墓参りより菩提寺を大事に
【要約】
- 大切なのは菩提寺であって 墓ではない
- お盆・彼岸の墓参りは近年の習慣
- 家族墓(○○家代々)はさらに新しい
- 檀家制(相互扶助)を維持できなくなったのは 神仏分離令・廃仏毀釈による
- そのため菩提寺がないがしろにされ 葬祭業者が幅を利かせ葬儀・法要が形骸化した
- 日露戦争による戦死者の墓の高さ・立派さを競う風潮があった 昭和大戦後に遺骨収集団が官民挙げて組織され進められた
- 上記が遠因で先祖の菩提を弔う追善回向を疎かにし 埋葬と墓石・骨壺を拝むことを供養とする今日の風が広まる
どなたかの随筆に このごろ関東(東京)でお盆に墓参りに行く風があると聞く 自分の住む関西(京都)でそのようなことはしないし 生まれ育ったころの記憶にもないとありました うろ覚えで著作者のお名前は分かりません たぶん昭和初期に書かれたものでしょう
お盆に精霊棚を作ったり(施餓鬼棚ともいい戸外に向けて飾るものでした)灯籠流し等の行事は昔からありましたが 墓参りはきわめて最近の習慣ということになります
何々家の墓とか先祖代々の墓とかが建てられるようになったのも近年のことです そうすると いわゆる墓守だとか長男でなければ墓に入れないなんて言い出したのは さほど古いことではなさそうです
仏門に入ることを出家といいます 家を出るから仏弟子となったご先祖に家名はないのです 入るのは仏門であって墓ではありません 昔は一般に それほど墓に拘泥わることはなかったのです では先祖供養を大事にしなかったかといえば そんなことはありません
拝むのはご本尊
菩提寺の住職によれば 先祖供養とは年回忌をきちんと行うことだそうです 年回忌は冠婚葬祭の祭にあたります 祭は祭祀のことで仏教なら回忌供養になります 葬式を上げるだけでは供養にならないのです 年忌法要のあと墓に卒塔婆を立てますが 墓参りを欠かさないようにとは言われませんでした 墓参りをするなとも言われませんが
付け加えますと 追善供養(年回忌)は文字通り1年単位で月日は関係ありません 巷間いわれる祥月命日の前だとか後だとかはまったくの俗言です 日にちが重要なのは七七日(四十九日)だけです 七日ごとにお経を上げ七回目の四十九日に法要を行います 1月1日に亡くなった方の法要を前年にやっては年忌供養になりません 昔の数え年と同じで日付より年数のほうが重要なことですから
父の葬儀のとき葬儀会社の方に 葬儀は菩提寺の住職が執り行うもので 我々はそのお手伝いをするに過ぎない すべて住職の言われるままにしてくださいと諭されました それまで私も葬式は葬儀屋さんがやるものと 漠然と思い込んでいたのです
菩提寺の住職にいろいろと細かく教えていただきました その他 仏壇の上鴨居のところに遺影写真を掲げてはいけないとも言われました 仏壇にはご本尊を奉安してあるのだから ご本尊より上方にそのようなものを置くべきではないとのことです
内田百閒翁によると昭和のはじめころ 遺影写真を位牌に焼き付けるのが流行ったそうです さすがにそのようなことは廃れました また自分の葬儀の時に遺影写真を掲げるのはやめてくれとも書いていました 昭和に入った頃には すでに葬儀屋が仕切るようになっていたようですね 私も別に信心深いわけでなく 先祖代々付き合いのある菩提寺を大切に 檀信徒としての勤めをきちんと果たしたいだけです
当家は400年以上前より浄土宗で 浄土宗は絶対他力ゆえの教えかもしれません 他宗でどうかは知りませんが 菩提寺の指示に従うこと 葬儀より前に枕経を上げてもらうことが大事なのは 共通しているのではないでしょうか 今昔物語集の仏教説話を見ると 枕経は本来臨終の時に上げ 阿弥陀三尊のご来迎を願うものでした
ですから 自宅で葬儀を行うときも葬祭会館で行うときでも ご本尊に出張っていただきます そしてお経を上げるのも 焼香するのも 手を合わせるのも すべてご本尊に向かってすることです なにとぞ成仏させてくださいと ご本尊に願うのが葬儀の本義です
丁寧なつもりで焼香と合掌の後先に ご本尊に尻を向け列席者喪主に頭を下げるなど あってはならぬことなのです これは葬儀社の方に言われました 元は仕出し料理屋さんであった 江戸時代より続く老舗です
仏教に限りません キリスト教の葬儀も遺影や遺体に祈りを捧げるわけではなく あくまでも神に帰依する(天国に召される)ことの再確認です
(※2019年9月12日追記=佳子内親王が 東京都慰霊堂で行われた法要に参列された際 手袋のまま焼香されるのを非難するコメントが見られるそうです
皇族の方々は世界の王族と同様のマナーをを守っておられます 公式の場で女性皇族が 室内でも帽子と手袋を召しているのは 正統な儀礼に叶ったことです 手袋を外すのは食事の時だけ 仏事であっても 焼香の際に手袋を外すなんて作法はありません)
追善供養は墓参りでない
お盆(盂蘭盆会)の大切な行事は施餓鬼です 寺によって多少日にちは異なりますが だいたい八朔に壇信徒が寺に参り 寺方は精進料理を振るまいます 当地ではこのことを盆内といいます その他にも盆礼・盆供・盆持・盆参など様々な呼称があります
もともと八朔の行事は収穫祭の予祝でありましたから 施餓鬼と結びついたのでしょう 本来は作物を寺に喜捨(御布施)したものです 寺領がある場合は初穂を供えたのかもしれません
また墓参りで食物を供えるのも この施餓鬼をまねた風習です 住職はあえて墓に食物を供えることを止めませんでしたが 供えた後は持ち帰るか その場で食べなければいけないと教えていただきました 抛って置くなど食べ物を粗末にしては本末転倒ですからね
花を供えるのも一緒です 供えて手を合わせたら 花を引き上げるのが常識です 腐れた花を放置するなど言語道断 罰当たりです
寺に参るのも仏壇に参るのも 全てご本尊に参るのが根本義です 故人やご先祖へではありません そうしてみれば ご本尊の御座さない墓へ参ることはなかった というのが頷けます 禅宗の場合ご本尊はなく 釈迦牟尼世尊と菩提寺の僧が檀信徒の代わりに修行するという形です また拝むのは名号であったり曼荼羅であったりと 各宗派でいろいろな教えがあります
ご先祖・故人がどこへ行くのかといえば ご本尊が阿弥陀如来なら西方浄土です 薬師如来がご本尊なら東方浄瑠璃世界 キリスト教徒はハルマゲドンに備えた神の兵士として天国へ招集されます いずれにしても墓の下にはいません
古代神道は教義がないので何ともいえませんが 祖先神・産土の神として その土地に一体化するのではないでしょうか 古来より古墳を祭祀の対象とする考えはありませんでしたから
葬儀や回忌法要 お盆・彼岸といった年中行事で迷ったら 菩提寺の住職に聞くのが一番です また本山のホームページで確認するのもよいでしょう 葬儀屋のフェイク情報や出どころの怪しい風説に惑わされてはいけません
キリスト教徒なら牧師や神父の説教に従い 仏教徒なら菩提寺の住職の教えに従うのが 基本であり最も大切なことです 宗派により寺により住職により教えは様々です 当家菩提寺でも当代住職と先代住職とは言われることが違います
供養塔、納骨堂
昔は個人墓でしたから墓標が次々と増えます その時どうしたかといえば 古い墓から仕舞って供養塔(供養墓・拝み墓)に収めます 墓仕舞いは三三回忌が目安なので 墓を建て守るのは子供一代限りということです(三三回忌を弔い上げと称するのは この墓仕舞いが変形したものです) 土質や湿度で多少の違いはあるものの その頃は遺骨は土に還っていて墓標を始末するだけです
昔の墓はささやかで小さなものでした 墓標というとおり本来は埋葬の目印です 僧籍にあった者など特別な場合を除いて 墓石を建てること自体少なかったと想像します 無闇と立派な墓は 日露戦争戦死者の軍人墓を建てたとき 高さ大きさを競ったのが始まりと聞きます
寺でも供養塔を建てて合葬することがあります この場合の建立費用は永代供養料を当てます 永代供養は三三回忌が終わった後や回向する子孫がいない無縁仏の供養です
寺の本来は檀信徒がお布施で維持するものです 永代供養も皆が支え合い寺の住職がお勤めすることを意味します 供養塔は墓仕舞いした檀家のためであって 個人墓・家族墓に代わる合同墓というわけじゃない
何々家の墓と銘したものが建てられるようになったのは 供養塔の変形かと思います 埋葬する際に遺骨を骨壷に納めるのはいつごろ始まったかわかりません
遺骨と骨壷
戦前の弔いと埋葬はどんなか知らないし 聞いたこともないのですが とくに戦死者の多かった昭和大戦末期 南方から白木の箱に入った遺骨が届きそれを埋葬しました 中は戦死公報しかなかったり 遺骨が入っていても誰のものか判然としなかったりです
あるいはこの辺から遺骨に拘るようになったのかもしれません ずいぶん長い間続いた遺骨収集団もそうです
近年都会地で目立つようになった納骨堂とやらは 骨壷ロッカーであり供養塔とは異なる宗教ビジネスに過ぎないと見ます 何しろカードをかざすと骨壷がリフトで運ばれてくるという 意味不明のシステムです
墓石を終の住処などと馬鹿げたことを言い出したと思っていたら ついにここまで来てしまいました このような商売が成り立つのは 遺骨を拝むことが供養という風潮があるからです
墓参りが一般的になり骨壷が一般的になって 先祖供養が遺骨に手を合わ墓に食べ物を供えることとなりました 宗旨・宗派を問わない納骨堂が繁盛したり(〇〇宗△△寺を名乗りながら宗旨宗派を問わないとする納骨堂は 業者が宗教法人〈貧乏寺〉を買い取って経営するのが多いようです) 派遣坊主を葬祭業者が手配するのも自然な流れでありましょう もはや菩提寺に参ることご本尊を拝することは忘れ去られたのです
このごろ多い〇〇典礼などというチェーン店の葬式では 通夜と告別式(菩提寺の住職がいないので葬儀とはいえず 告別式なる言い方を始めたのでしょう)と初七日・四十九日はもとより 一周忌までついでにやるのだそうです
そして仏壇屋と墓石屋・霊園と結託し すべてセット販売しています 葬儀屋が手配した派遣坊主が形だけお経を唱えてそれで終わり 菩提寺がどこかもわからぬまま三回忌以降の年忌法要もしない 仏壇を新調してもお盆に棚経はあげず 霊園の墓石に団子でも供えるだけです
追記