悪筆のせいもありますが(編集の仕事でテープ起こしなどやると 書いたメモが自分でも判読できないほど) 私にとってワープロは救世主でした
書くという行為は 頭の中の思考を整理する意味もあります 手を動かすことで考えがまとまり メモを見直すことで筋道が立つのです
紙に筆記具で書くより キーボードを叩く方が手を動かすし 乱雑な手書きメモより ディスプレーで見る方が構成を把握しやすいものです とくに消しゴムで消したりすると 思考が止まってしまいます
ワープロが出回ったころ 手書きでなければ気持ちが伝わらないといった論議が盛んでした いまは全く聞かれません 清書用と考えていたのでしょうか
当時のワープロ専用機にもレイアウト機能はありました エディトリアルデザインにはまったく非力で 使い物にならなかった覚えがあります
発展形として テキストエディターを使うようになりました 取材した内容を片端からメモ書きして 後で文章にまとめるスタイルが性に合っているのです
専用機の次が MacDTP だったのはよかったですね ワードとかエクセルに触らず済みましたから その代わり請求書なんか HyperCard を使って自作する羽目に陥ってしまいました
エディターで書いて QuarkXPress でレイアウトするのに なんの違和感も感じませんでした(でも細かいところでデザインのクォリティ落ちた印象はありました)
一方 新たなアイデアが必要な広告の仕事では もっぱらKJ法を用いていました 思いつくままに書き散らしたメモ書きの組み合わせから コンセプトの姿が立ち上がる感覚がありました KJ法は問題解決の方法ではなく むしろ問題発見のためにあります
KJ法文章化の前段階である カード化とグルーピングには iroha Note が本当に役立っています
アウトライン・プロセッサーもいくつか試してみましたが 使いにくいものでした 私は論理的な思考ができません 線形のツリー形態はダメなのです
デジタルってじつは非連続です 初めも終わりもなく脈絡もない 一定の規則に従っていれば答が出るものではありません 手探り状態はもっとも手工芸に近いのかもしれない
そういえば Google検索技術の根本も 類似性の関連付けですね
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