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タグ: キリスト教

差別と平等

差別は選民意識から

まったくの私見・管見で異論はあると思いますが 差別はキリスト教から来ていると考えます 一神教は唯一絶対の価値観しかありません 多様性を認めない[01] … Continue reading
人間は神から選ばれた存在で エデンの園に暮らしていました 余計な知恵を付けたため地上に追放されますが 他の動物とはそもそも出自が違います なにしろ神が我が姿(造物主だから姿形を持たないか?)に似せて造ったのが人間です これが選民意識の由来となっています

キリスト教を信ずる者は選ばれた正義の存在です 人間はすべて平等といいますが 正確にいえば人間は神の御前に平等です 平等なのは神を信ずる人間(キリスト教徒)の間だけのことです 同じ人間であっても神の教えに背く者を平等とは言い難い
キリスト教徒と異教徒の間には格差がなければいけないのです 動物や異教徒たちは神を信じない 信じない者は救われません それどころか罪を負います 神を信じたノアは救われますが その他の不信心者は滅ぼされてしまいます

方舟伝説により選民意識はさらに強化されました 選民意識が他者を差別するようになるのは 自然な成り行きです 動物愛護は人間より劣る動物たちに対して慈愛の目を向けることです 生きとし生けるものの種は途絶えてはいけない といっても他の動物は人間と同列ではありません 人間だけが崇高な精神を持ちます
博愛主義とは真理に目覚めない者にも救いの手を差し伸べることです 人種・宗教・民族・歴史の多様な価値を認めるわけじゃない 異教徒たちは神を信じない点において動物と同等の存在です もしかしたら大洪水でも しぶとく生き残った人間がいたかも知れない よく分からんのですがルシファーが手助けした

多神教の日本は氏族や個々の集落で氏神様・鎮守様・産土の神があります それぞれの神の間に力の差はあっても優劣はなかったのです(後年武家が台頭して徳川時代には六十余州の国ができます それぞれの国に石高等の大小はあれど平等・対等でした)[02] … Continue reading
順う神を系統立て天照大神を頂点とする神社神道は大和朝廷から始まり 明治維新の後に国家神道となりました 延喜式で神社を格付けしましたが ひとつの教義でまとめてはいない[03] … Continue reading 八百万の神々が存立するカオスの世界のままです すべての存在が平等ですから 日本には差別も階級もないのです

註釈

註釈
01 アメリカ空軍兵学校の構内で人種差別的な書き込みがあったとして 校長が実に立派な訓示を与えていました 肌の色や民族で差別することがあってはならない 連邦軍は多様な人たちの集まりだ 多様だから強いといった内容です アメリカは多民族の国です 多様な個性の集まりだから強いというのは真実だと思います 個性が尊重される国なのです
黒人が差別されるのは 労働力のため奴隷として売買された不幸な歴史から来ていることですね ほとんどの人たちはキリスト教徒なのですから 差別があってはなりません
当時は中国人も人身売買されました(字が読めないのをいいことに労働契約と偽ってサインさせた) 日本経緯でアメリカに運ばれたのですが 日本政府が解放して本国に戻した人たちも数多くいました しかし清国政府は感謝するどころか 余計なことをしたと日本政府を非難するばかりだったそうです 政府が国民を売り飛ばしていたわけです
02 原初神道は縄文時代あるいは石器時代まで遡ると思われます 教義も何もなく儀礼・儀式だけが伝わります 概念としては畏れではないでしょうか 系統立てた神社神道は八百萬の神ですから 仏教(密教)の曼荼羅がモデルかもしれません 明治政府が唱えた国家神道は政祭一致なので ヨーロッパの王権神授説あたりを参考にしたのか
03 神社に礼拝するとき 二礼二拍手といった決まりを作ったのは明治以降のこと 統一された国家神道のためです 神道を国のシステムに取り入れたわけです(公武一体が実現?) 江戸時代までは精神的拠り所であった天子様(朝廷)を 世俗に引きずり落としたともいえます
外国(とくにキリスト教国)で政教分離なんて言わないのは 宗教(キリスト教)が国家や法律を超越するのは自明の理だからです 共産主義もキリスト教の一派なので 共産党は国家を超越して全てを支配します
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主権

王制国家は王様が主権を持っています その主権は何に由来するのでしょう 神(教会)から授けられたものです 教会から戴冠式の神事を受けなければ王権はありません 王様の言動が国民のためにならなければ 神の名のもと王を廃することができます
王権を制限した(あるいは廃止した)国民主権でもこれは同じです 権力を行使する機関は憲法で定められますが 憲法の権威は神が担保します[01] … Continue reading
たとえば基本的人権は 神から与えられたものです 人はみな神の前に平等です(だから王を追放したり処刑できます) 憲法に書いてあるからじゃないし 生まれたときから自然に備わるものでもない なので人間以外の動物には権利がありません

7月29日追記=ALSを患う女性で安楽死・尊厳死か嘱託殺人かと問われているケースがあります 人の命に対する考え方は宗教や民族で異なることを考慮しないと 物事の本質を見誤ります キリスト教で人間の肉体は元粘土であり魂は神の息吹です 臓器移植やクローンもそんな発想からと思います
キリスト教は自殺を禁じています 何故だと思いますか ほかの動物と虫や魚は地面・水中から勝手に生まれてきたのですが 人間は神が我が姿に似せて粘土を捏ねて作り それに息を吹き込んで生まれました つまり人間の命は神から授かったものなのです 人が人を殺すことは神の行いをないがしろにすることになります 自殺も他殺も同様です 他の動物と違い人間の命だけは神の司るものなのです
死後魂が神のもとに召喚されるとはそういう意味です とにかく命は大事だとか 生きる権利とかいう抽象論ではなく 明確な規範があるのです 他の動物は人に食べられるためにあるから関係ない 内陸部でできた宗教なので鯨を食べる習慣はありません 最後の晩餐には魚料理が出ていますが 柑橘類が添えられているので 淡水魚の塩漬けか干物でしょう)

日本はキリスト教国でありません 権威は朝廷でした 天皇から認定された将軍なり関白が元首となります 征夷大将軍は事実上世襲でしたが一代限りです 責任をとって大政奉還もあるのです 教会と王権と同様の仕組みと言っていい[02] … Continue reading
明治にできた帝国憲法は欽定憲法です 天皇陛下の権威で定めらました しかし元首も天皇とされました これは大きな矛盾です しかも実際には天皇陛下に決定権がなく 総覧するだけなので合議制で決まります 主権(責任)はどこかに行ってしまいました
天皇陛下はもともと権威の象徴で 権力を持ってなかったのだから 決定権もないのです 現人神とはよく言ったものです キリストを神の子とするのと似た発想かもしれない

日本国憲法には拠って立つ権威がありません(英語原文を読めばキリスト教の精神に基づくものですが 巧みに意訳しています) 権威に拠るものでなければ すべての法律の上位に立つ根拠がない
そこで日本国憲法は 帝国憲法の規定に則って改正されたものである という詭弁を用いました 現行憲法も天皇の勅令によって発布されていますから 形式上は欽定憲法なのです 国民投票で決められたわけじゃない この成立の経緯はペテンと言っていいでしょう[03] … Continue reading

現行憲法はGHQから授けられました(決して押し付けではない授かったのです) 原文が英語であり 条文の根幹もキリスト教精神です アメリカの国体がモデルなので 日本の歴史伝統は無視されています 拠り所となる権威はマッカーサー? ザビエル・フロイスも成し遂げられなかった 日本の教化に強権を持って成功した?
現行憲法を定めた権威が明らかでないから 憲法そのものが最高絶対の権威だと主張する者が現れます 神聖にして侵すべからず あたかも神に平伏するごとく崇め奉るのです 一種の偶像崇拝でしょうか 憲法という名がついているから一番偉いのだとする メチャクチャな理屈です[04] … Continue reading

主権者には国益を守る義務があります 王制なら王様と貴族がその任に当たります 国民主権だと選挙で委託された元首と国民になります
アメリカ合衆国大統領は 自治権を持つ州から委託された元首です(だから大統領選挙は国民投票でなく州代表が投票します) 連邦議会も州の代表といっていい
明治憲法にも現行憲法にも 主権者と元首の関係が明確に規定されていない そのため外交も国防も誰がやるのか誰が責任を持つのか曖昧です
ことが起きたときは アメリカの州兵のように自衛隊が連邦軍の指揮下に入るのでしょうね なにしろ交戦権がないので戦えませんから

註釈

註釈
01 日本国憲法前文の『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』の(崇高な理想) 日本人にとってあまりにも抽象的で意味するところが不明です 実はこれは神の教えのことなのです キリスト教徒なら理解できますから 具体的にいう必要がなかった
英語の原文を機械翻訳すると以下のようになります『私たち日本国民は、人間関係を律する高い理想を深く自覚し、いつまでも平和を希求し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、私たちの安全と生存を守る決意をいたしました。』 人間関係には国際関係も含まれます 平和を愛するのは日本以外の諸国民です 日本国民は彼らに安全と生存を委ねると宣言しています
02 征夷大将軍は武家の頭領です しかし日本は島国だったため侵略の脅威がなく 国軍や辺境警備の発想がありません ペリーが開国を迫った時に軍事力の後ろ盾で外交交渉ができなかった おまけに薩長は内乱を起こす始末です 公武合体で権威を高めようとしましたが そんな泥縄が通用するはずもなく 全く機能しない征夷大将軍を返上したのが大政奉還ですね
03 何事でも物事には始まりと終わりがあります 昭和大戦は昭和天皇の詔勅によって始まり詔勅により終わりました しかし現行の日本国憲法は始まりがありません 占領軍の指示により英語の原文を翻訳して憲法としたのですが 正式な発布の手続きを踏んでいません 帝国憲法の改定という形を取ったのです
いわばマッカーサーから下賜された欽定憲法でしょうか 占領政策のひとつでした サンフランシスコ条約締結で廃棄すればよかったのですが そのまま 始まりがこんな様だから 終わりもなく 曖昧に姑息に続いていきます 国体が明らかでない今の日本の姿そのままです
04 世界のほとんどの国には法律以前の精神的規範があります 聖書やイスラム法典また四書五経などです 仏教もお経があります しかし日本でお経は唱えるもの 上げてもらうものです 内容を精読はしない(日蓮宗などは法華講で勉強するみたいです 教祖を神聖視するのも一神教に似ています)
ソクラテス・孔子・釈迦は およそ2500年前に生まれたと言われます キリストは2000年前でマホメットはそれよりかなり遅い モーゼはもっと遡り3500年前だとされます 聖典は彼らが自分で書いたのでも口述筆記でもありません(コーランはマホメットの口を借りた 神の言葉を記したとされます) 弟子や又弟子が師の教えを自分の解釈で作ったもの(解釈の違いで宗派が生まれます) 何れにしても体系的な宗教・哲学はそれほど昔からじゃないのです
1万年前の縄文時代から日本には文化文明がありました でも哲学や宗教を育むことはなかったようです 自然と共存し他民族との軋轢がなかったためです 畏れ敬うのは自然そのもの 人間関係に悩むことはなかったのです たぶんこれが日本人の宗教観の根底にあります 砂漠に生きる人たちや民族間の争いに明け暮れる人たちと 考え方が違うのは当然とも言えます 国際関係に疎く外交が不得手なのもそうです
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男系・女系

皇室・皇族には家名もなく戸籍もありません そのような制度以前からの伝統を持つからです たかだか明治にできた憲法・法律に縛られるような存在ではない 朝廷・皇室はあっても天皇(家)なんてありませんよ[01] … Continue reading
日本は明治時代から戸籍制度があります 戸籍制度は家制度からきています 親子関係も夫婦関係もすべて戸籍(家)に紐づけられます 姓・名字は戸籍名(家名)であって 個人のフルネームということではないのです だから皇族に姓(家名)はないし 皇統は家を継ぐわけじゃない[02] … Continue reading

跡継ぎは男系だ長男だのと言い始めたのは 明治以降のことです 大化の改新の頃より儒教を取り入れていますが 家父長制は江戸時代以降のことですし さほど厳密なものでもなかった それまでは直系の長男に拘ることはなかったし 母方の親族が跡を継ぐのも珍しくないことでした 男尊女卑は儒教の教えです 日本の民話に男女差別はありません 記紀には多少の影響が見られますが[03] … Continue reading
新民法になっても戸籍制度は残りました(家制度の慣習も残ったわけです) 婚姻届けで新たな戸籍(名)ができ 子が産まれれば新戸籍に加わります 結婚しても自分だけ旧家名のままでいたいというのは 旧来の家制度に囚われた妄言に過ぎません

結婚すれば新しい家族ができますが 子のない夫婦はたくさんあります また結婚せずに子のある人もいらっしゃいます 夫婦と親子は別ものなのです
親子関係は自然のもの 夫婦関係は社会的なものといえましょう その点で諸外国の制度の方が 日本の戸籍制度より現実に即しています[04] … Continue reading
諸外国で血縁のない子という意味の養子はいません 実子でない子を家族として養育するのは里親制度です ただ家産を継ぐための婿養子(入婿)はあるようです

諸外国に戸籍制度はなく 婚姻届けと出生届けは別で所管も違います 戸籍制度がないといっても 祖先や家系を軽んじたり 家族の一体感を大事にしないわけじゃない
出生届けは一般的に 父方のラストネームをつけます すると家族の中で妻のラストネームだけが異なります そこで通称名として 夫のラストネームを名乗るのが普通のことです
戸籍制度があろうがなかろうが 家制度が残っていようといまいと 家族が同姓(ほとんどが夫方)を名乗るのは世界共通です 別に日本の戸籍制度が旧態依然で 特異なわけではありません

我が皇室も世界の王族も家名はないので 家を継ぐという考え方はありません 男系だ女系もあまり関係ない[05] … Continue reading ヨーロッパの王族はすべて縁戚といってよい[06] … Continue reading これは血筋を絶やさないため血統を守るため お互いが嫁入り・婿取りしあった結果です 政略結婚も頻繁に行われました 皇室と公家の関係もそれに近いかもしれません
明治政府が王政復古を唱えましたが 徳川時代の家制度をなぞっただけで 2000年以上の歴史を持つ皇室の伝統的な姿とは違います 男系でなければならないとか 長男が継ぐなんてのも 武家社会の慣習を皇室典範に取り入れたにすぎないことです[07] … Continue reading

註釈

註釈
01 天皇陛下が父で国民が子なんていうのも 武家社会の家父長制を延長して 明治政府が言い出したこと 江戸時代までは天子(天照大神の子孫)様という言い方が一般的でした 神話上の存在なのです ヨーロッパでも絶対君主制の裏付けとして 家族国家の考え方はありました キリストが神の御子といった宗教的な教えを敷衍したものです 家制度とは無関係のこと
近代民主主義の政治原理といわれる自由平等も 神の前にすべての人類(キリスト教徒)は自由であり平等であるという意味です 人は生まれながらにして自由平等とか 憲法に書いてあるからじゃなく 基本的人権は神から与えられた権利です
王になるには教会(司教)から戴冠式を受けなければなりません つまり王権も神から授かった権力なのです 自由平等も王権も神から与えられた訳ですから 専横を極める王が現れた場合 マグナカルタのように王権を制限したり フランス革命のごとく王を廃して処刑することもあり得るのです 神の前で人間(キリスト教徒)は平等ですから
02 万世一系がいつから言われていたのか寡聞にして知りません 天照大神の子孫だから天皇陛下なのですが それは必ずしも血縁ということではないと思います まして家とか長男なんてまるで関係ない 何しろ神話の世界の話ですから 大嘗祭で天照大御神に述べるのが皇統を継ぐことになります
03 徳川家何代目というのは不正確 何代目将軍が正しい言い方です 将軍は朝廷から任命される職掌で一代限り 公家とは違って将軍家などもありませんから 世襲ということではないのです 臣下が将軍に対しての呼称は公方様ないしは上様です
子供のころなので記憶がはっきりしないのですが 昔の少年漫画でも江戸城とか将軍家なんて ネームはなかったと思います 千代田のお城・お上よりのお達しとか言ってたはずです 教科書にどう書いてあったかは分からない 勉強熱心な子供でなかったから
松平は征夷大将軍になれる家柄でなく 徳川村だったか徳川郷に住む新田の子孫に養子入りしました 辻褄を合わせるため松平の家系図を書き換えています その際吉良の系図を元にしたとも言われます 以来将軍職を継ぐものだけが 松平ではなく徳川を名乗ります 後に御三家等も徳川を名乗るようになりました 将軍になれる家柄ということでしょう
04 戸籍制度がなければ 庶子だの私生児といった概念はありません 諸外国には戸籍制度がない代わり 厳格な身分制・階級制があり 母親の出自で生まれながら身分が定められます 日本は身分制・階級制がなかったから 戸籍制度が必要だったのかもしれません
05 ナポレオン三世を名乗ったのは ジョセフィーヌの甥でありました また ナポレオンが皇帝を名乗ったのも キリスト教に依拠する王族出身でなかったからです
元首に近い地位なので権力はあっても権威に基づかず 最後は追放・島流しにされてしまいました 徳川も同じく大政奉還すればただの大大名です
06 ヨーロッパでは スペイン国王がフランスを統治したり グローバルな広がりがあります 国境は人間の定めた線引きです これに対して王権は神から授かったものですから 法律や条約に束縛されることはないのです
07 長男が継ぐのはヨーロッパの王室でも常識でした もともと王室と貴族は軍事を司る存在でしたから 戦闘の主体は男性だったのです イギリス王室男子が軍務につく伝統があるのを見ればわかることです 男尊女卑とか男女差別という話ではない
2022年11月6日追記=エリザベス女王の葬儀の写真を見ると 英国王室のプロトコールでは軍服が第一礼装なのがわかります しかしアン王女まで軍服とは知らなんだ)
明治政府はヨーロッパ王室に倣って 皇室のあり方を改変しました 征夷大将軍(権力)と天皇陛下(権威)を一緒にしてしまったのです 帷幄上奏なんて いわば統帥権の棚上げ 政府の責任逃れです このため昭和天皇が敗戦の後始末を行わざるを得なかった
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