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投稿者: 一醉

ヤフージャパン_銀行詐欺

インターネットの世界の栄枯盛衰はめまぐるしく すっかり影が薄くなったアメリカヤフーが消滅かという事態なのに ヤフージャパン(ソフトバンク=孫正義)は他人事のように平気な顔をしています それどころか ますます我が世の春を謳歌しているようです

名前が同じでも アメリカと日本のヤフーのビジネスモデルは全然異なります(いわゆるガラケーと同じく 日本だけに通用するモデルでもありますが)
ヤフージャパンにとって サーチエンジンの精度なんて関係ありません 何でもいいんです ヤフージャパン独自の技術というのは 検索結果の上位にヤフースポンサードサーチ広告や ビジネスエクスプレスのカテゴリー登録サイトという広告を載っけることでした

検索エンジンがGoogleに変わっても 相変わらずヤフージャパンの画面では オーガニックの検索結果とリスティング広告の区別がつかないようにしていました キーワードによっては1ページ目を ほとんどリスティング広告が占めたりします 間違ってクリックしてもらうことで ヤフージャパンに広告料金が入るわけです
さすがに そのような検索画面表示は改められましたが このたびの京都銀行を騙った詐欺事件を見ると 相変わらず間違ってクリックするユーザーは多いようです

さらに驚いたことにヤフージャパンは グーグルが排除しようとしている リンクを集めただけの低品質なコンテンツを量産する「NAVERまとめ」と提携し 優先的に上位表示するようになりました(12億PVの「ネイバーまとめ」取り込む ヤフー提携)
この「NAVERまとめ」は ご存知のように韓国資本のLINEが運営するサイトです インセンティブ(報酬)を使ってリンク集ページを作らせるのですから限りなくグレーです
これをオーガニック検索に紛れ込ませて どうするつもりでしょうか ヤラセ・サクラが横行するのは目に見えています

(4月3日 加筆)

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広告費の半分は無駄

「広告費の半分が無駄なのは知っている だが どっちの半分なのかが分からないのだ…」という ワナメーカーさんの言葉があります 現場の印象では70%〜90%が無駄じゃないかという感じです[01] … Continue reading
とにかくマス媒体は効率が悪い(無駄な金がかかりすぎる) でも狙いが的確にあたると 飛躍的にレスポンスが上がることもあります

webでは狙いを定めやすいですね ただしGoogle様やAmazon様のまねをして ビッグデータみたいなことを言い出すと 昔の広告の非効率に戻りそうな気がします (Amazonのビッグデータ活用はすごいですよ)
ビッグデータは納得しやすい数値化が目的ではありません 人間の思考回路とは異なる別な方法論です

そういうことを言い出す人は 結局デモグラフィックデータとか 定量調査とかと同じ発想しかできてないんじゃないかなと思います
Amazonがやっていることと従前のリサーチの大きな違いは 抽出したり因果関係を絡めず そこにあるデータ(Amazonなら購買履歴等)のみに基づくということです 年齢・性別・職業・趣味などはまったく関係なく 人間が数字で解釈できるものでもない

狙いを定めるって 相手の嗜好に合わせることじゃなくて共感を得ることですから 何というか お客様と作る側売る側が 感動を共有する経験です これは社員全員が共有しなければなりません
大事なことです 理念の統一・徹底が条件(Amazonの幹部は「ジェフボット」と呼ばれるほど 創業者の理念を体現しているそうです)

お客様を5段階に分類するというのを見かけました それほど独自性はないと思いますので そのまま引用しますと

1.潜在客 2.見込客 3.利用客 4.顧客 5.得意客

となります

これを広告の古典AIDMAと対応させてみると けっこう共通しそうです

1.Attention(注意)2.Interest(関心)3.Desire(欲求)4.Memory(記憶)5.Action(行動)

⒈潜在客に注意を喚起して ⒉関心を持たせれば見込客になる ⒊さらに欲求をかき立てることで購買につながり ⒋使って満足すればリピーター(顧みる客)になります ⒌ファン(意を得る客)になれば 次は伝道者として行動します

広告費はどの段階にかかるかというと もちろん⒈と⒉です 不特定多数ですから当然効率は悪くなります(AIDMAの本来の趣旨は 購買に至るそれぞれのステージに広告が関わるといったことですが ⒋⒌は広告とあまり関係ないでしょう)
また商売をするにあたって お客様の重要度から見ると ⒌⒋⒊⒉⒈の順になります いわゆるパレートの法則ですね 2割の得意客が8割の売り上げを持ってくるというやつ

これでいけば 広告費の半分が有効に使われているなら上出来です やっぱり普通は7〜9割が無駄な気がする
webを広告媒体と考えて昔と同じやり方をやっていたら 同じような無駄遣いとなるでしょう webには 潜在客に広くアプローチする力も 見込客を掘り起こす力もありません

webにできてマス広告では難しいこと それはお客様(⒋顧客と⒌得意客)にも参加してもらうことです お客様だけでなく社員全員も参加します 広告が関与できない部分をwebが担うのです
これがwebマーケティングの本質である インタラクティブ(双方向性)です 当所がフェイスブックページも組み込んでいるのは お客様参加型のマーケティングを進めるためです

コーポレート・スローガンっぽく言葉にすれば「お客様と感動を分かち合う」ですか アメリカなんかでは「ワクワクする経験」とか言いますね でもこういう言い方 日本ではあまり受け容れられません

ただ規模の大きい企業では無理です 中小企業に適した施策です 金もあまりかからないですから それと数字でしか理解できない経営者にも勧められません 数値化してしまうと人間(お客様)の行動は分かりません
エモーショナルな部分で動く事が多いですし だいたい数字は嘘をつきます 嘘という言い方が悪ければ 結論に合わせて都合のいい数字を持ってくることが多い

註釈

註釈
01 たしかTVCMの総到達率が60〜70%でした そこまで認知されればCMは成功なのです この数字は経験則に過ぎず しかも莫大な料金は計算に入れてません 本当にどの半分が無駄なのかはわからないのです
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平等と無秩序(1票の格差)

どのような制度が最善かは言えない アメリカの上院議員は人口に関係なく各州2名ずつが定数 下院議員は人口比例で選出されるが いかに人口が少なくても1州で1名は選出される アメリカで1票の平等などという屁理屈は聞かれない(州の人口比は最大で約60倍)
その上アメリカの人口は日本の倍以上なのに 連邦議会の議員数は日本の国会より少ない 1票の格差とやらの戯言(たわごと)に習えば 日本の1票はアメリカの3分の1の価値しかないわけだ

2019年2月16日追記=2月24日に予定されている 沖縄の県民投票は「賛成」「反対」「どちらでもない」の3者択一なのだそうです 愚劣極まりない 「どうでもいい」人がわざわざ投票することないのを見越してですね
日本で世論調査などのアンケートをとると 賛成20%・反対20%・どちらでもない60%の結果になったりします 案外「どうでもいい」が過半数だったり?)

「プラトンが神はつねに幾何学をやっていると言っているのはどういう意味か」

リュクルゴスはスパルタから算術的比例という考え方を追放した。民主主義的、民主迎合的だからという次第だ。そしてそのかわりに導入したのが、中庸を得た寡頭制あるいは法を順守する王制にふさわしいというので、幾何学的比例だ。算術的比例は各員に同数を分配するのに対して、幾何学的比例はおのおのの価値に応じて比率を定めて分配するのだ。これは猫も杓子もすべてを同じ割合で混ぜたりはしない。良いものと悪いものをはっきり区別する。各人が自分のものとして分け前を受けるにも、決して秤や籤で決めるのではなく、各人の優劣の差に応じて受ける。神様が我々の行為を判定なさる時もこの比例をお使いになる、そしてそれが正義とか罰というものなんだな、テュンダレス君。そしてその正義は我々にむかって、正義は等しい(公正な)ものだが、等しいことが正しいと考えてはならぬ、と語りかけ教えているのだ。民衆が求めている平等というのは、あらゆる不正の中で最悪の不正であり、神はできるだけそれを召し上げようとなさる。が一方で神様は、価値によっての区別は守り通される。幾何学的比例に従い、それを法にかなった尺度とお決めになってね。
……(中略)…… 神の宇宙創造にしても、もとは無限定であった素材に限界を与えるという仕方以外で行われたわけではない。……(中略)…… 人々が無限と呼んだのは、大きさや数の点においてではなく、素材が無秩序・無調和という状態にあったことなのだ。というのは、形とか配列とかいうのは、すべて形を与えられ配列させられるものにとっては限界を与えられることで、もしこのように限界を与えられなかったら、それらのものは、それ自身では形もなく配列されてもいないものだからだ。……(中略)…… 素材は絶えずもとの無限定に逆戻りしようとしてあがき、幾何学的に秩序づけられるのを逃れようとするが、理性がそれをとらえ、線で囲み、形や性質の相場に応じて分け、それがありとあらゆるものの発生と構成ということになっていく。
……(中略)…… そして素材は物の中で最も無秩序なもの、形相は思惟される図形の中で最も美しいもの、神は原因の中で最も善なるものだ。神の思し召しでは、できるかぎり、手を触れずに無限定のまま放置されるものがないようにし、比例と尺度と数によって、自然を秩序あるものにならせる、そして何らかの形相的なものと何がしかの物質を持っているあらゆるものから、一つの統一されたるものを造る、そういうことになっていた。かくて神はこういう問題をみずからに課せられると、素材と形相というものはすでにあるので、三番目のものとして物質に等しく形相に相似であるもの、すなわち宇宙を造りたまい、これをたえず見守っていらっしゃる。

(食卓歓談集_プルタルコス_柳沼重剛_岩波文庫より)

一見レトリックですが 宇宙や自然に神の意志を感じることが宗教の始まりです 科学なんてしょせん後理屈にすぎません 理屈を捏ね回しても自家撞着に陥るばかり 真実は神に委ねるしかないかもしれない

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