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タグ: 倭寇

仏教国

人口からいえば仏教は世界宗教ですが 分布はかなり偏っています 東南アジアにタイやカンボジアなど敬虔な上座部仏教の国があります またチベットもラマ教と言われた密教系の仏教国です(隣国のブータンはチベット仏教 ネパールは多民族多宗教です) 大乗仏教は日本で定着し神仏混淆の形で独自に栄えています
インド・中国・朝鮮半島に仏教徒がいるものの これらの地域は仏教国とはいえません インドはヒンズー教が大半ですし 中国人は多宗教というより無宗教といった方がいい[01] … Continue reading 韓国・北朝鮮は儒教とキリスト教がないまぜになった国です

教科書に 仏教はインド(ネパール南部)に始まり中国から朝鮮半島を経由して齎された なんて書いてあるので 中国・朝鮮が仏教国とイメージしがちですが そんなことはありません 仏教国といえるのは意外に少ないのです 人数では中国の仏教徒は日本より多いのですが 人口比からすれば仏教国ではありません
そして数少ない仏教国は ヨーロッパ(キリスト教国)の侵略から免れた国があります 代表がもちろん日本ですね 豊臣秀吉と徳川家康の英断で切支丹を禁教としました 倭寇と呼ばれた人たちがアユタヤからスペイン船を撃退 さらに大東亜戦争においてインドと東南アジア諸国の独立を支援しています[02] … Continue reading

一神教はユダヤ教に始まり キリスト教が生まれ カトリック 東方正教 プロテスタント 共産主義などに分派[03] … Continue reading 一方ではイスラム教となっていきました それぞれが正当性を主張しています
仏教も上座部仏教 大乗仏教 密教と変遷しています 上座部仏教は主に東南アジア 密教はチベット仏教に伝わり 大乗仏教は中国で形作られたとされます 日本は大乗仏教を取り入れ 後に密教が入ってきました 上座部仏教は普及していません[04] … Continue reading

中国の仏教受容は主にサンスクリットの経典を漢語に翻訳することでした そして明・清の時代に至って衰えていきました 植民地にならなかったもののヨーロッパに侵略され[05] … Continue reading 毛沢東が共産主義を標榜したため 実質的にキリスト教に支配されたことになります
ロシアも東方正教の流れをくむロシア正教から 共産主義に宗旨変えしました ロシア(ソ連)の南下侵攻によって かつて中国の属国であった朝鮮半島は 儒教とキリスト教・共産主義が習合した国となっています

いまや大乗仏教の国は 日本だけとなりました 中国・朝鮮は僅かに痕跡を留めるのみなのです その日本でも宗教離れがいわれ 本尊が疎かに菩提寺が蔑ろにされたため 聖徳太子以来の伝統ある日本仏教が形骸化してきました[06] … Continue reading
いちばんの原因は明治政府による神仏分離令です 脱亜入欧・和魂洋才などのスローガンが キリスト教の影響なのも見逃せません そのうえ家父長制など儒教規範は 牢固として残っています 一神教と儒教は天と地の二元論で似ている面があるかもしれない[07] … Continue reading

世界中の国は例外なく その国の宗教に基づく倫理規範が アイデンティティの中核となっています 国際社会で日本の存在感が乏しく主体性を持てないのは 自らの骨格(国体)を意識していないからです 信教に基づく信念がないため怯弱で態度が定まらないのです 条約や法律以前の自覚が求められます[08] … Continue reading

唯一残った大乗仏教の国といえ 仏教国を名乗ることはない キリスト教国は自分たちの価値観を人類普遍の真理などと唱えています それとは別の価値観があるのだと主張すればいいのです
根幹は別け隔てのない大和心です 和をもって貴しと為すの心は 一切衆生平等の教えに通じます だから日本に大乗仏教が根づきました そして差別主義の儒教(漢意)を捨てるべきでありましょう[09] … Continue reading

註釈

註釈
01 ヒンズー教は人数では第3位になります しかし地域はインドだけなので世界宗教ではありません カースト制はバラモン教に基づき 法律とは関係ない社会規範です 中国は儒教道教など雑多です 仏教もその一部に過ぎません 共通するのは拝金主義 地獄の沙汰も金(賄賂)次第の国です 中国人が求めるのは現世利益のみ
02 GHQが作った現行憲法が日本の軍備を放棄しているのは 植民地支配の延長上にあるからです 日本の武力によって安定していた東アジアとくに朝鮮半島は ソ連と中共の覇権主義によって内乱状態になりました 李承晩と金日成に人権を踏み躙られた朝鮮人は 大挙して日本に押しかけました そして不法入国のまま居座り数々の問題を引き起こしています
03 共産主義は教義から見ればキリスト教の一派です 善悪二元論であり絶対の正義があり最終戦争で悪を懲罰する しかもレーニン・毛沢東は共産主義を信奉していたわけでなく 権力闘争の正当化・理論付けに利用しただけです
キリスト教やイスラム教と中華思想は 選民意識という点で共通点があります 新疆ウイグル自治区の問題も いわば宗教戦争です 民族問題ではありません 日本に難癖をつける朝鮮も彼らの価値観からであって 民族問題にすり替えてはいけません
04 大乗仏教は中国で成立し日本に伝わりました サンスクリット語などの経典を漢訳していますから 儒教・老荘思想などが影響しています とくに禅宗は道教(神仙思想)と仏教の習合と見えます 東南アジアの上座部仏教は原初の仏教に近いものです またチベット仏教も中国を経ていないため お釈迦様の教えを保っているようです
05 太平天国の乱は日本でいえば島原の乱に相当するのではないでしょうか 実によく似ています しかし島原の乱と違って 殉教とはされず宗教弾圧ともいわれません? 中華思想と一神教はやはり共通しています 宗教弾圧とすると自らをも否定することになるのです 異なる宗派の内部抗争みたいなものだったのでしょう
06 日本仏教が形骸化したのは神仏分離令に加えて 葬儀屋等が仕切るようになったためでもあります 以前に指摘したように墓石や骨壷を拝むという風潮が広まり ロッカー式の納骨堂が繁盛しました 無責任な宗教ビジネスが蔓延ることとなりました
07 中国人の死生観として 人間は魂(精神を司る陽の気)と魄(肉体を司る陰の気)で出来ており 死によって魂は天に昇り魄は土に還ります キリスト教とそっくりの二元論です しかも祖先崇拝の祭礼をすれば 招魂が可能なのだそうです まるでキリストの復活・再臨みたいです
08 日本の国際貢献とは何ですか 国連やアメリカから言われて金を差し出すことですか キリス教徒の言う人道主義ではない 一切衆生を救うという倫理観に根ざすなら 世界の国々から存在を認められるのではないか
聖徳太子の外交政策をもう一度見直すべきです 太子の国書のごとく己の立脚点を明らかにし 見地を表明する情報発信が肝要です 一神教や中華思想に翻弄され 右往左往する姿は実に見下げ果てた様です ブータンを見習うべきでしょう
09 ロシアのウクライナ侵攻に対して インドが非同盟の政策を取ったのは キリスト教国と一線を画した価値観に拠ります 中立国であったスウェーデンまでもが NATOに加盟するのも トルコが独自の政策を推し進めるのも すべて宗教(その国特有の価値・規範)に根ざしたことです
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海洋民族の環日本海文明

Youtubeで誰かが 2万年前は日本列島と半島・大陸は地続きだったから 縄文人は徒歩でやってきたと話していました この人は石器時代からカヌーが使われたことを知らないのです 縄文時代に陸路があったとでも思っているのか[01] … Continue reading
人々の移動は主に食糧を求めて 生活圏が広がったり移行することから起きます 遊牧民でも一定の地域から出る事はありません 4世紀フン族の大移動も遠征ではなく版図の拡大です[02] … Continue reading 縄文時代に最果ての地を目指し 陸路長途の旅をしたとは考えられない[03] … Continue reading

日本海が中心だった

当時は最終氷河期の終わりですから 海面が低下し樺太と大陸・北海道が地続き あるいは常時結氷していたかもしれません しかし極寒の氷の上を徒歩で移動するのは 雪原を歩いてみればどれだけ困難か分かります
対馬海峡は塞がっていなかったでしょう 巨大な内海と化した日本海を介して 交易が行われていたと考えるのが自然です 内陸には川を遡って行けます わざわざ道なき陸を大荷物担いで歩く必要はない
文明とは経済活動です 経済活動の基本は交易・物流です 人も荷も流通は水運が担っていました これは鉄道が敷設される近年まで続いていたことです[04] … Continue reading

人々は何かの都合や目的を持って大挙 短期間に大陸から日本に押し寄せたのではない 旧石器時代以前から時間をかけ 海や川伝いに漁場や狩場を探し 適地に定着して農耕も始め 集落を築いたのです 石器時代はすでに あちこちの集落同士で交易がありました
縄文早期に重なる新石器時代には カヌーの原型である丸木舟が登場しています 皮張りカヤックや葦船のような筏は それ以前からあったはずです カヌーは双胴にしたりアウトリガーを取り付ければ 外洋航海も可能な船です 何らかの帆も使っていたことでしょう[05] … Continue reading

北前船は江戸時代になって突然現れたわけじゃありません 日本海側沿岸伝いに樺太から北陸に至る航路は 石器時代・縄文時代からあったのです 朝鮮半島東岸から渤海まで回航していたでしょう 縄文時代すでに木樵や船大工の専従者がいたかもしれません
そうしてみれば縄文時代から環日本海文明があったと 仮定してもおかしくないことです むろん中国の文献には書かれていません 有史以前のことですし 中国にとって辺境の地にさしたる関心はない
伝聞を記載し しかも殊更に卑しめた文字を当てはめる中国の文献より 発掘した資料やご先祖からの言い伝えを拠り所にした 想像力と常識の方が大切です

日本海以外は

オホーツク海を中心とした カムチャッカ半島・千島列島・蝦夷地と関連はありそうです ここの人達は太平洋側沿岸を行き来していたのではないでしょうか[06] … Continue reading オホーツク経済圏と言っていいかもしれない この経済圏の経済を担っていただろう北方系の人は 丸木舟を竜骨代わりにし側面に板を張り付けた イタオマプチ舟を操っていました[07] … Continue reading
九州から朝鮮半島西岸 黄海・東シナ海で交易はどうなんでしょう 台湾・琉球諸島をもって環〇〇文明圏とは言い難い 後代にいわゆる倭寇が活動するくらいなものです

戦国時代アユタヤに侵攻しようとしたスペイン船を撃退したのは 倭寇と呼ばれた人達でした なにか大東亜戦争を彷彿させます 渤海も後年の満州と地域が重なりますし 歴史は繰り返されるということかもしれません
そういえばヨーロッパでも古代 ゲルマン民族はギリシャ・ローマから蛮族扱いでした バイキングは倭寇のようなものだったのでしょう

このように日本人は海洋民族でしたが 中国人(漢民族)にとって海の向こうは異界です シルクロードが象徴するように西域との交易が主でした 自由に海上貿易を行なっていた人たちを倭寇と呼びました
今のように中国が海洋進出するまで もともと制海権は日本が握っていました 台湾はもとより海南島も漢民族の住むところではなく 流刑地で蘇東坡が島流しになったりしています 蒋介石が台湾に逃れたときでさえ 毛沢東は追撃できなかったくらいです

遠い弥生時代に海路でも陸路でも 大陸から籾を持って日本を目指す理由もありません 稲の原産地は南方ですから 北上し日本に来たのは確かといっていい 水田の適地に耕作地が広がったのです[08] … Continue reading だから伝播という言い方がふさわしい 米は交易品だったのではないか 米作りの拡散も海上交易の結果でしょう
流通・交易を通じて情報が伝わるのです 陸稲の熱帯ジャポニカ水稲の温帯ジャポニカ ともに島伝いに伝わったと思われます 八重山から沖縄に至るまでに 熱帯ジャポニカの遺伝子を持つ温帯ジャポニカ在来種が認められます 農業とくに水稲米は田作り・治水です 一所懸命・土着のものなのです[09] … Continue reading  どこかから渡来するもんじゃない

2022年2月20日追記=中近東アブダビの島で8500年前の住居跡が発見されました 以前にも同地域の島で同じような遺跡が発見されています 住んでいたのがどのような民族かわかりません 遊牧民ではないですね 漁業が主だったのでしょう 集落同士の交易があったかどうか カヤックかカヌーか船を使っていたのは確かなことです)

註釈

註釈
01 旧石器以前の人たちは徒歩で日本にやってきたかもしれません それは狩場を求めての移動であって何千年の時間をかけてのことです どこかから大挙して日本を目指したわけじゃない
02 匈奴・フン族・元など騎馬民族による広大な領土拡張は 武力を背景にした収奪支配・植民地です 遊牧民が交易を担っていた あるいは交易をしていた商人を保護する代わりに 通関税を取り立てるという支配形態です
騎馬民族が交易を独占した理由は説明するまでもありません 陸上の交通手段である馬を制していたからです 冒険商人が海上交易を独占し やがて港を基点に植民地を拡大したのと同じことです 港にあたる中継地は各地の都市です 都市を武力で制圧して 海上交易と同じように陸上交通を支配したのです 自ら定着して農耕や生産をしたわけじゃない
長征には補給路の確保が伴います 武器と人馬の糧食ですね とくに飼葉が重要です 嵩張るので持っていくのが困難 時間をかけて兵站を築いていかなければ とうてい遠征なんて不可能です セルバンテスの小説ドン・キホーテでイン(日本でいえば木賃宿)に泊まるシーンがあります 馬のために飼葉を用意していて ついでに人も泊まれる(ベッドの用意はない)施設のことです
03 グレートジャーニーのイメージに囚われているのではないでしょうか 人類がたった一人の女性から始まったなんて アダムとイブのお話から一歩も出ていない アフリカから一方通行で人類の居住地が世界に広まるというのは考えにくい 有史以前に南海の島々が陸続きだったのだろうか たとえばマダガスカル島に最初定住した人たちは アフリカ系ではなくボルネオ島に住む人たちでした 同じように中国大陸から半島を通って一方的に 人々や文明が日本列島に来るなんて不自然です
地球の気候は寒暖を繰り返していましたから その時々の食糧事情で南に向かったり北に向かったのではないか 船が使われるようになって 移動距離は飛躍的に延び移動時間は短くなり ペイロードは増えました そして交易(文明)が始まります 道路が整備されたのは遥か後代 車輪が使われるようになってからです
04 むろん石器時代・縄文早期に国はなく 日本列島や半島・大陸なんて意識しません 日本海を中心にして沿岸に点在する 集落同士の交易だったのです 朝鮮半島から九州に渡った人たちはいたでしょう その人たちは今の朝鮮人とは全く違う民族です 半島東南岸に縄文の人々が定着していた可能性もあります 後代の任那府の始まりです
05 おそらく祭祀の宝飾品に使われた糸魚川の翡翠が 全国に流通していたことが知られています 生活実用品の材料であった諏訪の黒曜石は 5千年以上前には大規模な採掘が行われていました 土器などと同様に専従者がいたのではないか
06 日本海側では昔から塩ブリ・塩鮭・ヘシコが保存食でした 太平洋岸には潮カツオがありました 西伊豆に残ります この食文化が鰹節(お江戸では小型の焼津節が重用されました)やクサヤとして続いているのです 江戸っ子が鰹を珍重するのは(5月のカツオは脂が少なく加工に向きます) 縄文時代からの伝統といえます
和漢三才図会に 堅魚の肉片や小骨を敲き混ぜて塩辛にしたものを 俗にタタキという記述があります 紀州熊野・勢州桑名・遠州荒井・相州小田原の名物とあります 鰹節の産地と重なっているので 副産物でありましょう
07 確証はないものの東北から関東に至る太平洋側沿岸には 北方の系統と思われる地名がたくさんあります 坂上田村麻呂と戦った阿弖流為は 明らかに北方系の名前です 奥州安倍氏に至ればかなり同化してきたと見られます 現在のアイヌの人たちも元を辿ればツングース系であり 古代北方系統の人と同系です
08 中国大陸は南が米作地帯で北が麦作地帯と明瞭に分かれています 気候風土によるものです 中国東北部から朝鮮半島内陸部で農業・漁業は行われず 採集・狩猟・遊牧が主だったでしょう 米作りが朝鮮半島を迂回する必然性はありません
09 中国の文献にばかり頼る(有り難がる)から 大陸・半島から日本列島に進んだ技術・文明が齎された なんて思い込みが生まれるのです 日本人は石器時代から船で自由に行き来していました
「3万年前の航海(国立科学博物館)」では 台湾から与那国島まで丸木舟を使って2日の航海で到達しています 例によって毎日新聞・朝日新聞あたりが 取るに足らない難癖をつけて 2日間で渡ったという事実を無視しようとしています 情報操作の一つですね
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一帯一路

中国が一帯一路という政策(戦略)を掲げています これにより中国に加えて 利益を得るのはロシアです 海のシルクロードと言ってるので マラッカ海峡あたりからインド洋のことだと 漠然と思ってはいけません
利益が一致する中・ロは急速に接近し 日本海で共同演習を始めました 尖閣諸島から竹島に爆撃機を飛ばしています 一帯一路のシーレーンを確保するため オホーツク海・日本海・東シナ海の制海権が目標となります 中国が空母の就航を急ぐのはそのためです[01] … Continue reading

韓国もこの 中・ロ連携に同調せざるを得ないでしょう なにしろ両国から挟まれているのですから 逆らうことは不可能です 現に日本を攻撃し始めています(自衛隊に対する韓国軍によるharassing attackからGSOMIA云々の一連の動き) これらは韓国の独断ではないと思います
中・ロが軍事で協力すれば アメリカといえど手出しできません(口は出すでしょうけど) 朝鮮戦争が終結し半島の統一が近づいてきました かつてのように半島から日本に難民?が押し寄せます 今度は受け入れ準備万全ですか?

日本はどうすればいいか インドとの提携しか道はありません すでに南シナ海に海洋軍事基地ができました アメリカ軍はフィリピンから引き上げています あとはインド洋を残すのみです
日米安保条約は変則的です アメリカと日本の関係を考えればこの形でも やむを得ないのかもしれません しかしインドと軍事同盟を結ぶには 自衛隊を正規の国軍にすることが不可欠です[02] … Continue reading

かつては日本海を仲立ちに 樺太から渤海と交易が盛んでした さらに大黒屋光太夫はロシアにまで行き 呂宋助左衛門(納屋助左衛門)は東南アジアと貿易をしていました
朝鮮半島との交流はほとんどありません 近年は大東亜共栄圏の構想を掲げ 渤海のあった地域に満州国を設立したものの インドは視野に入っていなかった

宮島郁芳作詞の「馬賊の歌」[03] … Continue readingで 支那にゃ四億の民が待つと言ってます インドには十五億の民がいるのです 馬賊の時代は過ぎ去りました 海行く日本 海洋民族の心を取り戻すべきでしょう イランから石油を運んだ出光佐三は海賊と呼ばれたそうです 倭寇・北前船の系譜を正しく引き継ぎます

2020年7月26日追記=中国の海洋進出に対して 米・日・印・豪に加え イギリスが合同演習に参加します これは香港が絡んでいますね 往時ほどではないにしろ植民地からの利得は今も続いているのです 人権云々は建前きわめて政略的な動きです)

2022年4月24日追記=ウクライナへのロシア軍侵攻に関して 国連からの要請という形で インド・ムンバイに備蓄してある支援物資を自衛隊機で輸送するという計画を インド政府に外務省が打診したところ 断られたそうです インドはこの度のウクライナ問題に対して中立の姿勢を保っています 日本は何のメッセージも出さず 他国の顔色を覗いアメリカ等の言いなりに右往左往するだけ ムンバイにある物資はインドが運ぶのを拒否したのでしょう 中立政策を貫いています 相変わらず腰の定まらない日本は国連に言われるまま 自衛隊を便利屋として使うばかりです)

2022年8月18日追記=インド洋の緊要地点スリランカ(アメリカとキューバにそっくり)のハンバントタ港に 中国軍所属の大型調査艦が寄港しました この港は中国の融資で造られたものです 結局スリランカは 財政破綻のため融資の返済が滞り 所有権を失いました(99年間中国が使用権を持つという契約です) 事実上中国の軍港となったわけです 航空母艦の基地とする準備でしょう 政策と戦略の実に見事な連動です 軍事と外交のお手本といえます)

註釈

註釈
01 ソロモン諸島が中国に島をまるごと賃貸?する といった話が出てきました 直前に台湾と国交断絶しています その島というのがガダルカナル島のそばツラギ島です 戦略上の緊要地点じつにきな臭い場所ですね 空母基地が目的なのは明らかです 実現するかどうかまだ分かりません 金に飽かした中国的な攻勢は これからも続くでしょう
02 中国は青蔵鉄道(青海チベット鉄道)を2006年に開通しています 青海省とチベットのラサを結ぶ最高標高5000メートルを通る高原鉄道です これはチベットのみならずインドを想定した戦略的な鉄道です
ロシアや中国など縦深のある国土では 攻める方も守る方も補給が最も肝要です ナポレオンとヒトラーがロシアに敗れたのは 補給線を維持できなかったためです
03 馬賊の歌なんて作ってますが 宮島郁芳の居室にはマルクス・レーニンの肖像画が掲げられていました 大正デモクラシーの人です 児玉誉士夫作詞の「民族の歌」は反戦歌ですしね 右だ左だなんて物事を単純化すると 分かったつもりで思考が停止してしまいます
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