コンテンツへスキップ →

タグ: 読者

食文化

酒の文化

雁屋哲原作「美味しんぼ」第54集《日本酒の実力》が 日本酒に対し誤解を招く内容を描いていたそうです 美味しんぼが参考にした元ネタは 日本消費者連盟が編纂し三一書房が発行した書籍「ほんものの酒を!」です この顔ぶれでは プロパガンダ本といわざるを得ないですね[01] … Continue reading

美味しんぼの作者も編集担当も 悪意や政治的意図はなく 不用意に不確かな文献を援用しただけかと思います[02] … Continue reading ストーリー展開は上手いから多くの読者を持ち アニメーション放映もされた作品だけに 影響も大きく日本酒に対する偏見が広まってしまいました 純米酒信仰もその一つです

美味しんぼの前にも 日本酒を扱った漫画「夏子の酒」が描かれています(こちらはTVドラマ化されました) やはり純米酒信仰と醸造アルコールの歪曲がベースになっているとのこと
この漫画のモデルになった酒は 新潟県の酒店(新津市だったか?)がネゴシアンとして作らせ 漫画・TVによるキャンペーンと出荷調整で値を吊り上げた という話を聞いたことがあります

フランスワインにはヴィンテージがあります ワインは葡萄を絞っただけの単発酵の酒ですから 出来不出来はもっぱら葡萄の良し悪しに頼ることになります 良いワインを作るためには 良い葡萄畑を確保するのが絶対条件なのです
葡萄の作柄は天候その他に左右されるため ワインも出来の良い年悪い年があります 良い葡萄が収穫できた年がヴィンテージ[03] … Continue readingとなります

日本酒も主材料である米の品質は大事です 吟醸・大吟醸に山田錦が使われるのは 大粒で平板状心白であることに加え 硬質なことがあげられます 紡錘状心白の五百万石では50%以上磨くと胴割れします 最近できた新潟県の越淡麗は 完全な平板状(線状)心白で 吟醸・大吟醸酒のための酒米といえます
しかし 日本酒は杜氏の技で作るものですから 米の出来不出来だけで品質が決まるわけではありません とくにに吟醸づくりは細心の注意を払って酒造りをします
麹米に白い花が咲いた状態は総ハゼで 麹菌が表面に成長しているのです 吟醸づくりのための麹米は突きハゼといい 菌糸が虎斑状に米に食い込んだ状態です ただ菌糸が米の中心部にまで入ってしまうと あまり良くありません 吟醸づくりに米粒の大きさ硬度は重要です

葡萄と同じく 米の出来もその年の天候等に影響されます 純米酒となると桶ごとに異なる発酵具合を調整するのは極めて難しくなります 吟醸・大吟醸ならばなおさらです 醸造工程で加える原料アルコールも発酵調整技術の一つです
酒米の品種だけでなく産地も重要です 日本酒にはヴィンテージがないので 毎年一定の品質が要求されますから 一つの産地で純米酒を作るのはリスクを伴うでしょう
なお日本酒の柱造りと同様に ワイン醸造でもアルコール添加の技術はあります マディラワイン・シェリー・ポルトワインは 代表的な酒精強化ワインです

フランスワインのヴィンテージは 結局のところ権威付けであり差別化です 商業主義の表れといえます AOCやソムリエだとかネゴシアンなんかもそうです フランス人の商売上手なところです
日本酒の純米信仰や 大吟醸酒の過剰な精白度競争も 同様に商業主義のような気がします ヴィンテージはなくとも 希少価値を演出しプレミアムを付けて売る例はあります
ワインの世界でも ビオワインだのオーガニックワインだのと 新たな差別化が図られているようです 星座の運行に基づいて醸造するとか言ってますから これも純米酒信仰に近いのかもしれない

精米歩合はどうやって測ると思いますか 精米機の糠箱から取り出す糠の重量で計算します 100kgの玄米を投入すれば糠の重量が50kgになった時点で50%精米となります 精米の熱で水分が飛んだり糠の粉が飛散することも考慮に入れ タイミングを見て精米機を止めます
大吟醸酒で酒米の精白度が競われています 大吟醸は精米歩合50%以下ですが 磨けばいいというものでないのです 30%台・20%台に意味があるとは思えません とくに精米歩合が低いほど密度の粗い部分が多くなり 砕米など無効精米は増えます[04] … Continue reading

ダシの文化

1960年代にチャイニーズ・レストラン・シンドロームという言葉がありました 中華料理に大量に使われる化学調味料が 人体に影響を及ぼすという説です
医学的に証明されてはいないようですが チャイニーズレストランが世界中に広まったことと関連しているのでしょう

2013年和食がユネスコのお墨付きをもらったといって 日本では官民あげて喜びました 他からの評価に一喜一憂している姿は 自国の食文化に自信がないからです これも舶来崇拝の裏返しの姿です
評価されたのはダシ味だそうです 甘・辛・酸・苦・塩の五味に加えるべき第六の味だとか 味の素がいう「うま味」は昆布ダシの主成分グルタミン酸です

世界中に広まっていた中華料理に代わり 和食レストランがヨーロッパを中心に見られるようになりました しかし実態は中国人の経営になる 日本食もどきの紛い物が大半でした
フランス人と並んで中国人も大変商売上手です しかも柔軟な発想で 別に自国料理にこだわることはない 儲かると思えば何でも取り入れます
そのうえ 今まで大量に使っていた化学調味料は ダシ味なので 日本料理に転換するのは訳もないことです

ダシ味はもちろん日本の大切な食文化です でも鰹節ダシが正統などということはない 先に書いた正月料理の福島「こづゆ」は 干し貝柱のダシが特徴です
それにダシの素といって売られているのは 鰹節製造工程で出る煮熟の煮汁が原料ですし 多店舗展開の有名料理店では その店の味を再現した 専用ダシの素が使われているという話もあります[05] … Continue reading

和食=ダシ味となり いまや本国日本も何でもダシ味になってしまいました 和食は味を加えるのでなく 引き算の技といわれます 素材の味を引き出すという和食の伝統は失われてしまうのでしょうか
料理に限らず 減塩をうたう梅干しや漬物などの塩蔵品がダシ味になってきました 塩によって熟成される味が忘れられそうです 甚だしいのは煎茶にまで化学調味料が使われることがあったほどです[06] … Continue reading

「味の素」の瓶を見かけることは少なくなりましたが 味の素の売上は落ちていない 加工食品にはほとんど化学調味料が使われているからです それらも(うま味調味料)ダシ味と言い換えています[07] … Continue reading
塩蔵品は本来保存のためです 加えて塩が馴れたころ新たな旨味が生み出されます 健康的な(?)減塩になったため 味を補う目的で人工ダシ味を加えるようになりました それだけならまだしも 保存料・防腐剤まで必要になってきます まったくもって本末転倒です

註釈

註釈
01 一体この連中は何を意図して こんな悪意に満ちたフェイク情報を流すのでしょう 日本文化を卑しめようとするのは単に舶来崇拝なのかな ワインをやたら崇めていますが おフランスにひれ伏している?
02 美味しんぼはろくに取材もしないで フェイクな情報をもっともらしく書くようです ワインは添加物を使わないとか 市販のマヨネーズが植物油と卵と酢と食塩だけで作られるとかです どんな文献を参考にしたのか すべて事実無根デタラメです ワインは酸化防止剤を始めとして添加物だらけです
03 厳密な意味でのヴィンテージは単年度産のものですが ワインは品質を均等にするため通常ブレンドして瓶詰めされます 収穫年度だけでなく多品種をブレンドしたり 他の土地で取れたものをブレンドするのが普通です 日本酒の桶買いと同じことをやっているわけです
04 砕米は要するに米粉(みじん粉)ですから 白糠になってしまいます 糠の重量で精米度を測るので 見かけ上の精白度に影響します また米粒が小さいほど麹菌の菌糸が 中心にまで入ってしまいがちです 過剰な精白は本来の吟醸づくりとかけ離れたものです
05 この頃の人工調味料の進化は凄まじいもので 本物より本物らしい味を作れます たとえば日本酒エッセンスなんかは 銘柄ごとの違いまで作り分けています(日本酒風味のケーキに本当の日本酒を使ったら 燗冷ましの出来損ないになるだけです)
本物よりチョッピリよく描く似顔絵と同じで 特徴を良い方向にデフォルメするのではないですか 実物とそっくりに描くと似ていないと言われてしまいます お椀の蓋を開けたら お出しの香りがプーンと なんかそうだと思います
06 夏目漱石が初めて玉露を飲んだ感想を書いていますが 爽やかで涼しい味だったそうです 昭和50年代から茶畑に窒素肥料を大量に使うようになりました アミノ酸ことにグルタミン酸の含有を増やすためです お茶に旨味が要求されるようになり まるで出し味のような煎茶や玉露がもてはやされたのです ついに味の素を添加した煎茶が流通することになりました
07 ついにダシがうまい煎餅まで現れる始末です タンパク加水分解物をまぶした(魔法の粉ですね) 亀田のハッピーターンあたりが嚆矢かもしれません そういう意味では亀田製菓さん先見の明があった
コメントは受け付けていません

原稿〆切・推敲、編集作業

池波正太郎氏が言ってました たとえ一日でも締め切り前に原稿を手元に置いて見直す そうすると必ず手直しする箇所があると
いったん自分の手を離れた文章は もはや自分の所有ではなく 世の中といいますか読者のものになります

それだけに 印刷原稿は印刷所へ渡す前 慎重に十分に推敲・校正を重ねる必要があります 印刷したあとやり直しはできませんので
その点ホームページはいいですね 公開した後からでも細かい訂正は可能です もちろんコンセプトは後から変えることはできないので 最初に確定しておく必要があります

ホームページは情勢に応じて進化し続けます 作ってしまえばそれまで ということがありません 常にベータ版なのです 永遠に完成しない流動的なメディアです
だからアップした後でも常に見直しを行います これはメンテナンスの一環です

後から訂正が可能とはいえ 適当に作っていい訳じゃない ホームページでも推敲・校正といった編集は欠かせない作業です
近年コンテンツ・イズ・キングなんていいますが 内容の前に誤字・脱字があっては台無しです どんな立派なことを書いてあってもあまり信頼できない

文章の推敲と文字校正をどのようにするか 間違いを起こしやすいのが 紙にプリントして検討することです
A4縦の用紙にホームページを印刷すると内容を一覧できます でも実際にアップしたものをディスプレーで見れば全体の3分の1しか表示されないのです

文字の視認性も紙にプリントしたものとディスプレーではずいぶん違います 紙は読みやすく理解もしやすい(反射光とか透過光とかいろいろ理由があります)
ディスプレーは上下にスクロールしなくてはならないので 長い文章が読みにくく 前後関係がなかなか頭に入りません
テキストエディターで書いたものやプリントした文章を理解できても ホームページにレイアウトすると分かりにくいことがあり 後で部分的に書き直したりもします

紙メディアの場合は 原稿用紙も紙 校正刷りも紙 本も紙 最初から最後まで紙で統一されています ほとんどこのような問題は起きないので あまり考慮されないことです 普通は校了になったらそこで編集は終わりです
誤字・脱字に関しては 紙の方が校正しやすいかもしれません ただこれも慣れの問題のような気がします

ブログは時系列で書いていきますから 内容は常に最新になります ホームページは作りっ放し多いですね けっこう大企業でも内容が古くなっていたり 誤字・脱字があったりします
ホームページに校了はありません いったんアップしても編集作業は続くのです あとフェイスブックページは訂正がきかないので 紙メディアと同じ感覚で事前の推敲・校正が欠かせません
まぁメディアによって 編集作業の心得が違ってくるということでしょうか

コメントは受け付けていません

写真→映画→アニメ→小説

スティル写真のベストショットはどこにあるか それはカメラマンの指にある
どんなにハイスピードのモータードライブを使っても ベストショットは常にコマとコマの間にある
スティル写真は 時間を切り取るのだ シャッターチャンスをつかむのは カメラマンの指だけだ

映画は たくさんのコマを連続的に映し出して 動きを作り出している
一つひとつのコマは静止画だ ならば 動きというものはどこにあるのだろうか やはりコマとコマの間にあるのだ
普通は残像による目の錯覚で 動いているように見えると説明される ではこの場合の錯覚とはどんなものだろう
静止したコマとコマの間の画像を 見る人の脳が補っているのではないだろうか 人の目はありのままの現実ではなく 自分が見たいものを見たいように見ているのだ(映画のコマをいくら探しても 静止画のベストショットは見つからない)

アニメーションに置き換えてみよう
キーアニメーター(原画マン)が作った原画の間を アシスタントアニメーター(動画マン)が埋めてアニメーションができる
細かくコマ割りをすれば 滑らかな動きができるだろうか そうではない キーとキーの間を無限に埋めていっても 自然な動きはできない
動きは永遠にコマとコマの間にあるのだ
人がアニメーションを見たとき 初めて動きが生まれる アリスが鏡を覗き込んだ時にだけ 鏡の国は生まれるのだ
アニメーションの最後の演出者は 実は見る人なのだ(ボストン・ダイナミクスのロボットの動きに人間臭さを感じ 日本製ヒューマノイドの表情に違和感を覚える理由がここにある)

小説も同じことがいえる 作家が小説を書き 書籍として販売されれば小説は完成するのか
そうではない 読む人がいなければ小説にはならないのだ 読者とは本を購う人のことをいうのではない 読む人のことだ
1000人の読者がいれば 1000通りの小説が生まれる 小説は作家と読者の共同作業だ 作家は投げかけるだけだ
そのことを解らない作家が勘違いしている 描写とは説明のことではないのだ 池波正太郎の弟子を僭称するI・Yが 2ページを費やしてくどくど説明している状況は 池波先生ならただの1行で活写してみせるだろう 池波正太郎氏は映画に造詣が深い

コメントは受け付けていません