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タグ: 縄文

文献初出

さる鍼灸師の方から聞いた話 鍼灸といえばツボ(経穴)です このツボは中国から伝わりました とはいえ似たような治療は世界各地で行われていたと思われます[01] … Continue reading 中国発祥で周辺諸国がそれを真似したわけじゃない 記録されていないだけのことです
中国人は様々なことを分類整理し体系化します そして文書に記す 文字による記録は汎用性があります ツボもそうやって各地に伝播しました この場合は絵図面でしょうが
体系化はある意味科学的な思考です 科学は再現性が重要です 例外があってはならないのです 再現のため体系化のためには 文字で記録する必要があります そうやって精緻な理論が組み立てられます

臨床の立場からすると ツボだけに頼ると治療効果の現れないことがよくあります 人間一人一人の身体はすべて違うから 類型化したツボそのままでは対応できないのです この辺の見極めが技なのですが 技は文字では伝えられません
あらゆる事象は 人間の作った理論に従っているわけじゃないのです 技は理屈からではなく謙虚から生まれます[02]漢方薬も同じことで 験が有る無いとか匙加減は 徒弟制度で伝えられました
体系化すると取りこぼされることが出てきます すべてが平均値の人間なんていないからです 鍼灸でいうとツボの例外が阿是穴です 以痛為輸 あぁそこが痛いという個人の反応です[03] … Continue reading 過去の経験の蓄積からおおよその見当はつきますが 患者の様子を見ながら阿是穴を探ります

この話を聞いて鍼灸に限らない 今まで中国人の記録した文献に基づいて論じられる 日本文化論で取りこぼされたことは多いんじゃないか しかもその取りこぼされたものこそが 日本文化の本流なのではないかと思い至りました 文化は固有のもので渡来などしません
そして底流に沈んでいる日本文化の源流は 文字を持たなかった縄文文化であろうと想像するのです 言葉では伝えられないこと 文字では掬い取れないことの方が遥かに多い
文献は貴重な資料です しかし表層に顕れた事々を 文字で記録したに過ぎない 深層にある物事を読み取る推理力が大切な気がします[04]縄文文化は滅びても途絶えてもいない 祭礼・古俗・慣習・掟・物語といった様式で伝えられます これを掘り起こしたのが柳田國男先生です
文献に初出をもって 事の始まりとするなんて馬鹿げています 広く行われて初めて記録されるのです 何もなかったところに中国からもたらされ それから皆が真似するなんてことはない 文化は風土に根ざしたものです

中国の影響を無視することはできません 大半は政治システムを導入しただけです 文化の影響は受けていない 私は中国に宗教はないと思っています 儒教も道教も政治支配の規範です 支配者に都合のいい理屈です[05]儒教とくに孟子は立身出世なった官僚向け 老荘道教は出世競争に敗れた者の拠り所でしょうか
聖徳太子のころ 日本は主権と独立を守るため 国としての体制を整えました 当時の外交相手は中国でしたから それに準じました そのままではなく 日本に合わせて取捨選択また改変しています
最初は朝庭が中国の風を取り入れました 主に外交目的ですが目新しいことへの好奇心も大きかったでしょう 公地公民から守護地頭制への移行により 税制と武家の人事権が征夷大将軍のものとなりました 同時に外交も太政官を通して 実質的に幕府が担います[06]豊臣秀吉は庶民の出なので 征夷大将軍にはなれません そこで関白太政大臣として支配しました 言ってみれば王政復古かもしれません

鎌倉時代は元と南宋が外交の相手です 元は覇権主義ですから交易相手は南宋となります 日本からの輸出品は刀や木材(軍船製造用)そして硫黄(火薬製造用)などが多くを占めています つまり軍需物資・武器支援ですね 外交とは軍事なのです
後の時代に徳川が 武家の統率にはなはだ都合がよい朱子学を採用しました[07] … Continue reading といっても戦国の世に南蛮文化の影響を受けたことから 徳川の時代には中国の風は次第に廃れていきます そして鎖国により独自文化が花開きます 「論語読みの論語知らず」という言葉が象徴するように 儒者は知識を振り回す教条主義であって 決して尊敬の対象とは見られていません

註釈

註釈
01 動物は傷口を舐めて治します 痛い所に手を当てるのが人類最初の治療です 手当という言葉の始まりですね これが発達して鍼灸の治療となったのでしょう
02 漢方薬も同じことで 験が有る無いとか匙加減は 徒弟制度で伝えられました
03 ツボ(経穴)は経絡の交叉点にあり気が出入りする穴です 理論であり実体はないが 治療効果が認められています それに対して阿是穴は 解剖学的に相当する組織があるのではないかと言われます
04 縄文文化は滅びても途絶えてもいない 祭礼・古俗・慣習・掟・物語といった様式で伝えられます これを掘り起こしたのが柳田國男先生です
05 儒教とくに孟子は立身出世なった官僚向け 老荘道教は出世競争に敗れた者の拠り所でしょうか
06 豊臣秀吉は庶民の出なので 征夷大将軍にはなれません そこで関白太政大臣として支配しました 言ってみれば王政復古かもしれません
07 儒教(朱子学)の家父長制は軍事組織として武家を管理する統帥綱領 また長幼の序は官僚勤務規定となりました これは明治時代まで引き継がれます
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祭り

祭りは神に奉う・順う・服うの意でありましょう 古代の神は日本の自然・風土・四季の恵そのものです 祭りは祭礼・例祭と言いますように 様式・習わし・仕来りとして 繰り返し伝えられます あたかも自然の営みをなぞるが如くに すなわち祭りは随神の道であり 幾千年と続く民族の記憶なのです 日本の風土そこに生きる人々心の遺伝子とも言えるでしょう

自然神から人格神

縄文から弥生にかけて 日本の祭りは様変わりしたと思われます 自然神信仰から人格神を祀るようになったのです 自然と人間の橋渡し役は動物神・植物神 過渡期の形態が土偶です 無形の神の化身であったり 神の使いと考えられていました 各地に大蛇の伝説が伝わります 大蛇は時に人の姿となります 諏訪大社の祭りはかつて鹿を供えていたと言われます
神の姿が変わった大きなきっかけは 水稲米栽培の普及です それまでにも陸稲や豆・芋類などが作られていました 畑作と違い水田は大規模な造成工事が必要です ことに重要なのが水の管理です 田んぼには高低差があり 水を温めながら流れを作っています[01] … Continue reading 水稲米というのは極めて人工の穀物なのです 多くの人手が必要で 統率と秩序が求められます
自然の恵みをいただく縄文の神は自然そのものでした 自然を畏怖し自然を祀らうのが縄文の祭りです 弥生の祭りは農事祭です 自然の営み力に人手を加えることで 収穫量が飛躍的に増大します
水稲米栽培の技術が発展して 人智により安定した糧食を手に入れることが可能となりました そして神は人格を帯びてきたのです

縄文から弥生

勾玉の形は様々あります 一般的にイメージする 片方が太く反対が細く曲っているのは動物の牙でしょう 他にC形のものがあり これは鹿や猪の蹄に見えます 細長い形状もあります まるで釣針のようです
勾玉は縄文時代から作られています これらの形からすると 狩猟漁撈と関係していると見てよいんじゃないか[02] … Continue reading
八尺瓊勾玉はどんな形なのか 五百津之美須麻流之珠(管玉)と セットになっているようです 多数の管玉が水稲米を現すとすれば 縄文・弥生文化の習合とも考えられます
弥生以降の祭りで本祭は宵祭の神楽です お神輿や山車じゃありません 神社は本殿に相対するように神楽殿があります お神楽が夜に行われるのは 天岩戸隠れの象徴でしょうか それとも月読命を祀るのでしょうか
八岐大蛇退治も定番です 天候・気象は人の手の及ばないところですが 治水は可能です 人工と自然の調和が人格神なのです 異形の八百万の国津神と人格神たる天津神の融和でもあります[03]天津神と国津神の関係性は もののけ姫や千と千尋の神隠しをイメージすればよいかなと思います

註釈

註釈
01 稲は熱帯雨林(インド)地域の産ですから 日差しと水が必要です 日本列島は雨に恵まれているものの熱帯ではありません 稲を育てるためには人の手で 日差しと水の流れを作らねばならないのです こうやって熱帯ジャポニカから品種改良されたのが温帯ジャポニカ米です
6000年前無人だった朝鮮半島南部に九州から縄文の人たちが移住しました 陸稲は持っていったかもしれません 同じ稲科の高梁は乾燥と寒冷にに強く 水に恵まれない中国東北部や朝鮮半島北部で栽培されるようになりました 水稲米が日本から半島南部に伝わるのは後の時代です
02 大神神社や宗像大社の子持ち勾玉は かなり時代が下り形状も異なります 祭祀に使われたのだろうが 何を表したのかはよく分からない 動物のようではあります 土偶との関連は興味あるところです 土偶が作られなくなったのは ほぼ自然任せだった縄文の陸稲づくりから 人工の水稲米が主になったからでしょう
03 天津神と国津神の関係性は もののけ姫や千と千尋の神隠しをイメージすればよいかなと思います
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御神酒

神に酒を供えるのはなぜか 荒ぶる神を鎮めるため 神の託宣を聞くため 御饌(みけ)のうち酒はことに味がよく 霊妙な心理作用をもたらします いつかおみきといえば酒のことになりました
神を鎮めるには 酔い潰してしまうのが手っ取り早い? 下がり物の酒を頂いて神憑りになる? ただ酔っぱらうのは大蛇だったり鬼ですね 人格神は下戸のようです
卑弥呼が鬼道を行う際飲んだのは どんな酒だったのか 縄文ワイン 米から造った天甜酒 焼酎だったかもしれません 平安時代すでに酒で酒を醸す貴醸酒が造られています 蒸留酒が文献に表れるのは16世紀のようですが いつ頃から作られたかは不明です

八塩折の酒

八岐大蛇の話に出てくる酒は 八塩折の酒とか衆果の酒とか書かれています 果実を集めて作った酒ならワインですね 八塩折がよく分からない
記紀では濃い酒となってます 濃醇な貴醸酒は平安時代に「しおり」と記されているようです しかしこれでは衆果との整合性がない だいたい米の酒との記述はないのです[01] … Continue reading
八俣大蛇が酔い潰れるということは アルコール度数の高い酒です 私は蒸留酒ではないかと思ってます
縄文ワインを蒸留したのか 酒精強化ワインだったのか 焼酎に果実を合わせて リキュールとしたのか
各地の焼酎は主に米麹を酛にし サツマイモやサトウキビを使います 果実が原料とすると栗焼酎か キルシュヴァッサーのような酒だったかもしれません[02] … Continue reading
それまでもヤマタノオロチに 酒は供えていたはずです 縄文ワインであったのなら アルコール度数はかなり低い
今までにない美味い酒だと 飲みすぎてしまったのです いずれにしてもその製法は途絶えて 700年代には伝わっていなかった その後米の酒が主流になった経緯もわかりません

芋粥

芥川龍之介の小説と原話の今昔物語によれば 芋粥は山芋を甘葛でさっと煮た粥となっています 粥とはいえ米は使いません 山芋は東南アジアでよく食べられる ヤム芋に相当します また里芋は山に対しての名ですが 太郎芋と呼ぶ地域があるそうです(タロ芋は里芋の仲間です)
奄美地方にミキと呼ばれる発酵食品があります 今は米とサツマイモで作ります かつては山芋・里芋などが使われ 3日間発酵させるので 三日ミシャクと言われたそうです
ミキは甘酒のようなものです ちょっと無理がありますが 昔のミキは芋粥に近いか 芋粥に甘葛を使ったのは いつ頃からか不明ですが 元々は発酵によって 甘味を出したのかもしれません
ミシャクの語源は分かりません 諏訪大社に伝わるミシャグジ伝説との関連はあるでしょうか
ミキはお神酒に通じますが 神社で供える酒は神饌・御饌(ミケ)の一部であり おミキは酒に限定されてないのです

米の酒

お神酒は4種類あります いずれも米から造られます 伊勢神宮ではすべてを供えるそうです 中に醴酒と呼ばれるものがあります 醴酒は甘酒とも濁酒とも言われます ミキは芋を使った甘酒でした 米の醴酒は縄文芋文化と弥生米文化の習合から生まれたか
口噛酒は火を使わない特殊な作りです 生米をスターターに使う菩提酛(水酛)の始まりかもしれません 日本の酒造りは神に供えた米飯に 黴が生えたところから始まりました 麹菌が付き糖化した米飯を「カムタチ(カビタチ)」といいます 今の酒造と同じ散麹(バラ糀)の様子を表す言葉です 醸すの語源は黴立つなのです[03] … Continue reading
天舐酒はカムタチを用いた甘酒(醴酒・一夜酒)でしょうか[04] … Continue reading 甘酒に酵母を合わせてアルコール醗酵させると酒になります 最初は野生酵母が作用したのだと思われます 日本酒が神社仏閣で醸され 御神酒として供えられる由縁です 縄文時代には土器で煮炊きしていました 生米を噛んで放置していたら酒になったは不自然です 乳酸発酵させスターターとして用いたなら分かるが 全量を口で噛むなんてあり得ない 酒より飯が先のはずだし 弥生時代に生米を食べていたとは考えられません[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 ヤマタノオロチが飲んだのは 八醞折の酒とも集果の酒八甕ともなっています この八は八岐大蛇に掛けたもので そのまま8回醸した貴醸酒とするのは疑問です ちなみに岐が8なら頭は9つです 集果の酒は9甕用意しなければ足りない
02 泡盛の起源がアラックだという解説が見られますが ココヤシ酒等は天然酵母で勝手に発酵します ワインと同じ猿酒です 穀物で酒を作るには麹と酵母を人工的に加える必要があり 泡盛とは製法がまるで違います
03 私は音韻論は分からないので私見ですが 神立ち(かみたち→かむたち→かびたち)黴立ち と変化したのではないでしょうか 醸すは雰囲気を醸し出すといった使い方をします いわば空気感のようなものです カムタチは何処からともなくやってきます また物議を醸すという言い方は 発酵の様子に似ているかもしれません(かむたち→かむたつ→かもす)と見るのが順当であろうと思います 噛むが醸すに音韻変化はしないでしょう
04 木花咲耶姫が天舐酒を作りました 巫女が米を噛んで糖化し発酵のスターターにするのは これが由来でしょう 神に捧げる酒造りは女性の仕事なのです 中世に至って産業化するに従い 男性が酒造りを担うようになります
05 宮中で行われる新嘗祭に白酒と黒酒が供えられます 白酒は清酒です 黒酒はこれに臭木の灰を混ぜたものです 昔の酒は酸度が高かったことから 中和するためです なお酒造りの際に米を搗く(精米)のは四人の女の人の仕事です おそらく縦杵と搗き臼を使うと思います 月の兎の姿ですね 生米を噛むのは女の人ですから その伝統を引き継いでいるのでしょう
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