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タグ: キャンペーン

ブランディングの媒体

新旧のメディア

広告・広報の媒体として 旧来のメディアとインターネットを比較すると いちばん大きな違いはインタラクティブ(双方向性)です いままでの広告・広報は企業側から一方的に発信するものでした ユーザー側は単なるオーディエンスです
インターネットのユーザーは積極的に自分に必要な情報を探します さらにはカスタマーレビューという形で ユーザーが情報を発信することもあり 送り手・受け手の差がありません[01] … Continue reading

この双方向性という特徴は ただ企業とユーザーの関係にとどまりません 企業内でも全員参加が可能な媒体がインターネットなのです 誰でも簡単に情報を発信できるわけですから 特に広告・広報担当者である必要もないのです
具体的には従業員ブログやフェイスブックページでの情報発信です 旧メディアのような一方通行ではなく ユーザーからの反応が直接得られる しかも担当者とのパーソナルなやり取りが可能です(twitterやインスタグラム(Instagram)なら AIでやり取りが可能になるかもしれない))

ブランディングと媒体

ブランディングはストーリー作り そしてストーリーの登場人物は従業員です 従業員を巻き込まなければブランディングは成り立ちません 観客であるお客様に感動を伝えるのはストーリーを演じる従業員なのです 従業員は最大・最良のメディア[02]ディズニーランドの従業員はキャストと呼ばれます つまり全員があの世界観の中の登場人物なのです スタッフでありプレイヤーでもある 全社一丸となることが ブランディング成功の道のりです 従業員全員がその企業と製品を好きにならなければ始まらない

旧来の媒体でよくあった ヤラセや仕組まれたストーリーをユーザーは見抜いています たとえ一時的にごまかすことができても 決して優良な体験を提供することはできませんから カスタマーにはならないのです つまり誠実でなければブランディングは不可能ということ[03]CIというのもロゴタイプを新しくすれば何かが変わるということでなく CIをやるという一連のキャンペーンで話題作りするのが主な目的でした
一方通行のメディアでは出稿量で流れを作ることもできました 双方向のメディアの場合 誠意を感じなければ会話が成立しない インターネットもそうですし従業員が媒体となる接客も同じことです

インターネットは開かれた場

ブランディングでは従業員も媒体です 従業員の意識の持ち方が決定的な影響力を持ちます インターネットは誰でも参加できますから 企業とお客だけでなく従業員同士や従業員とお客のコミュニケーションツールになります
その際に重要なのがコンセプトの通底 各自がバラバラに対話のやり取りをしていては ブランディングなど不可能です お客に伝えるためには まず従業員が確たるコンセプトを共有することです

以前には広告や製品開発のために コンセプトワードを設定したりしました しかしキーワードではうまくいかなかった まして会社自体のブランディングとなると 社是・社訓やスローガンのような抽象的な言葉では 解釈の違いが生まれてしまう恐れがあります 誰もがイメージできる具体的な物語が必須なのです
それがすなわちストーリー作りであり 不断の社内コミュニケーションです ブランディングは実に社内施策なのです

インターネットでブランディング

ブランディングのために最適な媒体がインターネットです インターネットができたお陰で 中小企業でもブランディングが可能になったともいえます インターネットの双方向性・全員参加という特徴を考えれば納得できると思う
オープンでフランクな関係を社内外で培うことができれば ブランディングは可能です 皆で物語を紡ぎ出すのです 企業が製品を作りユーザーが使う そこに良い体験・悪い体験が生まれ 物語となります

良い物語を作るためには しっかりしたシナリオ・ストーリーテリングが不可欠です 各自の思いつきや その場の流れで対応してはなりません アドリブを出せるのは台本があるからこそです マニュアル作りとは違います 決まりきった受け答えならAIにやらせたほうがよほど確実です
ストーリーを組み立て それに基づいて社内外に情報を発信し 従業員とユーザーが体験を共有して 初めて物語ができブランディングが成り立ちます インターネットなら スタッフが不足しても予算をあまり使わなくても ブランディングが可能です

註釈

註釈
01 ダイレクトなユーザーの感想は企業にとっても大切な情報源になります ユーザーレビューはグループインタビューなどとは比較にならない生の声です
02 ディズニーランドの従業員はキャストと呼ばれます つまり全員があの世界観の中の登場人物なのです スタッフでありプレイヤーでもある
03 CIというのもロゴタイプを新しくすれば何かが変わるということでなく CIをやるという一連のキャンペーンで話題作りするのが主な目的でした
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森と人

宮澤賢治の「狼森と笊森、盗森」に

そこで四人の男たちは、てんでに好きな方へ向いて、声を揃えて叫びました。
「こゝへ畑起こしてもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建てゝもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました
「すこし木貰ってもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。

という一節があります

宮澤賢治が何に触発されて この童話を書いたのかは分かりません イギリスに憧れていましたから あるいはロビンフッドなど森の住人に想を得たのか
私には縄文の人たちの暮らしぶりを見る思いがするのです ロビン・フッドは緑の衣装ですから 春の芽吹きを象徴する キリスト教以前のサンタクロースの原型[01] … Continue reading 日本でいえばナマハゲに相当します

イギリスは島国です しかし海岸を急峻な断崖が巡る地形ゆえ 漁業はあまり盛んではなかった そこで森の木を切り倒し畑や牧畜を営みました イギリスにはストーンヘンジという巨石の遺跡があります アングロ・サクソンやケルト人以前の人々が作りました 先住民が森の神々を祀った跡でしょうか 人格化したのがナマハゲ・ロビンフッドなのでは

日本は同じ島国でも なだらかな海岸が連なる山勝ちの土地です 海と森に依存した生活を営んでいました 宮澤賢治の童話では 森の神々に粟餅[02] … Continue readingを供える風習のいわれを書いています 人々は森と共存するのです

水木しげる氏の世界とも共通するように思えます 森に住む狼(大神)や異形の神々は 柳田國男氏がいうように 縄文あるいは石器時代の神々でありましょう
西洋の狼男も吸血鬼も 活躍するのは月夜の晩です 我が森の神もまた 月読命が支配するのではなかっただろうか

狼の森での火祭りのシーンは印象的です 日本狼が滅びて森の秩序が失われました いま里山から動物たちが下りてくるのは 人々が森への畏敬を忘れたことへの警鐘とも思えます この遠因には薩長明治政府による国家神道があります
そういえば賢治の童話には ドングリがよく出てきます 樹の実は石器時代それ以前から常食されてきました 縄文時代にはドングリも栽培されていたようです そして粟や栃などから稲作(熱帯ジャポニカ米=縄文時代に栽培されていた陸稲)へと続きます

註釈

註釈
01 サンタクロースの衣装が赤と白になったのは コカ・コーラのキャンペーンからです 夏場の季節商品であったコカ・コーラを通年商品にしようと クリスマス前夜コーポレートカラーである赤と白の衣装を身につけたサンタクロースが プレゼントとして瓶入りコカ・コーラを配布したのが始まりです サンタの衣装はこうして定着し フィンランドだったかの公式サンタも赤・白の衣装を着ています
02 子供の頃 小学校近くにある神社の宮司家が 神事用の五穀を栽培していました よく覚えていないのですが 近くに粟林もあったと思います
縄文あるいは石器時代まで遡れば 宗教はなくいわば神話の時代です 祭祀として形を整えるのは ずっと後の時代です 神社神道に至っては平安以降です 神社に神木と称せられる巨木があるのは 森の民であった記憶からでしょう
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例と時、文献偏重と証拠

鎌倉時代に書かれた「塵塚物語」で面白い話があります 某公卿が山名宗全に対し過去の例を引いて 当時の社会情勢につき自説を縷々と述べたという内容です
山名宗全は 過去の事例はその時代のことである 例を時といったほうがいい 過去にばかり囚われるから あなたは失敗したのではないかといいます

説話集なので 事実に即してないという向きもあります 歴史上の事実とかそういう話じゃない 時代背景も状況も違うのだから 過去の例はそのまま参考にはならないということです

前例主義の役人ばかりでなく 文献第一の歴史学者にも当てはまりそうな気がします 文献なんて意識せずとも書いた者の立場で事実を解釈してます
とくに役人が作る公的な文書は 政治的な意図を持っていると見た方がいい 私的な日記や言い伝え・伝承の方が 一面的・部分的ではあるが真実に近い[01] … Continue reading

文献に書かれた過去の例を否定するつもりじゃないが 一字一句をそのまま事実とするのは違うと思います やはりある程度の想像力は必要でないですか このブログに書いていることも私の個人的な推測が多い[02] … Continue reading
最近ファクトチェックなんていってますが 証拠集めのつもりでしょうか 権威筋とされる者の見解や 一次資料・原典といったって 必ず事実に即しているとはいえない 所詮事実は書かれた時点で過去のものです

証拠を集めて自説を補強するよりも 資料を読み解くというか 因果関係からストーリーを組み立てる方が 真実に肉薄する気がします 証拠や文献にばかり頼るのは権威主義の一種かと思います[03] … Continue reading
慰安婦問題や加計学院といった でっち上げ新聞記事はデマゴギーというよりプロパガンダですから さらに悪質です インターネットの世界に溢れる いわゆるフェイクニュース(ガセネタ)から真実を読み取ることもできます
一部新聞の執拗なキャンペーンにも関わらず 先の衆院選で安定政権を選んだのは 国民の良識を反映しています

検事調書が最初に事件のストーリーを組み立てて 自白を当てはめていくといいます ストーリーは証拠品で事実と認定されたことに基づくのですが すでに終わった事件であり完全な真実を描くことはできません
不完全を補うため当事者・容疑者の供述が必要です しかし犯罪者は罪を繕おうと 自分に都合がいいよう真実をねじ曲げます 嘘つきは泥棒の始まりといいます 犯罪者は嘘をつくことに慣れていて巧みです
嘘つきとの攻防が取り調べなのです アメリカなどで司法取引が行われるのも 検事が事件の絵を描くのもそのためです

註釈

註釈
01 文献主義はキリスト教の考えから来ているのではないかと思いますが どうでしょう キリスト教で最も大切な価値あるものは聖書です キリストの口を借りて人類に届けられた 神の言葉を使徒が書き留めたのが聖書ですから 絶対の権威なのです 聖書に書かれたことが真実 文字に書き留められたものを絶対視し崇め奉るのが文献主義です
02 中世史研究で 絵画史料論という分野があるそうです 文献ではなく絵に描かれたものを読み解くのです たしかに具体的だし偏った思惑が入る余地が少なそうです 幸い日本には 絵図・絵巻物・襖絵などの絵画史料が豊富にあります しかも大衆を描いたものが多い ヨーロッパなどは宗教画や貴族の肖像画ですね
03 戦国時代の宣教師フロイスが書いた報告書は大変参考になります 宣教師は時の権力に取り入ります イエズス会は布教だけでなく情報機関として活動していました それは布教と植民地支配が一体だったから ですから情報ソースの確度はかなり高い
といっても所詮外国人の観察ですし 宗教の布教が目的ですから偏見に満ちています やはり参考程度に見たおいたほうがいい 文献を絶対視するのは危険です
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