コンテンツへスキップ →

投稿者: 一醉

歴史の断絶 語り継ぐ

京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。
(坂口安吾 日本文化私観)

歴史の断絶

日本のよって立つところは 過去の日本にしかない すなわち神話であり伝承であり国風です ゆえに祖先が生きてきた歴史を断絶してはならない 昭和大戦後に歴史の断絶があり その前は明治維新で歴史を断絶し おそらく大化の改新も歴史の断絶でした[01] … Continue reading
いずれも外圧を受けて 為政者の都合で 歴史を断絶しようと図りました 前大戦敗戦後はGHQにより 日本の歴史を抹消する宣撫工作が行われました 明治政府による神仏分離令や神社合祀は 日本の歴史を歪める教化政策でした 大化の改新で旧事・帝紀や国記・天皇記が失われ 古事記・日本書紀が作られました
しかしながら我々の生活に日本の伝統は継承されて来ました すなわち民話であり言い伝えであり為来たりであります 外国の制度を取り入れても古俗は失われなかったのです[02] … Continue reading

形あるものは伝統ではない 廃仏毀釈の禍にも日本仏教は守られ 古寺が焼けても宮大工の技と知恵が続く限り 縄文以来の様式は失われないのです

語り継ぐ

You Tubeに上がっていた ビル・エヴァンス・トリオ コンサート前の打ち合わせ?の映像を見ました
3人のメンバーが何やら語り合っています やがてピアノの前に座ったビル・エヴァンスが 喋りながらピアノを奏でると さり気なくベースが入ってきます それまでの会話が ごく自然にセッションに繋がっていくのです
こんどは楽器同士がそのまま会話しているのですね これこそジャズだなと思いました ビル・エヴァンスはピアノの詩人です

そうやって見ると ジャズボーカルも楽器と同等なわけです イリアス・オデュッセイアの吟遊詩人ホメロスは 楽器を奏で叙事詩を吟じます 日本にも琵琶法師がいました アイヌのユーカラは聞き手が手拍子足拍子のセッションです
楽器は語り言葉は奏でられます[03] … Continue reading 語り伝えるとは歌い継ぐことです 稗田阿礼は語部の謂ですが 器楽が伴い節を付けていたでしょう 天宇受売命のような舞も一緒だったかも 物語は語るものであり和歌は歌い詠唱するものでした

太安万侶が口承を記述したとき 果たしてどれだけ忠実だったのでしょう 取りこぼした事はなかったでしょうか 近代で物語を記録したのは 柳田国男先生と金田一京助先生のお二方です ヨーロッパでいえば イタリアのバジーレ ドイツのグリム3兄弟に相当する偉業です[04] … Continue reading
アイヌは文字を持たなかったゆえ 近代までユーカラが保たれました 和歌は万葉集の編纂により 朗詠から文字で書き連ねることとなりました そのためか万葉集で枕詞の意義・意味は失われ 清少納言の時代にはすでに 古今和歌集は学識として書き写し暗記するものと 枕草子に書かれています 大切なのは言い伝え言霊です 文献や文字ではない[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 聖徳太子が仏教を取り入れ日本仏教が成立しました また役人の規範として儒学も取り入れています これらすべてを統べるのが古来神道です(延喜式で定められた神社神道や 明治期にできた国家神道とは違う 縄文以来の日本人の習俗)
02 仏教はバラモン教カースト制の不条理に対して起きた宗教です すなわち万物平等が根幹になります 釈迦と同じ頃に孔子が儒教を説いています こちらは男女差別に長幼の序が基本の階級制です 仏教は中国経由で日本に入ってきたため原初の姿とは変容しています
03 謡曲 浪曲 浄瑠璃 神楽 民謡 演歌も節をつけ 器楽を伴うものです 「浮世舞台の花道は表もあれば裏もある 花と咲く身に歌あれば 咲かぬ花にも歌ひとつ・・・・・・♬」
04 バジーレは 統一イタリアの潮流に呑み込まれて 故郷のナポリ語が失われるのを恐れ グリム兄弟もまた ドイツ統一により各地の民話が忘れられないよう ともに物語を記録しました
05 宇多田ヒカルの歌は詞と曲が調和しています 詩になっていますし 日本語のセンスが素晴らしい 本人によると曲を先に作り その曲を詞に翻訳する感覚なのだそうです
本好きで読書量は相当のものらしく 言葉を磨いたのは才能だけではない 外国の音楽に日本語が見事に融和しています 散文とか韻文とかも乗りこえた 言靈の新たな姿なのでしょうか
コメントは受け付けていません

蕎麦の味

内田百閒翁が帰り道 ひとつ六銭の蕎麦を食おうか市電に乗ろうかと さんざん悩んだあげく蕎麦を食べて 片道1時間の道を歩いて帰ったと随筆にあります 盛り蕎麦十銭が普通の時代でした
六銭の蕎麦はたいそう量が少なく 「六銭の盛り一つでは、味がよく解らないくらいうまかった」と書いています そんな旨さがあります 時々の気持ちのありようで 美味かったり不味かったりする 美味でない旨さというのもあります

知人で蕎麦好きを自認する人がいました 火事で焼けた神田の蕎麦屋が改築したときに 物好きに食べに行ったそうです 昼時だったので大変な行列でした そうとう待たされるなと覚悟していたのですが 案外に早く順番が来ました
運ばれてきた蕎麦を見て納得しました 簀子が見えるほどの量の蕎麦を食べ終わるのに5分とかかりません
客回転で商売する店は古今東西たくさんあります いわゆるファストフードですね 夜鳴き蕎麦だけでなく店を構えた二八蕎麦もそんなものだったのか 駅前の立ち食い蕎麦屋が昔日の姿を留めていましたが もう見かけません

立ち食いステーキなる奇天烈な店ができ あっという間に廃れました 食べたことがある人に聞いたところ 非常に不味いものだそうです 手軽なファストフードだった二八蕎麦が 高級店になったと思えば 値が張る時間がかかるステーキが立ち食いになる
上述の蕎麦屋だったか 近くの別の店だったかがTV中継されていたことがあります やはり昼時で随分の混みようなのに 1人でテーブルに陣取って酒を飲む客がいます まともな常連ならそんな事はしないはずなので たぶんTV局の演出(やらせ)でしょう[01] … Continue reading

私はあまり外食が好きでなく食べ歩きもしない やむを得ず外で食べることはありますが 混んでる店で旨いと思える所はないですね 昼はカップ麺で済ますこともあります(出不精なもんで食べに出かけるのが億劫) 旨かったのが和歌山ラーメンです ずい分前のことでメーカーは覚えていません[02] … Continue reading
百閒翁は昼食を盛蕎麦と決めていた時期がありました 味に関してさして煩いことは言わず 近所の蕎麦屋からの出前でした でも毎日決まった時刻に届けねばなりません これも蕎麦屋さんにとっては迷惑な客です

小学校・中学校と同級だった男に これまた蕎麦好きがいます 蕎麦を食べるとなると他のものは注文しません 天麩羅なぞ頼まず酒も飲まない ただ蕎麦だけをつゆにつけて食う 薬味の刻み葱やワサビなども 最後に蕎麦湯を飲む時に入れるそうです
人さまざまです 私が好きな蕎麦の食べ方は 蕎麦をいただきながら冷えた大吟醸酒を飲む 蕎麦肴でしょうか やや甘めのつゆに蕎麦をどっぷりとつけます 蕎麦そのものを酒菜にするのです 金平牛蒡はあっていいが 天麩羅は無用です[03] … Continue reading

註釈

註釈
01 以前は知人と蕎麦屋で 衣が分厚くて茶色い天ぷらで(あらかじめ揚げてあるヤツです) 昼酒を飲んだりしたこともありましたが 2時過ぎに行くよう心がけました
02 いまのカップ麺はとんでもなく不味い(味付けが濃すぎる)ので とても食べられません 子供の頃食べたチキンラーメンは油で揚げた味付け麺でした 追随した他社が差別化のためか 乾燥麺に粉末スープの小袋を付けるようになってから 薬臭い人工的な味になったように思います 即席ラーメンには独自の持ち味があり 店の味に近づける必要はない
03 TV番組で最初の一口はつゆをつけないで食べるとか 甚だしいのは水で蕎麦を食べさせる店を紹介しています 蕎麦屋の良し悪しはつゆの味で決まると思いますけどね 浅草の元テキ屋の爺さんから聞いた話では 自分らが行く蕎麦屋の汁は濃い味なもんで どっぷりつけたら塩っ辛くて とても食えたもんじゃなかった と言ってました 蕎麦の先にちょっと汁を付けるのは 別に粋がってやってるわけじゃないのです
その店の蕎麦に似合ったツユがある ことに大切なのが返しではないでしょうか 醤油と味醂の素性が味の決め手です 味醂はもともと飲用でした 三河あたりで昔ながらの味醂を作っています 柳陰で飲むにはいいが調味には向かないですね 菊姫酒造の柳社長が味醂を作りました これは料理用指向で かなり甘味が強い(菊姫らしい濃醇さ) 蕎麦ツユには最適かと思います 調べてみたら江戸時代すでに調味用の味醂が作られていたようです 柳社長に報告しました
コメントは受け付けていません

音による伝達

ラジオだったかでコーランの朗唱を聞いたことがあります モスクのドームは音響効果に優れていて イマームの唱える言葉は神秘的で 美しい音楽となっていました(御詠歌とは比べ物にならない音楽性の高さです)
キリスト教の教会はドームでなく高い尖塔を持ちます 光は天井から降りそそぎ 壁画や彫刻ステンドグラスを荘厳に彩ります パイプオルガンは建物自体が楽器です あたかも天空からの音楽のように鳴り響きます
日本の寺社(宗教)と音楽はあまり結びつかない気がします 読経も祝詞もリズムや抑揚はあるものの 音楽とは言い難い 鉦や太鼓を打ち鳴らしても調子を取るだけです 建物も音響効果は考えていません[01] … Continue reading

この違いはどこから来るのでしょう もしかしたら風土の違いかもしれません 日本の寺社は威容を誇るというより 風景に溶け込むよう建てられているのではないか そもそも神は自然そのものでした 美しい風景がそのまま八百万の神なのです 建物は社(屋代)というように拝み所(神籬)を示す柱でした
一神教の育った風土は人間の営みを拒むかのような厳しい自然環境です 建物が拝殿であることは共通しています 神の御加護を象徴するように 巨大で堅固に信徒を包み込みます 過酷な自然から守るシェルターなのです エデンの園の再現なのかもしれない

神はシナイ山に光として現れるものの 姿は見えず限られた預言者・救世主に啓示を与え導きます 神意が音楽なのでしょう
遠い親戚にクリスチャンの家が何軒かあります 一つの家はプロテスタントです おばあちゃん(私の大叔母)が入信したのがきっかけですが その理由が讃美歌の美しさだったそうです 音楽の力ですね

日本の仏教にも声明がありますし 琵琶法師などもいました これは吟遊詩人みたいなものですね さほど宗教と結びついていません
十字軍が編成された時 ワルター・サン・ドゥヴァールは シンボルマークの旗と楽隊による聖歌を背景に神がかり的な説法で 年端のいかない子供まで十字軍に駆り立てました ヒトラーの演説とヒトラーユーゲントに重なります ハーメルンの笛吹き男ですね[02] … Continue reading
称名念仏を始めたのは法然さんです それまで学問として捉えられていた仏教を庶民に広めました[03] … Continue reading 禅宗も実践を重んずるところは近いが権威主義で敷居が高い 出家者が独占していた仏教を広めた 浄土宗の割り切った教えは 凡夫にわかりやすかった 分かりやすさはポピュリズムにつながり過激化していき 踊念仏や一向一揆にまで行き着くことになります

註釈

註釈
01 浄土真宗の葬儀ではオルガンの伴奏があると聞いたことはあります その場に出くわしたことはないので 何を歌うのかわかりません いずれにしても近年のことでしょうけれど
02 十字軍はイスラム教徒との戦いであるばかりでなく ユダヤ教徒排斥にも結びついていました 当時流行していた騎士物語に影響された面もあります 聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団をはじめとして 皆がドン・キホーテのように自らを騎士に擬えていたのです(セルバンテスは十字軍のカリカチュアとして ドンキホーテを書いたのかも知れない)
03 法然上人の歌 月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む 月影は静寂そのもの この歌に音は全く聴こえない 日本仏教のあり方を示すようです
月の光を阿弥陀如来の慈悲に例えているのは誰しも解ります 知恩院ホームページに 歌を聞いた子供が「影になるところは光は照らしていないのでは」と問うたと書かれていました 影と陰は異なります 英語で陰はshade影はshadowと言えば分かりやすいでしょうか 陰は光の射さぬところ 影は光によって表れる形です
この歌は真如の月であります 真如とは絶対無差別の真理のこと 衆生すべて平等が仏教の根本義です 月影は月光に見ゆる里の姿を表します 明月が闇夜を照らすように 真如の理は遍く衆生に届いている 人は影である里を見ていて心に届く月明を見ない 阿弥陀様の慈悲は 無明を照らしていることに気づかねばなりません
コメントは受け付けていません