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タグ: 植民地

キリシタンバテレン

イエズス会

もし織田信長が天下を取っていたら 日本は植民地化されていたかもしれません 信長はイエズス会と組んでいました あるいはイエズス会に利用されていた イエズス会のお先棒を担いでいたと いえるんじゃないか
戦国時代には キリシタン大名がかなりいました イエズス会によって 改宗したのですが 大名からすれば鉄砲とバーター取引のつもりだったでしょう 戦国大名で最大の得意先が信長でした

宣教師は植民地政策の先遣部隊であり 宣撫担当でもありました 支配層にキリスト教を布教し 利益供与します やがて武力によって侵攻し 支配層に特権を与え二重支配・間接支配するのが常道です
信長はイエズス会に協力することで 自らの勢力伸張を図りました キリシタン大名を認め多くの鉄砲を手に入れたのです[01] … Continue reading もっとも南蛮かぶれではありましたが 教化はされてないみたいです
それでもイエズス会の意を汲んでか 比叡山焼き討ちや一向宗へなどあからさまな宗教弾圧をやっています

九州・堺ではうまくいくかに見えました しかし日本は明確な身分制度がない下克上の国です 大名たちは支配階級ではなかったのです
信長が本能寺に倒れ イエズス会の日本侵略は頓挫しました 後に立った豊臣秀吉と徳川家康は見事でした キリシタンを禁教としたのです
この対応がなければ 日本も他国同様に植民地化されていたかもしれません イエズス会の日本侵略は 島原の乱鎮圧でようやく終焉しました[02] … Continue reading

東南アジア、中国

東南アジアでは外にシャム王国(タイ)が植民地化から免れています タイは敬虔な仏教の国です 侵略しにくかったと思われます また山田長政や津田又左右衛門が日本兵を率いて アユタヤ王朝を侵略しようとしたスペイン艦隊を撃退した史実もあります 和冦の末裔です

ヨーロッパ諸国による植民地経営は キリスト教と深い関連があります 絶対的で唯一の権威・正義に基づくのです 根底に選民意識がありますから 異教徒を支配することにためらいはない
日本には八百万の神々がいます 柔軟で多様性の国なのです 下克上の精神もそこから来ている 仏教もまた数多くの仏がおわす曼陀羅の世界です タイも多様性の国なのでしょう

仏教は中国から朝鮮を経て渡来したと 教科書に書いてありました しかし中国大陸・朝鮮半島とも仏教は根付かず 単に通過しただけです
大陸・半島は 覇王や両班が支配する身分制度・階級制の国だったから 多様性を認めません それだけに植民地化しやすかったのです 半島はキリスト教で教化されました

インドの独立を契機に ヨーロッパ諸国は植民地から手を引きました 代わりに中国の覇権主義が 国内ばかりか周辺国にも及びはじめています 従来は陸続きの他国・他民族の支配だけでした 今は海洋進出が顕著です
フィリピンは中国の軍門に降りそうです フィリピンがキリスト教国となっているのは 大航海時代の航路に位置していたことが一つの要因です 現在でももちろん軍事的な要衝に変わりありません フィリピン近海の南沙諸島に軍事基地を作れば 台湾と沖縄の侵略は極めて現実味を帯びてくるでしょう

中国の覇権主義

台湾はもともと大陸の統治下ではありません 蒋介石一統が渡ったため ここを統治しない限り国共内戦は終わらず 中国の覇権が完成しないのです また太平洋進出の障碍であり足がかりでもあります
現在の中国大陸は 共産党の一党独裁という体制をとっています 中華という名が示すように 漢民族にも選民意識があります 周りの国を属国と見なすのは キリスト教国と同様の発想です
共産主義を標榜しているといえ 毛沢東は戦略として採用しただけ 目指すはソ連のような強権に基づく連邦国です 中国は資本主義どころか封建制ですらなかったのです なのに社会主義革命が起きた? スターリンも同様に共産主義を利用していました ロシアは農奴の国で資本家なんていなかったのです

共産主義もキリスト教の教義をなぞった善悪二元論ですから キリスト教の一派といえます[03] … Continue reading ソ連からロシアに戻るとプーチンはロシア正教の信者を表明しました 宗派が変わっただけです
ロシアと違い中国に一神教の歴史はなく 拝金主義の国らしく[04] … Continue reading軍事とともに経済的にも周辺を支配しようとしています 海洋進出・制海権確保はそのために必要な政策・軍略です

註釈

註釈
01 鉄砲だけでなく積極的に海外と交易し 楽市楽座のように流通の活発化も推進しています これに取り入り利用したのが千利休です 豊臣秀吉がのちに利休を誅伐していますが イエズス会と通じていたのかもしれません イエズス会の根拠地は堺に置かれていましたから 十分あり得ることです
千利休は茶道を大名に取り入る手立てとし 茶道具を売ることで利益を得ました 秀吉も茶道は認めていますが 大名の趣味ではなく庶民に開放しました
02 島原の乱を重税にあえぐ農民の蜂起としてはいけません 武士階級・農民階級などという身分制はないのです 転封によって新しい領主となった者と旧領主遺民の対立と見るのが正確です たとえば越後でも年貢の取り分を争った上杉遺民一揆が起きています
旧領主はキリシタン大名でしたから 領主から離れ帰農した遺臣も やはりキリシタンでした 主装備が弓槍でなく鉄砲だったのはそのためです 背後に外国勢力があり下克上の精神とは異なる 一揆とは呼べない代理戦争です
03 ものすごく大雑把に言ってしまうと 資本家は悪魔の手先 共産党は教会 資本論は聖書 労働者が信者になると 天使に導かれた人民軍として 共産革命(ハルマゲドン)へと突き進みます ハルマゲドンは未来の最終戦争ですから 現在は共産主義でない過渡期の社会主義ということになります
04 習近平は終身独裁制を成し遂げました スターリンと違うのは 粛清の対象が政敵というより 利権によるカネの独占だということです 拝金主義の面目躍如です
中国人の宗教観は 父祖崇拝と現世利益を求めるのが特徴です 人の生き死にを語らず興味もない 現実主義というか金権主義というか
そして選民意識があります 選民意識は差別主義や覇権主義につながりますが これは天性であって 最初から決まっていることなのです
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例と時、文献偏重と証拠

鎌倉時代に書かれた「塵塚物語」で面白い話があります 某公卿が山名宗全に対し過去の例を引いて 当時の社会情勢につき自説を縷々と述べたという内容です
山名宗全は 過去の事例はその時代のことである 例を時といったほうがいい 過去にばかり囚われるから あなたは失敗したのではないかといいます

説話集なので 事実に即してないという向きもあります 歴史上の事実とかそういう話じゃない 時代背景も状況も違うのだから 過去の例はそのまま参考にはならないということです

前例主義の役人ばかりでなく 文献第一の歴史学者にも当てはまりそうな気がします 文献なんて意識せずとも書いた者の立場で事実を解釈してます
とくに役人が作る公的な文書は 政治的な意図を持っていると見た方がいい 私的な日記や言い伝え・伝承の方が 一面的・部分的ではあるが真実に近い[01] … Continue reading

文献に書かれた過去の例を否定するつもりじゃないが 一字一句をそのまま事実とするのは違うと思います やはりある程度の想像力は必要でないですか このブログに書いていることも私の個人的な推測が多い[02] … Continue reading
最近ファクトチェックなんていってますが 証拠集めのつもりでしょうか 権威筋とされる者の見解や 一次資料・原典といったって 必ず事実に即しているとはいえない 所詮事実は書かれた時点で過去のものです

証拠を集めて自説を補強するよりも 資料を読み解くというか 因果関係からストーリーを組み立てる方が 真実に肉薄する気がします 証拠や文献にばかり頼るのは権威主義の一種かと思います[03] … Continue reading
慰安婦問題や加計学院といった でっち上げ新聞記事はデマゴギーというよりプロパガンダですから さらに悪質です インターネットの世界に溢れる いわゆるフェイクニュース(ガセネタ)から真実を読み取ることもできます
一部新聞の執拗なキャンペーンにも関わらず 先の衆院選で安定政権を選んだのは 国民の良識を反映しています

検事調書が最初に事件のストーリーを組み立てて 自白を当てはめていくといいます ストーリーは証拠品で事実と認定されたことに基づくのですが すでに終わった事件であり完全な真実を描くことはできません
不完全を補うため当事者・容疑者の供述が必要です しかし犯罪者は罪を繕おうと 自分に都合がいいよう真実をねじ曲げます 嘘つきは泥棒の始まりといいます 犯罪者は嘘をつくことに慣れていて巧みです
嘘つきとの攻防が取り調べなのです アメリカなどで司法取引が行われるのも 検事が事件の絵を描くのもそのためです

註釈

註釈
01 文献主義はキリスト教の考えから来ているのではないかと思いますが どうでしょう キリスト教で最も大切な価値あるものは聖書です キリストの口を借りて人類に届けられた 神の言葉を使徒が書き留めたのが聖書ですから 絶対の権威なのです 聖書に書かれたことが真実 文字に書き留められたものを絶対視し崇め奉るのが文献主義です
02 中世史研究で 絵画史料論という分野があるそうです 文献ではなく絵に描かれたものを読み解くのです たしかに具体的だし偏った思惑が入る余地が少なそうです 幸い日本には 絵図・絵巻物・襖絵などの絵画史料が豊富にあります しかも大衆を描いたものが多い ヨーロッパなどは宗教画や貴族の肖像画ですね
03 戦国時代の宣教師フロイスが書いた報告書は大変参考になります 宣教師は時の権力に取り入ります イエズス会は布教だけでなく情報機関として活動していました それは布教と植民地支配が一体だったから ですから情報ソースの確度はかなり高い
といっても所詮外国人の観察ですし 宗教の布教が目的ですから偏見に満ちています やはり参考程度に見たおいたほうがいい 文献を絶対視するのは危険です
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外交と情報

もと外務省職員のM・Sさんが何かの雑誌に ソ連駐在員時代 重要情報を独自に入手したと得々として書いてました トルキスタンかウズベキスタンかどこかの情報屋から買ったというのです それってガセネタに決まってるだろうと思いますけど
情報は人脈から入ります 金で買えるものではない(人脈づくりに金はかかりますが) モサドやバチカンの情報組織が 小規模ながら情報収集力に優れているのは 人脈によります

モサドには世界中のユダヤ人から情報が入ります ユダヤ人は政治・経済の要枢にいる人も多く 重要な情報に接することができます
バチカンもそうです カソリック国の司教・司祭は枢要な人物と常時接しています 重要な情報を打ち明けられることがあるでしょう

ヨーロッパ諸国だけでなく 中国は華僑インドは印僑というように それぞれ世界中にネットワークを張り巡らしています 日本はそのような人脈が全くありません
それどころか 外務省の役人が外交を独占していますから御身大事 あえて火中の栗を拾うようなリスクは犯しません 大使になったら各国要人とパーティーを開いて 大物気分を味わうといったところでしょう

日本は長い間鎖国していて 植民地にならなかった反面 世界の事情に疎く 権謀術数渦巻く外交舞台の経験がなかった
外交戦でロシア・中国や韓国にまで翻弄されているのは やむを得ないことと言えます 役人や政治家ばかりを責めることもできません
ドイツのゲーレン機関もあまり良い評価がされていません 敗戦国というハンデばかりでなく もともと生真面目でそういったことが苦手な国民性なのかもしれません

それに引き換えナポレオン3世なんかすごいですね フランス国内はもとより国際舞台で各国首脳を手玉に取った希代のペテン師です
そこまで行かなくても 第2次大戦前後の東南アジア指導者はしたたかです カンボジアのシアヌークの世渡りなんかは見事なもの これもフランス流なのだろうか
この二人に共通しているのは 皇帝や王族という立場を最大限利用していることです やはり外交・国際関係は人脈がものをいいます

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