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タグ: ストーリー

所ジョージのマーケティング(ブランディング)

所ジョージという人は 北大路魯山人[01] … Continue reading 柳宗悦といった面々の 戯画だと思います(所さんに対して失礼な言い方ですが)
趣味と仕事の区別が判然とせず 生き方そのものがブランド化されているという感じ 所ジョージは芸名ではなくブランドネームなのではないか

彼らとの違いは権威主義でないこと 所さんは自分を権威づけたりせず自由気ままです しかもきちんと生産性がある 工芸品の価値を正しく見ています
鼻持ちならぬ俗物ではないし かといって趣味に生きるだけの世捨て人とも違う 肩肘張らぬアイデンティティーを確立しています

ブランディングとはストーリー・キャラクターづくりの作業です 商品や会社だけでなく個人の場合はなおさらのこと
ブランドはある意味 伝説を作ることですから 事実を歪曲まではいかなくても 美化することはあります ワイアット・アープの伝記なんて有名ですね[02] … Continue reading

自身をブランド化した先駆は千利休でしょうか 珠光に始まり紹鷗が名付けた侘び茶の精神を 目に見える道具立てで完成しました 理念や本義など具体性を欠くものでブランド化は難しいのです 商品にしろ個人にしろキャラ立ちが必要です

その雑器に付加価値をつけるというやり方を学んだのが柳宗悦です 民藝運動は好きになれません[03] … Continue reading 宣教師が未開人に限りない優しさを見せるような 思い上がった選民意識が透けて見える気がするのです

北大路魯山人はセルフプロデュースとでもいったらいいのか 自らを権威づける ふてぶてしさが際立ちます 自主独立の心がけは悪いことではないし 既成権威に楯突く気概は好もしいものです[04] … Continue reading

これらのブランディングと違い 所さんは後ろ盾もパトロンもいないし(たぶん) 権威を後ろ盾に専横を極めることもない[05] … Continue reading 権威とは無縁のブランディングとして参考にしたいものです

註釈

註釈
01 北大路魯山人がトっール・ダルジャンへ薄口醤油と粉ワサビを持ち込んだ話は有名です なぜそんなことをしたのか「洋食雑感」に経緯が書いてあります トっール・ダルジャンで鴨料理と称しているのは実は家鴨料理です 自店で広大な養鶩場を持っていて 独自に掛け合わせた家鴨を平飼いしています おそらく北大路魯山人はそのことを知っていて 家鴨のうまい食べ方を示して見せたのです 洋食雑感の末尾に家鴨としては相当に美味かったと書いています トっール・ダルジャンの料理を貶してはいない
02 OKコラールは牧場ではなく囲い(牧柵)のことです 牛の取引仲介のための牧舎で町中にありました クラントン一家は伯楽とかカウボーイの頭領であったのでしょうか 幡随院長兵衛と水野十郎左衛門の喧嘩みたいなものといえます
03 柳をはじめ民芸運動に関わった人たちは 下戸が多かったそうで そういえば彼らの作ったものに酒器は見当たりません だから好きになれないのか 趣味嗜好の問題なんですね よく知らないのですが 陶芸などで作家を名乗るのは民芸運動からなのでしょうか
04 魯山人は優れたプロデューサーであったようです 本人は作陶も料理もほとんどしていません しかし魯山人が去ったあとの星ヶ岡茶寮は 同じ料理人が作っても元の味を再現できず 星ヶ岡窯も残った陶工たちが作る焼物は 似ても似つかぬものだったと言います 同じものを作ってもブランドネームを失えば評価も失われます ブランディングとはストーリー作りなのです
05 趣味人を気取ったスノッブが白洲次郎です イギリスで吉田茂の知遇を得たのがきっかけで 東北電力の会長となりました 東京電力の原子力発電所がなぜ東北電力管内の福島と新潟にあるのでしょう 奥只見発電所をめぐっても怪しい動きをしていたようです
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フィーリング・マーケティング

これからのwebサイト制作のあり方は コンテンツ(役に立つ情報)+フィーリング(好感の持てる画像・映像)です

望む望まないに関わらず 多くの人に一方的に情報を送りつけ その中のごく一部の見込み客に購買を促す プッシュ型の旧来マーケティングとは異なるアプローチが webでは必要です

webサイトを通して 企業・商品の理念とストーリーを語るのが ホームページの役割になります
いままでは コンテンツの充実でこれを実現しようとする コンテンツマーケティングが言われていました いわば理屈で説得しようとしていたわけです
検索エンジンもキーワードや構文解析といった テキストによるものでしたから コンテンツが全てといってよい状態でした

しかし人間は感情の動物で 理屈ではなかなか動きません(まったく動かないわけではないのですが 極めて動きが悪い)
SNSが現れ 統計学的アプローチではない ヒューマン・リレーションの情報共有が可能になりました Likeボタンは ほんの第一印象で押すものです
そしてついにPinterestが登場 ここに至って 人間の感情による情報の共有が始まりそうです

従来の広告でも イメージ戦略は非常に大事です でもそのやり方は 印象的なフレーズやクールデザインといった クリエイティブに頼ったものでした
特に人間のエモーショナルな部分に訴える広告は TVCMの独擅場

高額な専門品に衝動買いがないかというと そうとも言い切れません あらゆる手立てで情報を集めて検討するでしょうが 購買のきっかけとなるのは案外に感情的な要素です

信用できるメディアの順番というものがあります

  1. 実物
  2. 専門家の意見
  3. 家族・友人の意見
  4. 店員に聞く
  5. TV放映

といったところです

古い資料なのでインターネットはありません ただ この上位5位は今も不変でしょう(最新リサーチでも証明されています) いずれも客観的な情報・データというより 感情の動きで左右されるものばかりです

理解ではなく 信じてもらうこと 説得ではなく 共感してもらうこと 製品と企業への信頼感は感情に基づきます
当所がwebサイト構築に加え Facebookとの連動をお進めする理由はここにあります
Facebookページの投稿で 賛同を呼ぶのは圧倒的に写真です 情緒に左右されていることは明らかといえます

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SNSはメディアか

Face bookがこれほど興隆した理由 日本ではふるわない理由はなんだろう 実名で参加することを厭う風習が その原因ではないかとの論調は正しいのだろうか 私にはよく分からない
確かに日本ではパソコン通信の頃から匿名が当たり前だったが

東南アジアや中近東でFace bookが普及した理由は ブロードバンド環境がないから 日本で普及しない理由はケータイがあるから という傾聴に値するご意見がある もとまか日記Zさんです 面白い見方ですね 触発されます

インターネットのリンクは 現実社会の複層的な繋がりに類似している 情報の流通がインタラクティブなのだ 受け手であり同時に発信者でもある
ここでは政府 大企業 個人が同じ土俵に立っている 尖閣諸島ビデオ ウィキリークスを見るまでもない

社会生活はもともと複層的な繋がりで成り立っている 広告が 今までマスやクラスターにアプローチしていたのは その複層的な繋がりを定量化できなかったために過ぎない
レイティング GRP ライフスタイル・セグメンテーション どれも手探りと想像の産物だ いくらチャートを眺めても 現実の人間は見えて来ない
SNSは擬似的な社会生活なのだろうが リアルなコミュニティが形成されているとは とても思えない

もっとも、現実社会でもすべてをさらけ出すことは少ない ギリシャ悲劇の仮面を(仮面劇だった)ペルソナという パーソナルの語源だ 現実の社会生活も しょせん劇場なのかもしれない 複層的な繋がりは 仮面を付け替えるのに似ているからだ
実名 匿名 愛称 あだ名 芸名 ペンネーム 雅号 仮名 偽名 ハンドルネーム 果ては戒名に諡 そして二つ名 どれが実態を表すのか? なんて不毛の論議ですね  ただ SNSをメディアと捉えたら間違える 従来の広告・マーケティングの延長で解釈していると 見誤るだろう ペルソナマーケティング 茶番ですよ (見たことはないが 昔の日本映画でありました「ある時は……pufa 七つの顔を持つ」とかいうやつ)

【マス】→【個】→【仲間】=【TVが代表する マスメディアを使った広告が主流の第1モデル】→【雑誌などのクラスターメディアへ商品情報を発信する第2モデル】→【SNSは世代も地域も自由に飛び越えた第3のモデル?】
そうだろうか? 「RT」(リツイート)も「いいね!」(Internet Explorer の〈お気に入り〉と同じく 私にはとてもイヤな語感です)も 共感の言い換えにすぎないのではないか

企業が発信する情報に対して 共感しなければ 人はその商品・サービスを購入しない 「あの人が使っているから」「隠れた名品」「いちばん売れている」「伝統のなんたら」
動機はさまざまでも すべて商品・サービス・企業の持っているストーリー(イメージ)が 自分の感性に一致したから買うのだ

SNSをメディアと捉えるのは いわゆるクチコミを作り出そうということだろう が 共感のトリガーはクチコミだけではない クチコミは言い換えればうわさ話 風評と大差ないものだ
多くの場合 風評はマスコミ発信のものが多い 今でも「TVで言っていた」は 動機付けの大きなファクターだ エモーショナルな部分に訴えるから タイガーマスク騒動はいい例だ
ちょっと変わったページがある 主にオーディオケーブルを扱っていらっしゃる「PRO CABLE」さんだ 無責任な言説に対して 実に正鵠を射た卓見を述べられている
(このページに感心したのは ブルーレイレコーダーを買い替えた時 家にあった適当な同軸ケーブルとピンプラグを使ったら 驚くほど画質が悪くなった経験があるからだ ケーブルは太いほどいいという うわさ話に惑わされていた)
専門誌のミスリード それを受け売りする読者 そこから広まるクチコミへの痛烈な批判だ 評論家が言っていた 知人から聞いたという話が いかに当てにならないか分かる

インターネット情報は玉石混淆 その中から真実を見分けるには見識が必要だ しかし既存マスメディアも実は信用するに足りないということだ
新聞・雑誌は影響力を全く失った 権威主義を振りかざしていたからだ 署名記事といえども ◯◯新聞という権威に寄りかかって書いている 権威の傘のもと匿名で権力を振るうのは 官僚にそっくりの精神構造である
匿名とは奥ゆかしさではない 単なる責任回避に過ぎない
理性の部分に訴える(本当はこれも、理知的でありたいとする層の感情に訴えているのだが)役割は これから何処が担うのだろうか ブログ? SNSではないと思う

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