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タグ: 地方経済

横町の復活

道路と鉄道

ヨーロッパの都市は中央の広場を核にしている 多くの広場には教会がある 商店街は中心広場に向かう放射状の道路に形成されるから いわば門前町である そして突き当たりは広場なので 自動車の通りは比較的少ない

日本の商店街は 街道筋に形成されたものが多い(中心核がない) 人馬が通る街道ならそれでよかった 昭和40年代くらいまでは まだ車より人の往来で賑わっていたように記憶する
おかしくなったのは1970年代以降ではないか やはり田中角栄「日本列島改造論」あたりからだろう 公共投資の名で税金を使い続ける そして1973年のオイルショックから ついには1975年の赤字国債発行へと突き進む 

田中角栄の論は鉄道輸送から高速道路へのシフトが中心だった しかし昔の物流は川を利用した舟運 人馬の交通は街道と分けられていて 鉄道は舟運に代わるものであった
だから多くの鉄道は川沿いに引かれている 駅も街の中心地ではなく 町外れ(船着き場)に作られた

角栄は生活道路と産業道路の隔離を目指していた それなら舟運を復活すべきであったのだが 結局は物流と交通を一緒くたにしてしまった 鉄道(舟運・物流)と道路(街道・交通)が役割を交代させたということか
人の歩けない道路ばかり増え 今や地方は車なしでは生活できないところまで来てしまった 新幹線建設も然り 街道でも物流でもない無意味な投資だ そのため在来鉄道も役割を見失った 新幹線沿線の町も鉄道も衰退するしかない

生活道路

このようないびつな交通網の中 半ば自然発生の無計画な商店街は もはや成り立たない 駅前通りは閑散とし 郊外の巨大ショッピングセンターも役割を終えた
商店街の活性化は横町の復活がカギと考えている メインストリートだけではダメなのだ 都市計画の立てられない地方にこそモール(横町)が必要だ

横町のいちばん大きな要素は「抜けられます」であろう 買うことを強要しないフリーな空間 日常の生活に溶け込むことで かえって人の流れができる
商店街は元々そうであったはずだ 非日常の特別な「はれ」の場ではない 大分の唐揚げ屋さんは住宅街に出店するという 生活に密着した形態だ

そして基本はカー・フリーだ 日本の地方都市が衰退したのは車社会が原因なのだ 車と歩行者が同じ道路を使う 車の流れは人の流れを阻害し断ち切る
B級グルメで人を呼ぶ 産直販売所 道の駅 予算を使うための数字合わせに過ぎない「経済波及効果」というまやかし(風が吹けば桶屋が儲かる方式) そんなものは地方経済の活性化に繋がらない

地方経済の活性化 経済的独立は物流・交通を見直すことから始まる

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地方経済の自立

TV番組で 地方経済がその域内で成立するためには 500万人の人口が必要との一節があった それだけの規模があれば 生産・流通・雇用が成り立つ 経済的自立が可能なのだという

北海道のセイコーマートは 地産・地消にとどまらず 北海道全域に生産と加工そして販売のネットワークを作っているとのことだ これこそが身土不二(しんどふに)の姿だ
ホクレンから切り捨てられた農家 もと雪印の下請け工場など 北海道各地に分散している設備・人的資産を活用して 製販一体のグループ企業を築いた

結果 人口わずか420人の過疎地にある セイコーマートの店舗が成り立っている
このネットワークが成立するために もっとも重要なのはもちろんロジスティックスだが 500万人の人口があればこそという事なのだ

そういえば アメリカの人口を州の数で割れば だいたい600万人になる(単純計算だが) 州により人口は 50万人台から3000万人台と幅があるし 各州をまたいだ経済圏がどうなっているか よく分からないのだが 500万人前後が経済単位と言っていいのではないだろうか

日本の農業は 農協と農林省の苛斂誅求 流通の専横により疲弊しきった いまや食料自給率は3割にも満たない
地域起こしのかけ声に留まらない経済循環がなければならない 地方経済の自主独立だ 全国流通グローバル化だけが道じゃない

地方経済の独立といっても 橋下氏の大阪都構想はまだしも 泉田氏の「新潟州構想」は無理でしょう 新潟県の人口二百数十万人 文化・歴史が違う他県と組んで うまくいくとは思えない 道州制論議ではどうにもならんだろう

肝心なのは自立した経済圏(緊要点はロジスティックス)だ 単なる政治的な枠組みで道州制をしいても 実現できるものではない
たとえばアマゾンは webを中核とした独自のロジスティックス・システムを作り上げた 行政区画どころか州さえも軽く飛び越えている 送料無料はこのシステムに由来する

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