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酒に酔う酒に迷う

内田百閒翁 事あるごとに随筆で「お酒は好きだが酔うのは嫌いだ」と書いておられます たしかに家での晩酌はそうかもしれません しかし教え子たちに招かれた席では しばしば羽目を外して 時には足がもつれ転び 血だらけで家に帰ったりしています
言ってる事とやってる事が違うみたいですが 他からの招待の席でそんな飲み方はしない 教え子たちの気持ちを酌んでのことだと思います 酒好きの先生を喜ばせようと招待してくれる だから正体なく潰れるまで飲んで見せなければ礼儀に反する[01] … Continue reading
私は一介の素浪人ですから そのような酒席に縁がありません もっぱら家で独りの晩酌のみ 取り寄せる酒は料理を楽しむための酒です 本来の日本料理は控えめで自己主張するものではない 素材の確かさとその良さを引き出す技を さりげなく見せるだけです この酒も料理の引き立て役として淡麗辛口 吟醸香を抑えた姿で静かに料理と寄り添います

互いの個性がぶつかり合う ワインのマリアージュとは考え方が根本的に違う 和の心といったらよいか 止揚ではなく調和を求めます 1+1は2になりますが 1✕1はどこまで行っても1のままです[02] … Continue reading
近ごろフランスで認められたとか ヨーロッパのアワードで部門賞を取った とかの日本酒が喧伝されています 共通するのが「純米吟醸」と称する酒です これらは正確には吟醸酒と呼ぶべきでありません フランスのワインと違って厳密に規定されていないため 曖昧な表記が使われるのです(国税庁の「特定名称の清酒の表示」では実質的に精米歩合だけの規定です)
吟醸づくりは各工程でいくつものチェックポイントがあり 吟味して醸すゆえ吟醸といいます また低温長期発酵と原料アルコールで吟醸香が生まれます[03] … Continue reading
これらの手間を省いて 誰が造っても吟醸香を作り出せる1601酵母や1801酵母ができました 原料アルコールなしで吟醸香が出るため 純米吟醸・大吟醸なる酒が生まれたのです 最近のことです つまり吟醸香がする純米酒というものであって 吟醸造りではありません

吟醸づくりでないから 洗練された雑味のない酒とはなりません よく言えば香りと個性の強い酒 甘い酸っぱいと自己主張のある酒です これがワインに馴れた料理人に受け容れられたのでしょう ワインは野性味のある複雑な味を評価しますから 客受けして使いやすいのかもしれない[04] … Continue reading
原料アルコール(醸造用アルコール)添加は酒精強化ワインにも使われる技術です もともとは腐造防止と貯蔵のためでした 副産物として香気の高い酒が生まれたのです
ドサージュやシャプタリザシオンは 醸造用糖類の添加を意味します また日本酒では添加されることのない酸化防止材が ワインには必ずといってよいほど入っています
純米酒はあっても純ブドウ酒は存在しないのです(添加物を極力使わないとするのがビオワイン?) いずれにしても長期保存や広域流通のための技術ですから 一概にいけない事ともいえません 百閒翁が愛飲していたのは瓶詰めの灘の酒でした 蔵元で玉割りするので品質が安定していてよいという理由です[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 小津監督の「秋刀魚の味」に 今は地位・声望もあり一廉の人物となった教え子たちが 恩師をもてなすシーンがありました 東野英治郎の酔っ払う演技が実に至芸でした 東京物語でもだらしなく酔う姿を演じています あの方は実生活でも酒を飲むのでしょうか あそこまで精妙に酔っ払いの姿を捉えるのは 下戸のような気がします
02 色盲と同じように味盲かあり 西洋人の30%日本人は10%ほどが 一定の味覚を感じ難いそうです ワインに慣れたヨーロッパの人たちが 精妙な日本酒の味を理解できないのも無理ありません
03 吟醸酒は本来鑑評会に出品する酒でした 市販が目的でなく手間をかけた特殊な作り方をします 吟醸香だけではないのです 鑑評会にもトレンドはあり 吟醸香のため山田錦と協会9号が必須とされた時期もありました 米と水と麹のみの昔ながらの造りで吟醸香はできません
04 ○祭・十四◇・△雪といった酒は外国人受けする日本風というのでしょうか アメリカ等のフランス料理レストランで供されています アメリカ人やフランス人に繊細な日本酒の味はわからんでしょう まったく関係ないのですが 近ごろ同じように外国人に人気の居合抜きがあります 天心流兵法といいます
道場主だか師範だかが演武している動画がありました 見ると身体の軸がブレているのです アレ?と思って公式ホームページを確認したら もともと香具師の大道芸(ガマの膏売り)だったのですね ただただ刀を早く抜くだけの見世物です 派手で分かりやすい侍パフォーマンスですから 外国人受けするのでしょう
05 ガラスの一升瓶を初めて使ったのは灘の酒蔵です 江戸時代の下り酒は伏見が主でした 江戸の酒問屋のなかには 玉割りするとき地酒をブレンドして 自店銘柄で売るところもあったようです そこで後発の灘は「灘の生一本」のキャッチフレーズで売り込みました 問屋や小売店が玉割りするのは昭和初期まで続いていました 一升瓶入りの酒は割り水に仕込み水を使いますから品質管理に責任が持てる そんな事情から一升瓶は酒造メーカー所有です なので昔は瓶を回収していました
生一本といっても もろみ桶でそれぞれ発酵具合が違いますから 搾った酒を囲い桶で貯蔵するときにブレンドします ワインの場合ほとんど自然任せで 桶ごとの違いは日本酒よりさらに大きくなります 貯蔵の際はいろいろな産地や醸造年度のものをブレンドするので 買い酒(桶買い)が当たり前です 生一本なんて言葉はありません 気候に恵まれた単年度産のワインをビンテージといって特別扱いすることはあります ブルゴーニュ・ワインなどは醸造より ブレンドで銘柄を作ると言ってよいでしょう

カテゴリー: マーケティング戦略論 日本の伝統・本流