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タグ: Facebook

共感のマーケティング

いよいよFacebook案件を取り扱うことにしました いままで お客様そして社内の共感を呼び込むホームページをご提案し 実践してきました 成果も上げてまいりました

共感のマーケティングが成り立つためには 誠意しかありません 広告の手法は通じません じつはFacebookの精神も信頼関係の上に成り立っているのです
私の制作するホームページとの整合性もとれます よりよい相乗作用が計れると判断しました

ソーシャルマーケティングとかいって 煽動のまねごとをしていますが やらせ口コミ騒動で図らずも インターネットはウソをつけないメディアであることが証明されました
口コミといっても 無責任な匿名の投稿などはまったく評価に値しません 単なる風評です

判断するのはお客様 こちらからリードしようとしてもダメです 判断できる材料を提供すればよいのです
姑息な手段を弄して やってくる客はやはり1回限り うわさ話に踊らされている客ばかり集めても リピーター・顧客になるロイヤルユーザーではありません

従来 輿論とされるものはマスコミが作り出してきました 新聞・TVで報道されたことのみが世論とされます 外国の例は知りませんが マスコミは時の政府(官僚)の走狗となり 時に外国勢力の宣伝を担い 時に政争の道具として使われてきたように見えます

今や タイアップ記事と全ページ広告でしか紙面を埋められない新聞まであります TVも然り ニュースショーを装ったタイアップが瀰漫しています もはや誰もマスコミを信用していません

料理屋さんが言ってました 「集客のためにクーポンを出したらどうかとよくいってくるが とんでもない なんで初めての客にサービスせにゃならんのだ 常連客にこそサービスしたいよ」と
割引き目当ての客はお馴染みさんにはなりません

この店は地酒だけを置いています 佛国葡萄酒は扱わないので けしてle Guide Michelinには載りません

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Pinterestの革新

Pinterestの登場は いよいよインターネット(web)に感性を持ち込むことになりそうな予感がします
コンテンツの充実したサイト制作(コンテンツ・マーケティング)に加え 好感度の高いサイト制作(フィーリング・マーケティング)が大切になるかも

技術面にたいへん疎いので心もとないのですが インターネット黎明期から今日までを俯瞰すると こんな解釈であらかた間違いないのでは

 ①ネットサーフィン(Mosaic)→リンク
   ↓
 ②ポータルサイト(Yahoo!)→カテゴリー
   ↓
 ③検索エンジン(Google)→テキスト
   ↓
 ④SNS(Facebook)→コミュニティー
   ↓
 ⑤画像共有(Pinterest)→フィーリング

画像解析が現在どの程度なのか 猫が写っているか犬が写っているか ぐらいは分かるかも知れません でも画像に対する好き嫌いといった感情面までは スコア化できないと思います
画像が持つ情報は もともと言葉(テキスト)に変換できないものです 構文解析のようにはいかないでしょう

Pinterestはたぶん pinup+interestだと思うのですが picture+interestでもあるでしょう 自分が興味を持った写真 人が興味を持つであろう写真の共有です
重要なのはinterestの部分であって カテゴライズもユーザーの興味に任せています つまりたんなる写真(picture)の投稿(pinup)というより 興味(感性)の共有なのです
これはいままでにない切り口です どう推移するか ものすごく興味を持ってみています

(5月24日 追記)楽天が出資してしまいました 金だけ出して口は出さないなんてことをするはずがないし せっかく期待していたのに嫌な方向に行きそうです 楽天は先に書いた AHlifeにも出資しています 残念ですね
(2016年7月10日 追記)やはりインスタグラム(Instagram)に取って代わられた iPhoneのアプリだったのが いわゆる自撮りの潮流に乗って たちまち普及しました

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フェイスブックとは

Facebook 発祥の地であるアメリカでは すでに顔も名前も知っている(利害も一致する)者同士が交流を持つ場が Facebookであった
Facebookはもともと IVYleagueのサークルとして始まったようだ WASPと呼ばれたエスタブリッシュメントの候補者たちだ
その後の発展を見れば 大学サークル内の連絡用だけに留まってはいないが バックボーンは会員相互の身元が明らかであること これは変わらない 

TVで昔のアメリカ映画を見ると アメリカの田舎町は驚くほど閉鎖的・保守的で 何かのサークルに属していないと 生活することすらままならない感じだ
かといって都会に行っても 移民たちは出身国や民族ごとにコミュニティを形作り お互いに反目しあっている

日本は明治維新と第2次大戦後の農地開放により 二度にわたって社会の枠組みが大きく変化した かつて村社会で中心的な役割を担っていた 庄屋の家系が途絶えたのだ
しかし アメリカ建国の理念は200年間変わっていないのである それぞれがほぼ独立国の州の連合体である 各地のコミュニティには 西部開拓の時代から続く 町の功労者(有力者)の家系がある
映画の話なので 類型化して描いているとは思う それにしても 様々な理由で新天地を求めてアメリカにわたり 自分たちにとって理想郷を築いた人たちなのだから グループ内の結束は固いだろう

アメリカに比べて日本は けっこうオープンな社会なのだ かつて「一億層中流」という言葉があったように 身分制度の名残はあまり見かけない
そもそも確たる階級制がなく下克上が当たり前の社会だった 涯分と身分は似ているがかなり意味合いが違う 分不相応とか身の程知らずは 身分を弁えないことでない 己の器量・力量を心得ないことだ

SNSは匿名が当たり前なのも 現実社会に強固なサークルがないためではなかろうか

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