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縄文より続く日本の文化伝統 投稿

金谷ホテル

程のよいサービス

金谷ホテルのすばらしさは 本物のホスピタリティにあると思います 過剰なもてなしではないのに サービスの不足を感じることがない 満ち足りた時間を過ごすための すべてが過不足なく備わっています

たとえば 正面ファサードの佇まいは控えめです でも 奥に新館が続いていて 70室以上の収容力があります
スタッフはどこにいるのか 壁と化してほとんど姿を見せません でも 必要なときはどこからともなく現れるのです

建物の意匠は独特です 東照宮を模した外国人向けの日本風なのですが よい具合に古色を帯び気持ちが落ち着きます 天井の高さがこの伸びやかさをもたらすのでしょう
規模・調度・サービスを総体的に見て 程がよいと言うのが似つかわしいか

ごく自然でフレンドリー さりげないスタッフが好ましいですね 大家族主義なのでしょうか 従業員をとても大切にしている風が見受けられました
ザ・リッツ・カールトンに接客マニュアルがないと聞いたことがあります 一脈通ずるのかも知れない

不思議に落ち着く旧館の部屋は なぜか懐かしい感じがします 実際の経験ではない 何かで読んだか空想の世界かの記憶に出会ったような感覚です

同じ感じを山形の旅館で味わったことがあります 岬の突堤に建つ小体な宿です 決して豪華な建物でなくむしろ質素なのですが ロケーションの良さが妙に懐かしい さる素封家の別邸だったそうです

そういえば この旅館の時も金谷ホテルも 泊まった日は天候が悪く 外に出ずほとんどを室内で過ごしました ちっとも退屈することはありませんでした

※ 金谷ホテルが東武鉄道の子会社になりました 従業員持株会と地元有志が出資した投資事業有限責任組合から株を買い取ることで筆頭株主になったということです
リッツ・カールトンもそうなのですがサービス業はスタッフが財産です 伝統と格式そして歴史が培ってきたホスピタリティの精神が維持されることを望みます

※ オリンピックの客を当て込んで ホテルを増設するのに補助金を出すなんて声が聞こえ始めました スペースの拡充と気配りは反比例するのではないか
熱海をはじめとした温泉街がここまで寂れたのは 団体客を目当てに建物設備を拡大したのが原因です ホスピタリティの意味を全く理解せず一見華やかな箱を作るだけ 団体客が去れば廃墟になる
また同じことを繰り返すのでしょうか それどころか公営ギャンブル(カジノ)をあちこちに作って役人等が儲けようとしています かつてのリゾート法の悪夢よりさらに悲惨な末路が見えます

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日露戦争にみる戦いの本質と勝敗

戦いの本質

1 戦いとは何か
戦いは彼我意志の衝突である 勝利は敵の意志を撃砕し信念を破壊したものの手に帰する

2 戦いの要素と特性
戦いには相手がある しかも彼我ともに自由意志を持つ 戦いは彼我自由意志の抗争であり 信念の闘争である

3 勝敗とは何か
いずれかが勝利を確信し いずれかが敗北を自認し 勝敗が生ずる 敵の信念を屈服させ 我が意志を通すこと

戦いは物理的な破壊や損傷を目指すものでなく 敵の意志を屈服させ我の信念を貫くための手段です 外交も戦争と同様に国同士の争いです すなわち軍だけで戦争の決着はつかないのです 戦いの始まりと終わりは外交の役割です
付言すれば戦いに正邪を持ち込んではいけない 正義と正義の争いが戦いです どちらも大義を持ちます あるのは勝者と敗者のみ

日露戦争の勝敗と北方領土

三国干渉に端を発する日露戦争は 奉天会戦と日本海会戦で終結を迎えます しかしロシアは敗戦を認めず ポーツマス講和条約は領土問題にすり替えられました 千島列島と南樺太の領有権・無償割譲です
和平交渉(停戦合意?)も日本独自にはできず アメリカの仲裁を仰ぎました ここに北方領土問題の原点があります 戦争は彼我自由意志の衝突ですから 終戦はいずれかが敗北を認めなければなりません

国の自由意志とは 国家主権といっていいでしょう 交戦権は国権であり主権と主権の争いが外交・戦争です 外交は武器を持たない戦い 戦国時代でいえば調略に当たります
戦争・外交は独立国主権の衝突で必ずしも戦闘を伴いません 撃砕するのは敵の意志であり 物的・人的な損耗(そんこう)を求めるものではない 敵の信念屈服が戦いの勝利です

ロシアが賠償金を支払わなかったのは 敗戦・終戦を認めないという意志表示です 無償割譲は賠償金の代わりとはならない 敗戦によって国境を変更するのとは意味合いが異なります この結果ソ連による北方領土侵攻を 不当と言い切れない状況ができました[01] … Continue reading

戦争の終結は外交によります 日露戦争で日本は戦闘で勝ちましたが もっとも肝心な外交戦で完敗しました 日本は戦闘に勝っても 我が自由意志を通すことができなかった
ロシアは外交において信念を屈することなく 昭和大戦の無条件降伏に乗じ千島・樺太を手に入れました ポーツマスでの約定は反故にされ ヤルタ会談[02] … Continue readingで国境線が引き直されたのです
このとき樺太・千島列島のみならず 日本の固有領土である歯舞・色丹もソ連領とされました 結局のところロシアは何も失わず 日本はすべてを失ったのです

外交戦敗退の影響は今に続く

ヤルタがクリミア半島の都市であるのは 今日の姿を暗示しているような気もします 日本とロシアの現状をみれば どちらが勝者かは自ずと明瞭でしょう まさに国家百年の大計といえます 北方領土はオホーツク海 クリミア半島は黒海の制海権が狙いです
いまさら千島・樺太でロシアが譲歩したら クリミア半島侵攻の正当性がなくなります 北方領土もクリミア半島も 多少の遭遇戦はあったものの ほとんど無血開城です 戦争に必ず流血が伴うわけではありません

北方領土は樺太と千島列島のはずです 4島だの2島だの言いだした時点で譲歩しています 歯舞・色丹は本来北方領土の範疇に入リません
旅順港を抑えるだけで海域の封鎖ができたのです 2島は戦略面で緊要地です(尖閣諸島と沖縄の関係に似ているかもしれません) 日本の譲歩でソ連の意志が通り 日ソ間に領土問題はないことになりました

そのうえ ソ連邦崩壊時に首相・外務大臣と外務省はなにもすることなく(世界情勢が全く読めず 為す術がなかったのが実態です)唯一の好機を逸しました ドイツがこの機に東西統一を成し遂げたことに比べれば 外交戦・情報戦で大きな隔たりがあります
2019年2月14日追記=安倍晋三が功を焦り ロシアのペースで北方領土問題が終結しそうです まぁそれまでの歴代内閣も ソ連からの呼びかけに応じることしかできず 金を巻き上げられていただけです 長いスパンで見ると日露戦争はロシアの勝利ということになりそうです 百年戦争であったとも言えます)

北方領土を初め竹島・尖閣諸島と あらゆる外交問題にいえることは 条約や古文書を持ちだしても無駄ということです 法学的な解釈はいろいろありますが 条約は詰まるところ2国間の力関係で左右されます
国内法と条約の関係や 強制力・拘束力があるかどうかなんて 法学論を論議しても始まりません 単なる合意文書なのでたとえ罰則規定があっても執行できない まして覚書に至ってはメモに過ぎません

註釈

註釈
01 ポーツマス条約では 北方領土を「日本帝國政府ニ讓與ス」となっています 讓與とは本来所有している財産等を無償で相手に譲り与えることです
この条約により 日本は日露戦争の勝利で領土を獲得したことにならず 後のロシア侵攻が合法とされ ヤルタ密談で北方領土はロシア領に戻ったのです
02 ヤルタの密約もポーツマス条約と同様 やはりアメリカとソ連の駆け引きです 日本に独自の外交策は何もなかったわけです 条約が結ばれる地は重要です それまでの外交戦の結果を表します
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シナリオ 演出

ホン作り

ハコ書きというものがあります シナリオ作成時のプロットです 大小の四角い枠を作って書き込むので箱書きといいます
聞いたところによると シナリオスクールでは このハコ書きを重視するみたいです

このごろのTVドラマを見ると 整合性・辻褄合わせに捕らわれている気がします 何というか芯が通ってない感じ
シナリオとか書いたことはないので 偉そうなこといえませんが プロットを作り込みすぎてるんじゃないでしょうか

ストーリーも大事ですが 人物像を描き出し大団円に向かって エピソードが集約されていくのが ドラマ作りかと思います

1954年製作のアメリカ映画「スタア誕生」で 主人公は”エスター・ブロジェット””ヴィッキー・レスター””ミセス.ノーマン・メイン”と名前が変わります ストーリーの展開に伴って本名・芸名・通称名と変わるのですが 最後にノーマン・メイン夫人と自ら名乗るシーンに この映画のひとつのテーマがあります[01] … Continue reading

映画作りは脚本(ホン)が第一で いいホンが書けなければ いい映画は作れません 日本の脚本家は だいたい映画会社に所属するのが普通でした
脚本専業は少なかったと思います 野田高梧さんでも小津監督と一緒に脚本を書くときは ゼームス槇名義になったんではなかったか

ハリウッドは今でもシナリオが重視されると聞きます 小説家の収入も本を売って印税というより 映画化権の方がメインになるようで 優れた書き手による原作が多い

映画化されるには シナリオがプロデューサーに認められないといけません プロデューサーが自分で手がけたり シナリオを書いた人が自分でプロデュースすることもあります
ハリウッドは完全に分業制で スクリーンプレイも共同作業になり 特定のライターが名前で受注するのはあまり聞かない

セリフや所作

英語をしゃべれないので ハリウッドの台詞に関しては全く分かりません 日本のTVドラマをみていると 少し古い時代設定で手を支〈つか〉えて辞儀をしている相手に対して 「お手をお上げください」ではなく「頭を上げて」なんて台詞を言わせています 「これ頭が高い」「面を上げい」みたいなシーンでは どんな台詞になるんだろう[02] … Continue reading

NHKの番組「私の秘密」冒頭で 藤浦洸が手を支えて辞儀をしていたように記憶します 氏の見識でありましょう 頭を下げるのは会釈(帽子を被っていれば ツバに手を当てて上げます) ご婦人なら小腰をかがめるところ(欧州の淑女でも似たような挨拶がありますね)[03] … Continue reading

会釈・敬礼・最敬礼なんていいますが 敬礼は軍隊で始まったんじゃないでしょうか 屋外で制帽のときは挙手の礼 室内無帽では腰を折り曲げて礼をします(頭を下げるんじゃない) 帽子は脇に挟みます[04] … Continue reading この時も両手はズボンの縫い目に当てなくてはなりません 手を前に組んで頭を下げたら商人の会釈になります(敬礼と会釈は別物です)

日本で映画が作られなくなって久しく TVの仕事しかやったことがないライターばかりになりました
これもNHKのドラマだったと思いますが 海軍軍人が「〜であります」と言ったり 肘を横に延った敬礼をしていました(しかも室内で無帽)
さらに古い時代設定になると 「ご公儀」や「千代田のお城」でなく「幕府」「江戸城」といった台詞は もう当たり前になってしまいました[05] … Continue reading

映画製作はストーリーを追うのでなく画作りです 画作りのポイントはディテールです 台詞・演技・衣装・小道具・大道具すべてに配慮されていなければならない これを疎かにすると画面が絵空事になってしまいます 映画は作り物ですから精緻さが命なのです

カット割り・編集

吉右衛門主演の鬼平犯科帳が終了しました 池波正太郎が認めたほど 小説の長谷川平蔵を体現していました ただ長編スペシャルは いろんな話の寄せ集めだったりするので ちょっと構成に難が見えます やはりホンが書けなくなっているのか
吉右衛門の衰えはやむを得ないとして 画作りでもキャメラワーク・照明など とても活動屋の仕事とは思えません 間延びした平板な締りのない画面[06] … Continue reading 焦点の合わない退屈なシーンが延々と続く そして唐突にエンディング・テーマへとつなげる
TVシリーズでは エンディングへのカットつなぎに意を注いでいました ストップモーションに入るタイミングが 編集の妙というか見事でした あの最後のカットにドラマのすべてが集約されるのです 編集は演出というのがよく分かります

註釈

註釈
01 アメリカには戸籍制度がありません 出生時の姓が変わることはないのです しかし結婚すれば夫の姓(ラストネーム)を名乗り 〇〇夫人と呼ばれるのが 社会人としての常識です
映画ではすでに夫(事実婚?)のノーマン・メインは亡くなっています あえてミセス・ノーマン・メインと名乗る じつに健気な貞女ぶりです これがハリウッド映画であり 多くの人に受け入れられ称賛されたのです
02 不祥事を起こした企業の記者会見などで 並んで頭を下げるパフォーマンスの影響を受けたのか あれは何の真似かお白州のつもりか 頭を垂れる(こうべをたれる)とか項垂れる(うなだれる)と一緒くたにしてるのかもしれない
突っ立っているから平伏や土下座ともまた違うし ともかく晒し者として謝ればそれでよしとなり 問題の本質を覆い隠す演出であろうと思います 半沢直樹とどっちが先なんだろう
03 「千と千尋の神隠し」を見ると ちゃんと挨拶しなさい といったセリフやお辞儀をするカット(美しく正しい所作です)が目立ちます おそらく海外向けに 日本伝統の文化を伝える意図があるのでしょう 宮崎駿監督の見識が反映されています
04 騎士が貴人に対して礼をするときは 帽子を取って腰(膝)を折り曲げます 帽子の取り方にも作法があるようです 騎士は武人ですから軍隊の挙手の礼も 帽子を取る作法の簡略化ではないかと思います
05 私はひねくれた学生でしたから 教科書に書いてあることを疑っていました(だから成績がよくなかった) でも優等生は素直に教科書通りに学んでいました
今の時代劇で幕府とか江戸城とかの台詞は ライターやディレクターが 昔の人は教科書に書いてある通りに話していたと 単純に思い込んでいるからです
06 フィルムキャメラとビデオキャメラの特性の違いもあります 奥行きを感じられないのはパンフォーカスだからでしょう 人間の目は単焦点です 水晶体の厚さを変えることで 遠くにも近くにもピントを合わせます ピン送りが心理描写に使われるのは 人間の目の機能に合っているからです
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