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タグ: 世論

KJ法とiroha Noteとインターネットの親和性

私は現在ほぼ一人で作業します 仕事のための発想法はKJ法を参考にしています
KJ法が他のアイデア発想法と異なるのは 連想をあまり重視しないことと 最初にテーマを決めつけないことのように思われます

こだわりを捨てることで カオスのなかから本当のテーマをあぶり出すとか 思いもかけなかった問題点・解決策を見いだすという感じですか KJ法を用いて ほんの小さなヒントが最終的に全体のコンセプトになるのを経験します

川喜田二郎先生は

  • 親近性を感ずる能力
  • 空間的な関連性を築く能力
  • 時系列的な順序立ての能力

は異なる能力ではないか との仮説を立てておられました

KJ法の本質は 手と目による着想と私は理解しています ロジカルでなく直感です 手でカードを並べ、目で空間配置を見る 手技・工芸に近い?
この時 最初から方向性や優先順位を定めないのが肝要です 関連付け・重み付けの作業を 脳内でやってはいけないのです Don’t think,feel.(考えるな 感じろ)ですね

もし人間の能力に3つの種類があるのだとすれば ひとつひとつの能力を順番に用いて作業するのがKJ法です 一人の作業ですが 人格を3人に分けて共同作業するようなものです

マインドマップも使ってみましたが 頭の中の考えを図式化し 整理するだけのような気がします この点に違和感を感じました 少なくとも私にとっては 新しい発想を導くものとはいえません
私が論理的な思考ができないから 非線形に親近感を覚えるのかも知れません

アイデアは 虚心坦懐から生まれます 理屈はすべて後付けです 人間の脳の記憶容量は広大でも 作業領域は意外に狭いのです
丸暗記とか単なる知識から創造性は生まれません 頭の中だけで考えてもたかが知れています(私だけかもしれませんが)
引き出しをたくさん作るとは違います しまい込まない 整理しないでとっ散らかっていたほうが良い

私の扱う案件は 先方でも問題点をよく把握できていないか 方向性があいまいなことが多いのです 与えられた課題の答を出すのではなく 何が問題なのかを発見する必要があります
すなわち ソリューションではなくコンセプトメイキングの作業 これにはKJ法がうってつけです

実務上では ”アトリエいろは”様の〈iroha Note〉を用いています KJ法をパソコン上で行うため 様々なアイデアプロセッサーを使ってみましたが この irohaNote が一番なじみやすく使いやすいのです
使い勝手がソフトウェア的でなく アナログ感覚なのがKJ法にふさわしい気がします

ところでKJ法の川喜田先生は ご著書で「発想法は電算機に置き換えられるものではなく、たぶん電算機を賢明に使う方法に通じるだろう」と述べておられます
昭和42年の言葉ですよ メインフレームの時代に すでにKJ法とパソコンの親和性を見抜いていた?

また同じ著書で KJ法をマネジメントに応用された城功氏が KJ法を普及させるにあたり「まず5、6人の内弟子をとれ、その他の連中には教えるな。その弟子が、またそれぞれ5、6人に限って内弟子をとる…。これがいちばん効率的な方法だ」とおっしゃっていたと紹介されています
この多角形とコアの構造 WWWを予言しているように思えるのです さらに FacebookとTwitterによる世論形成にも似通っている感じがします

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共感のマーケティング

いよいよFacebook案件を取り扱うことにしました いままで お客様そして社内の共感を呼び込むホームページをご提案し 実践してきました 成果も上げてまいりました

共感のマーケティングが成り立つためには 誠意しかありません 広告の手法は通じません じつはFacebookの精神も信頼関係の上に成り立っているのです
私の制作するホームページとの整合性もとれます よりよい相乗作用が計れると判断しました

ソーシャルマーケティングとかいって 煽動のまねごとをしていますが やらせ口コミ騒動で図らずも インターネットはウソをつけないメディアであることが証明されました
口コミといっても 無責任な匿名の投稿などはまったく評価に値しません 単なる風評です

判断するのはお客様 こちらからリードしようとしてもダメです 判断できる材料を提供すればよいのです
姑息な手段を弄して やってくる客はやはり1回限り うわさ話に踊らされている客ばかり集めても リピーター・顧客になるロイヤルユーザーではありません

従来 輿論とされるものはマスコミが作り出してきました 新聞・TVで報道されたことのみが世論とされます 外国の例は知りませんが マスコミは時の政府(官僚)の走狗となり 時に外国勢力の宣伝を担い 時に政争の道具として使われてきたように見えます

今や タイアップ記事と全ページ広告でしか紙面を埋められない新聞まであります TVも然り ニュースショーを装ったタイアップが瀰漫しています もはや誰もマスコミを信用していません

料理屋さんが言ってました 「集客のためにクーポンを出したらどうかとよくいってくるが とんでもない なんで初めての客にサービスせにゃならんのだ 常連客にこそサービスしたいよ」と
割引き目当ての客はお馴染みさんにはなりません

この店は地酒だけを置いています 佛国葡萄酒は扱わないので けしてle Guide Michelinには載りません

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マーケティングのプランなど

グループインタビューはそのまま信用できない という感想を述べておられる方がいらっしゃいます 広告代理店のプレゼンテーションが変だ とのご意見もあります その通りなんですが 目的と目標の違いを理解されてないんではと思います
もともと メーカーのマーケティングを担当されていたようなので 無理ないかも知れません?

多くの場合 決定権を持つ役員の方は 世論調査のような数字や 一般消費者の意見などを重視されます
最終的には マーケティングプランが承認されないとなんにもなりません(=目的) 役員の方が理解できる言語(数字)で話さないと 言葉が通じないのです グループインタビューもプレゼンテーションの用語も そのためのツールというか 役員向けの言い換え 儀式といっていいかも知れません(=目標)

同じ内容のことを 広告代理店のディレクターが言っても首を傾げてしまうのですが 無作為に抽出された一般消費者の意見ですと言えば納得されます お客様のご意見に逆らうことなどできませんから
グループインタビューの目的はそこにあります 本気で主婦の意見をマーケティングに生かすなんて考えているわけじゃありません
逆に プレゼンテーションでわけのわからん用語を連発するのは 煙に巻いているという側面もあります ありがたそうなお経みたいなもので 一種の演出です

プレゼンテーションの場は 数の論理が支配します そのため広告代理店では 関係ない部署の人間まで動員することがあります 相手方より頭数が多ければ プレゼンは通りやすくなります エキストラ動員ですから これも演出です
(ここまで言っていいのか分かりませんが アメリカ映画でそんな場面があったのでOKでしょう 運転手から出入りの業者まで駆り集め それらしい恰好させてプレゼンするのを見て笑ってしまいました)

かつてCIが流行ったとき ロゴ・マークの案を通すために この3本の線は社是である◯◯と◯◯と◯◯を表し 右の跳ねた線は未来への飛躍を象徴しています とか説明してました 完全にこじつけです でも聞いた社長はまんざらでもない顔します

追伸 冒頭のブログを書いておられる方は 宣伝会議セミナーの講師をなさっていらっしゃいます(昔の久保宣 当時から雑誌「宣伝会議」は発行していました ある校正者の方から誤植が多いので有名だったと聞きました コピーライティングは日本語の正しい用法に則らなくてもいいのですが〈だいたい何をもって正しいとするか基準はありません〉雑誌の誤字脱字はいかんでしょう)

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