コンテンツへスキップ →

タグ: 越後湯沢

リゾートマンションの活用

すでに一部で実施されていますが 廃墟となった越後湯沢温泉のリゾートマンションを再生するために リモートワークが有効です 今回のコロナ騒動で在宅勤務・リモートワークが広く行われるようになりました

リゾートマンションでリモートワーク

社内のLANでやっていることは全て インターネット回線を使えば自宅で可能な仕事です[01] … Continue reading どこでやってもいいのです とはいえ出社しなければならない仕事は発生します いくらインターネット回線が整っていても 離島で仕事をするのは現実的ではありません
その点 越後湯沢は東京から上越新幹線でわずか1時間半前後の近距離にあります 通勤に1時間半かかるのは普通でしょう 本社を越後湯沢に持って行くのはちょっと大変ですが サテライトオフィスや自宅兼仕事場には うってつけの立地です[02] … Continue reading

このチャンスを逃したら越後湯沢の再生は未来永劫できません もしコロナ以降も日本の働き方が変わらなかったら 結局は共倒れになるだけですから同じことです ここは新しいモデル作りに挑戦するべきだと思います
越後湯沢はもともと湯治場で観光が売りではありません 役人の思いつき「Go To なんたら」とかに乗ったら とんでもないことになります ゴーストタウンになったのはスキー客を目当てにしたこと 利権がらみのリゾート法のためだということを忘れてはいけない

リモートワークこそ これからの働き方の姿

働き方改革を一言でいえば自由な働き方ができるということです 自由には責任が伴います 自由とは自立ということに他なりません 自立は他からの干渉を受けない そのためには自らを律しなければいけないのです 要するに自己管理です リゾートマンションで仕事をするといっても 遊び半分とはいかない
政府なんかが言ってるテレワークとは根本的に異なります データ入力などが多いですね あれは子育ての片手間の時間にできるとかの安易な考えです 実態は極度に低い料金で体のいい下請け・一人親方みたいなもんです

中には会社の受け入れ体制が整っていないとか 今までの勤務形態を変えたくない人たちがいて コロナ後がどうなるか不透明な部分はあります しかし働き方を変えないと これから日本は世界の潮流から どんどん取り残されるのは確実です[03] … Continue reading
自立した時間管理は 生産性を高め作業効率を上げるのが目的となります だらだらと仕事なんかしていられません 始業から終業の定時時間内に在席していれば給料をもらえるとか[04] … Continue reading 残業代を稼ぐために居残りをするといった 官公庁や大会社的なことをやってたら破綻します 求められるのは成果ですから

註釈

註釈
01 アメリカでは昔からフリーランスのセールスマンがいました(聖書を売るセールスマンの映画がありました) マクドナルドもコカコーラも確か フリーセールスマンが営業権を買ってチェーン展開したと思います 営業職も基本出社しないでできるのです
02 私事ですが かつて越後湯沢のリゾートマンションにサテライトスタジオを作ろうかと 真剣に考えたことがあります 当時はまだADSL回線すらなく デスクトップのHDDが250MBという時代で 環境が整ってなく諦めました
03 このご時世に経団連が会員企業にお達しを出しています「7割以上の出社にしろリモートワークは原則禁止」だそうです 人の命より我が社の利益(財閥富を誇れども 社稷を思う心なし) 安倍首相にも圧力をかけているでしょう
コロナ感染者が増え続けているのに 旅行をしろとかクレイジーなことを言ってる 同調するかのように管理しなければ社員は みんなサボるなんて根拠のない論調も出てきています こういう連中がのさばるから日本の労働生産性は低いままだ
04 電電公社の子会社で 100人以上のタイムカードがあるのに 社内にほとんど人がいなく いても仕事をする様子がないところがありました 朝カードを押してどこかで適当に時間を潰し 夕方カードを押して帰るだけで 給料をもらっていたのです
通り口銭だけの会社なので そもそも仕事自体がないのです 通常ならペーパーカンパニーにするところですが 大量に人を雇って給料を支払っていたのです 定年退職者の受け皿・天下り用です 似たような例はたくさんあると思いますね
コメントは受け付けていません

景気浮揚策

リゾート法

越後湯沢は町が死んでいます 活気がないどころではない なぜか リゾート法にやられました
リゾート法といえばあの悪名高い宮崎のシーガイヤですが 越後湯沢は町ごと息の根を止められました 町中にリゾートマンションが建ち並び スラム街を形成しています

こうなったのを人のせいにはできません 身から出た錆です そもそもの始まりが上越新幹線 旅情は全くなくなった 次がスキー客を当てにしたこと 山を禿山にし景観はぶちこわしです そして留めがリゾートマンションという名の廃墟群です

すべて外部資本が入り乱れてやったことです そしてそこには利権が渦巻いていました 一過性の景気浮上で浮かれていたのです
昔は鄙びた静かな温泉街でした ことに駅のプラットホームに湧き出ている温泉が ほんのりと温かい風情を醸し出していました

温泉街として寂れていたのなら まだ方策が考えられます もはや温泉街ですらありません 同じ新潟県内の赤倉温泉もスキー客を誘致したため 岡倉天心や小杉放菴らが親しんだ かつての避暑地の面影は失われ 中国資本に席巻されています
しかし越後湯沢には 中国資本も興味を示さないようです アパホテルも星野リゾートも手を出さないでしょう 経営努力で何とかなる状態ではないのですから

ひとり越後の片田舎の話ではない気がします 日本の行く末を見るように思えるのです 無思慮なその場限りの景気浮揚策の末路が見えるような 翻弄された地元は負債を抱えて呆然と立ち尽くすのみ

新リゾート法

またぞろ新たなリゾート法の話が出てきました なんと今度はギャンブルを中核にするのだそうです 外国にもカジノは幾つかあります とくに興隆を誇っているのがマカオとラスベガスです 日本では公営ギャンブルということで 役人と周辺の利権が目的です
ラスベガスは最初マフィアがカジノホテルを建てました 禁酒法後の有力な資金源でした そこへ州政府が厳しい法規制をかけることで現在の姿になっています マカオといえば アヘンの売買で巨万の富を得 経済面で植民地支配を担っていた かのジャーディン・マセソン創業の地です

私はギャンブルに詳しくないのですが カジノ経営にはノウハウ(取り立ての?)があって新規参入は難しいのだとか そうなればノウハウを持つ華僑やラスベガスの資本が日本に進出するのは目に見えています
トランプもかつてカジノを経営していたといいます(土地転がしで儲けた静岡の金持ちがトランプと大勝負したことがあります) マカオ資本を許しては長崎・出島のように役人と華僑の懐を潤すだけです

日本の場合は最初から役人が胴元として始めるわけですから いろいろな抜け道を作るでしょう とくに問題なのが 他の国のように限られた特定の遊里・悪所でなく パチンコのごとく日本中にカジノを作ろうとしていることです
こんなことをしていたら 越後湯沢にとどまらず国が滅びます 「国破れて山河あり」戦乱で国が滅びても自然はそのままだと杜甫は吟じました しかし経済侵略は国の形はそのままに 人心と風土が侵されるのです

コメントは受け付けていません

「雪国」夜の底 国境

トンネルの闇と雪国の夜の底

川端康成の「雪国」冒頭は誰でも知っています 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」 なぜ県境ではなく国境と書いたのか 雪国とそうでない地域の境を描いただけではなさそうです

その後に続く「夜の底が白くなった」 これは雪国育ちでないと分からないかもしれない 川端康成の取材の確かさと描写力です 主人公の島村は夜汽車に乗っているのです
冬の夜汽車の車窓は真っ暗です ことに鄙びた温泉地ならなおのこと でも線路際には客車の明かりが届いて そこが白く浮き上がるのです
トンネルも暗闇ですから 抜けても窓外の景色に変わりはない ただ窓際の席にいる者の目にだけ夜の底が見えます[01] … Continue reading

すべてが島村の視点なんですね 「島村の前のガラス窓を落した」「雪の冷気が流れこんだ」「雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた」 旅情も雪景色も全然描いていない トンネルを抜けたら一面の銀世界が広がってるわけじゃないのです[02] … Continue reading

ただこの後には夕景という言葉が出てきます すると冬の夜の情景を描写したのではなかったのか 時間が錯綜しています
トンネルを抜けた向こうの雪国は 島村の目から見た時間も場所も定かでない 異国ということなのでしょうか[03] … Continue reading

雪の夜

小説中に湯沢町はおろか 群馬県も新潟県も出てきません 清水トンネルは県境にあるが 島村の見る雪国は国境のトンネルの向こうです
上野国と越後国の境ではなく 雪国への境目なのです 国境の読み方は考えてなかったのじゃないか 雪国との境なら〈くにざかい〉と読むべきでしょうが どちらでも構わないと思いますね 望見の小説ですから 声に出して朗読するものではない[04] … Continue reading
駒子も葉子も実在と想念の境目が曖昧です この辺が小説作りの妙となります 葉子の目が夜汽車の窓に映る 島村は駒子の顔が鏡の向こうに浮かぶと見る[05] … Continue reading

角巻き姿の駒子だったか葉子だったかが 雪をこざいてやってくる場面がありました これもたしか夜のシーンです 仕舞い込んでしまって手元に本がないのでうろ覚えなのですが[06] … Continue reading
そして後段に描かれる凍てつく夜の天の川は 冒頭の夜の底と対をなしています 雪国の夜は異世界です 凍みた雪原に月の光が射すと 無数の氷の粒が煌めきとても人境とは思えない 雪積もる国の夜は 現実が物語の比喩表現です 島村の見る現は幻と重なり幻は現と化します[07] … Continue reading

読み方と意味

同じ文字に幾つもの読み方があるのは おそらく日本語だけの特質です 漢字の読み方に正誤はないのです 和歌はもともと口誦の文芸で 5音や7音のリズムが重視されました
漢字かな交じりの文章で書き表すようになってからは 掛詞や縁語などの言葉遊びともいえる表現が見られます 技法として押韻[08] … Continue readingはまずありません(長歌・旋頭歌・今様はよく分かりませんが)

漢字がもたらす字形のイメージ 意味からの連想といったものが 日本文学に多彩な表現力を与えました 一方で視覚に頼る表現になってしまいます いまや和歌の朗詠は宮中に残るばかりとなった感があります 紙の本に特別な意味を見出すのも 仮名遣いの問題も日本語特有なのかなと思います[09] … Continue reading

日本語と英語

サイデンステッカーさんの英訳決定稿では 最初は入っていた border が省かれています そして「夜の底が白くなった」に力点をおいています 雪国の国と国境の国は対応していますが このあたりを英語では表現しきれないのです
ヨーロッパの人達が読んだら 汽車でborderを越えるとき 国境警備隊の検問を想像してしまうかもしれません(映画007に列車内で国境警備隊が 乗客のパスポートを点検するシーンがありました これも確か凍てつく冬でした)

ノーベル賞選考は英語版によるかと思います 英語版では国境の語句自体が書かれていないのです 長いトンネルを抜けて現れる 夜空と白い雪面の対比が重要な意味を持ちます サイデンステッカーさんの最終判断は 「雪国」という小説のテーマを正しく伝える名訳となりました

註釈

註釈
01 「夜の底」を隠喩とする解釈が多いようです トンネルが異国への入り口という意味では 隠喩なので構わないのですが 私はあまり深読みせず素直に読み取るのが よいと思っています 学校の授業などで一字一句を取り上げてグダグダいうのが好きでなかった
02 清水トンネルは新潟と群馬の県境三国峠にあります 峠ですから入り口の群馬側にも 少ないものの雪が積もっていて 抜けて初めて雪景色となるわけじゃない 大切なのはトンネルを抜けて夜の底が現れることです
03 2018年1月15日追記=センター入試試験で「ムーミン谷」が どの国にあるかとの問題が出たそうです ムーミン谷はムーミン谷であって作品中にしか存在しないのです 同じように川端康成が 越後湯沢温泉の高半旅館で小説を書いたからといって そこが舞台とはいえません 県境とは書かなかった理由がわかります 新潟県湯沢町の話ではないから 県境でなく国境なのです
私事ですが この時の高半旅館の次男であった 高橋有恒氏と面識があります 医師であり文学青年でもあった方です
04 「こっきょう」は音読み「くにざかい」は訓読み(小学校で習いました)どちらで読んでもかまわないのです ただし意味合いはやや違ってきます
音読み訓読みといえば 重箱読み・湯桶読みがあります 〈ゆとう〉と読めば 蕎麦屋で出てくる柄の付いた四角の容器 〈ゆおけ〉なら風呂場で使う手桶のことです
書き言葉・話し言葉も教科書にあった言葉かもしれない 同じ文字なのに読み方で意味が変わる 日本語は不思議です
05 長編小説には単行本書き下ろしと あちこちの雑誌に書いた短編をまとめる二つの書き方がありました 川端康成は後者の書き方です
書き下ろしはいわゆる構想何年というやつですね これは出版しない限り収入に結びつかない(菊池寛は前払いしたそうです) なので雑誌に短編の形で書いて稿料を稼ぐ方法を取ったのです
雑誌に書いたものを単行本にまとめるとき 前後に矛盾を生ずることや話が繋がらないことがあります 作家によって違いますが ゲラ拝時かなり手を加えたり書き直すのが普通のことでした
06 高半旅館は越後湯沢の町を見下ろす小高い丘の上です 坂道を雪をこざいて登ってくるシーンは やはり夜空と雪面の対比がイメージされます 新雪の積もった坂道を登るには 藁沓とカンジキが欠かせません
07 雪が降りしきる深夜 一人こたつに当たっていると 雪の積もる音が微かに聞こえます 粉雪の音はサラサラ 牡丹雪の音はホタホタ 底冷えがして背中が寒い こんな晩に雪女が表れるのです
08 いつだったか五言絶句か七言律詩 中国語の朗読を聞いたことがあります リズミカルで耳に心地よい 中国の詩も読み上げるものだそうですが 微妙な発音の違いを生かす押韻は欠かせないと感じました しかし日本語の読み下しでは全く意味がありません
09 いつも何か探しているようだナひばり(風天) この句のナがじつに効果的です ここがカタカナでないと成立しません しかしカタカナでもひらがなでも同じ音ですから 文字にしなければ意味をなさない 俳句はリズムの文学ですが それは声に出さない文字のリズムでしょう 漢字仮名交じりの日本語でしかできない表現です
コメントは受け付けていません