コンテンツへスキップ →

縄文より続く日本の文化伝統 投稿

講談社「死ねばいいのに」

聞くところによれば 京極夏彦氏はMacで原稿を執筆し なんとInDesignで組版までして出稿しているという 昔は原稿を出版社に渡せば戻ってくることはなかったが デジタルならばデータは自分の元に残る
InDesignにはepubで保存する機能があるから その気になればいつでも アマゾンやアップルと直接契約して出版できることになる もっとも現段階では どちらも日本語に対応していないので無理だが
iBookストアが開店する前に 講談社がこのような行動に出たのは そうとう焦っている証拠であろう あからさまな著作者囲い込みに走り始めたわけだ 京極氏にしても いま講談社を敵に回すことはできないから 呑んだのだろうが

再販制度は著作権者を守るわけではない 出版権という出版社の既得権益を守るだけのものである 新古書店を取り込むことはできたが アップルやアマゾン相手ではそうはいかない
いま日本の出版業界は流通を独占すること 再販制で利益を確保することしか考えていない
取次から書店への請求書は1か月に2回来る しかも勝手に配本してきた本の請求である 全くの押し込み販売がまかり通っている そして 取次から出版社への支払いは 年に2回となっている
この 日本の書籍・雑誌の流通を牛耳る取次は 大手出版社が株主である 電子書籍コンソーシアムとやらも たぶん同じメンバーだろう

出版は 雑誌連載で儲け 単行本にして儲け 文庫本化して儲けと 1つのネタで3番煎じまでできる それでも昔は その度に版を組み直していたので 文庫本になる頃なら まず誤字脱字なんかなかった[01] … Continue reading
いまはデータの使い回しだ そのため時間に余裕がなく ろくに校正もしない雑誌連載のテキストデータが 文庫本にまで使われる これに電子出版を加えて さらに儲けようとしているだけの発想だ
本当に「死ねばいいの…」は 日本の出版流通ではないか

註釈

註釈
01 川端康成が雪国を書くのに 何度も書き直しているという話があるが 別に川端康成に限らず古の小説出版はそんな書き方だった 雪国の温泉宿に何度も通い長逗留して草稿を書く 推敲・ゲラ校して雑誌に短編として連載する 後にこれらを纏め長編として単行本を出す 昔はデータの使い回しじゃないので 新たに活字で版を組み著者校正に回す 著者による朱が入るが ことに短編をつなげて長編にするには 章を入れ替えたり書き直すことが多くなる 文庫本はまた別の契約で再び版を組む この時の著者校でかなりの朱が入る場合がある 書き直す機会が多かったため そうなったまでのこと(作者によっては自分の手を離れた原稿に手を加えない人もいた)
コメントは受け付けていません

GoogleTV

なんと キンドルやiPadが日本語化される前に 今度はGoogleTVです 大きな変革が予想されます(日本では役人とTV局が結託して妨害するでしょうが)
GoogleTVは例によって検索技術を使います TVプログラムを見て リモコンのチャンネルで番組を探すのではなく 番組名や内容・出演者などのキーワードを打ち込むことで 見たい番組に直接アクセスできるのです
この際にアクセスできる番組は 放送局のTV番組に限りません どこかにあるビデオライブラリーであったり YouTubeにアップされている映像も含まれます TV局が流す放送も 素人の投稿も全て同列に扱われるわけです

素人の投稿より TV局の放送の方が有益なはずだ? 権威主義の日本人はそう思うかもしれません インターネットでさえ Yahoo!Jが選んでくれたホームページで満足していたのですから
しかし 情報の価値を決めるのは お上や偉い人ではありません 個人の見識です
たしかに インターネットの世界は玉石混淆で 99%はつまらん石です でもそれでかまわない
川喜田二郎先生が ご著書に書いておられました あらゆる角度からのウソを集めて KJ法を用いれば 真実の姿があぶり出されるというのです 多数の人が 全てに整合性のあるウソをつくことはできないからです

インターネットはカオスのようですが ガセネタ・風評は案外数パターンしかありません 嘘を八百も吐くことは案外難しいのです 別にKJ法を用いるまでもなく 見識があれば真実は見えてくるものです
一方的に送りつけられる既存のTV放送より YouTubeの映像にこそ価値あるものが含まれる可能性は大きい その価値を見いだすのは視聴者自身なのです
電波の免許制の上にあぐらをかいて 挙げ句のはて公共放送にまでスクランブルをかける日本のTV局は 淘汰されなければいけません

コメントは受け付けていません

最高経営責任者の姿とは

アイリスオーヤマの大山社長は 年間1000点にもおよぶ新製品プランの評価を すべてご自身でジャッジしておられるとのことです
TVでお話を聞いたとき たぶん社長が いちばん経験豊富だからなのだろうと思いました ところが 理由はその商品の売上計画が未達だった場合 社長に責任を転嫁することができるからなのだそうです これは社員のモチベーション上がります
まさに最高経営責任者を 身をもって体現されています(アイリスオーヤマでは、CEOという言い方はしていません 大山社長の肩書きはなんと 社長兼新商品開発責任者 だそうです)

日本の会社で社長というと 最高権力者みたいに思ってる場合が見られますが 最終的にすべての責任をもつのが社長です 現場でやったことだから把握していない なんて言い訳は通用しません(三菱自動車 雪印乳業 1部上場会社が不祥事を起こした時 聞き飽きた言葉ですね)
大山現社長が二代目で 実質的には創業社長だからとか 非上場のオーナー社長である等は 関係ありません
グローバル企業・大企業であっても 社風・企業風土は必ずあります
法人格には 法律上の権利・義務と同時に 自然人と同じようにキャラクターがあるのではないでしょうか 創業時の(あるいは中興の祖とか?)体質というのは受け継がれるものです

コメントは受け付けていません