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タグ: SNS

Pinterestの革新

Pinterestの登場は いよいよインターネット(web)に感性を持ち込むことになりそうな予感がします
コンテンツの充実したサイト制作(コンテンツ・マーケティング)に加え 好感度の高いサイト制作(フィーリング・マーケティング)が大切になるかも

技術面にたいへん疎いので心もとないのですが インターネット黎明期から今日までを俯瞰すると こんな解釈であらかた間違いないのでは

 ①ネットサーフィン(Mosaic)→リンク
   ↓
 ②ポータルサイト(Yahoo!)→カテゴリー
   ↓
 ③検索エンジン(Google)→テキスト
   ↓
 ④SNS(Facebook)→コミュニティー
   ↓
 ⑤画像共有(Pinterest)→フィーリング

画像解析が現在どの程度なのか 猫が写っているか犬が写っているか ぐらいは分かるかも知れません でも画像に対する好き嫌いといった感情面までは スコア化できないと思います
画像が持つ情報は もともと言葉(テキスト)に変換できないものです 構文解析のようにはいかないでしょう

Pinterestはたぶん pinup+interestだと思うのですが picture+interestでもあるでしょう 自分が興味を持った写真 人が興味を持つであろう写真の共有です
重要なのはinterestの部分であって カテゴライズもユーザーの興味に任せています つまりたんなる写真(picture)の投稿(pinup)というより 興味(感性)の共有なのです
これはいままでにない切り口です どう推移するか ものすごく興味を持ってみています

(5月24日 追記)楽天が出資してしまいました 金だけ出して口は出さないなんてことをするはずがないし せっかく期待していたのに嫌な方向に行きそうです 楽天は先に書いた AHlifeにも出資しています 残念ですね
(2016年7月10日 追記)やはりインスタグラム(Instagram)に取って代わられた iPhoneのアプリだったのが いわゆる自撮りの潮流に乗って たちまち普及しました

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フェイスブックとは

Facebook 発祥の地であるアメリカでは すでに顔も名前も知っている(利害も一致する)者同士が交流を持つ場が Facebookであった
Facebookはもともと IVYleagueのサークルとして始まったようだ WASPと呼ばれたエスタブリッシュメントの候補者たちだ
その後の発展を見れば 大学サークル内の連絡用だけに留まってはいないが バックボーンは会員相互の身元が明らかであること これは変わらない 

TVで昔のアメリカ映画を見ると アメリカの田舎町は驚くほど閉鎖的・保守的で 何かのサークルに属していないと 生活することすらままならない感じだ
かといって都会に行っても 移民たちは出身国や民族ごとにコミュニティを形作り お互いに反目しあっている

日本は明治維新と第2次大戦後の農地開放により 二度にわたって社会の枠組みが大きく変化した かつて村社会で中心的な役割を担っていた 庄屋の家系が途絶えたのだ
しかし アメリカ建国の理念は200年間変わっていないのである それぞれがほぼ独立国の州の連合体である 各地のコミュニティには 西部開拓の時代から続く 町の功労者(有力者)の家系がある
映画の話なので 類型化して描いているとは思う それにしても 様々な理由で新天地を求めてアメリカにわたり 自分たちにとって理想郷を築いた人たちなのだから グループ内の結束は固いだろう

アメリカに比べて日本は けっこうオープンな社会なのだ かつて「一億層中流」という言葉があったように 身分制度の名残はあまり見かけない
そもそも確たる階級制がなく下克上が当たり前の社会だった 涯分と身分は似ているがかなり意味合いが違う 分不相応とか身の程知らずは 身分を弁えないことでない 己の器量・力量を心得ないことだ

SNSは匿名が当たり前なのも 現実社会に強固なサークルがないためではなかろうか

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ソーシャルマーケティングなど不可能だ

アメリカのデモは全く分からない 中東で起きたことと同じ経緯なのだろうか 少なくとも政治体制としては アメリカは独裁国ではない
もともと不平等は自由経済に付きもののはずだし 自治の精神に富んだ国といえるのではないか

FacebookとTwitterが核になって このような潮流が生まれたのは確かだろう
マートンの2段階の伝達に似ている気もする たとえば「十二使徒」や「城功氏の6人の内弟子説」などが思い浮かべられる この6の倍数と WWWが6角形を基本とするのは 偶然と思えないのだ
⑴ 限られた少数に限定情報が伝えられる(第1段階・権威付け・Facebook?)
フェイスブックの「like!」はコメントとはまったく違う 理由も感想もいらない 反論や疑問もない ただ相手を承認するだけ
⑵ 次にピラミッド形に伝播される(第2段階・流布・ReTweet?)
Twitterの特徴としては 過度の単純化が挙げられる 自分の見解が不要なため 参加と服従の障壁が少ないのである
ともに付和雷同を起こしやすい媒体といえる 無批判な拡張は むろんブログにも見られる傾向ではある インターネットはそもそもコピー&ペーストの世界なのだ

しかし 中心人物が不在であるから煽動とはいえない 何なのだろう やはりよく分からない
SNSを使ってクチコミを作り出そうなどという考えが いかに妄想に過ぎないかだけはよく分かる とてもコントロールできるものではない インターネットはマス媒体とは違うのだ

2021年1月追記=トランプ氏の再選を巡ってアメリカで Qアノンなる陰謀論が巻き起こった これもSNSを通じて拡散したものだ もともとアメリカは新教徒を中心とした様々な宗派の集団が 入植しコミュニティを作ったのが始まり カルト的な集団は少なからず存在する インターネットによって拡散しやすくなったのは事実である しょせん根も葉もないデマであるから終焉も早かった)

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