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タグ: 権威主義

狷介不羈

狷介不羈と申します 片意地張った頑固者というニュアンスで使われます
しかしながら 自らを恃み見識を持たねば 狷介不羈を保つこと容易ではありません
何物にも囚われず縛られず 権威主義を嫌って生きるのですが 瓢逸とも 磊落とも 恬淡とも違う[01] … Continue reading

時流に流されず 大勢に阿らず 権威主義を否定すると 時として頑迷固陋といわれることがあります しかし狷介不羈と頑迷固陋は似て非なるものです
頑迷固陋は融通の効かない当人のキャラクターであり しなやかな心で意識して行うのが狷介不羈ではないかと思います

インターネット上には 風評・デマ・フェイクニュースがあふれています どう対処すればよいのでしょう 新聞・雑誌・TVは信頼できるでしょうか
Googleは自らが権威になろうとはしていません 正確な情報が表示されるよう努力はしていますが その情報が正しいか間違っているかの判断はしてくれない
唯一絶対の正解などないからです ひとつの事物でも立場や価値観の違いで 重要度が変わってくる

狷介不羈は不偏不党や中庸の精神から もっとも遠いものです 非武装中立 どっちつかずで腰が定まらないのは いちばん信用されない事なかれ主義
個人ならまだしも とくに国際関係は 互いの利害対立が全てです 国連が唯一の正義ではないし 全方位外交など右顧左眄の別名にすぎない

虚心坦懐に現実を直視し言い繕わない

ニクソン・ショックのあおりを受け 田中角栄が中国にいわれるまま 台湾と国交を断絶し 日中国交樹立となりました すべてが一方的に中国主導です そのときから中国の日本侵略は始まっています 毛沢東は100年200年先を見通していたのでしょう

パンダとトキで誑かされるのですから たわいないものです 次には格安労働力を餌に日本企業を誘致 皆こぞって中国に合弁工場を建てました
いまやすべての工業製品は中国生産 現地の工場と技術はいつの間にか 中国のものになっていたのです 家電メーカーに至っては 中国に買収される始末です

満鉄を初めとした資産を奪われたこと 忘れていたのか忘れたふりをしたいのか 満州国経済を牛耳った官僚の岸信介は 日本の敗色が濃くなると他に先駆けて逃げ帰ったが 莫大な政治資金も持ち帰ったといいます
その孫にあたる安倍晋三が日本国憲法を変更しようとしています なんと戦力不保持・交戦権を否定したまま 自衛隊の存在を認めるというのです 日本国憲法には統帥権の規定がありませんから 万が一武力行使する事態になった時 その結果に対して誰も責任を取る必要がないのです  

北朝鮮からのミサイルに備えるといって 姿勢を低くして頭を手で覆う なんて映像がTVのニュースで流されていました 空襲警報・灯火管制・焼夷弾が落ちたら叩き消す と全く変わらない事をやってる
北朝鮮の脅威に対抗して日本も核武装化? まさに竹槍精神と同等な現実を見ない浅薄な暴論です 原子力発電でモタモタしている国が核兵器開発などできない[02] … Continue reading

緊迫した極東情勢をよそに 自分たちの既得権益が奪われると 官僚が政治に楯突こうとしています その間隙を突きインターネットの世界では中国・韓国資本が横行しています 
しかも行政に深く入り込んでいるのです 一朝事が起きれば 情報戦・サイバー攻撃で日本は圧倒されることでしょう

権門上に驕れとも 国を憂ふる誠なく
財閥富を誇れとも 社稷を念ふ心なし

大義がなければ軍は戦えない

中国は経済侵略に留まっていません 軍備の増強に伴い日本の領海・領土が脅かされ始めました 国軍を持たず自らの交戦権を否定している日本は 中国の侵略になす術がない情況です 国内法である日本国憲法を他国が尊重する義理はありません
必要最低限の武力ってどういうこと 軍事も外交も優勝劣敗 勝つか負けるかしかない 敵の企図を粉砕し意志を屈服させる必要最大限の打撃力がなければ 防御は成り立たないのです 両者痛み分けなんてないですから
専守防衛って何? 籠城でもするつもりですか 南シナ海には立派な海洋基地ができました いつでも海上封鎖(兵糧攻め)できますよ このままでは遠からず日本全土が実効支配されます

自衛隊を正規の国軍とし対等の日米同盟を築かなければ 日本は中国かアメリカに隷属するしかありません 吉田茂以来 その場しのぎの憲法条文解釈でごまかして アメリカに従ってきたが これからは力関係で中国有利になりそうです
国の独立(主権)を保つには 大きな覚悟と責任が伴います 二人の賢将より一人の凡将(さすがに腰の定まらない愚将では無理ですが) 多数の合議で軍を動かすことはできないのです

責任を取る者がいなければ軍の統治はかなわない 先の昭和大戦の無様な負け戦さぶりを見れば 一旦出した軍を引くのがいかに難しいかが分かります 
薩長明治政府から始まった無責任な合議制が 退っ引きならぬまでの情勢を作り出したのです 昭和天皇のご聖断がなければ 文字通り一億玉砕でした

註釈

註釈
01 私個人の解釈ですが 「磊落」は小事を疎かにする 「飄逸」は俗事を避け逃れる 「恬淡」は無関心・傍観する といったニュアンスがあると思います 「狷介」は自らの尺度を持つことではないでしょうか
02 イスラエルは密かに核兵器を開発しているようですが 日本にそんな技術はありません 蒲田の町工場の職人技が素晴らしいといっても 核兵器開発は無理なことです
蒲田の町工場主人が温度計の鞘の設計不備を指摘したが 加工を発注した東芝は無視しました その結果もんじゅの事故が起きました 人災です
蒲田の商社に勤める人から聞きました 北朝鮮の核兵器や弾道ミサイルには 日本の技術・製品が多用されれています 複数のダミー会社を使い中国経由で輸出していたのです 公安警察は把握していたものの 取り締まる法律がなく港で監視するしかありません
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神(紙)エクセル

神(紙)エクセルというものがあるそうです 紙にプリントしたときの見栄えのため 神業のごとくエクセルを使った 主に役所関係の書類のことらしい
セルに文章を書くことになるので データの流用ができず 問題になっているらしいのです とくに全角数字がいけないという
以前にも書きましたが 全角・半角とか等幅フォントが混在するのは 日本語版ウインドウズ独特の仕様です Macでは考えられない

役所の書類は「様式1」だ「様式2」だと 細かく規定があります 厳密にこの様式どおりの書類をワードでは作れません
前例主義の役所では 以前の様式と1ミリでも違うと 上司からクレームがつくのでしょう そこでエクセルを駆使して 寸分違わぬ書類の雛形を作ったのではないかと想像します

じつに労作ではありますが いかにも日本的いかにもお役所仕事いかにも馬鹿げたことです
お役所の仕事は体裁を整えること つじつま合わせがもっとも大切です そのためによけいな仕事を作り出す 生産性とか効率は 仕事の邪魔でしかない

エクセルやワードを使ったことがないので どうもこういった感覚が分かりません でもイラストレーターで自由にレイアウトした文書より ワードのありきたりな定形文書の方が読みやすいと言われることはあります
見慣れているからなんでしょうか 斬新なもの規格外のものは なかなか受け入れられないものです そのくせ全角・半角混在は全く気にならないのですね

書式の根拠は曖昧

考えるに文書の様式は 活版時代の技術的制約からきたのだと思います 印刷屋さん独特の書式があり それがいつの間にかスタンダードになったのでないでしょうか
活版が写植になり コンピューターによる印刷へと変化してきました しかし書式やレイアウト(組版)は活字時代のまま電子出版にまで引き継がれています
確かにかつての職人さんが築いてきた様式は 用の美といいますか日本語文書の完成形です これに準拠していれば間違いはない しかし細部まで旧態に拘る必要もないですね[01]手紙文の時候の挨拶とかも よく分からん習慣です 江戸時代の手紙は巻紙に候文ですか 折り方にも決まりがあったようで なかなか難しい

御・行を二重線で消す

奇妙に思うのは こういった印刷屋さんのテンプレートで あらかじめ宛先が〇〇行となっているところを二重線で消して その脇に様とか御中と書き直して返信するという習慣です 御名前や御芳名の御や芳を消したりするって何の意味があるのでしょう そんなのは謙遜でも奥床しさでも慎みでも礼儀でもない
おそらくマナー評論家みたいなのが言い出したことではないだろうか 二重線や一本線で消して訂正印なんてのも お役所の書式から来ていますから これも一種の権威主義かもしれない 自分の間違いならいいが 相手の書いた文を訂正したり書面を汚すことこそ むしろ無礼でありみっともないと思いますが[02] … Continue reading

年賀状と年賀欠礼

これも 誰が言い出したか始めたのか よくわからない習慣として 年賀欠礼ってありますね 印刷屋さんと郵便局の都合でしょうか 私は全く必要ないと思うし うちの菩提寺の先代住職が亡くなったときも 寺から普通に年賀状が来ました
仏教で喪に服するという教えは聞いたことがない 七七日で忌明けとなりますし 新盆を迎えて葬儀に関する一切は終わります いろんな宗派のサイトを見ても だいたい新盆を迎えれば年賀状を出すと書いてます
親戚など葬儀に参列した人なら承知していることだし 年賀状だけの付き合いの人に 身内のことを知らせる必要もないでしょう[03] … Continue reading だいたい本当に喪に服しているとも思えません 服喪とは公の席や晴れやかな場に出るのを慎むことです 最も穢れを厭う宮中賢所の内侍でも 服喪期間は半年だそうです

註釈

註釈
01 手紙文の時候の挨拶とかも よく分からん習慣です 江戸時代の手紙は巻紙に候文ですか 折り方にも決まりがあったようで なかなか難しい
02 結婚式の招待状なんか汚したくないですね 私は往復はがきを出すとき 自分宛てには名前のみにします 同級会の幹事やったとき 男子は全員そのまま送ってきました 女子は全員が様を書き加えていました 医師の紹介状には脇付の侍史を書く習慣があるみたいです あと目上の人への手紙には 句読点を使わないのが礼儀だったんですが
03 年賀状は 江戸時代の旗本たちが上役宅への年始挨拶に持っていった 賀詞が始まりといいます 挨拶に行っても お目見え以上の家格の者は登城していますから留守です そこで受付の用人に賀詞を渡して 確かに挨拶に行った証拠とするのです
後代でも年始の挨拶は 玄関で賀詞を述べ名刺を置くだけが習慣でした 年始の客が来ても主人が出て応対することはありません 私が小学生くらいの頃はそんな習慣がまだありました
年賀状は年始の代わりですから一家の主がすること よく覚えてないが喪中ハガキのやり取りなんかなかったんじゃないかな 身内の不幸と年始の挨拶はまったく関係ないことですから
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戸籍名とフルネーム

日本人はファーストネームだけ

日本には個人のフルネームがありません 明治以前の庶民(町人)には姓のない人がいた とよく言われます しかし今でもそれは変わっていないのです 私たちが姓だと思っているのは 実は戸籍名(家名)[01] … Continue readingです 個人の属性は名前しかありません だから結婚や養子で戸籍が変われば姓も変わります
アメリカなどでは 出生届けにファーストネーム・ミドルネーム・ラストネーム(と両親の姓名)を記載します これは一生変わることがありません 名付けに制約はなく自由につけられます 家族のラストネームがすべて異なることもあります
改名・改姓も可能ですが そうすると出生証明書と改名・改姓許可証の2つになります ノーベル文学賞を贈られた(けど無視!)ボブ・ディランさんは 芸名を本名に変更しているのだそうです 改名・改姓は裁判所に届けて審査を受けます 犯罪歴があると改名・改姓できません

社会生活上は本名でなく ニックネーム(通称名)で通すのも普通のことです とくに女性は結婚すると多くの人が夫の姓を名乗るようです いちいち改姓届けは出しませんが
子供のラストネームに父方のラストネームを付けることが一般的ですから 家族の一体性を保つという意味があります ラストネームはサーネームともいい 家系(通常は父方)を表します つまり家名ですね
このような社会慣習を尊重し アメリカ大統領選はクリントンの通称名で立候補します ドイツのメルケル首相も通称名(前夫の姓)ですし イギリスのマーガレット・サッチャーもそうです 結婚したら家名を大事にする これが世界の一般常識と言っていいでしょう

女性教師が学校内での旧姓使用を求めて 裁判を起こしましたが認められなかったそうです おかしな話だと思います 旧でも新でも戸籍の姓が本名という訳ではないのに
たぶん教員免許は旧姓で発行されていると思います 結婚したからといって変更はしないでしょう 通称名(旧姓)でなんの不都合もないはずです(最近は更新制になったからどうかわからない)[02] … Continue reading

家名があるから家族です

明治以前に武家と百姓であったものの戸籍名(姓)は家名を表しますから 家制度の名残だというのはその通りです でもそれはサーネームと同じ事で 日本だけが旧態依然というわけではない
いまさら戸籍制度を廃止する事もできないでしょうが 戸籍名イコール正式名とし強制するのはやめるべきと思います アメリカや他の国では結婚したら通称名で夫の姓を名乗るのですから 日本は職場など通称名(旧姓のまま)で構わないではないか
公的文書の署名は戸籍名でなくてはならないというのは お役所の権威主義から来ていることです 窓口担当が役人風を吹かして 不受理とか言ってるだけのことで 規則として決まっているわけではありません 外国の方の住民票はカタカナ表記になります 日本風?の名前に変更することも自由です これは本名ではなく通名とされ受け付けてくれます

ただ これを夫婦別姓論と結びつけてはいけない 中国と朝鮮半島は夫婦別姓です 社会慣習上 結婚しても女性がサーネーム(一族の家名)を名乗れないのです 正確には妻ではなく嫁なので 婚家の姓を名乗ることが許されない これは家父長制・男尊女卑から来ている社会慣習です それだけでなく 同姓の男女は結婚できないという掟があります 子供は父方の姓になりますから家の中で嫁だけが別姓です

家族が同じ姓を名乗るのは日本の伝統だ 新しい戸籍ができても旧戸籍名を名乗りたい どちらも戸籍制度に縛られた妄言です どのような制度であろうと 家族の中で夫婦だけ血縁がありません
親子の縁は多分死後も続きますが 夫婦の縁は互いが生きているときだけです その縁さえも脆く危ういものです 結婚したら家名に縁を求めるのは 世界共通の自然な感情ではないでしょうか

たしかに変わる方とすれば煩わしいのは分かります でも通称名を認めない社会がおかしいだけで 戸籍法に文句をつけるのは むしろ権威主義です 日本の戸籍制度では 犯罪者が養子縁組で簡単に姓を変更したり 偽装結婚で中国人等が日本人になりすましたりできます こちらの方が問題です
日本の姓が世界でも群を抜いて多種多様だったり また反面で同一地域に同姓が多いことが示すよう 元来あまり拘ってはいなかったようです 生家の家名に拘泥するのは朝鮮半島の習いを持ち込んだのではないか[03] … Continue reading

同じ姓でも戸籍に記載されている文字が多様で一点一画の違いが多いのは 書き写す時の書き間違いや書き癖に由来するといわれます はたしてそうでしょうか いちばん多いのは分家同士が区別するため別字に置き換えたことが理由です よく例に挙げられる〈圡〉など書き間違いじゃない[04] … Continue reading
ついでながら 我国の漢字は同じ文字で新字体や略字体など何種類もあります けれど 画数が多くて難しそうなのが旧字体というわけではありません 例えば「島」が正字「嶋」は別体字「嶌」俗字です ほかにも異体字「㠀」があります なので本家は「島」の字を用いることが多い[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 姓が個人の属性でないのは 我々庶民に限りません 戸籍のない皇族方が姓を持たないのも同じ理由です 戸籍制度ができる前 武家・百姓以外の町人(商家)には家名がなかったかもしれません でも屋号で通して何の不便もなかった 無宿人なんかは二つ名を持っていましたが これは通り名(ニックネーム)ですね
02 旧姓(実家の家名)に対して 婚家の家名(戸籍の姓)を本名というのはおかしい事です 離婚すれば変わるのだから(日本はカトリック国と違い離婚は比較的自由でした) Wikipediaでもそう書いていますが 本名の対義語は通名で 実名に対するのは仮名だと思います 旧姓に対してだったら現姓でしょう
03 半島の方々は出自を殊の外大事にします ですから姓は非常に少ない 日本と並んでアメリカも姓の種類が多いのですが これは移民の国だからでしょう 通称名は自由につけることができます 中国人は欧米風の名を名乗りますね これは偽名に近いかもしれない
04 姓の文字を変えても読みが同じなので 通称名として屋号・地名で呼ぶようになります 区別のためであって 家名がなかったわけではない 明治期に屋号をそのまま姓にする例がありました なので戸籍名は明治以降に新しく作ったものがけっこう多い これらは家系とは無関係なのです
05 清の康熙帝が初めての漢字辞典を作りました 清は満洲族の国で言葉も文字も漢族とは異なります 支配するのに都合が悪い 中国人のほとんどは文盲ですから 満州語を標準にすることもできません そこで止む無く漢字を取り入れたのです
漢字・漢語を勉強するために作られたのが康熙字典です 日本の漢和辞典も康熙字典が底本となっています 正字とされるのは康熙字典の表記です
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