03 菩提寺はキリスト教でいえば教会にあたり 宗教・信仰だけでなく地域共同体の様々な行事の拠り所です(明治以前は神仏混淆ですから神事も一緒でした) 教会が学校を兼ねていたように 寺子屋という形で教育にも携わりました 学問の場でもあったのです
04 形だけ名前だけ壇信徒でも 会ったこともなければ 人となりが分からないのに 戒名の授けようがないと住職が言ってました 戒名は授かるもので料金などありません 生前に戒名を授かる場合は得度となり 2週間ほど寺に泊まり込んで修行します
05 人を見て法を説くというように 仏教の教えは柔軟で決まりを押し付けることはあまりしません 法事は祥月命日にやるとか香典返しがどうとかは 葬儀屋が商売のために始めたり 訳知り顔のマナー評論家あたりが言い始めたことかと思います 菩提寺の住職がそのように言うとは思えない 当家の菩提寺の住職からも 命日に法要などと聞いたことがありません
06 月命日というのも変な風習です 昔は誕生日を祝うことはありませんでした 年末一回まとめて月日に関係なく歳を取ります 同じように命日という考え方はなかったんじゃないか 命日が年に11回もあるのは変だし それ以外の日は仏壇に香華・茶湯を手向けないのだろうか
お寺さんが毎月来たり 檀信徒が寺に参る月参りはありました(根拠は不明ですが) おそらくこの月参りが変質したのでしょう 当家の場合でいえば 元和年間からの戒名が残されています 月命日と言ったら毎日のことになりますし 祥月命日も週一回ぐらいの割合でやってきます
日光東照宮の例大祭は宵成祭といい 徳川家康の命日に執り行われます その辺から命日に墓参りや仏壇にお供えをする ということが広まったのかもしれない
07 葬儀の際(忌明けまで)神棚に半紙を張るというのも たぶん葬儀屋が始めたことじゃないでしょうか 宮中で仕える内侍の肉親が亡くなった時 知らせを聞いた瞬間に身が穢れます 服喪のため退出する際は 床に新聞紙大の白紙を敷き並べ その上を渡ると聞きます 穢れるのは我が身で穢は他の人にも移りますから 半歳のあいだ公の場に出ず家に籠もります
08 むしろ施餓鬼自体が神に初穂を供える古代神道から来たものです 阿難尊者(アーナンダ)とか木蓮云々は仏教に結びつけて後代にいい出したと思われます 農事祭であった冬の火祭りをキリスト誕生日と唱えるのも同様です
祖先を迎えるという盂蘭盆会は 木蓮尊者の母が餓鬼の世界に落ちていた話から来ています これも施餓鬼ですから一体化したのでしょう もとは雨季に行われる安居が解かれた日(解安居)の行事で 形は違えど水祭りです
09 子供の頃ご先祖はどこにいるのかと聞いたことがあります お盆で親戚が集まったときだったかと思います 仏壇の位牌なのか寺位牌なのか墓なのかよく分からなかったのです けれども誰も答えてくれなかった
菩提寺に縁がない人は 寺位牌のことを知らないでしょう 仏壇があっても祖父母の位牌だけなら 遠いご先祖の位牌は繰り出し位牌に書いて 個人の位牌はお焚き上げすることも知らない それならばお墓にお参りするしかないのも仕方ないことです
10 ご先祖が墓にいるとしたら浮かばれない地縛霊 悪くするとゾンビかキョンシーや牡丹燈籠の世界です そういえば お盆には地獄の釜の蓋が開くと言いますね みな地獄に落とされているのですか 殺生石なんかから来たのだろうか
あるいはキリスト教の原罪の観念に影響されてのことだろうか お盆が終われば地獄へ戻るというのは 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」最後の第3章で お釈迦様が何事もなかったように蓮池から立ち去るシーンに似ている
11 古代神道は教義がないとはいえ 葬祭に関する儀式は行っていました その伝統は仏教に影響を与え取り入れられ 日本型仏教(神仏混淆)となりました 神道式の葬儀というものが行われます よく知らないのですが教派神道ではないでしょうか これも神仏混淆の一種とみなしていいものです
12 私どもの墓所には400年以上前からの先祖の墓が数十基ありました みな高さ30センチから50センチ程度の大きさです 中にはどう見ても自然石のものがあります ひときわ巨大なのが日露戦争で戦死した人の墓でした 墓の上端はピラミッド状になっていて 高さもあるからまるでオベリスクみたいです ここにも明治政府による国家神道の影響が見られます
13 江戸などの大都市では 人別帳に載らない人がたくさん暮らしていました 身元引受人がいなければ長屋も借りられず 通行手形も発行されません(大家さんが保証人になることがよくありました 「大家といえば親も同然 店子といえば子も同然」はこのことを言います) これらの人が亡くなると俗にいう投げ込み寺で弔いました 人間だけでなく動物や物にまで供養塚があったりします これが日本人の精神なのです
14 宗教ビジネスで言うところの永代使用は 三三回忌までの墓の維持費を前納することです 永代供養と紛らわしいですね(たぶん誤解させるためにそのような言い方をしているのだと思います)
ですから永代使用料と称するものを支払っても 三三回忌がすぎると無縁仏となります 霊園で供養してくれるわけじゃないから使用料ですが 永代でも何でもない
このときに合同墓に移したり 改めて使用料を支払うことになります その際は骨壷一つあたりいくらで計算するために 骨壷のまま埋葬(というか棚に並べる)ようになったのかもしれない 土に還ってしまったら数えられないですから
15 追善供養とは 法要を営んだり 仏前に香華を手向けるなど 善行を積むことが 功徳になるという意味です また仏・菩薩・先祖に供養すること自体が善行でもあります
追善回向(廻向)とも言います 善行による功徳はご先祖だけでなく 一切衆生から廻り回って自分にまで向けられるのです 因果と縁起ですね 直接の御利益じゃない
16 お盆の行事は精霊棚を作り菩提寺の住職に棚教を上げていただく 昔の田舎はのんびりしたもので家を開け放っていました 住職は家人がいようがいまいが家に上がって棚経を唱えます
17 告別式は葬儀と違います 近親者で密葬した後 その他の関係者を呼んで行うお別れ会です この時は遺影を掲げて故人を偲びます いつごろからか知りませんが 葬儀屋が始めたことでしょう
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