コンテンツへスキップ →

タグ: 利権

保線区

鉄道のジオラマで 保線区というタイトルのものを見ました
線路のそば廃車になった車両があります そこが保線区の事務所らしい 中に椅子と机がひとつ(事務所ですから)置いてあります 椅子に座り新聞を読んでいる人がいます
車両の脇は空き地になっていて そこに小さな畑が作られ もう一人が耕しています よく覚えてないのですが 所在なく座って 煙草を吹かす人がいたような気もします

ほかのテーマのジオラマもありました すべて働いているシーンでした 保線区だけは暇つぶしや 仕事と無関係のことをしているのです
実態を現していて感心しました さすが鉄道ファンよく見ています

保線区は仕事をしません監督だけです 線路の保守点検作業はすべて下請けにやらせます やることがないので畑を作ったりして時間をつぶすのです
下請けは地元の土建会社です 仕事を丸投げするばかりか 平気でリベートを取ります 土建会社にしてみればリベート分を上乗せすればいいので お互いが連んでやりたい放題なのです

国鉄が民営化されるとき 国労などが大反対したのは頷けます 利権がなくなるだけでなく 現場の仕事をしなければなりませんから 働かずに給料をもらうことができなくなる
民営化して数十年たつと あちこちの線路で不具合がみられるようになりました とくに北海道がひどい 北海道は4つの労働組合があります
最大規模の組合は革マル派が牛耳っているといわれ 経営陣も口を出せない アナルコサンジカリズムの世界です

外注費が使えず下請け・孫請けの引き受け手がなくなり 保線区の職員自ら仕事をせねばならない 自らやるといっても 作業のノウハウも技術もないし そもそも仕事をやる気が全くない
保線の仕事は人の手による大変な作業です 人手が足りなければ線路の保守は等閑にされます そのため設備の老朽化とともに あちこちで故障が頻出します そして大事故を引き起こす 北海道にとどまらず首都圏でも保線区に関連した故障が続発しています[01] … Continue reading

かつてのコルホーズ・ソホーズでは まだノルマというものがありました しかしサンジカリズムの世界で 労働組合員は特権階級です 組合専従などといって権益を独占できます 労働貴族と呼ばれる者たちが生まれるのです
敗戦後の社会党政権時 農地解放と称して新たな地主が多数できました ある保線区の職員が豪邸を建てたのですが その広い敷地に高価な庭石が並んでいました 土建屋が持ってきたのだと 悪びれもせず自慢していたそうです

註釈

註釈
01 1月12日 大雪のため信越線の列車が三条市で立ち往生し 乗客が半日以上も閉じ込められました 昔の雪国ではかなりの雪でも普通列車が動けなくなることはなかった 国鉄時代の保線作業はすべて下請けです 下請けは地元の土建屋さんですから 雪国では冬場に仕事がないので ちょうどよく機能していたのです
コメントは受け付けていません

商店街から米屋と酒屋が消えたのはなぜ

かつて商店街が賑わっていたのは 地域内で経済が循環していたということです 八百屋さん・魚屋さん・肉屋さん 衣料品店・金物店・荒物店などが揃い 町中で日常生活は滞りなく営まれました
百貨店はボンマルシェや三越がそうであったように 年に数回行く 買い物だけでない特別な場所です スーパーマーケットが中途半端な形で取り入れられたため 棲み分けというか使い分けが機能しなくなったのです

地方都市だけではありません 東京近郊の市街地でも30年ほど前まで 休日の商店街は人波であふれていたのに 今や閑古鳥が鳴いています
いちばん大きい原因は駅前再開発です パルコなど大型の専門店商業ビルが成功したのを真似 各地で亜流の大型ビル計画が立てられました

しかし駅前の土地は 敗戦後の混乱に乗じて第三国人たちが闇市を作っていました その影響による複雑な地権のため 土地の収用は進みません
そうこうするうち結局 再開発ができた頃には購買行動が変化しており 期待通りの集客ができないどころか テナントも集まらないことになりました

地方都市の場合 歩行者がいなくなったことが直接の原因です 車中心の交通により街道筋にあった商店街に客は寄りつきません 店の集積度が高いのが災いして 駐車スペースを作れなかったのです
そして本町通り商店街の空洞化が始まります 多様な店舗の集積度が賑わいを呼んでいたのですから 空き店舗ができるともう歯止めは利きません 連鎖して寂れていきます

やはり利権が絡んでいる

戦後の配給制は利権を生み出しました 米屋・酒屋は免許制ですから 営業努力をしなくても客はやってきて物が売れます
なにも戦後に始まったことじゃない 江戸時代以前より 米と酒は行政の主な税収源でした 藩の財政は米で賄われます そこで癒着がおこるのです 今もそれは変わっていません
米と酒類の自由化で 商店街から米屋・酒屋が消え去りました 酒の安売りのおかげで町の酒屋がなくなったわけじゃない
酒類の税金が高いから 免許制に寄りかかって商売していたからです 酒の安売り店も とうに商売が成り立たなくなっています

セブン・イレブンはアメリカ発祥のコンビニエンスストアでした 日本で急速に発展し ついには日本法人が本家アメリカを買い取ってしまいました
イトーヨーカドーはフランチャイジー開拓に 米屋と酒屋を狙い撃ちしたのです これが功を奏しました

町の米屋と酒屋は利権に守られて商売していました すべてフランチャイザーがお膳立てして 自分たちはただ客を待つだけの商売に飛びつきました 消え去った米屋と酒屋は 軒並みコンビニに模様替えしただけだったのです
いまや米も酒もスーパーやコンビニで買うものとなりました 酒税を上げて町の酒屋の活性化を図る?[01] … Continue reading どこに酒屋があるというのか あるのは相変わらず役人とその周辺の利権だけです

註釈

註釈
01 明治時代に酒税法ができました 明治32年の国税に占める酒税の割合は 35%を超えていたそうです 富国強兵・軍備増強の原資は酒税だった? 今も日本の酒税は世界一高いままです
コメントは受け付けていません

景気浮揚策

リゾート法

越後湯沢は町が死んでいます 活気がないどころではない なぜか リゾート法にやられました
リゾート法といえばあの悪名高い宮崎のシーガイヤですが 越後湯沢は町ごと息の根を止められました 町中にリゾートマンションが建ち並び スラム街を形成しています

こうなったのを人のせいにはできません 身から出た錆です そもそもの始まりが上越新幹線 旅情は全くなくなった 次がスキー客を当てにしたこと 山を禿山にし景観はぶちこわしです そして留めがリゾートマンションという名の廃墟群です

すべて外部資本が入り乱れてやったことです そしてそこには利権が渦巻いていました 一過性の景気浮上で浮かれていたのです
昔は鄙びた静かな温泉街でした ことに駅のプラットホームに湧き出ている温泉が ほんのりと温かい風情を醸し出していました

温泉街として寂れていたのなら まだ方策が考えられます もはや温泉街ですらありません 同じ新潟県内の赤倉温泉もスキー客を誘致したため 岡倉天心や小杉放菴らが親しんだ かつての避暑地の面影は失われ 中国資本に席巻されています
しかし越後湯沢には 中国資本も興味を示さないようです アパホテルも星野リゾートも手を出さないでしょう 経営努力で何とかなる状態ではないのですから

ひとり越後の片田舎の話ではない気がします 日本の行く末を見るように思えるのです 無思慮なその場限りの景気浮揚策の末路が見えるような 翻弄された地元は負債を抱えて呆然と立ち尽くすのみ

新リゾート法

またぞろ新たなリゾート法の話が出てきました なんと今度はギャンブルを中核にするのだそうです 外国にもカジノは幾つかあります とくに興隆を誇っているのがマカオとラスベガスです 日本では公営ギャンブルということで 役人と周辺の利権が目的です
ラスベガスは最初マフィアがカジノホテルを建てました 禁酒法後の有力な資金源でした そこへ州政府が厳しい法規制をかけることで現在の姿になっています マカオといえば アヘンの売買で巨万の富を得 経済面で植民地支配を担っていた かのジャーディン・マセソン創業の地です

私はギャンブルに詳しくないのですが カジノ経営にはノウハウ(取り立ての?)があって新規参入は難しいのだとか そうなればノウハウを持つ華僑やラスベガスの資本が日本に進出するのは目に見えています
トランプもかつてカジノを経営していたといいます(土地転がしで儲けた静岡の金持ちがトランプと大勝負したことがあります) マカオ資本を許しては長崎・出島のように役人と華僑の懐を潤すだけです

日本の場合は最初から役人が胴元として始めるわけですから いろいろな抜け道を作るでしょう とくに問題なのが 他の国のように限られた特定の遊里・悪所でなく パチンコのごとく日本中にカジノを作ろうとしていることです
こんなことをしていたら 越後湯沢にとどまらず国が滅びます 「国破れて山河あり」戦乱で国が滅びても自然はそのままだと杜甫は吟じました しかし経済侵略は国の形はそのままに 人心と風土が侵されるのです

コメントは受け付けていません