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男系・女系

皇室・皇族には家名もなく戸籍もありません そのような制度以前からの伝統を持つからです たかだか明治にできた憲法・法律に縛られるような存在ではない 朝廷・皇室はあっても天皇(家)なんてありませんよ[01] … Continue reading
日本は明治時代から戸籍制度があります 戸籍制度は家制度からきています 親子関係も夫婦関係もすべて戸籍(家)に紐づけられます 姓・名字は戸籍名(家名)であって 個人のフルネームということではないのです だから皇族に姓(家名)はないし 皇統は家を継ぐわけじゃない[02] … Continue reading

跡継ぎは男系だ長男だのと言い始めたのは 明治以降のことです 大化の改新の頃より儒教を取り入れていますが 家父長制は江戸時代以降のことですし さほど厳密なものでもなかった それまでは直系の長男に拘ることはなかったし 母方の親族が跡を継ぐのも珍しくないことでした 男尊女卑は儒教の教えです 日本の民話に男女差別はありません 記紀には多少の影響が見られますが[03] … Continue reading
新民法になっても戸籍制度は残りました(家制度の慣習も残ったわけです) 婚姻届けで新たな戸籍(名)ができ 子が産まれれば新戸籍に加わります 結婚しても自分だけ旧家名のままでいたいというのは 旧来の家制度に囚われた妄言に過ぎません

結婚すれば新しい家族ができますが 子のない夫婦はたくさんあります また結婚せずに子のある人もいらっしゃいます 夫婦と親子は別ものなのです
親子関係は自然のもの 夫婦関係は社会的なものといえましょう その点で諸外国の制度の方が 日本の戸籍制度より現実に即しています[04] … Continue reading
諸外国で血縁のない子という意味の養子はいません 実子でない子を家族として養育するのは里親制度です ただ家産を継ぐための婿養子(入婿)はあるようです

諸外国に戸籍制度はなく 婚姻届けと出生届けは別で所管も違います 戸籍制度がないといっても 祖先や家系を軽んじたり 家族の一体感を大事にしないわけじゃない
出生届けは一般的に 父方のラストネームをつけます すると家族の中で妻のラストネームだけが異なります そこで通称名として 夫のラストネームを名乗るのが普通のことです
戸籍制度があろうがなかろうが 家制度が残っていようといまいと 家族が同姓(ほとんどが夫方)を名乗るのは世界共通です 別に日本の戸籍制度が旧態依然で 特異なわけではありません

我が皇室も世界の王族も家名はないので 家を継ぐという考え方はありません 男系だ女系もあまり関係ない[05] … Continue reading ヨーロッパの王族はすべて縁戚といってよい[06] … Continue reading これは血筋を絶やさないため血統を守るため お互いが嫁入り・婿取りしあった結果です 政略結婚も頻繁に行われました 皇室と公家の関係もそれに近いかもしれません
明治政府が王政復古を唱えましたが 徳川時代の家制度をなぞっただけで 2000年以上の歴史を持つ皇室の伝統的な姿とは違います 男系でなければならないとか 長男が継ぐなんてのも 武家社会の慣習を皇室典範に取り入れたにすぎないことです[07] … Continue reading

註釈

註釈
01 天皇陛下が父で国民が子なんていうのも 武家社会の家父長制を延長して 明治政府が言い出したこと 江戸時代までは天子(天照大神の子孫)様という言い方が一般的でした 神話上の存在なのです ヨーロッパでも絶対君主制の裏付けとして 家族国家の考え方はありました キリストが神の御子といった宗教的な教えを敷衍したものです 家制度とは無関係のこと
近代民主主義の政治原理といわれる自由平等も 神の前にすべての人類(キリスト教徒)は自由であり平等であるという意味です 人は生まれながらにして自由平等とか 憲法に書いてあるからじゃなく 基本的人権は神から与えられた権利です
王になるには教会(司教)から戴冠式を受けなければなりません つまり王権も神から授かった権力なのです 自由平等も王権も神から与えられた訳ですから 専横を極める王が現れた場合 マグナカルタのように王権を制限したり フランス革命のごとく王を廃して処刑することもあり得るのです 神の前で人間(キリスト教徒)は平等ですから
02 万世一系がいつから言われていたのか寡聞にして知りません 天照大神の子孫だから天皇陛下なのですが それは必ずしも血縁ということではないと思います まして家とか長男なんてまるで関係ない 何しろ神話の世界の話ですから 大嘗祭で天照大御神に述べるのが皇統を継ぐことになります
03 徳川家何代目というのは不正確 何代目将軍が正しい言い方です 将軍は朝廷から任命される職掌で一代限り 公家とは違って将軍家などもありませんから 世襲ということではないのです 臣下が将軍に対しての呼称は公方様ないしは上様です
子供のころなので記憶がはっきりしないのですが 昔の少年漫画でも江戸城とか将軍家なんて ネームはなかったと思います 千代田のお城・お上よりのお達しとか言ってたはずです 教科書にどう書いてあったかは分からない 勉強熱心な子供でなかったから
松平は征夷大将軍になれる家柄でなく 徳川村だったか徳川郷に住む新田の子孫に養子入りしました 辻褄を合わせるため松平の家系図を書き換えています その際吉良の系図を元にしたとも言われます 以来将軍職を継ぐものだけが 松平ではなく徳川を名乗ります 後に御三家等も徳川を名乗るようになりました 将軍になれる家柄ということでしょう
04 戸籍制度がなければ 庶子だの私生児といった概念はありません 諸外国には戸籍制度がない代わり 厳格な身分制・階級制があり 母親の出自で生まれながら身分が定められます 日本は身分制・階級制がなかったから 戸籍制度が必要だったのかもしれません
05 ナポレオン三世を名乗ったのは ジョセフィーヌの甥でありました また ナポレオンが皇帝を名乗ったのも キリスト教に依拠する王族出身でなかったからです
元首に近い地位なので権力はあっても権威に基づかず 最後は追放・島流しにされてしまいました 徳川も同じく大政奉還すればただの大大名です
06 ヨーロッパでは スペイン国王がフランスを統治したり グローバルな広がりがあります 国境は人間の定めた線引きです これに対して王権は神から授かったものですから 法律や条約に束縛されることはないのです
07 長男が継ぐのはヨーロッパの王室でも常識でした もともと王室と貴族は軍事を司る存在でしたから 戦闘の主体は男性だったのです イギリス王室男子が軍務につく伝統があるのを見ればわかることです 男尊女卑とか男女差別という話ではない
2022年11月6日追記=エリザベス女王の葬儀の写真を見ると 英国王室のプロトコールでは軍服が第一礼装なのがわかります しかしアン王女まで軍服とは知らなんだ)
明治政府はヨーロッパ王室に倣って 皇室のあり方を改変しました 征夷大将軍(権力)と天皇陛下(権威)を一緒にしてしまったのです 帷幄上奏なんて いわば統帥権の棚上げ 政府の責任逃れです このため昭和天皇が敗戦の後始末を行わざるを得なかった

カテゴリー: 情報戦・心理戦一般 日本の伝統・本流