東西冷戦のころ 中途半端な社会党あたりが どちらにも与しない 中立・中道の第三極とかいってました そういった連中は 自らをリベラリストと称していました
不偏不党とは自分の信念・意見・考えがないことです どちらでもないは第三の立場という意味じゃない 他人の言葉に左右される どっち付かずの態度に過ぎません
先入観や予断をもたず 完全に公正中立な見方ってあるのでしょうか 判断するということは 自分の価値観に適合するかどうか ではないかと思います
色眼鏡で見るは あまりいい意味で使われません しかし 自分色がなければ基準がないわけで かえって事物の姿が 霞んだり歪んでしまうのではないでしょうか
例を挙げれば 光ファイバーなど特殊なものは別として 日常目にする透明なガラスやプラスチックは わずかに色素を入れています 無色だと人間の眼には 白く曇って見えるためです
色の三原色とか虹の七色といいます でも色は人間がそのように感じているだけ 他の動物は違う色を見ています 赤外線や紫外線が見える生き物もあります[01] … Continue reading
いろんな色が混ざって 白や黒になるわけじゃありません 白や黒という色はなく 明るいか暗いか(光があるかないか)反射率の違いだけ ですから無色透明もないわけです
自分の基準がなければ 誰かの基準を持ってくることになります たとえばキリストの教えなどです ギリシャ・ローマ時代の なんに書いてあったか忘れましたが 砂漠に住み豚を食べず唯一の神を信ずる 変わった民族がいるとありました[02] … Continue reading
キリスト教が広まる以前の世界は 多神教が普通の考え方でした 日本はもともとリベラルな国です 八百万の神は まさに多様性そのものです
教会など単一の価値基準に対して 多様性を認めるのが 本来のリベラリズムです いろんな色の見方があっていいし[03]透明なガラスに入れる色素は赤や緑が多いようです プラスチックでは紫なんかもあったかもしれない 切り口の色で分かります そのほうが透明性が高いと思います
一神教のような二元対立論なら どちらでもないと逃げることもできます 多様であればあるほど 旗幟を鮮明にしなければならないのです
日本に白か黒かの単一価値観は似合いません かといってすべての真ん中・中庸 灰色が正しいなんてこともない[04] … Continue reading
註釈
↑01 | 薄暗がりでは 水色は白に見え紅色は黒に見えます 赤・青・黄の絵の具を混ぜても決して黒にはなりませんよ 実際にやってみればすぐ分かることです 教科書に書いてあることを鵜呑みにしてはいけません 同じように報道されたことだけが事実ではない 何らかの政治的意図のもと書かれない真実がたくさんあります 記事を取捨選択するデスクは 公正中立な判断に基づいているつもりですが |
---|---|
↑02 | ソ連邦の崩壊により 冷戦時代の単純な二元対立論も意味をなさなくなりました いま世界はさまざまな立場・価値観が主張されています 右だ左だ真ん中だといったレッテルばりを 未だにやっているのは日本だけじゃないですか |
↑03 | 透明なガラスに入れる色素は赤や緑が多いようです プラスチックでは紫なんかもあったかもしれない 切り口の色で分かります |
↑04 | モノクロ印刷と白黒印刷は異なります モノクロームは単色という意味です たとえばセピアカラーの特色インクを使ってもモノクロ印刷です 黒一色のインクで印刷すれば やはりモノクロ印刷になります しかし白黒印刷の場合は 中間のグレートーン(256階調)を再現するために 黒に加えグレーのインクを使うことがあります この場合は2色のインクなので モノクロ印刷ではありません |