コンテンツへスキップ →

投稿者: 一醉

馴染めない言い方(随感)

「妻」のことを「嫁」という
「肴」を「アテ」という
酒を飲んだあと「シメ」といって飯や麺を食う

これらは私にはしっくりこない言い方です 嫁とかアテは関西から来たと思います 吉本興業が東京に進出する前は そんな言葉を聞いたことがない[01] … Continue reading TV番組で吉本の芸人が広めたのではないか
居酒屋なんどで酒を飲んだあとは 家に帰って 冷や飯を茶漬けで食うことはありました 銀座で飲む時は 屋台の磯辺焼きを摘んだものです すき焼きを食べた後はおじやです この作り方はなかなか難しく ベテランの仲居さんが担当します[02] … Continue reading
席を設けた酒宴では 最後にご飯物が出ます 懇親会等だと ここで締めの挨拶と称することをやるようです いわゆる中締めですか その辺から来たんでしょうね

知人が吉兆なる店に行ったことがあります もう40年も前の話しです 小さな器にいろんな料理が盛られて出てきたそうです やたらと皿数は多いんだが一つひとつの量が少なく それぞれ一口半で終わってしまいます 美味か不味かよく分からなかったと言ってました 大阪の新参の料理屋で器が自慢だったと聞きます
ところで知人が驚いたことがもう一つあって 店に行くと「お帰りなさい」と挨拶され 帰りには「行ってらっしゃい」と送り出されたのです この挨拶はいかにも態とらしく ひどく違和感を覚えたとのことです 私はそういった店に全く縁がないのですが[03] … Continue reading そんな言い方はやはり馴染めないだろうなと思います

言い方とは関係ないのですが だし巻き卵があまり好きでなく馴染めません 卵焼きはお江戸風の ちょいと甘くて焦げ目のついた厚焼き玉子が良い こいつで温燗をやるのはなかなかです[04] … Continue reading そんな卵焼きを出す店が少なくなり 今やだし巻き卵ばかりとなりました
そういえば一時 居酒屋で頼んでもいないお通しの料金を取るのはおかしい と言う声がありました 多くはローカルルールを弁えない外国人観光客だったかと
昔の江戸料理屋は 部屋に通す前に別室に案内しました[05] … Continue reading ここで小さめの握り寿司や軽い菓子を出します ウエイティングルームのお凌ぎですね これがお通しの由来です
伝統を引き継いでいるのであって チップ制に代わるサービス料でもある 日本特有かもしれないが 無粋なことを言うもんじゃないと思います

これも言い方ではなく 酒の注ぎ方です 以前にちょっと書きましたが 最近居酒屋などでコップを小さな升や受け皿に入れ わざと溢して注ぐのが見られます 吉田類あたりがカウンターにコップを置いたまま口をつけて飲む 実に見苦しい図です
なんの真似なんだろう 私がよく行く居酒屋や料理店であんなことをやる所はない とても馴染めません 酒を注ぐときは八分目にするもので なみなみと注いではいけません 相手が粗相をするかもしれないからです 曾祖叔父に言われたことです[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 吉本のラジオ番組「お父さんはお人好し」で花菱アチャコは浪花千栄子をお母ちゃんと呼んでますね TVの影響ならば 刑事コロンボの「家のカミさん」はなかなかいい 名訳です カミさんは山の神からか女将さんからか どちらにしろ尊称です
02 茅場町鳥徳で鳥鍋を食べて 最後におじやを作る時は 必ずベテランの中居さんがやる 若い中居さんたちがみな集まってきて 襖の影から見学していました 焦げる直前に溶き卵を入れる その技を伝えるのですね
團伊玖磨が料亭の酒席で料理を食べ終わったあと 料理がちまちまとしすぎて腹が減ったといい 親子丼を作らせた挙げ句 上品すぎて旨くなかった と随筆に書いていました 一体どういうつもりなのか甚だ行儀の悪い客です
03 仕事の関係で東京吉兆の前を通りかかったことがあります 店の前に黒塗りの車が停まってい ちょうど中曽根康弘が店を出る所に出会しました あの辺を歩くとよく政治家に出会ったものです 料亭政治が盛んな頃でした 聞くところによると江戸料亭の双璧といわれた 平清や八百善なんかでも嫌味な店との逸話がたくさんあります 高級店を名乗る所はそんなものなのでしょう
04 昔は酒は燗をするのが普通でした ちゃんとした店ではお燗番専門の人がいたそうです 燗酒の温度管理はさほどに難しいものです 酒造会社の会長が実験した話を以前書きました 私も真似してみました 専門家しか分からない差だと思っていたのですが 本当に素人に分かるほど舌触り喉越しが違います
05 カウンターに客を座らせ 料理するところを見せながら供するスタイルの店は 関西(京都)から始まりました 客の目の前で調理するといっても仕上げや盛り付けのみで 奥に広い厨房がありほとんどを作っています
06 曾祖叔父は詩集を何冊か出していて 詩人を名乗っていました もちろん詩で喰えるわけはなく 生業はさるテキ屋さんの親分でした テキ屋稼業の経験はなく 縁あって先代親分に見込まれ 跡目を継いだそうです
テキ屋さんは稼業がら仕来りに詳しいのです 曾祖叔父の家で玄関番(書生)をしていた時は すでに引退してましたので お控えなすっての客人は来ません 座敷にマルクス・レーニンの肖像画を掲げていました 大正デモクラシーの人です
コメントは受け付けていません

ニッポン スゴイデスネェ

ブルーノ・タウトは桂離宮を誉めるため 日光を貶して見せた 東照宮の彩色を嫌う日本人はいるから媚びたのであろう とくに侘び寂びなどといっている者たちに 実際のところタウト以前から 桂離宮(の庭)を称賛する茶人は多かったようだ[01] … Continue reading
しかしながら 桂離宮を皇室芸術と呼び東照宮を将軍芸術と称し 京の帝に対して江戸の将軍を覇王と見るのは 中国と日本を一緒くたにする 西洋人の浅薄な思い込みである

桂離宮と東照宮ともに江戸時代初期に造られた建築である 桂離宮は王朝風に近世の意匠を取り入れている 数寄屋風もあり庭には茶室が配される 数寄屋は茶室を示す通り 利休の影響が顕著に表れた建築様式だ[02] … Continue reading
東照宮はなんと言うべきだろう 唐様から脱した権現造の過剰な装飾にまったく嫌味がない 権力と財力に飽かせて華美を誇った 大陸の覇王とは別次元なのだ 私には縄文から伝わる情熱のほとばしりに見える[03] … Continue reading

ニッポン・スゴイデスネェ 外国人に褒めてもらって喜ぶ者は いまだに数多くいる 典型的なのは世界遺産登録とやらである 沖ノ島(沖津宮)は日本民族だけの 神話・伝承・太古の記憶である 他国や異教徒の者共を入れてはならない 観光地化するなど冒涜の振る舞い 神域は世俗が入れないから尊いのである
ほぼ同時期のマヤをはじめとする南米文明を継承する人たちは いまや600万人に減少した(ほとんどの人たちは父方にヨーロッパ人のDNAを持ち マヤの血筋は母方のミトコンドリアに留めるばかり) ひとつの文化文明を維持するのに必要な 最低限の人口である[04] … Continue reading スペイン人による蛮行と その後の内乱のため 今でも南米は国情が安定していない
そもそもユネスコあたりが 世界各地固有の歴史伝統を一律に評価する権限は持たないはず なにを思い上がっているのか

メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の4大文明?[05] … Continue reading 人の住むところ世界どこにも文明の歴史はある だが滅び朽ち果てた廃墟を自慢しても始まらない まぁ確かに廃墟・遺跡だから遺産なんだろうが
日本に廃墟はない 縄文からの伝統が今に息づいている 途絶えることなく一万年続く 沖ノ島に神が宿るのではない 島が神なのである 人格神は後付けにすぎない 木の社などは朽ちたら建て替える 形あるものは永遠でなく 生まれ変わることで伝えられる それが日本文化・文明の姿である

エジプト考古学者の吉村作治が中心となった運動により 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群の名称で ユネスコに登録されたそうだ 余計な事をしてくれた エジプトの遺跡などたかだか4000年の歴史しかない 日本の神社は縄文時代より1万年以上の歴史を持つ
しかし木の文化ゆえ 石のように遺跡として残るものではない 様式・作法・慣わしとして伝承されるのが 吾が国の習いである 掟と言っていいかも知れない ねぷた・なまはげ・塞の神なども縄文から伝わる
エジプトやギリシャの失われた文明遺跡と同一視し 縄文の昔から今に生きる伝統を遺産とは何事か

註釈

註釈
01 桃山文化は海外(西洋)文明に触発されたものだが そのまま取り入れてはいない 利休好みは侘び寂びと言っても 数寄屋風に禅宗(大陸)味は強い 豊太閤が好んだは土俗の趣が深い気がする 東照宮もまた然り古来の情念である
02 侘び寂びなどと言いながら 数奇とは唐物数奇であって 舶来の珍しい物を飾り立てた 数寄屋風の建物は一見質素なようでいて 珍奇・希少な材を使った贅沢なものとなっていく 村田珠光の茶を正しく受け継いだのは 丿貫であったかもしれない
03 日光東照宮は門も加えると55棟もの社殿が 日光全山に配置されている 景観を損なうことなく人工と調和させるのは 古来から日本人の美意識である 建物は自然と対峙するのではない 神社のみならず仏教寺院も山号を持ち 山寺として風景に一体化する だから懐かしいのである
04 アステカの精緻な石組の技術を伝える石工が 近年までいたとの話を聞いたことがある このままでは早晩南米の文明は失われる 今ギリシャに純粋な古代ギリシャ人の末裔はほとんど居なくなった エジプトも然り古代の文化文明を伝える者はなく どちらも半ば崩れた遺構が虚しく残るのみ
05 4大文明と称する所はいずれも大河の周辺である 河川は内陸と海を結ぶ重要な交通路で これらの文明圏はそれぞれ独立していたのでなく 互いに交易していたわけである 大河のない南米の文明圏は孤立していたように見える
コメントは受け付けていません

100円ショップ

100円ショップ(百均)はマーケティングの4Pのうち プライスに特化したものでしょうか 決して安売りではないし お買い得というのでもない 安かろう悪かろうと言ってはいけないのですが 100円の価値しかないものを売っています

プライス

100均商品は価格に見合った品質なのです 中には割高なものもあります 多彩な品揃えで客を呼び トータルで利益を出しているのです 双方一両損みたいな感じですか
以前はバッタ品を売る店がありました ディスカウントストアです これは訳ありというか曰く付きの品物で 中には贓物(盗品)が混じっていたりなんて噂も[01]バッタ屋がなくなったいま 取り込み詐欺なんかの贓品故買は メルカリでも使っているのだろうか あるいはドン・キホーテに名を変えた 丹念に探すと掘り出し物が見つかることがありました 100円ショップに意外な品物はありますが 掘り出し物はそもそも仕入れていない

プロダクト

江戸時代に十九文見世というのがあったそうです これも小間物や雑貨を多種類揃え 均一価格で売る形態です 仕入れがポイントになります プライスよりもむしろプロダクトですね 現在の百均でも商品開発が いちばん大事なんじゃないでしょうか
商品構成が似ている小間物屋・荒物屋は当然ありましたが それとは違い均一価格で売れる物だけを扱っていたのです 店を構えるものは少なく 多くは露店や振売りでした 江戸土産の駄物として人気があったようです

プレイス

小間物には豪華希少な高級品もあります 江戸時代は武家や商家の婦人が昼日中外出することはあまりなく 高価な品物を扱う大店は 得意先へ訪問して販売することが多かったようです 外商ですね 呉服屋もそうです 反物見本を持って訪問販売します[02] … Continue reading
江戸の頃は庶民は古着が普通です なので古着屋が多かった お江戸では神田柳原土手などが有名でした 商いといっても 筵の上に商品を並べたり竹竿に引っ掛けた露店です 当然のことながら盗品も混じっていました 当時金目の物といえば衣類や布団だったのです[03]柳原の土手から夕刻 古着屋が去ると替わりに現れるのが夜鷹です これも夜に出没します … Continue reading

プロモーション

日本のコンビニエンスストアは独自に発展しました オニギリなどが売れ筋商品なのは 四文銭一枚で買える惣菜・菓子・軽食を売っていた 江戸時代の四文屋に近い形態です とにかく目新しい商品を並べて購買意欲を掻き立てます
主に加工食品ですが新商品の開発を迫られるメーカーは 多種類の在庫を抱えることになります コンビニで売れ残るのは他のチャネルでも売れません 賞味期限がありますから ディスカウントストアへ投げ売りして捌かねばならない

こうやってみると しみったれた商法ばかりという感じがします 日本の経済と流通は萎縮しています 誤魔化すことばかり考えている 物作りではなく流通業者が主体で 見せ掛けの売れ筋商品ばかりです[04] … Continue reading

註釈

註釈
01 バッタ屋がなくなったいま 取り込み詐欺なんかの贓品故買は メルカリでも使っているのだろうか あるいはドン・キホーテに名を変えた
02 越後屋の店売りは画期的でした 後発だったため 他の店がマーケットを押さえていて 入り込めなかったのです 大名屋敷・旗本屋敷は出入りの商人が決まっていました
03 柳原の土手から夕刻 古着屋が去ると替わりに現れるのが夜鷹です これも夜に出没します  盗賊の中には盗んだ着物をそのまま古着屋で売る者もいたでしょう
04 業務スーパーなるフランチャイザー兼自社製造の いかにも怪しい愚劣な商品があります 低品質や安売りどころか 安く売るための食品を自ら作る そんな商法まで現れたのです
コメントは受け付けていません