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壮士 自由民権運動 大正デモクラシー

川上音二郎や添田啞蟬坊などは 繁華街[01] … Continue readingで壮士芝居を演じたり演歌を歌っていました 芝居の収入は投げ銭であり 演歌は歌本を売ることで収入を得ました
壮士芝居はやがて新派劇となり 新時代の人情を演じ人気を博します 演歌も世情風俗を歌うと人気が出て 歌本がよく売れました しかし演歌の演は演説の演であり 社会風刺や政府批判の歌も盛んに作られます 大正時代に入ると演歌・壮士芝居は大正デモクラシーの運動といっしょになります
壮士芝居の創始者は自由党[02] … Continue readingの党員で 川上音二郎は玄洋社に属していました もともと政治運動から始まったのです 壮士芝居も演歌も物語仕立ですから プロパガンダやアジテーションではなく ナラティブだったといえます

ところで繁華街は露天商(的屋と香具師)の庭場です 縁日・祭礼で物を売る商売は昔からありました とくに廃藩置県で禄を失った同心などの中には 抜刀術や剣舞を見世物にする者が現れます 彼らも新政府に不満を持っていましたから 演歌師とともに自由民権運動にシンパシーがありました
かくて露天商と演歌師は同業・同志として手を結び 互いに行き来するようになります 壮士気分で腕に覚えのある荒っぽい者も多数いました[03] … Continue reading 自由民権も大正デモクラシーも 一揆の精神を持つ世直し運動です しかしながら薩長明治政府の藩閥・強権政治により弾圧されてしまいました
圧政の中心となっていた山県有朋は後に国民皆兵・徴兵制を推し進めた人物です[04] … Continue reading おそらく奇兵隊がモデルだったのでしょう 四民平等・廃刀令の掛け声は 国民全員に兵役の義務を押し付けることでした[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 明治の繁華街は江戸時代のまま 神社仏閣への通りでした 物見遊山といえば寺社詣ですから 門前市を成すの言葉どおり 繁華街が形成されたのです 芝居見物は一日がかりで高額の費えが必要でした それに比べ大道芸は手軽で誰でも楽しめます
02 明治時代は火付け・強盗・自由党という言葉があったほどで 自称壮士の溜り場であったのです 中には無頼の徒も混じっていて 強請りを働く者もいたようです ま明治維新前の志士と称する連中も同じです
03 昭和大戦敗戦後 的屋さんは博徒とともに暴力団扱いされます これは第三国人が闇市を作り 昔からの庭場にも進出したためです 博打はいつの世も非合法ですが 露天商は大道芸人と同じく 正当な商売です
04 本人も奇兵隊出身ですから ソレ行けヤレ行けのやたら威勢のいいものです もちろんシビリアンコントロールなんて知りません 統帥権を明治天皇に預けてしまいましたから 自ら責任を取る必要もないのです
05 日本には武士という職業軍人がいました ヨーロッパでは貴族が職業軍人です 領地を与えられたり家禄を賜る代わり 兵役の義務を負います 国民皆兵・徴兵制は 町人商人まで戦に駆り立てるためです スイスのような自主的な民兵とも違います

カテゴリー: 日本の伝統・本流