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タグ: パッケージ

旅行

伊勢講・富士講などはパッケージツアーで 旅行代理店の積立のような組織立ったものでした 宿泊施設も決まっていて 団体用の料理や土産なども用意されます
伊勢の片焼きと言われる 煮た切身魚の片面を熱したコテで焼いた料理 汁気のない伊勢うどん そして赤福などですか いずれも簡易なものです お伊勢さんにあやかり名物として売り出しました[01] … Continue reading

東海道中膝栗毛の上巻はお伊勢参りですが これは弥次さんが旅行費用を工面しています 講ではありません 自分で算段できなければ 私的な頼母子講もありました 皆でお金を持ち寄り籤引きで当たった人から順に旅行へ行きます
旅行費用には宿泊代・飲食代から土産 帰国してからの慰労会の経費まで含まれます 慰労会は賑やかな宴席で旅の報告会(土産話)です ハッパキ(脛巾)脱ぎとか砂ッ払いと称します 皆で出し合ったお金なので 講仲間への旅の土産と報告は必須です

江戸時代に至れば街道が整備され旅行も盛んでした その昔の遊行僧や武者修業のように 行き倒れ覚悟の命懸け旅じゃありません お蔭参り(抜け参り)のような無銭旅行まであったほどです といっても護摩の灰や枕探しはいたし 基本徒歩ですから楽なものではなかったでしょう
弥次喜多で駕篭から振り落とされるシーンがあったように思います 道中駕篭に座席らしいものはなく揺れるため 吊り革のような紐に掴まって乗ります それほど快適ではない 酒手を弾まないと余計揺らしたりしたかもしれない[02]駕篭や後代の人力車には乗り方があり 慣れた乗り手だと駕篭かきや人力車夫は楽だったようです 時代劇に出る早駕篭に乗る使者は 道中ずっと中腰なので 着いた時にはそれこそ息も絶えだえになります

馬も乗用に使われていました 乗馬術とまでいかなくても やはり乗り方はあり 武家は大刀を逆(刃を下向き)にしたといいます 鐺が馬の尻に当たらぬようにです 乗馬はあっても日本には乗用の馬車がありません 山勝ちで河川の多い地形から坂道になり 道路事情がよくなかったのが理由ですね 箱根八里は馬で越せますが 馬車では無理です[03] … Continue reading
その代わり水運が発達しました いちばん早くて快適 「喰いねぇ 喰いねぇ 寿司を喰いねぇ」森の石松は大阪八軒家浜で寿司を買って 三十石船に乗り込んでいます 押し寿司ですね 当時のことですから 日持ちがするよう酢と塩を効かせたものでしょう 「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」神田とくれば笹巻けぬきすしが この頃の味に近いかと思います 石松は遠州の生まれなので江戸の寿司は知らなかったか[04] … Continue reading

註釈

註釈
01 大福は中に餡を入れた餅です(江戸時代は甘くない餡の塩大福) 餅の上に餡を擦りつけ指痕が残る即席のあんころ餅を 赤福と名付けたのはネーミングの妙です
02 駕篭や後代の人力車には乗り方があり 慣れた乗り手だと駕篭かきや人力車夫は楽だったようです
03 大陸のヨーロッパではローマ時代から馬車が使われ 道路も整備されていました 多くの馬車が通ることで石畳の道には轍ができます 自然に車軸の幅も統一されるようになり 後世の鉄道馬車へと結びついたのではないでしょうか
04 清水次郎長は東海一の大親分です 若いころ賭場に出入りしたものの博徒ではありません 清水港の港湾荷役を取り仕切っていました 火野葦平作「花と龍」の玉井金五郎も 九州若松港の沖仲仕を束ねた人です ヤクザ者じゃありません
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チョコレートとビスケット

赤い箱の「ロッテ ガーナ ミルクチョコレート」が 意外と安い値段で売っていました 懐かしかったので買って帰りました 家でパッケージ裏を見ると内容量50グラムと書いてあります ずいぶん軽いなと思って開けたら 一つひとつのブロックが小さく おまけに中央が大きく凹んでいます 昔の容量は覚えていませんが 形状はずいぶん変わっています
まぁ これは他のメーカーも同じことで 原材料の価格高騰が原因でしょう といっても外国製の板チョコは 同じパッケージサイズで100グラムですから(物によるが味はガーナチョコレートの方が良い 品質と内容量のバランスを考えればやむを得ないか)
ロッテがガーナミルクチョコレートを売り出す前は 森永と明治の板チョコしかなかったように記憶します かなり高価な菓子で滅多に買ってもらえません 板チョコというように ブロックではなく薄い板状でした 分厚いブロック状のチョコは グリコ アーモンドチョコレートあたりからでしょうか

たまたまスーパーで見かけた「プチラック ビスケット」というものを買いました 大袋入りで安い 見掛けから駄菓子の類と思いきや これが意外にうまい 今までビスケットは「森永マリー」に限ると思っていました 食べてみて こちらの方が好みですね
値段そのままにリッチな味ではなく 素朴でシンプルそのものです[01] … Continue reading それだけに小麦粉の風味が生き あとを引く飽きない味なのです パリッとした食感に一口サイズもいい
「ギンビス アスパラガス」なんかもそうですが 個包装で数量をごまかさない姿勢が好もしい いまやほとんどの菓子類は軒並み数量と大きさを減らしています 森永のビスケットも例外ではありません[02] … Continue reading

夏目漱石が官費でイギリス留学中 食事が口に合わず ビスケットとジャムで飢えを凌いでいたといいます そんな味なのかも知れません[03]夏目漱石の末弟子だった内田百閒は師の真似をして 果物を一顆とビスケット(ABCビスケット)に牛乳一杯を朝食としていたことがありました
漱石は帰国してからも ジャムとビスケットを欠かすことがありませんでした 「猫」にジャムの缶詰を買い置きしておく件があったと思います(いやビスケットじゃなく 砂糖がけのピーナッツだったか これは胃に悪そうです)

ビスケットは保存のため二度焼いたという意味だそうです(もともとは日本の焼きお握りの如く 行軍食や旅の当座の食料です) 乾パンや乾飯と同様ですが 軽食として小腹を満たす嗜好品でもあったのでしょう(寿司は小腹を満たす嗜好品でした 笹巻けぬきずしが その形をとどめています)[04] … Continue reading
ショートブレッドも好きでした これはブレッドといっても菓子ですね たしか森永が作っていたかと思います ウォーカーとか他のメーカーのものも試しましたが この森永のが一番でした(いまはもう製造してないみたいです)

註釈

註釈
01 ミスターイトウのかーさんケットという 素朴さを売りにしたビスケットがあります 私の口には不味い イトウ製菓のビスケットを美味いと思ったことがありません
02 昔柏崎駅のすぐ隣に北日本食品の本社工場がありました 貨物列車の引込線が工場にまで敷設されています 柏崎駅に降り立つとビスケットの甘い香りが漂います いま考えれば 小麦粉の香ばしさでなく甘味料と香料でした 高級志向の菓子でも駄菓子でもない中級品 香料と甘味を効かせた味はブルボンに引き継がれています
北日本食品の創業者は最上屋の息子さんだったらしいですね 最上屋は今でもありますが 明治まんじゅうや黒羊羹などパクリ商品が多い なにか商法が似ている気がします 亀田製菓もパクリが得意の会社です そんなところが業績を伸ばします
03 夏目漱石の末弟子だった内田百閒は師の真似をして 果物を一顆とビスケット(ABCビスケット)に牛乳一杯を朝食としていたことがありました
04 ドン・キホーテに随行したサンチョ・パンサは しっかりと食料を用意して遍歴の旅に出かけます チーズと堅いパンと革袋に入れたワインです とくに旅のため用意したわけでなく 普段の食事をそのまま持っていった感じです 同じくサンチョが どこかの野外宴会で 煮込み料理を掻っ払う話があります 鍋で煮込んだ温かい料理は 庶民にはあまり縁がない たいそう上等な食事でした
その頃スペインに初めて風車が作られました キホーテが巨人と思い込むのも無理ない もの珍しい風景だったのです 各家庭から持ち寄られた小麦を風車で挽きます できた小麦粉を今度はパンに焼くのですが 村の共同カマド(パン焼小屋)が設置されていて そこでパン焼職人がまとめて焼きます 普通の家庭では1週間に一度くらいなので 水分の少ない堅いパンを焼きます
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あおのり

ふりかけ「ゆかり」(登録商標)で知られる 広島の三島食品株式会社は 「青のり」も製造しています 三島食品の青のりはスジアオノリを原料にしており 香気の高い逸品です
ところが原料であるスジアオノリの収穫が激減し 商品を作れなくなったのだそうです そこで三島食品さんはかわりに ウスバアオノリとヒラアオノリを原料とした 代替品「あおのり」を製造販売することにしたのです 同時にスジアオノリの陸上養殖を始めました 養殖が軌道に乗れば元の「青のり」に戻す予定です

マーケティングの観点から感心したのが ことの経緯を旧メディアを対象としたプレスリリースなどではなく 「あおのり」の商品パッケージで説明したことです
青色が基調だったシンプルな「青のり」のパッケージから 緑色に変更した「あおのり」パッケージの表面に 「三島の青のりファンの皆様へ 詳しくは裏面をご覧ください」とあり
裏面で「三島食品が品質に自信をもってお届けしてきたすじ青のりを伝統の青いパッケージで作る事ができなくなりました。国内産地での記録的な不漁が続いた為です。陸上養殖をふくめ原料確保につとめていますがしばらく時間がかかりそうです。その間、今できる精一杯の青のりを準備しました。でも待っていてください。必ず帰ってきますから。」と書いてあります

これは素晴らしい パッケージは最大最良なメディアです しかしながら ここに着目したコミュニケーションは ほとんど行われてきませんでした
私は予てからマーケティング・ブランディングにおける 商品パッケージの重要性を提唱してきました パッケージはデザインだけでなくコミュニケーションツールとして最も重要なものです 商品そのものが媒体であり いわゆるオウンドメディアなのです
また顧客とのコミュニケーションは至誠が根幹になります 素直に訴え語りかけるのが一番です 小細工を弄したり仕掛けを作ったりしても インターネットの時代ではユーザーにすぐ見抜かれます

これほど具体的に私の考えと一致したマーケテイングの事例は初めてです 商品パッケージで説明するというのは 自社の顧客に向けてのみ語りかけることです マスメディアでPRしてブランドのイメージを高めるなどという さもしい了見ではない 
この誠意ある姿勢は必ず顧客に届きます 以前にキャンディーズが解散の意思を記者会見の発表などでなく 最初にライブでファンに表明した件を書きました 顧客第一の心がけは通ずるものがあると思います

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