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カテゴリー: マーケティング戦略論

TVCMとweb

TVCMもずいぶん様変わりした感があります サントリー 資生堂といった有名どころの出稿がほとんどなくなりました
代わりに目立つのが タイアップやインフォマーシャル(本来の意味ではない)などペイドパブです タイムにしろスポットにしろ映像表現に注力したCMは姿を消しました
印象に残っているのは小西六のCMです フィルムメーカーだけに素晴らしい映像美でした コニカはもうなくなりました ヤシカ・ペンタックス・ミノルタも消滅しました

広告主が入れ替わる状況の始まりは サラ金のCMあたりからでしょうか その次が外資系の生命保険でした 一時パチンコのCMが多く出稿されました これはそんなに続かなかったようです 公営ギャンブルはCMをやっていますが
今はとにかく健康食品と通販化粧品です TV黎明期のなりふり構わぬ絶叫CMが復活してしまいました 外資系医薬品の脅迫型ネガティブ・アプローチも嫌ですね(肺炎予防だなんて どう考えても詐欺紛いでしょう) 明らかに退化しているとしか思えない
嫌われるのは それだけ印象に残っていることだから広告としては成功 なんて言い草はやはり言い訳です

もう一つ気になるのが 通信機器(スマートフォン)CMの違和感です 日本人の感覚と違います 韓国製が多いからです センスのズレを感じます そのためか最近はメーカー名を伏せています
ソーシャルゲーム関係とかスマートフォンアプリのCMも ほとんど韓国資本か中国系でしょう 詐欺的な課金や情報漏洩の被害が続出しています メガネのCMもそうですね 日本勢は駆逐されそうです
あと過払い金返還のCM サラ金が銀行系例になって辞めていった幹部たちが それまでの名簿を使い同じネタでもう一度稼いでいるわけです 高利貸し(銀行含む)は利息の取り立てで生計を立てていますから プラスであろうとマイナスであろうと利息で商売するのは自然な流れか 

また妙なストーリー仕立てにしたCMも目につきます これも単なる悪ふざけに留まっているようにしか見えません
かつてのサントリー「南アルプス天然水」は良かったですね 高校生が卒業して都会に就職し やがて故郷に帰り 憧れていた先輩と結婚 二人の間にできた娘が やはり同じ高校に通っているところで終わりました 途中では離婚もあり 決して平坦な人生ではなかった まぁドラマとしてみれば いたって平板な流れですけれど 1年に1作で11年続いたそうです

地方局の地元企業CMだと企業広告でも 社長をはじめ従業員全員が出演なんてのが よくありました ホームページで社長やスタッフの顔写真を出すのが多いのは あの感覚なんでしょうか
中小の会社や地方の会社は いまだにホームページを安価なTVCMの代わりと認識しているのかもしれません Flashの頃はまだ映像表現の意識があったと思います jQueryのエフェクトは いまのTV番組画面とか通販化粧品や健康食品CMそのまま 動くチラシです

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鉄砲の戦国から江戸時代

根来衆はもと僧兵だったといいます 得意とする鉄砲は切支丹から供給されたと思われます 僧兵が切支丹伴天連と関わりあるはずないと考えがちですが 僧兵は武装した僧ではなく 僧形の兵(野臥せり)です ヨーロッパの騎士団[01] … Continue readingと比べれば とくに信仰心が篤かったわけではないでしょう

戦国時代で鉄砲と結びつくのは何といっても織田信長です 信長といえば切支丹との関係が強いイメージがあります 戦術面でも根来衆との協力関係は考えられます
とくに一向一揆対策のため切支丹と結びつきました 高野山の僧兵は僧形をしていただけですが 一向一揆は信仰心からの団結ですから手こずりました 雑賀衆と一向一揆に直接の関係はないと思います

織田信長の配下は連合軍です 野伏[02] … Continue readingなどの混成部隊で弓矢と槍の連携に難があったかもしれません 鉄砲は弓矢に比べて習熟が容易だったのかどうか分かりません
鉄砲は重いし反動があり 何より連射ができないので 野戦では使いにくいと思います 長篠(設楽原)の戦いでも馬防柵の内側で待ち伏せする運用です

上杉謙信に切支丹との接点は見当たりません あれほどの合戦上手なのに鉄砲はほとんど使わなかったようです 戦国時代の合戦は 弓矢で制圧射撃した後 槍で突き崩して勝敗が決します
上杉謙信の軍勢は本を正せば新田越後守の精兵ですから 弓槍の術に長けていました とくに謙信の戦い方は戦場機動を重視します あえて鉄砲を使う利点はなかったのではないか 鉄砲は防御に向いた兵器です

信長の軍勢(柴田勝家)が上杉軍と戦ったことが一度だけあります 手取川の合戦です 会戦ではなく遭遇戦だったのですが まるで相手にならなかったようです
信長公記にこの大敗は記されていません 負け戦は書きたくないでしょうね どういうわけか この時羽柴秀吉は途中で引き返し参戦していません 猪武者の柴田勝家と違って勝ち目のない戦を避けたのかも

謙信軍の春日槍は3間の長さでした 槍は長いほうが有利です しかし今度は取り回しが難しくなります 織田軍(柴田兵)の足軽は鉄砲を装備していたかもしれない そうすると弓矢ではなく槍の代わりということになります 火縄銃の射程距離は槍の十倍はありますが 遭遇戦や白兵戦では役に立ちそうもないですね

豊臣秀吉は軍勢の練度ではなく物量で圧倒する戦い方です これも信長に倣った戦略でしょう 出自が弓矢の家ではありませんから遮二無二突き進むことはなく 彼我の戦力を冷静に判断したものと思われます 強襲はどちらも被害が大きいですから[03] … Continue reading

長篠の戦いのあと戦術が変わったなんて事実はありません 戦いの様相が変わるのは25年後の関ヶ原の戦い以降ではないでしょうか
太閤検地・刀狩りによって武士と農民が区分けされたため 戦国以来の弓矢の家は凋落し 軍の編成が変わりました もはや弓矢と槍は主力兵器ではなくなったのです

大坂冬の陣では5000の真田軍が数万の徳川方を撃退したと伝わります 攻守3倍といいますから奇跡的というほどではありません 長篠城の攻防もそんなものでした 真田丸には狭間筒という銃が装備されていました 長銃身で有効射程が飛躍的に長く 防御側に有利です 後の時代の重機関銃に相当するものでしょう

冬の陣の和睦で大坂城の外堀が埋め立てられました 本丸が大筒の射程距離内になり直撃できる状態でした 夏の陣は徳川方の騙し討みたいなものです
この攻城戦で初めて大筒が使われたと言ってよいかと思います 城そのものを破壊する攻撃です 大坂城が緊要地形に建てられた城塞でなく 居住用であり権威の象徴であったための戦術でしょう

徳川の世になってからの大きな戦いである島原の乱の時は 追放された宣教師が九州に残置した切支丹信徒に鉄砲を渡して蜂起させました やはり原城に篭っての籠城戦です
なお 入り鉄砲に出女が言われ始めたのは 大坂の役および参覲交代の制が直接のきっかけであろうと推測します

註釈

註釈
01 騎士団は十字軍のとき出来ました 別にナイトの軍団ではなく 自らを騎士になぞらえた民衆を ローマ教皇が公認したものです 貴族制のことはよく分からないのですが ナイトは爵位のうちに入らず 勲功のあった者が叙任され一代限りだったと思います 遍歴の騎士は物語の中だけです
02 野武士・野伏は戦国時代 特定の勢力に与せず領地を失った小集団の豪族です(蜂須賀小六など) 足軽として傭兵になったり 請負でゲリラ的な活動をしていました 山伏や乱波・素破も同様の存在です 戦国時代のあとは山賊・盗賊の類となった者達も多いでしょう(石川五右衛門など)
03 よく言われる車懸りとか鶴翼の陣とかは 中国人が例によって無理やり体系化したものです 全員騎乗して平原ならできなくもないが 地形を無視した布陣はありえない 無駄な機動はしません 戦場の心得の第一はできるだけ体力を温存することです 妻女山を夜迂回したり鞭声粛粛〜♪夜川を渡る おそらく各個撃破や分進合撃のことを言ってるんじゃないですか
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雀とパン屑

いつだったか フランスが本店のレストランが作るパンを買ったことがあります
かなりの値段でしたし 普段 そういうものに価値を置かないと公言しているのですが 店の裏の工場で焼いているのを見て つい買ってしまいました
皮がパリパリで沢山のパン屑が出たので 何気なくベランダに撒いてみました すると雀がやってきて夢中で食べるのです かなりの量をたちまち平らげてしまいました

何日か後 その高級パンがなくなり いつものヤマザキ食パンを朝食に食べました 試しにパン屑をベランダに撒いてみました ついでに魚沼コシヒカリの米粒も一緒に撒きました
やはり雀がやってきて啄んでいます しばらくしてベランダを見ましたら なんと米粒だけを選って食べ パン屑はそっくり残しているのです

フランス産小麦粉[01] … Continue readingと思われるパンは 大変うまいものでした しかしヤマザキのパンも 食べられないほどひどくはありません
それなのに雀はまったく口(嘴)を付けないのです 添加物の臭いを敏感に嗅ぎ取ったのでしょうか きっと野生の知恵で有害なものを避けたのです

2020年4月1日追記=ヤマザキが北海道で売っていた食パンの原材料表示に 嘘が書いてあることが明らかになりました もともと原料表示は量の多い順番で スペースに書ききれない微量の添加物は表記されません しかしヤマザキは故意に嘘の表示をしていました
ヤマザキに限りません 生協のプチ・シュークリームやおかきは 下請工場の通常製品をパッケージだけ変えて詰めたものです その銀色パッケージには 麗々しく無添加天然と書いてありました 嘘の表示はずいぶん前からあったのです)

あるとき知人が個展を開くというので 銀座の画廊へ見に行きました 帰りがけ三越デパートの地下にあったJOHANという店でパンを買いました
家で食べましたが これが不味いのです 値はヤマザキパンの3倍以上もします それなのに小麦粉の香りがないし食感もだめです 材料と焼き方だけの問題だろうか

パン屑をベランダに撒いてみました 案の定 雀は見向きもしません 3日経ってもそのまま残っています JOHANはインストアベーカリーの走りだそうです 個別包装しなければ添加物表示の義務はありません
インストアベーカリーといっても 成型二次発酵の冷凍生地を焼くだけです 温泉まんじゅうと大差ない見せかけだけの売り方です (冒頭に掲げたパン工場はガラス窓のかなり広い部屋でした)

ある方から湯河原のパンをいただいたことがあります 小さな店ですが長蛇の列で整理券を配っていたそうです なんでも天然酵母かなんかのパンで TVで幾度も紹介されたとかいってました けっこうな価格だったみたいです
せっかく貰ったものを申し訳ないのですが話になりません 味を云々するどころか出来損ないのパンです なぜこれが評判なのか理解できない 少なくとも職人の気概は感じられないものです 手作り風(素人風)がよいのだろうか?[02] … Continue reading

このパン屑はベランダに撒きませんでした(モッチリしていてパン屑がほとんど出なかったのです) ですから雀がどう判断したかも分かりません 人の味覚も価値観も違います[03] … Continue reading(※なので上記はあくまで「個人の感想」です)
付加価値で売ろうとしない まじめに作った普通においしい 町のパン屋さんがなくなった(成り立たなくなった)のは確かです 昔「あたり前田のクラッカー」というフレーズがありました 当たり前においしいことが いかに大事かを語っていた?

2020年11月16日追記=京都志津屋さんのパン カルネを初めて食べました これは価値があります 特にパンそのものが素晴らしい ハム1枚と少量の玉ねぎ自家製マーガリンだけのシンプルな味です オフィシャルサイトを見るとドイツ風フランスパン!と書いてありました なるほど昨今のふわふわ・もちもちパンとは一線を画す実直な作り 久しぶりの美味いパンでした)

蛇足なんですけれど スイスのパンは不味いという定評があります 国民皆兵のスイスでは常時戦争に備えていて 兵糧米ならぬ兵糧麦を備蓄しています 古い小麦から食べていきますので どうしても美味いパンは焼けません
チーズなど保存食品の生産が盛んなのも同じ理由です チーズフォンデュは古く固くなったパンを食べるため考えだされました まさに陣中食ですね 越後の「ケンサン焼き」が思い起こされます 味噌を塗った強飯の握り飯を 湯漬けで食べる陣中食です

註釈

註釈
01 かつて国産の小麦粉ではパンが焼けないと言われました その通りで小麦粉の質が違います 今では国産小麦粉も品種改良されて パンに使えるようになりました それでも素材の素性は品質を決定します フランスの小麦粉で焼くからフランスパンなのです
02 昔物好きにライ麦を使ったドイツ風パンを買いました 販売店の人が できるだけ薄く切って食べるといいと教えてくれました その通りにすると大変うまい ハードな食感を意識した切り方でした 販売する人も美味しい食べ方を伝えてくれる 自分の作るパンの味に自信を持っているのです
03 私の味覚では「もちもちパン」が嫌です ネチネチした食味は本当にまずい 「ふわふわパン」は不思議です 食パンを冷蔵してはいけないと かつては言われました ふわふわパンは1週間冷蔵庫に入れておいてもフンワリしています もちもちパンはタピオカ粉に似た澱粉を使うようです ふわふわパンは専用酵母があります
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