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鉄砲とイエズス会

戦国時代 世界中でいちばん多く鉄砲を保有していたのが日本だそうです かといって 鉄砲により合戦の戦術が変化したという記述はありません[01] … Continue reading
戦国時代の合戦は 弓矢で制圧射撃した後 槍で突き崩して勝敗が決します この弓矢と槍が鉄砲に取って代わっただけです 戦術そのものは変わりません

ただ甲冑の形は変わってきたようです 弓矢は曲射ですから 胴丸・腹巻などは斜め上からの矢を受け流す形になっています(雑兵がかぶる陣笠の後ろの布も 日除け雨除けではなく 兜の錣と同じく矢を防ぐためです) 対して鉄砲は水平撃ちなので平滑な単板装甲の胴になりました(南蛮胴ですね) また弓矢を防ぐ板状の置盾も 鉄砲玉を弾くよう竹を束ねたものに変わってきました

信長の鉄砲三段撃ちが真実で 有効な用兵法なら 他の武将も取り入れているはずです 秀吉の賤ヶ岳七本槍 一番槍の功名 槍一筋の家柄といった言葉が象徴するように その後も相変わらず主力武器は槍です 鉄砲が取って代わったわけではありません

戦術の変化どころか 戦国時代が終わってから 鉄砲は装飾過多の工芸品となり 武器としての役割を果たしていません 矢ぶすまとか弾幕と同じく イメージとしての言葉だけ一人歩きしている感があります

※以下は文献や資料の精査に基づいたものでなく まったくの私見です

鉄砲が流行したのは イエズス会の売り込みが功を奏したからではないでしょうか イエズス会は布教の費用を自前で賄わなければなりません 当時の日本の情況下で いちばん売れるのが武器です 宣教師は武器商人でもありました

信長がイエズス会を支援したのは 大量に鉄砲を入手するためだったと思われます 信長の軍勢は他の武将のような譜代の家臣と違い 野臥・足軽を大量に採用した混成部隊です 戦技にバラツキがあるため 弓矢に比べて習熟が容易な鉄砲を採用しました
さらにキリシタンと結託することで 僧兵や石山本願寺等の勢力を牽制する意図もあったでしょう そう考えてみれば戦国時代は 宗教戦争の様相も帯びていたといえます

秀吉の代になって天下が治まると 鉄砲の需要は急速になくなります その時イエズス会は資金稼ぎのために何をしたか
次に儲けの多い奴隷貿易を始めました キリスト教の布教と土地の開拓を口実に 日本人信者を東南アジア方面に大量に移住させました 実態は奴隷として売り飛ばしたのです 宣教師は奴隷商人も兼ねていました

これを憂慮した太閤秀吉は 切支丹を禁教としイエズス会を国外追放しました 家康以降もこの政策を継承したため 日本は植民地化から免れることができたのです 切支丹伴天連は植民地侵略の先兵であることを 両雄はちゃんと見抜いていました そもそもキリシタン大名たちは以前から領内の神社仏閣を打ち壊していました

イエズス会はあきらめず(しつこく)その後も日本への謀略・煽動を継続し 島原の乱を起こしています[02] … Continue reading キリシタン反乱軍は練度も士気も高かったようですが 刀槍の術に長けておらず日本流の部署・区処(編成)と異なっている印象があります 原城側の主力武器はイエズス会が支給した鉄砲でした

註釈

註釈
01 西洋列強が世界を植民地支配したのは 新兵器鉄砲の威力によります 日本が植民地から免れたのも 戦国時代に鉄砲が伝来したため 各地の戦国大名が購入し また国産化し全国に普及したからです 西洋列強は武力では日本に太刀打ちできず 宣教師による間接侵略に切り替えました
02 キリシタン宣教師の布教は植民地支配が目的です これを禁教とした豊臣秀吉と徳川家康の英断が 日本の植民地化を防いだのです 島原の乱のあと宣教師の入国と謀略活動を禁止しました
キリスト教は一神教ですから神を信じる者(善)と異教徒(悪)の2元論です 自分たちの布教(植民地侵略)を妨害することは悪魔の所業です こうして日本の独立を護った政策が キリシタン弾圧・鎖国といった一方的で歪められた解釈になります

カテゴリー: マーケティング戦略論 情報戦・心理戦一般