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縄文より続く日本の文化伝統 投稿

かなり可怪しい

実印と印鑑証明 そして連帯保証人って何なんでしょう じつに奇妙です 

連帯保証人というのは 債務者と同じ義務があるのだそうです つまり債務者を飛び越えて いきなり連帯保証人に弁済を要求することができます 債務者の返済が滞ったり不履行をしていなくてもです
このことを利用した高利貸しがありました アイチとか商工ファンドとかです 借りた本人ではなく連帯保証人から取り立てる手口です 債務者本人は多重債務で最初から返す意志も能力もないことが分かっているのです

この連帯保証人には 通常実印と印鑑証明を求めます 白紙委任状に実印を押させる悪質なのもいます
そんなことをしなくても 今の時代なら3Dプリンターで簡単に実印を偽造できます 印鑑証明書を相手に渡したら どのようにでも使うことができるのです

印鑑で本人を証明するなんて 今までもできなかったし これからはますます怪しくなってくるわけです サインの方がよほど確実です
実印制度というのもたぶん お上の権威を振りかざしたものだったのでしょう 今や形骸化し弊害だけが目立つこととなりました

本人証明といえば マイナンバーカードが万能の証明書になると総務省(自治省→内務省)がいってます しかし実際には通用しない断られるところがたくさんあります 運転免許証や健康保険証でなんの問題もなかったのに
印鑑証明は市民カードで発行されていました これを強制的にマイナンバーカードに移させ(?)コンビニで発行させているようです 実印を手軽に使わせるためですかね

このごろ賃貸物件で 連帯保証人の実印と印鑑証明を求めるところが多くなっています 千三つ屋といわれるほど胡散臭い業界です 下手に印鑑証明を渡したら何をされるか
このような風潮は 中国人が日本人を保証人に仕立てて物件を借りることが多くなったためと思われます 狐と狸の化かし合いに善良な日本人が迷惑を被っているのです

8月18日追記=Bitcoinが分裂するという怪しい動きがありました マイニングで稼いでいた中国人が仕掛けたことです 日本国内でもブロックチェーン技術を決済に使うなどと言い始めています もし中国主導で仮想通貨が支配されたら どういうことになるか 技術的なことは分からないのですが 何かきな臭い匂いがします)

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神(紙)エクセル

神(紙)エクセルというものがあるそうです 紙にプリントしたときの見栄えのため 神業のごとくエクセルを使った 主に役所関係の書類のことらしい
セルに文章を書くことになるので データの流用ができず 問題になっているらしいのです とくに全角数字がいけないという
以前にも書きましたが 全角・半角とか等幅フォントが混在するのは 日本語版ウインドウズ独特の仕様です Macでは考えられない

役所の書類は「様式1」だ「様式2」だと 細かく規定があります 厳密にこの様式どおりの書類をワードでは作れません
前例主義の役所では 以前の様式と1ミリでも違うと 上司からクレームがつくのでしょう そこでエクセルを駆使して 寸分違わぬ書類の雛形を作ったのではないかと想像します

じつに労作ではありますが いかにも日本的いかにもお役所仕事いかにも馬鹿げたことです
お役所の仕事は体裁を整えること つじつま合わせがもっとも大切です そのためによけいな仕事を作り出す 生産性とか効率は 仕事の邪魔でしかない

エクセルやワードを使ったことがないので どうもこういった感覚が分かりません でもイラストレーターで自由にレイアウトした文書より ワードのありきたりな定形文書の方が読みやすいと言われることはあります
見慣れているからなんでしょうか 斬新なもの規格外のものは なかなか受け入れられないものです そのくせ全角・半角混在は全く気にならないのですね

書式の根拠は曖昧

考えるに文書の様式は 活版時代の技術的制約からきたのだと思います 印刷屋さん独特の書式があり それがいつの間にかスタンダードになったのでないでしょうか
活版が写植になり コンピューターによる印刷へと変化してきました しかし書式やレイアウト(組版)は活字時代のまま電子出版にまで引き継がれています
確かにかつての職人さんが築いてきた様式は 用の美といいますか日本語文書の完成形です これに準拠していれば間違いはない しかし細部まで旧態に拘る必要もないですね[01]手紙文の時候の挨拶とかも よく分からん習慣です 江戸時代の手紙は巻紙に候文ですか 折り方にも決まりがあったようで なかなか難しい

御・行を二重線で消す

奇妙に思うのは こういった印刷屋さんのテンプレートで あらかじめ宛先が〇〇行となっているところを二重線で消して その脇に様とか御中と書き直して返信するという習慣です 御名前や御芳名の御や芳を消したりするって何の意味があるのでしょう そんなのは謙遜でも奥床しさでも慎みでも礼儀でもない
おそらくマナー評論家みたいなのが言い出したことではないだろうか 二重線や一本線で消して訂正印なんてのも お役所の書式から来ていますから これも一種の権威主義かもしれない 自分の間違いならいいが 相手の書いた文を訂正したり書面を汚すことこそ むしろ無礼でありみっともないと思いますが[02] … Continue reading

年賀状と年賀欠礼

これも 誰が言い出したか始めたのか よくわからない習慣として 年賀欠礼ってありますね 印刷屋さんと郵便局の都合でしょうか 私は全く必要ないと思うし うちの菩提寺の先代住職が亡くなったときも 寺から普通に年賀状が来ました
仏教で喪に服するという教えは聞いたことがない 七七日で忌明けとなりますし 新盆を迎えて葬儀に関する一切は終わります いろんな宗派のサイトを見ても だいたい新盆を迎えれば年賀状を出すと書いてます
親戚など葬儀に参列した人なら承知していることだし 年賀状だけの付き合いの人に 身内のことを知らせる必要もないでしょう[03] … Continue reading だいたい本当に喪に服しているとも思えません 服喪とは公の席や晴れやかな場に出るのを慎むことです 最も穢れを厭う宮中賢所の内侍でも 服喪期間は半年だそうです

註釈

註釈
01 手紙文の時候の挨拶とかも よく分からん習慣です 江戸時代の手紙は巻紙に候文ですか 折り方にも決まりがあったようで なかなか難しい
02 結婚式の招待状なんか汚したくないですね 私は往復はがきを出すとき 自分宛てには名前のみにします 同級会の幹事やったとき 男子は全員そのまま送ってきました 女子は全員が様を書き加えていました 医師の紹介状には脇付の侍史を書く習慣があるみたいです あと目上の人への手紙には 句読点を使わないのが礼儀だったんですが
03 年賀状は 江戸時代の旗本たちが上役宅への年始挨拶に持っていった 賀詞が始まりといいます 挨拶に行っても お目見え以上の家格の者は登城していますから留守です そこで受付の用人に賀詞を渡して 確かに挨拶に行った証拠とするのです
後代でも年始の挨拶は 玄関で賀詞を述べ名刺を置くだけが習慣でした 年始の客が来ても主人が出て応対することはありません 私が小学生くらいの頃はそんな習慣がまだありました
年賀状は年始の代わりですから一家の主がすること よく覚えてないが喪中ハガキのやり取りなんかなかったんじゃないかな 身内の不幸と年始の挨拶はまったく関係ないことですから
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外交と情報

もと外務省職員のM・Sさんが何かの雑誌に ソ連駐在員時代 重要情報を独自に入手したと得々として書いてました トルキスタンかウズベキスタンかどこかの情報屋から買ったというのです それってガセネタに決まってるだろうと思いますけど
情報は人脈から入ります 金で買えるものではない(人脈づくりに金はかかりますが) モサドやバチカンの情報組織が 小規模ながら情報収集力に優れているのは 人脈によります

モサドには世界中のユダヤ人から情報が入ります ユダヤ人は政治・経済の要枢にいる人も多く 重要な情報に接することができます
バチカンもそうです カソリック国の司教・司祭は枢要な人物と常時接しています 重要な情報を打ち明けられることがあるでしょう

ヨーロッパ諸国だけでなく 中国は華僑インドは印僑というように それぞれ世界中にネットワークを張り巡らしています 日本はそのような人脈が全くありません
それどころか 外務省の役人が外交を独占していますから御身大事 あえて火中の栗を拾うようなリスクは犯しません 大使になったら各国要人とパーティーを開いて 大物気分を味わうといったところでしょう

日本は長い間鎖国していて 植民地にならなかった反面 世界の事情に疎く 権謀術数渦巻く外交舞台の経験がなかった
外交戦でロシア・中国や韓国にまで翻弄されているのは やむを得ないことと言えます 役人や政治家ばかりを責めることもできません
ドイツのゲーレン機関もあまり良い評価がされていません 敗戦国というハンデばかりでなく もともと生真面目でそういったことが苦手な国民性なのかもしれません

それに引き換えナポレオン3世なんかすごいですね フランス国内はもとより国際舞台で各国首脳を手玉に取った希代のペテン師です
そこまで行かなくても 第2次大戦前後の東南アジア指導者はしたたかです カンボジアのシアヌークの世渡りなんかは見事なもの これもフランス流なのだろうか
この二人に共通しているのは 皇帝や王族という立場を最大限利用していることです やはり外交・国際関係は人脈がものをいいます

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