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タグ: 日本国憲法

融通無碍と曖昧模糊と統帥権

融通を利かせるのが日本人の得意とはいえ 国防・国益といった国存立の根幹に関わることを 曖昧にすませてはいけません 憲法の解釈や自衛権とやらの論議なんて している場合じゃない
戦争と外交は相手があることです 相手国にとって日本の憲法はまったく関係ありません 日本の国内事情を察して 手心を加えてくださいと言ってもムダです

憲法を含めて国内法で論議すべきは統帥権 この一点のみです
軍を出す(兵を挙げる)には 相応の覚悟と責任が伴います それを誰が担うのかということです 関連法の整備でも ましてや憲法解釈の問題ではない
国会承認の上で軍を出すことになると 誰にも責任が及ばなくなります

日本国憲法の前文と第9条のコンセプトは 日本の武装解除です 日本が武装放棄すれば世界は平和になるという主旨です だから日本だけが一方的に 戦力を持たず交戦権を放棄しているのです 9条には「国の主権的権利として戦争」と明記されています
ドイツやイタリアの憲法成立の経緯は どうだったんでしょう まさか独立国としての主権的権利を放棄してないと思いますが

むろん領海・領土内には日本の警察権があります 国境警備・沿岸警備は警察権によるものであって 軍とは別組織です 任務遂行のため武力を行使し相手を攻撃もします
海上保安庁は北朝鮮の工作船を撃沈しました あれ以来工作船は鳴りを潜めました 中国が相手となると対艦ミサイルを持たない海上保安庁の手に余ります
といって海上自衛隊が代わることはできません 訓練とか偵察名目で近辺に艦や飛行機を派遣するぐらいですね 海上警備行動にしても何しろ交戦権を放棄していますから 先制攻撃できない以上どこまで有効な手立てが打てるか

警察予備隊・保安隊のころは 名称通り治安警察であり警察軍でしたから あくまで国内の治安維持が任務です 警察権の行使や自衛のため武力を用いるのは 日本の主権が及ぶ範囲だけです 日本国憲法に照らせば 現在の自衛隊・有事立法は明らかに違憲です
装備・編成から見ても じつに曖昧な存在ですね 強いていえばアメリカの州兵にいちばん近いかもしれません(モデルでしょうか) 平時のアメリカ国土防衛(災害救助も含まれます)は州兵と沿岸警備隊の任務で 有事には国軍に編入されます

立場がはっきりしていないのは 反面でいかようにも運用できるといえます そして その結果に誰も責任を持つ必要がないのが日本の現状です
戦力の不保持を謳う日本国憲法に 軍の運用規定がないのは当然なわけです なし崩しに変質していくのも 統帥権がはっきりと規定されていないためなのです
今や自衛隊は世界有数の有形戦闘力を持ちます にも関わらずこれを運用する責任者がいないのです 統帥権をなおざりにして軍備を増強し続けた結果のいびつな姿です

自衛隊誕生のいきさつが朝鮮戦争なのは周知の事実 北朝鮮がなぜできたか 日本が満州・朝鮮半島から引き上げたからです その間隙につけ込んで ロシア(ソ連)が侵略を再開した結果です 今のウクライナ侵攻と同じやり方ですね 代理戦争させて領土を拡張します
1960年代に ソ連邦からの離脱を目指すウクライナに対し おもにKGB隷下の治安部隊が空爆したりしていました 日本ではほとんど報道されることのなかった冷戦時代の事実です

朝鮮半島だけでなく満州地域でも ソ連と中共は1970年まで戦争をしていました 樺太・千島列島への火事場泥棒のような侵略 シベリアでの捕虜虐待と強制労働 日本を武装解除しても周辺で戦争はなくならなかったのです それどころか中国の軍備拡大・侵略を許す結果になりました
世界の情勢は日清・日露戦争のころから基本的に変わっていないことが分かります いまや中国の軍拡・侵略により アジアは大東亜戦争開戦時より更に不穏な状況です いきなり今日の問題が発生したのでないことを肝に銘じなければ 日本の国防・国益は危うくなります

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結婚式・婚姻届・家族の姓、諸外国と日本

このごろ 同棲・内縁関係を「事実婚」と言い換えている勢力があります 日本には事実婚という制度も用語もありません 婚姻届けを提出しないのは内縁関係です
また事実婚と内縁関係は同義語でもありません 夫婦別姓を認めろと言っている連中と同根かと思われます 何を意図したプロパガンダかは分かりませんが

後段で書いているように 日本の制度で出生届は名だけです 姓はその時の戸籍の呼称ですから 籍が変われば姓も変わります 諸外国は出生届にフルネーム(姓・名)を記載し 生涯変わることがありません(戸籍制度はないので 姓と名はともに個人の属性です)
けれども結婚した時には通称名として夫の姓を名乗り 子の姓も父方のサーネームにすることが多いようです 家族の一体性を大事にするのは万国共通です

結婚式を挙げる意味 事実婚の由来

キリスト教国の結婚式は教会で執り行います よく映画などで「汝はこの女を妻として……誓うか?」と神父なり牧師が問い「はい誓います」と新郎が答えます この誓約が結婚式の本義となります
それでは何に対して誓うのでしょうか 二人で誓いあうのでもなく 参列者に誓うわけでもありません 神に約束するのです 牧師・神父は立会人として 神への誓いを司ります

キリスト教の結婚式は 婚姻を神と約束するものだからです この約束は個人と神の契約なので双方が誓う必要があり 新婦にも同じ内容を問います[01] … Continue reading 花嫁が誓う前にかっさらえば結婚は成立しません(昔そんな映画がありました 多くの日本人は単に 結婚式を台無しにした狼藉者 ぐらいにしか見てなかったようですが[02] … Continue reading

死が二人を分かつ時までとは この世にある限りという意味です 神を証人にして永遠の愛を誓うわけではない 死んだ後は神の兵士として天国に召集されるので 婚姻が永遠に続くということはありません 婚姻の契約は死とともに解約されます[03] … Continue reading
カソリックでは離婚が認められません 神との約束を破ることになるからです 神に誓ったことを守らなければ死後は地獄に落とされ 悪魔の手先とならなければなりません 生きている間も棄教した者としてコミュニティから爪弾きされます

さて世の中には そこまで神と約束できないという人がいます 離婚することが悪魔に魂を売り渡すとなると 迂闊には結婚できないとか 死ぬまで一緒にいる自信がないという場合もあるでしょう
そのような時は結婚式を挙げず 市役所等に婚姻届だけを提出します 神との約束を避け法制度上の結婚をするわけです(戸籍制度がなくても婚姻届の制度はあります) 神との約束は法に優先します この場合は市長などが立会人を務めます 日本の婚姻届の証人に当たります

これが事実婚の制度です つまりキリスト教国(とくにカソリック圏)特有のものなのです[04] … Continue reading もちろんキリスト教国でも婚姻届を出さないで同居する人たちはいるでしょう それは事実婚とはまったく異なります 法に基づかない同棲・内縁関係です

キリスト教国で社会的また法的に 内縁関係というものが容認・保護されているかどうかは知りません 結婚式はきわめて宗教的なものですし 生まれた時に洗礼を受けることから始まり 生活の全てに宗教は関わっています 日常生活に宗教の規範が及びますから 日本ほど内縁関係に寛容ではないと思います だから事実婚という制度が必要になったのです[05] … Continue reading

結婚と家族の姓、諸外国と日本

夫婦・親子の姓については それぞれの国の家族に対する慣習・歴史から規定されていることです 祖父の名や姓を氏に冠したり 夫婦の苗字をつなげたり 代々の祖先名をミドルネームに取り入れたりと諸外国には様々な習慣があります
戸籍制度のない国のほうが多いので このような姓は家族関係を明確にするという意味合いがあります Mc〜・〜son・Fitz〜・〜vicは 全て〜(父方)の息子という意味です
王族なので姓はありませんが シャーロット・エリザベス・ダイアナは ちょっと物悲しいですね イギリス国教は離婚可能です 王様が自身離婚するためにカソリックと袂を分かつことにしたのです

簡易結婚式で有名なラスベガスでは ドライブスルー結婚まであるそうです(これなんかも事実婚といっていいでしょう) ある州で発行された婚姻証明証が全米で通用します 商標登録(® ™)と同じような制度です 各州ごとの自治制ゆえのことです
アメリカには戸籍制度・住民基本台帳(日本の住民票に相当するのは SSNや納税証明書など)はないので 結婚しても離婚しても姓はそのままです 出生届の姓名が公式名で生涯変わりません[06] … Continue reading

子が生まれれば出生届を出します 両親の姓名とラストネーム・ファーストネーム・ミドルネーム(必須ではない)が記載され これが本名(フルネーム)となります
ラストネームはサーネームとも呼ばれ本来は家系を表します[07] … Continue reading 日本で言えば氏・姓に相当します アメリカでも父方のサーネームにするのが一般です 母方の苗字(名字)を付けることはまずありません ミドルネームを母方の姓にする例はあるようです

ただ結婚で通称名を変えることは多々あります 大半が夫の姓を名乗ります ヒラリー・クリントンは本名じゃありません あえてクリントンを名乗るのは選挙戦略上のことです 結婚したら夫の姓を名乗る よき家庭婦人をアピールすることになります
あるいは通称名として双方の姓を併記するのもあります 婿養子という概念はないので 通称名に妻の姓を名乗ることはほとんどありません とくに通称名を名乗らなければ姓はそのままということです

社会生活上は強制されずとも夫の姓を名乗る 子供の出生は父の姓で届ける アメリカは多民族・多宗教の国ですから これが世界の常識を表すのではないでしょうか

日本では結婚して分家に出るとき氏の文字を変えたり 住んでいる地名が通称になりそのまま氏として名乗ったりと 融通をきかせた扱いが目立ちます そのため日本の氏姓は世界でも珍しいほど多様となりました 中国・韓国と違って生家の家名にそれほど拘りがなかった証左です

家系とか出自をことさらに言い立てるのは かの国の習慣のようですから 孔子の子孫を名乗る者が世界中で数百万人いるそうです(有料の登録制らしい)
夫婦別姓を言い触らす連中は 大陸・半島に倣ってのことかもしれません アメリカの中国系・韓国系は 世界の常識からかけ離れて夫婦別姓です

婚姻、日本の伝統

日本の結婚式は花嫁の披露宴(お披露目)です 白無垢衣装で実家を出て婚家に入り 誕生を象徴する赤い衣装に着替えます(お色直し) 生家から婚家に生まれ変わることになります 実家の両親は披露宴に連ならないので 花嫁道中は仲人が先導するわけです[08] … Continue reading 婿入りの際は聞いたことがなくよく分かりません たぶん同じだと思いますが お色直しはあるのだろうか
婿入りも嫁取りも考え方としては養子に近いものです 帰属する組織(家)が変更になったことを公に周知するもので 宗教的な意味合いはありません ですから離婚(離縁)も比較的自由です 三行半とか駆け込み寺[09] … Continue readingですね

日本では古くから戸籍制度が整っていて 息子が家督を継ぐ資格を得るのは 成人して幼名から名を改めて後(武家は17歳で嫡子として届け出る)になります この改名ないし襲名の儀式を官途成(かんどなり)と呼び 家督相続の婿入りと同等に扱われます 事情により廃嫡もあります
落語なんかに出てくる勘当は人別帳から除籍することです 相続権を失うだけでなく無宿人になってしまいます いったん除籍すると復籍は非常に困難です 町役人もその辺は心得ていて よほどのことがなければ通常は人別帳から外すことはなかったようです

武家が家を大切にしたのは 俸禄が家に対して下されるという事情のためです 武家社会は本来軍事組織(一家が小隊か中隊に相当します)です 男子が家を継ぐのも軍事組織ゆえのことです
家禄は戦に備える意味で兵糧米として支給されます(米が貨幣の代わりに流通したわけではありません) 太平の世になってもこの慣習は続きました 今が平和といっても戦が起きないという保証はないのです

商家もこの習いを継承しました 主な理由はのれん(ブランド)を守るためです 武家の家名も一種のブランドです どちらも子がなかったり娘しかいないときは婿を迎え入れました 相続の際に長男であるとか血統はさほど重視されません

とくに商家や剣術道場などは実力主義ですから 長男がいても養子を迎え入れることはよくあります あとは分家とか暖簾分けとかで辻褄を合わせたりですね
武家でも嫡子は正室の長男と決まっていないので お家騒動が起きることになります

婚姻には嫁取り婚と婿入り婚があったわけで 男女どちらにしろ新しく家族に加わるということです 家付き娘という例もあります(淀の方が実子に拘ったのが豊臣滅亡の原因?)
商家は屋号の元で武家は家名の元で一家を成します 明治以前は嫁や婿が別姓だったなんてデタラメです 姓は家を表し個人には名しかないのですから[10] … Continue reading

女性が虐げられていたとか男尊女卑の社会などというのは 日本の伝統をないがしろにし事実を歪曲するための 言いがかりに過ぎないのです
日本では巴御前から始まり 肝っ玉母さんに至るまで 女傑の話はいくらでもあります 娘だけでなく嫁が家を継いだり 家付き娘が婿を離縁するなんて時代劇でおなじみです[11] … Continue reading

夫婦別姓論のまやかし

アメリカでは出生届の姓名(フルネーム)が一生涯変わりません しかし戸籍制度がある日本では 婚姻届によって姓を変更できます 中国人が日本名を戸籍名として名乗ることもできるのです
男女どちらも出生届は名前だけで姓は仮のものということです 別な言い方をすれば日本には戸籍名があっても《フルネーム(本名)》がないのです これを家制度といえばそうかもしれません[12] … Continue reading

諸外国では暗黙の社会階級制・身分制がいまだに維持されていて それぞれが独自のコミュティを形成しています 難民・移民・流民も同様です 〇〇タウンを形成して相互共同生活を営みます 階級は固定されていますから 戸籍に相当するシステムが必要なかったのでしょう 家制度ではなく族長制度なのかもしれません
別のコミュニティ同士の行き来(婚姻も)はなく時には対立抗争します ロメオとジュリエットやマイ・フェア・レディそれとウエストサイドストーリーの世界かな 私は見たことないのですが 韓流ドラマとかいうのも身分違いの恋愛話が多いそうですね[13] … Continue reading

日本国憲法の英語原文を機械翻訳させると「結婚は男女両方の相互同意だけに基づきます、そして、それは基礎として夫と妻の平等の権利との相互協力を通して維持されます。」です アメリカの結婚観をベースにしているように見えます
GHQ(国連軍総司令部)草案では日本の家族制度を否定する文言があったようです 浅はかな誤解と偏見によるものなので削除され このような形に落ち着きました[14] … Continue reading(常任理事国と敵国条項がいまだ残る国連は 別に公平中立な組織ではなく 世界の良識を反映しているわけでもありません)
諸外国にも家制度はあり 現在に続いています ヨーロッパの貴族社会も家産を守ることが代々当主の務めです ただし当主の妻に財産の所有権はなく 社交のための経費は持参金で賄うのが通例です(女王陛下はどうなんだと言われるとよく分かりません)
つまり玉の輿はない シンデレラでも必要な衣装などは魔法で調達しています 婿入りもありました この時は当主として入るので財産を引き継ぎます 貴族は日本の武家と同じく軍事組織でしたから 王様の命で兵員を供給する義務がありました 財産を分割したら軍事費をまかなえません

世界的に夫婦別姓が多くなっている といった言い草は全くのデマゴギーです もともと戸籍制度がないため 結婚しても姓が変わることはない というだけのことです 結婚したら自由に姓を選べるなんて国はどこにもありません 本名(フルネーム)は一生変わらないのです
それにもかかわらず 通称名で夫の姓を名乗ったり夫婦の姓を併称する国が大半です(出生届を改名まではしません ニックネームが社会的に通用するのです) これをどう考えますか 家族の一体性を大事にするということでしょう それが世界の常識であり日本の伝統も同じことです

朝鮮半島で結婚しても女性の姓が変わらないというのは 両班の世界は嫁に相続権がないことからです(このへんは西洋貴族社会と似ています) 儒教に基づく中国の身分制に由来する 厳格な家父長制が今でも続いているのでしょうか
移民・流民がコミュニティを形成して暮らすのは 世界的に見れば普通のことです 日本において頑なに帰化しない第三国人がいるのも常識的な姿といえます 民族性や宗教・歴史を無視し日本人と同じに扱うというのは 固有の文化を認めない一種の同化政策志向かと思います また日本人が彼らの慣習の真似をして 夫婦別姓を主張するのも おかしなことです

註釈

註釈
01 神との契約は個人です 子を洗礼してもらうことはありますが 家族単位で入信ということではありません これが個人主義の原点です 家制度と大きく違うところで 日本国憲法の「婚姻は両性の合意のみに基づき云々」も キリスト教の教えに沿ったものなのです さらに言うなら基本的人権も 神が人間に与え給うたもので 法によって規定されるわけではありません(権利の章典がはじめといいますが この章典自体がキリスト教規範によるものです) したがって動物や異教徒には適用されないのです
02 映画「卒業」の有名なシーンです 最初見たとき気付かなかったのですが 映画では花嫁も誓ったあとに 二人して教会から走り去ります 日本なら駆落ちに相当する事態です
アメリカで神に誓った直後 反故にするなど とうてい認められない行為です 西部劇で教会に乗り込んで その結婚に異議ありと 叫ぶシーンがあった気がします これは花嫁が誓う前なので 神に背くことにならない
既成の権威に反抗するものの結局 所属するコミュニティから離れての未来はない アメリカ・ニューシネマらしい展開ですね
03 日本の結婚観で結婚と生死は結びついてなかったのではないか 「あの世で添い遂げよう」とかいう科白は心中物(道行)の中でしょう 周囲に認められずに駆け落ちする場合ですから 死後も一緒にということではなかった 日本は生きている間でも簡単に離婚できたのです
04 カソリック国スペインの皇太子妃は離婚歴があります しかし教会で結婚式を挙げない 婚姻届だけの事実婚だったので 皇太子と結婚することができました
05 結婚の形態は3つあるのではないでしょうか ひとつは同棲です 動物の番と同じく本能に基づくカップルと言えます 同棲が長く続くと日本の法律では内縁関係とされます キリスト教圏の事実婚に近い形になるわけです
日本では婚姻届を出し新たな戸籍ができた形が正式な婚姻とされます キリスト教圏は神に誓約するのが正式な婚姻です 戸籍制度は日本だけですが いずれの国も婚姻届の制度はあります 婚姻は社会的な手続きであって 同棲とは峻別されます
06 出生届の原本はワシントンDCに置かれます アメリカ国籍を表すものですから 連邦政府の所管になるわけです 婚姻届は各州が管理するので 結婚と親子は制度上直接の関係がない 日本の制度に当てはめると 婚姻届を出した州が本籍地になります 考えてみれば子のない夫婦(家族)はいくらでもあるわけで 結婚(婚姻制度)と親子関係は別のものです
07 親が離婚・再婚しても 改姓しない限り出生時のサーネームは変わらない 婚姻と家系は一緒ではないのです また親子関係も結婚とは別もので 日本と違い親権といった観念はありません 日本でいう親権は旧民法の父権からそのまま引き継いだもので 子供の養育義務とは違うものです きわめて儒教的な概念といえます
08 大叔母から聞いた話です 大叔母の嫁ぎ先と当家は500年ほどの付き合いがあります 共に上田衆ですが嫁ぎ先のK家は城持ちの豪族だったようです 御館の乱のあと春日山城から落ち延びて以来 たがいに嫁や婿のやり取りをしていたのは 血筋を絶やさないためだったと思われます
09 教会で結婚式を挙げるキリスト教に対し 離縁は寺に駆け込むのが日本の風習 戒律に囚われるより方便として使う 宗教観の違いというか 自由な感じがします
10 農村で足入れ婚なる風習があったそうです 妻問婚の変形であるとか嫁を労働力として扱ったとか あるいは婚家で養育をせず 子供が大きくなるまで実家が面倒を見るためと言われます 母系社会の雑婚が形を変えたものでしょう
民謡の「おてもやん」歌詞では 嫁入りと祝言の盃を別のこととしています すなわち祝言は 新たに家族となった嫁の披露(宴)です 幕末に作られたお座敷歌で 当時の婚姻観を表しています おてもやんは自由奔放ですね まったく囚われることなく婚姻を解消し 周囲もそれを容認 世話役たちが後始末しています
11 イエズス会のフロイスが書いているように 戦国時代から妻が夫を離縁することはよくありました ヨーロッパ社会とは大違いです このころはまだ家父長制が確立されていなかったのです(明治時代に作られた家父長制と家制度は異なります 明治以前は長男とか嫁とかで差別はなかったのです)
平塚らいてう氏の生き方は実に見事です 女丈夫といっていいか 「青踏」冒頭の原始女性は太陽であった で示されるように西洋の物真似ではなく 母系社会日本の伝統に基づくのです 家父長制のような小さなことに拘っちゃいない 明治の時代に受け入れられなかったのは 儒教精神の批判であったからです
12 渡世人の世界で〇〇一家とか親分・子分というのも 身内を擬似的な家族とみなすからです 伝統的なマフィアの〇〇ファミリーは 本当の血縁のようですね 社会生活は家族を単位として営まれます アウトローの世界でも家制度が基本となります 家制度は法律以前の世界的な慣習なのです
13 在日韓国人の娘さんが日本人青年と恋愛したのですが 結婚を親に反対され自殺してしまいました ずいぶん古い話で伯母の住む近所の出来事でした 日本の戸籍制度との軋轢でしょうか 朝鮮戦争から逃れて日本に住み着いた半島の方々が決して帰化しないのは 生家名・家柄を大事にし民族の血統を重んじる伝統かと思います
14 社会を構成するのは個人ではなく家族です 新しい家族として社会に参加するのが結婚ですから 婚姻届けという社会的な手続きが必要なのです 同棲を事実婚などと言い換えている連中は 家族を否定するのが目的ですか
日本国憲法を作ったアメリカでもそれは変わりません 西部開拓の歴史は家族協力の歴史でもあります この場合の家族は必ずしも血縁を意味しません 里親というか周囲が協力して子を育てます 赤毛のアン(カナダですが)とかフルハウスの世界です 個人の権利と自由を尊重することと 家族を大切にすることは矛盾しません
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憲法と戦力

中国は日本近海で挑発・擾乱(harassment)を繰り返しています 海上だけでなく航空機でも体当たり戦を試みているようです 人海戦術は八路軍の兵1人より小銃1丁の値段が高かった事から考えられました
人民解放軍の予算がいくら潤沢とはいえ 航空機も船も小銃よりはるかに高価です このように無謀な行為は匹夫の勇 大変愚かな連中です
軍紀が乱れているのは淮軍以来の伝統でしょうか 気違いに刃物という言葉は単なる比喩ではありません セオリーに則った行動をとらないから動きが読めず 対処できない危険な相手という意味です

国連憲章51条は 紛争が起きた場合国連軍が到着し仲裁するまで 当事国および同盟国が自衛のために交戦することを妨げないというのが素直な読み方です もっとも 5カ国の常任理事国のうち2カ国が侵略を繰り返している国連に 平和を語る資格はありません 敵国条項があるかぎり 中国が日本に軍事侵攻することは正当化できるわけですし

日本以外の国は 侵略戦争をしないと憲法に明記していても 自国防衛と上記国際機関へ協力のため戦力を保持しています 同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツもイタリアも正規の国防軍があります
一方日本国憲法は明確に 国際紛争解決の手段として一切の武力行使と交戦権を否定しています 戦力を保持しないのですから自衛も正当防衛もあり得ないわけです むろん国連軍にも参加してはなりません[01] … Continue reading

自衛隊を継子扱いのまま 国連憲章や憲法を手前勝手に解釈するのは 仁義無き戦いならぬ大義なき戦いを強要することになり 実戦の際さまざまな制約が生ずるでしょう
もちろん日本だけが無腰(警察権)あるいは竹光(自衛権)で戦い 紛争の相手国はそんなことに頓着する義理はありません 集団であろうが個別であろうが 自衛権・正当防衛で運用しろなど自殺行為です
現代兵器は命中精度が高く 先制攻撃以外に勝機はないので 後の先というわけにはいかない 日本の国土は縦深がないため いったん先手を取られたら反撃不可能です[02] … Continue reading 専守防衛(=本土決戦)などありえません

国防は外交の一環一手段です 武力の裏付けがない外交など成り立たず 外交と無関係な戦争もないのです 外交は武力をともなわない戦争であり 戦争は外交のもう一つの形です 外交戦の失敗を糊塗するため 責任を転嫁するため軍を使うことは本末転倒 許されることではありません
北方領土・竹島・尖閣諸島と日本外交は連戦連敗 近隣国に国土・領海を蹂躙されているのは おそらく現行憲法の所為でしょう しかし憲法の曲解でなし崩しに武力行使するのは きわめて危険で無責任なことです 喧嘩するなら腹を括らねばならない

偶発戦に見えても戦争は外交失敗のあと起きること逆はありません 自衛権だの正当防衛と外交・国防はまったく関係のない話 正規軍による脅威(脅迫威嚇)はあっても 非正規軍による限定的な武力行使など あり得ないことです
個別的自衛権とか集団的自衛権といった国際的に通用しない用語を使うのは 調査捕鯨などと同じく目くらましのために論議をすり替えているのです
他国から直接・間接の侵略に対して 軍ならば最高指揮官(通常は国家元首)の命令で武力をもって制します 武力行使の責任を取るのは最高指揮官になります 責任をとる者がいなければ統帥権の放棄です

それどころか 戦力の不保持をうたう現行憲法には統帥権の規定さえありません 今のままでは軍事行動に対して 誰にも明確な責任がないのです
伝家の宝刀をひとたび抜けば 血を吸うまで鞘に納まらない 軍というのは兵を退くのがいちばん難しい そんな気軽に出せるものではありません
まして治安維持部隊の代わりに 要請もないのに公海上の他国船や外国で武力をもって応戦するに至っては 甚だしい越権行為であり 主権侵害にあたります

国策・政策の下位に外交があり さらにその下位に軍事行動があります これがシビリアンコントロールの趣旨です 大義のもと正々堂々と戦う覚悟がなければ 決して刀を抜いてはいけません 兵を犬死にさせることになります
統帥権は兵だけでなく 国民全ての生命・安全・財産 そして国の独立・国土・国益を守るための重い責務を伴います 軽率な憲法解釈などで疎かに扱えるものではないのです

2018年4月9日追記=戦地に派遣された自衛隊の日報で 本当の状況を書いたら 文句を言われたので秘匿した これに言いがかりを付けられています 軍隊でないはずの自衛隊に対して シビリアンコントロールを持ち出すとはどういう料簡なのか 野党議員が軍事・外交に口を出したり政争の具に使うなど越権・利敵・亡国行為です)

註釈

註釈
01 ところで「陸海空軍その他の戦力」の“その他”ってなんのことでしょう おそらく州兵と沿岸警備隊じゃないかと思うんですが そうすると海上保安庁はその他の戦力に該当します 自衛隊どころか海上保安庁も憲法違反ですね
朝鮮戦争時に海上保安庁が機雷処理に駆り出されたそうです 一人の犠牲者が出ていますが 戦死ではなく事故死ということになってしまいます
現行憲法のまま自衛隊を明記し 戦地に派遣することになれば 交戦権を持たない自衛隊は 敵の攻撃を受けてからでないと反撃できません それも必要最低限の装備しか持てないのです
02 ナポレオンもヒトラーも ロシアの冬将軍の前に敗退しました ロシア国土の縦深が深く補給線が伸び切ってしまうのです とくに冬場は食料の現地調達もできません ロシアと対等に戦ったのは極北のフィンランドだけですね
反対に中東戦争でイスラエルがエジプトに圧勝したのは エジプトの戦車がソ連製だったからです シベリア仕様の戦車を砂漠に持っていっては使い物にならないでしょう 地形・気候を考慮しない戦略・装備では戦えないのです
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