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タグ: 満州国

渤海と稲作

7世紀から10世紀にかけて 日本海の対岸に渤海という国がありました 唐と新羅の滅亡に合わせるかのように 歴史から消えていった国です[01] … Continue reading

地域からいって構成民族はツングース系(満州人)と思われます 後の満州国と重なる部分も多かったようですが 詳しい成り立ちは不明です
旧・新唐書などに記載はあります これは後代に書かれたもので かなりいい加減です 位置も範囲もはっきりしません

日本との関係は深く 公式の使節派遣(日本への来貢の形)だけでも年間十数回あったようです そのほかにも貿易・ 交流していたでしょうから 大変に緊密な間柄だったのです おそらく周辺国から圧迫を受けており 日本の経済力・軍事力を当てにしていたと考えて間違いありません[02] … Continue reading

朝鮮人は古代朝鮮政権のひとつだといい ソ連は連邦を形成する少数民族だったと唱え 中国は当時の一地方政権にすぎないと主張します
すべて根拠のない手前勝手な言い分です 古来より日本と深い関係のある渤海と満州国の正当性を貶める為にする議論にすぎません
例えばハルビンなどの地名は 中国語(漢族)とは縁のないものです 樺太から満州(渤海)の言語の名残でしょう

中国の文献にありながら信用できないものとして 思い浮かぶのは魏志倭人伝です 妙にありがたがっていますが 11世紀の公文書でも周辺国に関して適当に書いているのです 3世紀に成立したといわれる魏志倭人伝に書かれたことを 一字一句真実として受け取るとはどういうつもりなんでしょう 中国の公式文書(と称するもの)が正統で 日本の言い伝え・伝承など考慮に値しないという態度が学問ですか
何しろ白髪三千丈の国なので数字はまったく当てになりません 通読したわけじゃないので何ともいえませんが 三国志自体かなり偏向した記述らしいですし 中国からみて辺境の国のことは殊更に卑しめて書いています 卑弥呼だの邪馬台国といった文字には歪曲する意図があからさまです

稲作に関して興味深いことがあります 米と魚(一部獣肉)を漬け込んだ ナレ寿司は東南アジアから台湾 日本列島そして渤海沿岸地域に広がっているのです 東岸を除いて朝鮮半島にはありません
日本海側沿岸に今も伝わる カブラ寿司・ハタハタ寿司・ニシン漬けなど 米麹に漬け込む飯寿司もナレ寿司のうちに含まれるでしょう(熟鮓は魚を食べるもの 飯寿司は魚と共に米を食べます) また魚醤が使われるのも共通しています
これを見ても 稲作が海路で伝わった(陸づたいに朝鮮半島からではない)こと 古代に日本海を仲立ちとして日本と渤海地域との交流が盛んであったことが窺えます 対馬暖流とリマン寒流を利用すればこの地域を廻航できます

日本列島西岸を中心にして 朝鮮半島東岸を結び渤海沿岸と樺太を含む 海路を介した環日本海文化圏があったのかもしれません 内陸からの川が海に流れ込む沿岸地域で漁労と稲作を営む 中国の史書で倭人として書かれる人たちです[03] … Continue reading
7世紀の渤海成立以前から関係が築かれていたのではないでしょうか 能登半島あたりで造船が盛んだったとの記録も見られるようです 渤海との交流に使われた比較的大型の船です
渤海で米作りが行われていたかはわかりません あったとしても寒いところですから弥生の水稲ではなく縄文の陸稲ではないですか あるいは交易品として米が流通していた可能性も高いのです

註釈

註釈
01 この頃は朝鮮半島と渤海(満州)で華麗な文化文明が栄えていました しかし伝統として残ることなく そのとき限りで途絶えました 我国の皇統のように 文化の中心たる存在がなかったためです
02 空海が学問僧として唐に渡った時 かねてから知り合いだった渤海の僧と出会い 懐かしかったと書いています その僧は日本に来たことがあるわけです 優秀だったので同じく唐に留学したのでしょう
03 倭寇・和冦と呼ばれたのは 環日本海から東・南シナ海で交易に従事した 冒険商人の伝統をひく人たちです 渤海や東南アジアでは通常の交易をしていました しかし中国・朝鮮半島では敵対していて海賊呼ばわりです 中国は皇帝が交易の利益を独占していて 私貿易を許さなかったからです
倭人の倭は大和言葉の〈わ〉に文字を当てはめただけです わの意味合いとしては我・和・輪あたりでしょう 倭の字は従順な貌や恭しい態度といった意味があります とすると倭寇=海賊という呼称は似つかわしくないですね 大和以前は倭と書いて(やまと)と読んでいました
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これが外交・宣伝というもの

小沢一郎率いる100人を超える政権与党の民主党国会議員団が 胡錦濤に臣下としてお目見えの挨拶に行ったこと さらには国際的な慣習を横紙破りし 習近平を天皇陛下に拝謁させたこと これらの映像はすべて世界に発信されました(おそらく中国に跪く日本というキャプションを付けて)
そして尖閣諸島の領海侵犯 すべてが一直線につながっています 周到な準備と計画のもと行われた外交政策です 唯一計算違いが海上保安庁の憂国の士によるビデオ映像公開でした 仙谷由人を通じて揉み消そうとしたのは 映像の影響力が大きいことをよく知っているからです

たぶん小沢一郎は何の悪意も持たず 中国に言いつけられてやっただけだと思います 尾崎秀実ほどの信念で国を売ったわけでなく 規範となる理念・精神に欠けるため ただ功利のみで動いているのです(金をもらっていたかどうかまでは分かりません 師匠の金丸は金の延べ棒を金庫に隠していましたが)
元を糾せば 外交というものをまったく理解できない田舎者の田中角栄が 功を焦って日中国交という餌に飛びついたことから始まります 金丸信・小沢一郎もその頃から取り込まれていたのでしょう
一部新聞・社会党・日教組は文化大革命の前から中国の走狗(当人たちは善意)です 在中国大使館の外務省職員がエージェントに仕立てられていたのも記憶に新しいこと

これが外交・宣伝というものです 労働組合が支配する民主党サンジカリズム政権の時とはいえ 日本からすり寄っていって媚を売っているのですから 世界から見れば中国の方に正当性があることになってしまいます この事実を今さら取り消すことはできません
とくに天皇陛下に対して 習近平がふんぞり返って握手している図は 世界に向けた演出です 日本人は意識してませんが 国際的にこれは外交上きわめて重要です

世界の王族が一堂に会する時は天皇陛下が上座になります 我が皇室がもっとも古い伝統を持つからです ハイレセラシエ皇帝が廃されるまではエチオピア(ソロモン王朝)の皇統が世界最古でした(万世一系で継承されるところに意義があります)
外交は100年・200年先を見通してやることです さらに千年・二千年の歴史を背負っているのです 中国はあの写真一枚がどれだけ効果的か ちゃんと計算しています 中国が天皇陛下を政治利用しているのです
2016年5月14日追記=エリザベス女王が習近平・中国外交の無礼さを咎め叱責しました さすがイギリスきちんと世界にメッセージを配信します 通常このような発言はフィリップ殿下が担うと聞きます 習近平よほどの許しがたい非礼を働いたのでしょう やはり王室の権威を利用しようとしたのか 身の程を弁えない横柄な態度だったことは想像に難くない)
2023年5月9日追記=この度のチャールズ国王戴冠式に 天皇陛下が臨席されず 秋篠宮が名代で行ったのは 国際的な王族外交の序列に倣ったことです 我が皇統が世界で最も尊いとされているのです)

官僚・政治家は先の昭和大戦(大東亜戦争+太平洋戦争)開戦と敗戦の責任を取っていません 戦後処理も曖昧なまま朝鮮特需などと浮かれる始末です
責任を取るどころか 満州国に深く関わっていた官僚の岸信介は 小狡く立ち回り総理大臣にまでなりました 敗戦後自決を遂げられた甘粕正彦氏と対蹠をなす浅ましい姿です

きちんとやるべきことを行われたのは 昭和天皇お一人です 終戦の詔勅を発し 御自らマッカーサー司令官と会見し(国際的に見て実に意義ある外交です) 人間天皇宣言され 全国を行幸あそばしました 広大無辺の大御心 畏ききわみです
日本の外交の姿は 尊皇制覇であらねばなりません 国の尊厳は国民の精神に宿ります

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