俳句
お遍路が一列に行く虹の中 風天
じつに美しい しかも壮大なこの句の作者は 車寅次郎 草むらの端に四角い顔が見えます 「わたくし 生まれも育ちも東京葛飾柴又です 帝釈天で産湯を使い 姓は車名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します ♫〜」
句会では渥美清と言ってたようですが 吟じたのは寅さんです 日本人のほとんどがフーテンの寅の顔を知っています でも渥美清こと田所康雄の素顔は誰も知らない 自宅とは別に仕事部屋を持っていたそうで 家族には渥美清の顔を見せない
「夢であいましょう」「若い季節」の頃は たしかに渥美清という役者がいました しかし「男はつらいよ」以来 晩年は車寅次郎として生きました 公の場に出るときは常にあの恰好だったそうです
カラー版新日本大歳時記の例句にあります 高浜虚子の句と並んでいるのですが 春の季語「遍路」の項に入っています 虹は夏の季語です つまり季重なりということになります 季重なりがダメということはなく もちろんこの句は秀句です[01] … Continue reading
なんて偉そうなことを書きましたが 季重なりという言葉は TV番組プレバトで知りました 梅沢富美男さんと夏井いつき先生が俳句を盛り上げてくれました 俳句をやっていた知人に聞いたところ 句会とくに宗匠のいない互選では 互いに貶し合う 結構いやらしい世界なのだそうです プレバト梅沢・夏井ご両人のやりとりは その辺を戯画化したのでしょうか
俳諧の諧は諧謔の諧です 俳味とはシニカルなユーモアを交えた表情でしょう そういえば芭蕉庵では 漢籍その他の古典とくに西行の知識がないと まるで相手にもされないという雰囲気だったようです 蕉風を否定した正岡子規も 結局は相手に対してケチを付けているわけです
風天の句の背後には 寂しい風景が広がります 師を求めず独学で俳句を学びました 見つめていたのは自分の心 旅から旅の渡世人が内に抱える孤独 生国に戻れば人情味あふれる人たちが温かく迎えてくれます でも自分の居場所はなく また旅に出るしかない「そこが渡世人の辛ぇとこよ」[02] … Continue reading
渡世人
願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ 西行法師
西行法師として伝わる数々の逸話は 脚色されたものが多い[03] … Continue reading 芭蕉の知識も文献から得たものです 陸奥への旅もそんなところから思い付いたのではないでしょうか 西行の足跡を訪ねた芭蕉「奥の細道」は 同行した曾良の記録によれば 各地の富裕な弟子の家に招かれ歓待された旅でした 近年でも乞食僧のなりをして 放浪しながら作句した俳人がいます 句友の家に行き酒をせびるという 托鉢の形を追っただけにしか見えません[04] … Continue reading
渥美清は自らのことを多くは語りませんでしたが 若いころ浅草でテキ屋さんの手伝いをしたことがあるようです テキ屋さんは露天商という歴とした稼業人 博徒なんかの遊び人(ヤクザ)とは別です
親分を持たずカバンひとつで各地の祭礼を巡る旅人はいました[05] … Continue reading カバンの中は財布など嵩張らず軽くて値の高い商品です 「手前儀 生国は関東葛飾柴又でござんす 故あって親一家持ちません 姓は車名は寅次郎と発します しがない者にござんす」
冒頭の句は定形に収まっていますが 風天の他の句はじつに自由です 定形に対する自由律だの破調といった 狭い世界とは無縁の自由なのです 俳句のリズムを借りていても むろん素人で俳人ではない[06] … Continue reading
お遍路は疎外された人たちといいます お接待に頼る同行二人 決して孤独ではない 渡世人は自ら社会の枠組みから離れた自由な身です 自由は自律自助 一宿一飯の孤独な旅です 車寅次郎はお遍路を見ているが 列に加わることはありません
註釈
↑01 | 風天の句は無季であったり 季語が3つも入っていたり でもそんな事は気にしない 字余り字足らずも頓着しません 上手い句を作る気なんかないし 技巧には拘らないけれども 言葉に対する独自の感覚を持つ 確かな俳句なのです |
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↑02 | 旧知の永六輔に誘われたのが俳句を始めるきっかけ 風天の俳号は自分で名乗ったんじゃなく 話の特集句会で皆に付けられました 車寅次郎の顔の下に渥美清の顔があり 田所康雄の素顔は見えない 同じ顔なのに場面によって変わってくる |
↑03 | 西行は決して漂泊の身の上であったわけでなく いわば高等遊民みたいなものです 私は同じく武家を捨て 法然の弟子となった 熊谷次郎直実が好きですね 不器用で一直線 なにか可愛気があるというか 憎めないところが 寅さんに共通するような気がします |
↑04 | 風天自身は 種田山頭火の句を色紙に書いたり 尾崎放哉の役をやりたいと言っていたそうです 早坂暁脚本の山頭火を描いたNHKドラマの主人公にも決まっていました どのような理由か出演を辞退し フランキー堺が演じました |
↑05 | 旅人(渡世人)にはテキ屋さん博徒の他 渡り職人もいました 菓子職人とか「♪包丁一本サラシに巻いてェ」の料理人なんかです その昔の傀儡師や「伊豆の踊子」に描かれる旅回りの芸人一座もそうです 巡礼にご報謝 巡礼は花山法皇の三十三箇所巡りからと聞きます お遍路と同じく遊行僧の形を真似ただけ もともと宗教的意味は薄く 一種の物見遊山・観光です 渡世人とは全く違います |
↑06 | 話の特集句会の頃は 皆とビールを飲んで楽しんでいたそうです アエラ句会では披講の後の歓談(二次会)には加わらなかった 病気が進行していたためですが 山頭火のドラマを断り(渥美清に戻ることを諦めた) 渡世人・車寅次郎として生きると決めた時にほぼ重なります |