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タグ: 流通

パン

子供の時 ホットケーキとパンケーキがどう違うのか(同じものですが)疑問に思っていました いろいろ考えて出した結論が おやつに食べるときはホットケーキ パン代わりに食べるのがパンケーキだという解釈です
ホットケーキミックスが世に出たころのことです アメリカの探偵小説で 朝食にパンケーキを焼いて 固茹卵だったかベーコンエッグと共にコーヒーで流し込むといったシーンがあって どうみてもホットケーキのようで悩んだのです

オーブンは昔天火といってました そこでオーブンプレートのことを天パンといいます 天火のパン(平鍋)ですね
若い主婦向けの雑誌が盛んに創刊されたころ(出版社でなくTV局や流通業者が出していた) たぶん最初は誤植だったんじゃないかと思いますが 天板と書いてることがありました やがてそれが定着したというか 誰も疑問に思わなくなったみたいです NHKの料理番組で「てんばん」と言ってましたから
天板という言葉もあって テーブル・タンスなどの上部 平らな板のことです 板状に見えなくはないが 天火といわなくなったのになぜでしょう 子供が食パンのパンとフライパンのパンで混乱するのと大差ない いい加減さです
奇妙な言い回しは 女性誌・ファッション誌といわれた雑誌から始まり TVで広まったように思います いろいろありますが書くと気分が悪いので書きません

スポーツ雑誌も プロサッカーが盛んになるに連れ それまでの写真グラフ誌から 記事主体になったみたいです
スポーツライターという職種?ができ 荘重華麗な文章を書きたかったのでしょうか どこかで聞きかじったような こなれない美文調を真似ていました それをやはりTV放送の時アナウンサーが真似 耳障りな中継を行うという具合です

昔の新聞記事の擬古文調は一種独特の趣がありました(新聞屋文というらしいですね) キューバのカストロが死んだとき朝日新聞はほぼ全面カストロの記事で埋めてました たぶんカストロを賛美するというより 過去の人なのでデータベースからいくらでも書けて楽なんでしょう
かつての天声人語はコラムのお手本のように言われていました 今はどこかから引っ張り出してきた孫引きばかりです 自社のデータベースを使っているんで特に問題はないと思いますが いわゆるキュレーションサイトと大差ないことをやっているわけです

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士農工商と武士道

士と農の関係

士農工商を江戸時代の身分制度と唱える者がいます 士農工商は朱子学にみられる言葉で 中国の価値観で仕事の貴賤を表します 職業に貴賤があるのです おそらく薩長明治政府が徳川の施政を否定するため 四民平等のスローガンに合わせる形で持ち出したことです 江戸時代に士農工商という言葉は使われたが 様々な生業という意味です
江戸時代に限らず 日本に身分制度・階級制度はなくむろん農奴もいません 官位はありましたが文字通り役人の地位に対する区分けで身分制ではない また明治維新後の華族・士族・平民とか爵位も ヨーロッパに合わせたに過ぎない

朱熹のいう士は 武士のことではなく士大夫です 士大夫とは科挙で合格した官人をいいます[01] … Continue reading 日本は科挙制を取り入れていませんから 士大夫も存在しません 武士は身分・階級ではないので 御家人株の売り買い(公式には認められていない)もありました
支配階級である武士が 農民から搾取していたなど 全くのこじつけなのです[02] … Continue reading そもそも侍って武装した農民ですから 戦国時代は要するに田圃の取り合いでした 武士の俸給が米であったのは このことを物語っています
 
豊臣秀吉が天下を統一し 敵対した側から武器と土地を取り上げました 太閤検地と刀狩りです その結果 帰農し農業専従になった者と もっぱら軍務に就く者が分かれました
しかしそれは階級とか身分ではないので 本百姓は苗字帯刀など相応の処遇を受けています 守護代が守護を凌駕する下克上は荘園の自立でした 中国・ロシアのような農奴制(支配・被支配の関係)ではなかった

班田収授法の頃より 米生産の担い手は小作農中心でありました 米が産業の基盤だったり俸給代わりに使われた理由は保存性にあります 戦国・江戸時代以前の租税には種々ありましたが 主なものは保存と流通が可能な産品でした 中で主要なのは繊維製品です軽くて単価が高い 米以外の食料品では塩蔵や乾物などですね[03]日本全体の経済流通の基盤としては すでに天武天皇の時代に富本銭が鋳造されています 米は糧食の基幹でしたが租税の中心ではありません

近世の経済というか物価の基準として 米を取り上げるのは適切でないでしょう 武士の俸給が米であっただけで 行政の予算に相当するが経済の中心とはいえない[04] … Continue reading
米は豊作・凶作で価格が変動しますし 米相場を操作することも行われました(大阪堂島と江戸札差の間の米価は手形決済でした 情報が価値を生む経済です) かなり投機的な商品だったと思います それが旗本・御家人の困窮にもつながりました
貨幣の代わりに米が流通したわけでなく米切手で換金します[05] … Continue reading あくまでも人件費を中心とした行政予算が米だったのです(現在でも行政予算の大半は人件費です)

士道に背くまじき事(新選組局中法度)

徳川の世になっても 多摩や武州の土豪(百姓)は武芸に励んでいました(坂口安吾の「馬庭念流のこと」が面白い 青空文庫に収載されています) 新選組の近藤勇は天然理心流[06] … Continue readingですね 彼らは武蔵七党などといって 徳川が江戸に移ったときから配下となっています
中で西党は西国からの軍勢を撃退する いわば国境警備隊の役割を担っていました 新選組解散後に甲陽鎮撫隊を編成したのも 伝えられていた家康の遺訓に沿ったことでしょう

徳川時代に鎖国をしていたといっても 主に植民地化の先兵であるキリシタンバテレン対策ですから 文物の交流はなかなか盛んでした 窓口となっていたのが長崎出島です その影響もあって西国大名は 早くから商業を振興し米中心から脱却していました
この先駆けは何といっても織田信長です 重商主義を取り入れ海外にも目を向けていました 米作中心の武装農民である他の戦国大名と違います[07] … Continue reading

明治維新で徳川から政権が移ったのは 最後まで旧態依然の制度を墨守していたからです 御家人に勝海舟など優れた人物はいましたが 老中は兵糧米の心配をしたり 新選組・彰義隊は 火縄銃や白刃で薩長に立ち向かうという具合です 旗本でない新選組の拠り所は士道でありました[08] … Continue reading

江戸時代は 朱子学に基づいた「忠義」が武士の心得とされていました 士大夫が武士にすり替わり 武士道ということが言われたのかもしれません もっとも実際に官僚化していましたから 士大夫=武士といっても差し支えなかった

士道・武士道

武士の中にも郷士や下士 また旗本・御家人などの違いがありました(この違いは最初からの家臣と 戦に負けて帰服した者の区分けです) これを階級と言えなくもないのですが 御家人や郷士の方が収入が多く裕福だった例はいくらでもあります[09] … Continue reading

なお武士道という言葉は キリスト教徒であった新渡戸稲造がアメリカで書いた「BUSHIDO The Soul of Japan」が逆輸入されたものです 西洋のキリスト教に基づく道徳教育に相当するものとして 「武士道」が日本の徳育に取り入れられていると主張する いわば文明開化の産物です[10] … Continue reading
この本は新選組・彰義隊・白虎隊が殉じた士道と大きく異なります 西洋列強に伍する文明があるといって いちいち西洋の事例になぞらえて言い訳している(フリードリヒ2世と上杉鷹山を並び称したり) 日本の伝統とはかけ離れた内容です

明治維新後も日本が植民地にならなかったのに 士道の精神が大きかったのは事実だと思います 士道はキリスト教とは違う価値観と高潔・高邁を表す言葉といっていいでしょう 武家が無くなった今でも日本には 名をこそ惜しけれ士道が生きています

註釈

註釈
01 中国においても他国と同様 農・工・商は必要に応じて自然と生まれた職業です しかし士大夫は官僚制度が生み出した人工のものです もともと必要とされたものじゃない 官僚が現れて職業に貴賎があるとされたのです 順番としては上から 卿・大夫・士となります
02 明治になって確かに武士はいなくなりましたが 維新の元勲と称する者たちが権益を独占し 官僚が優先される役人天国となりました 自らが支配階級になるのでなく 主権を天皇陛下に預けてしまいましたから 臣下である自分たちは責任を取る必要がありません この構図は今に引き継がれています
03 日本全体の経済流通の基盤としては すでに天武天皇の時代に富本銭が鋳造されています 米は糧食の基幹でしたが租税の中心ではありません
04 江戸時代はすでに貨幣経済だったのに 米を年貢として行政の予算としたため 不作の年は予算不足になるだけでなく 餓死者が出るほどの飢饉になりました 大変不安定な経済基盤であったのです 武士(土豪)は荘園の独立が起源で 後の時代も各藩は米を中心とした自立経済圏です
05 各藩の行政予算も米中心でした 年貢として納められた米は兵糧米として備蓄する分を除いて換金します 換金するには大阪や江戸へ運ばなくてはなりません その回送費用も莫大なものになります 藩の財政基盤を強化するためには米だけに頼らず 藩内の産業を育成し自立経済を目指す必要がありました
06 天然理心流は全くの実戦剣法で ポンポン撃ち合って勝ったことにする負けたことにするという 江戸時代後期に流行った北辰一刀流とは別物です 北辰一刀流免許の坂本龍馬が6連発を持っていたのは 小器用な道場剣法は実戦の役に立たなかったからです
現在の剣道は全くのスポーツで士道の精神とは関係ありません 北辰一刀流が元になっています 江戸時代にすでに形式化していましたから ちょうどよかったのですね
07 上杉謙信公が関東に出陣するのは 常に冬の始まり農閑期です 関東を平定し春前には越後に戻ります 一種の出稼ぎといっていい(もっとも当時は米作が中心ではなく 主に麻の織物が産品でした 小千谷縮が女手で作られ 冬に糸を績み雪に晒すのはその名残です)
織田信長の軍勢は野伏や他国からの帰服者で編成された 鉄砲が主装備の足軽中心の常備軍です 報酬は扶持米ではなく金銭です その原資は堺などから得る課徴金でした
08 新選組はもともと仕官していない集団です 主君のためにでなく会津公の命で戦いました 会津公は孝明天皇の要請により京都守護職を承っていましたから 孝明天皇の意のもと刀を抜いたのです これこそが士道であります
09 「武士は食わねど高楊枝」の出典はわかりませんが 決まり事にしばられ体裁を整えなければならない 貧乏旗本の悲哀を表しているように思えます
時代劇や落語で 腰のものを金に替えてしまい竹光を帯びて 上司に挨拶に赴くなんて場面があります 御目見以上の上級旗本はそんなことないでしょうが
士農工商が身分制度であったら 食うに食えない武士など存在しませんから やせ我慢も見栄を張ることもありません
10 新渡戸稲造自身がキリスト教徒ですから 仏教や神道といった邪宗を持ち出すわけにいきません そこで思いついたのが武士道です(中世ヨーロッパの騎士道に倣ったのでしょう) これなら宗教と関係のない道徳規範です
いってみれば武士道なんて架空のもの 当たり障りがなく好都合な言い訳です 実際の道徳規範は武家が儒教であり 庶民は道祖神と習合した地蔵信仰でしょうか 仏教も儒教も宗教でなく学問として取り入れられ 後に道徳となりました
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出版は死んだ

明治時代の出版は免許制でした 官許のある出版社のみが版権(複製権)を持っていて 著作権保護という観念はなかった 著作者が印税を得るのは個別に出版社との交渉・契約にかかります
著作権法になっても相変わらず 日本出版界独特のものとして残っています 要するに著作者の囲い込み ないし著書の出版権を独占するということです

岩波茂雄が夏目漱石に取り入って「こころ」を出版(なんと制作費・印刷代は漱石が負担)したあと 漱石著作の版権を手に入れ全集を出したのは典型的かと思います
漱石の頃は著名作家といっても筆一本で立つには不安がありました そこで朝日新聞の社員という形で給料をもらっていたのです 朝日との契約が終了し 再び経済的な不安にかられた漱石は この岩波の申し出を受けました
以来3年縛りといった囲い込み商法は 日本出版界の悪しき商習慣として根付いたわけです

知人がある出版社に本の企画を出しました すると制作費・編集費を出してくれるなら出版してもいい ただし初刷1500部のうち500部を買い取ってくれ という条件を示してきました
それってほぼ自費出版でしょう それなら出版社はいらない まったくリスクを取らないなら存在意義がない だったらアマゾンで出した方が よほどいい事になります

この本の場合は図版がメインなので キンドルで読むわけにはいかない 日本でも「Kindle ダイレクト・パブリッシング」により 電子出版は個人でも可能になりましたが 物理的な書籍をオンデマンドで出版するのは難しい
売れそうな本なら版権で囲い込む あまり売れそうもないのはリスクをとろうとしない 再販制や巨大取次が流通を支配する それが日本の出版界です

アマゾンのおかげで ようやくこのいびつな出版流通が改められようとしています 電子出版に関しては講談社とかがイチャモン付けてますが
アメリカみたいに出版社と著作者の間にエージェントが入ったり 著作者本人が版権管理会社を作るようにならないとだめですね 著作者による自費出版はアマゾン草創期から盛んだったようです
印税も昔は印紙に判子押したから明快だったけど いまは印刷部数じゃなくて実売部数だったり 初刷だけだとか聞きます

役人が噛んで始めた出版デジタル機構をメディアドゥが買収するそうです アマゾンだけでなくさまざまな電子書籍取次会社が林立してきました
市場が広がるにつれ コミックの世界では作者自身がメディア会社(エージェンシー)を立ち上げるようになりました 講談社と袂を分かった漫画家・佐藤秀峰氏の取り組みを応援したいですね
ベストセラーだとかなんとか騒いでいるのは いまだに20世紀の大量生産・大量販売の妄想に取り憑かれているのです

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